新婚(仮)生活――4

 午後七時。仕事を終え、リビングダイニングにやってきた俺は目を丸くした。


「これ、全部蓮華が作ったのか?」


 ダイニングテーブルに、通常の食事ではあり得ないほどたくさんの、料理が並んでいたからだ。


 豚の生姜焼き、ぶり大根、ホワイトシチュー、コロッケ、麻婆豆腐、栄養バランスを考慮したためとおぼしきグリーンサラダに、見るからに熱々なスンドゥブチゲまである。引っ越した直後だから買い出しもしないといけなかっただろう。時間的に不可能じゃないかと思うほどの品数だ。


 驚きのあまり立ち尽くしいる俺に、蓮華がニッコリと笑いながら頷く。


「はい。最初が肝心と言いますので、初日から張り切ってみました。秀次くんの好みがわからなかったので、品数はできるだけ多めにしました」

「だ、大丈夫なのか?」

「大丈夫だと思いますよ? 品数が多い分、一品一品の量は少なめにしていますから、ちゃんと食べきれるかと」

「そういう意味じゃない」


 蓮華は俺の心配を、『こんなにもたくさんの料理を食べきれるのか?』という意味に捉えたらしい。だが、それは俺の伝えたいことじゃない。首を横に振って、俺は自分の真意を蓮華に伝える。


「これだけの品数を作るのは骨が折れただろう。きみが疲れていないかを俺は心配しているんだよ」

「先ほどお部屋にお邪魔したときも言いましたけど、全然平気です。愛の力でまったく疲れていませんよ」

「ツッコみたい部分があったけど、ひとまずいまは置いておく。疲れていないとしても、ここまで気を遣わなくていいんだぞ?」

「ふふっ、秀次くんは優しいですね」

「きみ、俺の言うことを聞く気がないな?」


 ジト目を向けてみるも、蓮華は、『はて、なんのことでしょうか?』と言うように、ただニコニコと笑うだけだった。


 俺がどれだけ『やらなくていい』と言っても、蓮華はがんとして首を立てに振らず、のらりくらりと話の論点をズラしている。なんと言おうと構わずに、蓮華は俺に尽くすつもりなのだろう。


 のれんに腕押しだな。これ以上はなにを言っても無駄みたいだ。


 諦めの溜息をついて、俺は椅子に腰掛ける。長々と話をしていては、せっかく作ってくれた料理が冷めてしまう。それでは蓮華に失礼だ。


 俺の意図を察したのか、蓮華が対面の椅子に座る。


「いただきます」

「はい。召し上がれ」


 手を合わせる俺に、蓮華が穏やかに微笑みかけた。


 これだけ品数が多いと、どれから手を付けるか迷うな……まずは好物からにするか。


 俺は豚の生姜焼きへと箸を伸ばした。


 豚ロース肉には見るからに香ばしそうな焦げ目がついており、まとうタレからは食欲をかき立てる匂いがしている。まだ食べていないのに、口のなかがヨダレでいっぱいだ。


 ゴクリと喉を鳴らし、生姜焼きをひとかじり。途端、ショウガとニンニクの香りが、ガツンッ、と先制パンチを繰り出してきた。


 続け様に、豚肉のうま味とタレの甘塩っぱさが舌を幸せにする。これは米で追いかけずにはいられない。いても立ってもいられず、俺は米をかき込んだ。


 むぐむぐと咀嚼そしゃくして、ゴクンとのみ込み、はふぅ、と至福の溜息。


「美味い」

「ふふっ、最高の感想をありがとうございます」


 思わず漏らした俺の感想に、蓮華がふにゃりと頬を緩める。心から喜んでいると一目でわかる表情だ。


「秀次くんに美味しいと思ってほしかったので、願いが叶ってよかったです」

大袈裟おおげさだな」

「大袈裟じゃありませんよ。わたしにとって、なによりも大切なことだったのですから」


 普通は照れそうな言葉を、しかし、蓮華は平然と口にした。


 少しは恥ずかしがってくれよ。そんなにも堂々と言われたら、逆にこっちが恥ずかしくなってしまうじゃないか。


 頬が火照るのを感じながら、俺は心のなかでぼやく。


 照れ隠しのつもりで頬をいていると、「だからこそ」と蓮華が続けた。


「秀次くんの好みを教えてもらえないでしょうか?」

「どうしてまた?」

「言ったでしょう? 秀次くんに美味しいと思ってもらうことは、わたしにとってなによりも大切なことなんです。だからですよ」


 サファイアの瞳で真っ直ぐに俺を見つめながら、蓮華が頼んでくる。


「わたしは秀次くんの好みが知りたいんです。もっともっと、秀次くんのことを知りたいんですよ」


 だから、なんでそんなことをサラッと言えるかなあ!?


 頬だけでなく、俺の全身までもがカアッと熱くなった。俺の妻(仮)がグイグイ来すぎてツラい。


 蓮華の顔を直視できない。「むぐぐ……」と唇を引き結んだあと、そっぽを向きながら答える。


「……好きな料理は洋食系と中華系。特に豚の生姜焼きが好物だ。味付けはやや濃いめでパンチがあるのがいい。この生姜焼きはど真ん中だった」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「苦手な食材は梅干しだ。酸っぱいものが苦手でな」

「えっ? でしたら、先ほどのビネガードリンクはいらなかったでしょうか?」


 申し訳なさそうに眉を下げる蓮華。彼女の不安を、「いや」と俺は否定する。


「あれは酸味がトゲトゲしくなかったから平気だった。きみがハチミツを加えてくれたおかげだ。あの気遣いはありがたかった」

「そうでしたらよかったです」


 蓮華が胸を撫で下ろす。本心から心配してくれていたのだろう。それがどうにもくすぐったい。


 俺の話を聞き終えた蓮華が、気合を入れるように胸元で両手を握る。


「教えてくれてありがとうございます。これからも、秀次くんが美味しいと思える料理を作っていきますね」

「ありがたい話だ」


 言ってから、「ただ」と俺は付け加える。


「ひとつ伝えておきたいことがある」

「なんでしょうか?」

「俺の好きなものばかり作らなくていい」


 告げると、蓮華がコテンと首を傾げた。俺の発言の意図がわからなかったらしい。


 できることなら察してほしかったんだが……伝わらなかったのならしかたがない。


 照れくささのあまりガシガシと頭を掻いて、俺は改めて口を開く。


「俺だけ楽しんでもしょうがないだろ。きみも美味しいと思えないと意味がない。俺たちは、その……ど、同棲してるんだから」


 伝えると、蓮華が目をパチクリとさせて――クスクスと笑いだした。


「な、なにがおかしいんだよ?」

「いえ。秀次くんがデレてくれたので、つい」

「デレてなんかいない!」


 ムキになって否定するも、蓮華のご機嫌そうな笑顔は引っ込まない。


 こういうふうに調子に乗ると思ったから、口にしたくなかったんだ。察してほしかったんだ。


 本当に、蓮華といると調子が狂う。

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