第十一話「決戦」②

  2〈宝石月桃色〉


「……何だ。気が変わったのか。人間というのは本当にどっちつかずの生き物だね」

「ちげーよ、バーカ。のこのこ近づいてきたお前を思いきりぶん殴ってやろうと最初から思ってた。で、間抜けなお前に目論見通りそうしてやったってわけ」

 桃色のMrs.。その巨大な両腕から放たれた打撃で天星は吹っ飛んでいた。それが途中でぴたりと止まる。

 半身が崩れていた天星の身体は瞬時に再生していく。黒く崩れかけていた場所が元通りに。彼女はじっと桃色を眺めていた。

「……それは嘘だね。私の前で感情を偽ることは出来ない。君はたった今まで、その二人のことを本気で排除しようとしていた」

「……やっぱお前、人間を全然理解できてないよ。私さ、配信者だよ? 誰かの前に立つってことは時には辛かったりしんどかったりするのを押し殺さなきゃいけないの。だからそういうの、得意なんだよね。自分で自分を騙すの。お前にはない感覚でしょ?」

 ──学んどいたほうがいいよ。お前にもう後学とかないけど。桃色はにやりと笑って吐き捨ててやる。

 天星は。あくまで優位だと言うように、その無機質な笑みを崩さない。

「やれやれ。してやったつもりみたいだろうけれど、無意味だよ。ご覧? 君の攻撃は私には何のダメージも……」

 そこで天星の言葉が止まる。彼女の笑みが、初めて失せた。

 大きく目を見開いて、自分の顔に手をやり前のめりになる。ふぉっ、と苦しそうな呼気が漏れていた。

「……何をした。私に何か仕込んだな。宝石月桃色……!」

「あれ、思ったより効果ばつぐんじゃん。お前がバカにしてた、人間の作った兵器だよ。今までの対異能の中で、一番強烈なやつ」

 正確に言えば、桃色が天星に仕込んでやったのは銃弾だった。

 高慶と呼ばれていた、異能対策部隊の司令官らしき男から託されたもの。彼は天星に殺された。

 殺される寸前。彼は助けに入ろうとした桃色を視線で制したのだ。そして天星に気づかれないように自分のコートのポケットを密かに手で叩いた。中にあるものを示すように。

 そして桃色は彼の遺体へと近づき、その銃弾を手にした。触れただけでやばいものだとわかった。その時目の前にいた天星に自分の異能の乱れを悟らせないほど、桃色は自分を繕うのに慣れていた。

 天星が異能そのものだと気づいていたのかはわからないが。対策部隊も今まで以上に強力な異能への対抗策を練っていたのだろう。

 それが今、桃色が打撃に交えて天星の身体に打ち込んだ、新対異能弾だった。初めて天星が狼狽えている様子を見るに、どうやら効果があったらしい。

「ふざけるなッ……!」

 天星が手で抑えている顔に、黒い亀裂がいくつか走っていく。異能者が異物へと開花する寸前の予兆によく似ていた。

 そうか。桃色は気づく。私が今奴に打ち込んだ弾は。異能を抑え込むのではなく逆に増幅させる。そうしてコントロールを不能にして、そのまま抑えきれない力で自滅させるのだ。風船に許容量以上の空気を与えて破裂させるように。

 そして更に。桃色は天星に付いていく前、異能対策部隊の連中を殴り飛ばしていた。智尋を、葬った奴らだ。

 もちろん殺しはしなかった。その時に彼らから、対異能弾をありったけくすねておいたのだ。

 弾丸の中の成分を、細心の注意を払って濃厚に混ぜ合わせて入手しておいた注射器の中に入れていた。それを天星に打ち込んでやる心づもりだったが、高慶の特殊弾がそれを後押ししてくれた。だから両方ぶち込んでやったのだ。

