三、珠景とジン

 旋風を起こし、目にも止まらぬうちに皮膚を切り裂き生き血を啜る物怪。そう恐れられているからこそ、彼は鎌鼬だった。

 

 しかし今はどうだ。

 

「ちょっとジン。あたしは剪定をしろと言ったんだよ、伐採する奴があるかい」

 声をかけられ、ジンは振り返る。振り返ってからはっとして、「その名で呼ぶな」と一応の不満をぶつけた。

「もう直ぐ見頃だってのに、躑躅つつじが勿体無い……」

 つられてジンも辺りを見回す。早朝に尼たちが清めた参道には、今は枝葉が散乱していた。珠景が、陶器のような額をまんじりともせず指で叩いた。

 

「全くもう、今日は客が来るというのに……お怜!」

 本堂の方から、布巾を握ったお怜がひょこっと顔を出す。

「はいっ」

「箒。何人かでぱっと片付けとくれ」

「すぐにっ」

 

「葉が増えて邪魔だとゆうたのはお前だろうが」

 言いなりになるつもりは更々ないが、言われたことをこなして文句を食らうのは癪だ。筋の通った鼻っ柱に噛み付く勢いで凄むと、

「だから、葉を切りなって言っているんだよ」

 彼女は負けじとジンの胸を強く突いて返した。勢いに押され、返答に窮する。

 

「こんなに枝まで落として、すってんてんじゃないか」

 だが妙に切羽詰まった珠景の様子に興が乗り、ジンはにたりと牙を覗かせた。陽光を反射する刃を、法衣から覗く首筋に添える。

「仕方なかろう、俺の刃は切れすぎるんだよ。ふふ、枝葉ではなく柔い肉を断つための――――」

「中庭もやってもらうけど、ちゃんと見栄え良くなるように考えとくれよ」

 微塵も表情を変えない珠景がぴしゃりと言い放ち、顎で中庭を指し示した。ジンは行き場のない鎌を仕方なく下ろす。

 

「……尼のくせに慈心はないのか」

「返事!」

「やればいいのだろう、やればっ」

 悔しいやらきまり悪いやらで、疾風を起こしてその場を去った。

 

 珠景は巻き上げられた塵に目を細めた。

「躑躅、どうしよ」

 嘆息がしぼんで消える。彼女は箒を持って来た尼たちを労い、法衣や袈裟から土埃を払った。





「暴力尼法師が。すぐ目にものを見せてやる」

 慎重に低木を丸く整えながら呻くが、算段があるわけではない。捕えられたあの日、うっかり名付けを許してしまったあの瞬間、悪辣非道にして自由気ままな物怪ではなくなった。


 珠景の許しなく寺を出ないこと。殺生をしないこと。

 珠景がジンに科した約束はたった二つであった。とはいえ名を与えられた以上、今のジンは彼女の意の範疇でしか動けない。つまり珠景に逆らえない。


 仏頂面でちょんちょん、と余分に飛び出た若葉を切る。片手間に尻尾で石畳を掃く。一息つく頃には、小さな庭園が一段と輝きを増した気がした。会心の出来に口の端を吊り上げる。ここまでやれば文句は言われまい。礼の一つくらい欲しいものだ。


「――――いらんいらんっ、奴の礼なんぞ」

 かぶりを振って、柔和に微笑する彼女の姿を心内から取り払った。自身に腹が立ち足元からつむじ風が巻き起こると、掃いて集めた枝葉が散った。外廊下を通りがかった尼が、口を開けてこちらを見ているのに気づき、「どっかいけっ」と八つ当たりする。石畳は掃き直した。


「認めん、奴は憎い仇だ」

 ぶつくさ唱えつつ、ジンはその場に寝転んだ。頭上の桜が微かに揺れている。すぐそこまで垂れている枝に尻尾をくぐらせると、花弁が螺旋を描いて降り注いだ。ちろりと目だけで天を仰ぎ見遣れば、まろやかな葉風は突風に変わった。桜吹雪が虚空へ逃げていく。どこかで吃驚したうぐいすが鳴いた。風はまだこちらの手中にある。


「俺はお前の思い通りにはならん」

 ジンは大きな欠伸をして躰を丸めた。

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