にわか雨と相合い傘――1

 放課後、俺は図書室で勉強していた。休み時間に大胆なメッセージを送られたり、昼食時にあーんされたりと、蓮華に振り回されたことで集中を乱され、授業に身が入らなかったらだ。


 静かな空間で勉強して、授業でいまいちだった分を取り戻したあと、俺はグーッと伸びをする。


「さて。そろそろ帰るか」


 バッグを持って図書室を出た。廊下を歩いていると、窓から曇り空が見えた。陽光が分厚い雲にさえぎられており、外はかなり暗い。


「天気予報では晴れだったんだが、外れたみたいだな」


 などと呟いているあいだにパラパラと雨粒が降りだし、ドンドンその勢いを増していき、あっという間にザーザー降りになった。


「折りたたみ傘を持ってきてよかった」


 バッグの底をポンポンと叩き、俺はホッと安堵の息をつく。


 階段を降り、昇降口で内履きからスニーカーに履き替える。その折り、昇降口を抜けた先にある階段に、ひとりの女子生徒の後ろ姿を見つけた。つややかな金のロングヘアは見間違えようもない。蓮華だ。


 蓮華はその場に立ち尽くし、激しく降る雨をただ眺めている。傘を忘れたのだろうか?


 だとしたら、放っておくのは忍びないな。


 周りに誰もいないことを確認して、俺は蓮華に声をかけた。


「蓮華」

「秀次くん?」


 蓮華が振り返り、俺の姿を確かめて目をパチクリとさせる。


「まだ帰ってなかったんだな」

「日直の仕事がありましたので、遅れてしまいました」


 俺が尋ねると、蓮華は苦笑とともに答えた。


「傘、持ってないのか?」

「はい。お天気お姉さんに文句を言わないといけませんね」


 晴れの予報を見て、蓮華は油断していたらしい。雨を前にしてたたずんでいる様子から察するに、折りたたみ傘も持っていないのだろう。


「まあ、むまで気長に待ちますよ」

「いつ止むかわからないだろ。帰れなくなったらどうするんだ」


 ぶっきらぼうに言いながら、俺はバッグから折りたたみ傘を取り出して、蓮華に手渡した。


「使ってくれ」

「え? でも……」

「遠慮しなくていい。きみを見捨てたら目覚めが悪いからな」

「ダメですよ! それでは秀次くんが濡れちゃうじゃないですか!」

「きみが雨に打たれるよりはマシだ。女性は体を冷やしてはいけないらしいしな。俺のほうは気にするな」


 一歩的に告げて、傘の代わりにするために、俺はバッグを頭上に掲げた。


 マンションに着くころにはずぶ濡れになっているんだろうなあ。


 苦笑いしつつ腹をくくり、走りだすために脚に力を込める。


「待ってください!」


 いざ走りだそうとしたとき、蓮華がブレザーの袖を引いて、俺を止めてきた。振り返ると、どういうわけか、蓮華は頬を朱に染めている。


「秀次くんが雨に打たれることはないです」

「結局はどっちかがそうなるんだ。それなら俺のほうがいいだろ?」

「その必要はありません。ふたりで傘に入れば万事解決じゃないですか」


 蓮華が上目遣いで俺を見つめてくる。どこか熱を帯びているような視線と、思いも寄らない提案に、俺は動揺せざるを得ない。


「まさか、相合い傘をしようって言うのか?」

「それが最善ですから」

「い、いや……それじゃあ、誰かに見られたときにマズいだろ。俺たちの婚約がバレる危険性がある」


 顔の火照りと戸惑いを感じながら拒否するも、蓮華はかたくななまでに譲らない。ブレザーの袖を放してくれない。


「大丈夫です。『傘を忘れたみたいだから助けた』と説明すれば納得してくれますよ」

「けど……」

「それに……あの日は、一方的に助けられてしまいましたから」

「あの日?」


 蓮華の意味深な発言に、俺は眉をひそめる。直後、その発言がきっかけとなり、記憶の蓋が開かれた。


 一年ほど前のことだ。その日は雨で、いまと同じように、蓮華は傘を忘れて昇降口で立ち尽くしていた。見過ごすことができなかった俺は、蓮華に傘を貸して、雨に打たれながら帰ったのだ。


 そうだ。いままでなんの接点もないと思っていたけれど、あの日、俺と蓮華はたしかに接触していた。


 だとしたら――




 ……覚えていないのですか?




 お見合いのとき、蓮華が不満そうな顔で口にした言葉は、あの日のことについていていたのか?


「なあ、蓮華? 一年ほど前の雨の日、俺はきみに傘を貸したよな?」

「思い出したのですか!?」

「あ、ああ」


 尋ねると、蓮華がズイッと身を乗り出してきた。目を見張るほどの美貌が、うっかりすると触れてしまいそうなほど近くに迫り、俺の体温が急上昇する。動揺を隠すために視線を逸らしながらうなずき、「けど」と俺は続けた。


「まさか、傘を貸したからってだけで俺と婚約したわけじゃないよな? 流石に、俺に尽くす理由になるとは思えないんだが……」

「……思い出したのは、そのときのことだけですか?」


 蓮華の目が細められる。まるで、俺の内心を見透かそうとするかのように、探ろうとするかのように。真剣そのものな眼差しに、俺はドキリとしてしまう。


「そうだけど……そのとき以外で会ったこと、あるか?」

「……そうですか」


 蓮華がシュンと肩を落とし、溜息をついた。


 俺は眉をひそめる。


 蓮華の様子から察するに、一年前のあの日以外にも、俺たちは会ったことがあるのだろう。おそらくは、その二回の接触で、蓮華は俺との婚約を決めたのだと推測される。


 じゃあ、一回目の接触はいつのことなんだ?


 気にはなるが、蓮華に直接訊いてはいけないように感じる。俺と接触したことがあると、これまでに蓮華が明かさなかったからだ。一回目に接触したときのことを、蓮華が明かそうとしないからだ。


 蓮華は、俺に思い出してほしいのではないだろうか? 自力でたどり着いてほしいのではないだろうか?


 だとしたら、蓮華の希望に応えるのが俺の務めだろう。俺は蓮華に尽くしてもらっているのだ。それくらいしないとばちが当たる。

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