 効果はあった。助かる。天星が、わかりやすく反応してくれて。ざまぁみろ。

「このッ……!」

 天星が顔を押さえながら、異能を発動する。空中に、半透明の雌ライオン。群れを成し空中を駆け抜けて、桃色に向かってくる。

「……バーカ。周りちゃんと見なよ。その二人から注意逸らしたらダメでしょ」

 天星の左右。跳び上がった沙希とえながが挟み込んでいた。

 沙希が自動小銃で奴の身体に弾丸を連続で撃ち込む。さっき密かに解放した時。彼女には高慶から託された対異能弾を渡していた。

「ぐおぉッ……!」

 天星の呻きが、質の悪いマイクを通した時のようにハウリングした。そしてえなが。思い切り奴の半身をその大きな口で噛みちぎった。

「……やるじゃないか。私もさすがに少々取り乱したよ。だがこの異能に対する毒にも、私は必ず適応してみせる」

 天星の声がまた無機質に戻る。噛みぬかれた身体は少しずつ修復されていった。だがその速度は確実に遅くなっている。そして顔と身体に現れた黒いひび割れはそのままだった。

 効いている。確実に。手ごたえがあった。

 このままここでこいつを。一気に畳みかけてやる。

 天星が自分の周りに素早く伸びる黒い棘を展開する。だがその時には、もう沙希たちは未来のポータルでその場を離れ桃色の隣に降り立っていた。二人の異能の力強さを肌で感じる。ここ数日でかなり磨かれたみたいだ。

 いや、でも異能の波長は。桃色は少々違和感を覚える。まるで異能に開花する前のような力強さだ。だが今は、聞くのはやめておこう。目の前のことだ。

「……もぉお!! ちょっと桃色さぁ! 最初から天星に不意打ちするつもりなら事前に言っといてよぉ。めっちゃ恥ずかしいじゃんあたしたちぃ」

「まぁ、沙希。天星の読心術を欺くためじゃろ。……まぁ私は、初めから気づいておったが」

「はい、えなが。それダウト」

「……くくっ。二人とも。元気そうで何より。ごめんね、心配かけちゃって」

 桃色が舌を出す古典的な表情表現をすると、「可愛いから許す!」と沙希とえながが声を揃えた。桃色は吹き出してしまう。やっぱりこの二人といると、安心する。どうにかなる気がする。

「……あのね。智尋のこと、まだ自分の中で整理付いたわけじゃないんだ。でも直接の原因を作ったのは、あいつ。だからあいつをぶっ飛ばしてから、全部考えることにする」

 そう。智尋のこと。正直言えば、少しまだ揺らいでいた。だけれど今は、天星だ。あいつを倒す。集中し切れないまま相手に出来るほど、あいつは甘くない。

 沙希とえながは、静かに頷き返してくれる。そして三人で睨む。天星を。

「……失礼。少々君たちを侮りすぎたね。なら私も、全力で君たちの相手をさせてもらおう」

「何強者ぶってんの? ビビってやんの。こっちから行くよ?」

 沙希が言って、正面から天星に突っ込んでいく。

「ちょっ、サッキィ!?」

「おい沙希待て!」

 桃色とえながが呼び止めたが彼女はそのまま足を止めない。

 天星が向かう沙希に向かって手を向ける。黒い蔦のようなものが突き出されてしなる。鞭のごとく。沙希はそれを巧みにかわしながら天星との距離を詰めていく。

「ツックー! 私達も行こう!」

「おう! まったくあやつは先走りおって……!」

 桃色とえながも蔦の鞭を掻い潜りながら沙希を追いかけた。

 ……違和感。歩を進めながら桃色は考えている。やけに天星の攻撃の手が緩い。

 沙希を誘い込む罠じゃないのか。嫌な予感がよぎる。

「サッキィ! ダメ!!」

 桃色が呼びかけた瞬間。地面から突き出した鋭い棘がいくつも沙希に向かって伸びる。

 棘の先が交差する中央。沙希の姿はそこにはなかった。

 未来のポータル。彼女はそれを通って、天星の背後に回っていた。その後頭部にアサルトライフルの先を突きつける。

「この距離からさっきの異能弾全部ぶち込まれたら、あんたもただじゃ済まないでしょ?」

「……そうだね。ぶち込めたら、ね」

 沙希の言葉に天星がそう答えた瞬間。

 不意に人影が現れた。複数。沙希を囲むようにぶち当たっていく。

「沙希ッ!!」

「サッキィッ!!」

 天星が形にした異能たちだ。彼女らは鋭い爪で、手にしたナイフで、刀で、または口から伸びた牙で容赦なく沙希を貫いた。

 驚いたように目を見開いた沙希。異能たちが離れると、彼女はゆっくりと倒れていった。

(……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!)

