風邪のときは気持ちが弱りがち――3

 おかゆをたいらげると、ショウガとネギの影響か、体がポカポカしはじめた。


「体が温まってきた」

「それはよかったです」

「ただ、体温が上がってきたせいか、頭がクラクラするな」

「でしたら、冷たいおしぼりを用意しますね」

「悪いな」

「いえいえ。わたしは秀次くんの妻になるのですから」


 朗らかな笑みを浮かべ、からになった土鍋を載せたトレイを持ち、蓮華が部屋を出ていく。


 相変わらず甲斐甲斐しいやつだ。俺たちの婚約は政略結婚だっていうのにな。


 と、いつもならここで思考を終えるのだが、風邪で気持ちが弱っているからか、俺はその先を考えてしまった。


 そうだ。俺と蓮華は政略結婚したから同棲している。恋愛感情で結ばれた仲ではないのだ。一応、俺は蓮華に傘を貸し、助けたことがあるけれど、それだけで好意を抱かれるとは思えない。


 それなのに、ここまで尽くしてくれるものなのか?


 疑問は不信感を生み、不安へと変わっていく。コンプレックスである人間不信が強まっていく。


 蓮華は本当に、心から尽くしてくれているのか? 嫌々やっているんじゃないか? 裏があったりするんじゃないか?


 鼓動が速まり、手のひらがジットリと湿り、風邪のそれとは違う悪寒を覚える。


「お待たせしました」


 そんななか、氷水が注がれた湯おけを手に、蓮華が帰ってきた。後ろめたいことを考えていた俺は、ビクリと肩を跳ねさせてしまう。


 俺の異変に気づくことなく、蓮華は湯おけをフローリングの床に置き、手ぬぐいをそこに浸してギュッと絞る。その様子を眺めていた俺は、不信感を募らせていたゆえ、つい尋ねてしまった。


「なあ、蓮華? きみが看病してくれているのは、俺と婚約しているからか?」

「はい?」

「さっき言っただろ? 『わたしは秀次くんの妻になるのだから』って。もしかして、『妻になるからしかたない』と思ってやっているんじゃないか?」


 手ぬぐいを絞る手を止めて、蓮華が不服そうに眉根を寄せる。


「どうして、そのようなことをかれるのですか?」

「……信じられないんだ、俺は」


 やはり、風邪で弱気になっているようだ。平常時なら明かさなかっただろうコンプレックスを、俺は吐露とろしてしまう。


「子どもの頃に、ちょっと面倒なことがあってさ。それがトラウマで、他人を信用できなくなったんだ。いわゆる人間不信ってやつだな」


「だから」と、俺は弱々しい声で続ける。


「どうして蓮華は尽くしてくれるんだろうって、不安になるんだ。裏があるんじゃないかとか、義務感でしてるんじゃないかとか、疑ってしまうんだ」

「……そうだったんですね」


 俺の告白を黙って聞いていた蓮華が、静かにまぶたを伏せる。俺の気持ちに寄り添うような沈黙を挟み、蓮華がまぶたを上げながら、答えた。


「たしかに、わたしが尽くしているのは、『秀次くんと婚約しているから』でもあります」

「っ! そう、か……」


 蓮華の返答を聞いた途端、心臓を締め付けられるような痛みに見舞われた。想像以上のショックに、俺はうなだれてしまう。


「けど、それは理由の一割にも満たないですよ」


 うなだれる俺を、蓮華が優しげな表情で見つめてくる。サファイアの瞳は澄み切っていた。彼女の言葉には一片の嘘もないと、示すように。


「もちろん、『秀次くんが山吹グループの後継ぎだから』でもありません」

「じゃあ、どうしてなんだ?」


 疑念の雲を散らす太陽のように、蓮華が満面の笑みを咲かせた。


「『月見里蓮華』という個人が、『山吹秀次』という個人に尽くしてあげたいと思っているからです。それ以上の理由はありませんよ」


 蓮華の真っ直ぐな回答に、俺は目を見開く。


「大丈夫です。わたしは秀次くんのそばにいます。信じられなくても、信じられるようになるまで――いえ、信じられるようになってからも、ずっとずっと側にいて、尽くし続けますからね」


 蓮華の笑顔が、眼差しが、言葉が、胸に染み入っていく。絞られるような痛みが消え、温もりへと変わっていく。


 風邪というのは厄介ものだ。気が弱るだけじゃなく、緩みまでするらしい。


「……ありがとう、蓮華」

「どういたしまして、秀次くん」


 だから、照れ隠しのぶっきらぼうなものでなく、心からの感謝が口から漏れてしまったのは、しかたないことなのだろう。

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