 こんなにあっさり、あの子はやられるはずがない。桃色はえながと共に倒れた沙希の元へ急ぐ。

 沙希の周りの地面には血溜まりが広がりつつあった。すごい量だ。血の匂いがした。目を見開いたままの彼女に、もはや意識はないように見える。

 でも、まだだ。まだ助かる。急げ、急げ。もう誰も、失いたくない。

「やれやれ。不用心だね、姫沼沙希。私が一人で待ち構えているかと思っていたのかい。形にできる異能のストックは、いくらでもあるんだよ。――軍隊を組めるくらいにね」

 天星がその場で手を広げると。複数の青い渦のワープホールが彼女の周りに現れる。

 そこから天星に形を与えられた異能たちが姿を現す。ぞくぞくと。持ち主だった少女や女性の容姿をさせられたまま。あっという間に天星を囲んでいき、その数はすぐさま数え切れなくなる。無表情が並んでこちらを睨む様は、まるで人間に似せられて精巧に作られたアンドロイドの群れだ。そこに感情も、慈悲も、意志もない。

 桃色とえながは立ち止まらざる得ない。天星の上空、あらゆる方向から寄って来た長方形の足場。

 並べられた玩具の兵隊のように、異能たちが整列していた。千人。いやそれでも足りない。

 一体こいつは何人取り込んで、形にして従えたのだ。何の躊躇もなく、手製の玩具をいくつも作って遊ぶ無邪気な子供みたいに。

(……バケモンが)

 桃色は毒づく。そして改めて、決める。こいつはここで殺す。絶対に。これ以上、智尋のような人をこの世界から奪わせないために。

 でもその前に。沙希だ。彼女の安否を確かめる。彼女は死なない。こんなところでは。

 天星は勿体ぶった様子でこちらと向き直ると、まるでこちらを射竦めるように微笑んだ。……慈悲深いことだ。

「数ではこっちが圧倒的に有利のようだね。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。多勢に無勢。ことわざって言うのは便利だね。こういう状況をわかりやすく説明できる。……さてと。君たちは一人減って、残り二人か。どうする? まぁ、聞くまでもないか」

「うるせぇな。弱い奴はよく群れてよく吠えるって言葉も知らねぇのかよ。……全員掛かって来いよ。ビビってんの?」

「威勢がいいね。そうじゃなきゃ面白くない」

 天星が手を上げる。異能たちが一斉に身構えた。来る。桃色とえながも臨戦状態に入った。空気が張り詰める。

「……ほんと。何も知らないね。数も数え間違えてるし。あたしが一人だと思ってたの? ストックは、いくらでもあるけど? 軍隊を組めるくらい、ね」

 不意に聴こえた、沙希の声。

 途端、天星が撃ち抜かれた。轟く自動小銃の連射。踊るように天星が仰け反り、その場に膝をつき呻く。新しい異能弾。それが確実に彼女にダメージを与えている。

 撃ったのは沙希だった。彼女は桃色たちの背後、天星と従えた異能たちと対面する浮いた足場の上に立っている。いつの間に。血溜まりに倒れていた彼女の姿が消えていた。

「サッキィ……!」

「沙希! ……まったくお主は! びっくりさせるな。心臓がいくつあっても足りん!」

「ごめんごめん。敵を欺くにはまず味方からっしょ。天星? 今ぎゃふんってなってくれた?」

 自動小銃のマガジンを取り換えつつ、沙希は煽るように天星に叫んだ。

 天星は、顔を押さえながら立ち上がる。黒いひび割れが身体にも浮かび上がってきている。効いている。確実に。さすがに奴の顔から笑みが消えていた。

「……どういうマジックを使ったか知らないけれど。状況は変わってないよ? たった三人で、この軍勢に立ち向かうつもりかい? 匹夫の勇って言葉、知ってるかな?」

「は? ケツがどうかしたの? 難しい言葉使えば頭いいと思ってる? だからさ、言ってんじゃん。ストックは、いくらでもあるって。あたしの残機の話ね?」

 沙希がそう言って後ろに向かって指をくいくいをやる。

 不意に。彼女の背後の宙から、彼女が現れる。立て続けに何人も。全員、沙希だ。他の足場にも、彼女が。彼女たちが降り立っていく。分身ではない。彼女の異能は、未来介入のはず。

 それにみんな、沙希と同じ異能の気配があった。それに私が間違えるわけない。みんな、沙希本人なのだ。

「ねえ、天星。あんた教えてくれたよね。今と未来は線じゃなくて面で重なってて、一つじゃなくて色んな世界線があるんだって。――だから連れてきたよ。全部の世界線にいる、あたしを」

 天星が操る異能と同等。いや、それを上回る勢いで現れた沙希たち。それぞれいたずらっぽく笑ってみせた。

 これも彼女の未来介入の異能。無数に繋がる可能性の未来の自分を、現在に介入させた。だから今視界を覆い尽くすほど仁王立つ沙希は、全員沙希なのだ。

 さすがの天星も。目の前に広がる光景に目を見開いていた。

 そして薄く、笑う。初めてそこに、楽しげな感情が覗いた気がした。

「……やっぱり。君達に目を掛けて正解だったみたいだね。期待以上だよ。君達の異能は素晴らしい」

 ――それなら、これはどうだろう。

 天星は意味深に笑みを深くすると、手を顔の横に上げる。ワープホール。更に数を増やすつもりか。物量には物量の脳筋作戦だろうか。バカめ。

 と思って身構えた桃色は、目を見張る。ワープホールの向こうから現れたその姿。見覚えがある、なんて言葉では足りなすぎる。その、姿。

 智尋だった。……違う。智尋の、異能だ。天星が取り込んで形を与えたのだろう。

「さぁ、君達は。親友の姿をした敵と、戦えるかな。このためにわざわざ神木智尋の異能を取り込んだその日に、こうやって形にしたんだ。なるべく精巧な作りになるようにね。喜んでもらえるといいのだけれど。人と言うのはこういう情のあるものに弱いのだろう?」

 天星は余裕綽々とそう言い放ち、隣に立つ智尋を迎える。

 ふっ、と。思わず吹き出したのは桃色だ。可笑しくて、笑い声まで溢れた。

 天星が不可解そうに眉を顰める。

「どうした? 感動の再会でおかしくなってしまったかい。宝石月桃色」

「……いや? あのさ、異能ちゃん? 情がどうとかいう前に、ちゃんと人間のこと勉強した方がいいんじゃない? 精巧に作ったって? わざわざご苦労様。お前が相手にしたのは、智尋の異能だよ? 異物になっても、私のことを忘れなかった智尋の異能。どんな形に為っても、私のこと傷つけるわけないじゃん」

「変なことを言うね。神木智尋の異能に形を与えたのは私だよ。そこに意志などない。例外は今のところ私だけ──」

 天星の言葉は途中で切れる。

 いきなり現れたクレーン車。そのワイヤーに吊るされた鉄球が、天星ごと周りの異能たちを薙ぎ払った。

 一瞬、クレーン車の出る前に。その位置に小さなネジが一本浮いたのが見えた。修復の異能。智尋の、異能だ。わかる。わかるに決まっている。

 異能と天星が吹っ飛ばされて誰もいなくなった場所に、一人立つ智尋の異能。

 彼女が、桃色を見た。

「……さっきの奴らは。ぶっ飛ばして良かったんだよね。桃色」

 ……智尋の声だ。智尋の話し方だ。智尋の言葉だ。

 でもやっぱり、彼女は智尋じゃない。表情に、眼差しに。温度がない。そしてやはり桃色の感覚が、違うと告げているのだ。どれだけ似通っていたとしても。

 でも彼女はやっぱり。智尋の意志を継いでいた。異能だけになってもその想いだけは、その中に生きている。そう感じた。

「……うん。ありがと。一緒にあいつ、ぶっ殺そうか」

「そうだね。わかった」

 空に浮かび上がった天星。鉄球で崩された黒い身体の部分が少しずつ戻っている。しかしその速度は確実に遅くなっていた。ダメージは入っている。確実に。

 智尋の異能は彼女を見上げると。修復した西洋の剣を二刀流に構えた。その仕草もそっくりだった。……少し戸惑う。

「蜘蛛足、八手腕」

 桃色の背中から。八本のMrs.の手が、まるで蜘蛛の足の如く伸びて、拳を構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る