第十話「開戦」⑤


  15〈姫沼沙希、九十九えなが、鏡花〉


 裂け目を抜けて踏み出した足が、ちゃぷり、と水の感触を受けた。

 天井はない。どこまでも広がる、青すぎて不自然な空が雲を伴って存在している。

 足元は、澄んだ湖のように空だけを映している水面だ。そこに立つ、沙希たちの姿は反射していない。

 今までとは比にならないほど広大なエリア。空気でわかる。

「……天星様はこの先にいる。ここは最後の門前だ。門番がいる。気を付けて」

「了解」

「承知じゃ」

 伝えてきた鏡花より前に、沙希とえながは出る。

 異能の気配が充満するほどにあちこちからしている。もはや隠す気もない。これは威嚇のつもりだろうか。なっていないけれど。

 おそらくは天星が形にした異能たち。大群にして待ち構えさせていた。こちらを試しているつもりなのか。……舐め腐りやがって。

(あいつは一体何人殺して、取り込んだんだ。自分に付いてきた、勝手に連れ出した異能者の人たちを)

 きっと数えきれないほど。あいつは誰かのことを、何とも思っていないのか。

 髪の先まで怒りが突き抜けて、逆立ちそうになる。いいよ。みんなちゃんと眠らせてあげるから。もう戦わなくてもいいんだよ。休んじゃっても、誰も文句は言わない。言わせない。

「来た」

 殺気。沙希たち目掛けて何かが飛んでくる。

 ナイフ、フォーク、包丁、釘。鋭利な金属がその先端を剥き出して迫ってきていた。

 沙希は未来に介入している。ショットガンで、全部撃ち落とした。

 途端。今度は沙希たちを囲むようにして銃器が現れる。拳銃、自動小銃、散弾銃。カチリ。同時に引き金が引かれる。

 絶え間ない銃声。だが弾丸は沙希たちに届かない。鏡花がサイコキネシスで全ての弾を堰き止めていた。

「んっ……!」

 鏡花は両手の掌を反転させるように動かす。こちらに向かって来ていた銃弾が逆流し、浮いていた銃器たちを撃ち砕く。

 水面が、大きく飛沫を上げた。水の中から何かが飛び出してくる。触手だ。紫色の裏側にいくつも吸盤が見える。タコの足か。

「蛇足、食い千切れッ!」

 えながの印。こちらを薙ぎ払おうとしたタコの足を突っ込んだ蛇足が食い破る。

 だが水面下から、またいくつもタコの足が生えてきた。一本くらい千切ったところでどうだと言わんばかりにうねっている。

「痴れ者が。私に手数勝負を仕掛けるなど、十年早いぞ」

 えながが小指以外の八本の指を合わせて印を結んだ。

「八岐大蛇」

 空間から八匹の蛇足の首が伸びてきて、触手を相手に食らいつく。次々現れてくるタコのそれをどんどん千切っては投げていく。

「タンクローリーが来てるッ!」

 沙希は自動小銃に持ち替えて構える。何も見えない。が、タンクローリーがまっすぐこちらに突っ込んできている。アサルトライフルを撃つ。未来へ。

 正面の方で爆風が巻き起こる。不意に現れたタンクローリーが姿を見せ、爆裂した。沙希の未来介入の弾が捉えたのだ。

「まだ来るッ!」

 爆風が、逆流していく。まるで逆再生されたかのようにタンクローリーの爆発が収束し、再び元の形に戻る。そしてまた突っ込んできた。

「浮かせッ!」

 鏡花が掬い上げるように手を振り上げる。タンクローリーが正面からひっくり返った。そこにすかさず沙希が銃撃を放った。タンクローリーがすぐ傍でもう一度爆ぜた。爆風は鏡花のサイコキネシスで沙希たちに届く前に防がれる。

「いるよ! 二人!」

 姿は見えないが、こちらを襲撃する異能が二人。透明化する力か。視認できないから未来介入で撃退できない。

 タコの触手がこちらに向かっていくつも振り下ろされそうになる。それをえながの蛇足が、胴で巻き付いて防ぐ。あちこちから総攻撃だ。数で潰すつもりか。

「ッ……!」

 自動危機探知の未来視が捉える。慌ててしゃがみ込んで身を守る。何かが振るわれた風が頭上を通り抜ける。

「そこか……!」

 拳銃。引き抜いて風を感じた方に撃つ。

 銃弾を受けた異能が、倒れ込みながら姿を現す。同時にもう一人も。双子か。容姿が似通っていた。ショートカットとロングの少女たちだった。

 もう一人は。鏡花のサイコキネシスが吹き飛ばす。二人とも、灰になって崩れ去っていく。

 何度やっても、慣れない。暗い感情が澱のように心の底に落ち込む。元の持ち主だった姿をした異能を葬る。人じゃないとわかっていても、気分は良くない。

 これも天星の計算の内なのだろう。こちらの精神を少しずつ削っていく。……ゴミカスめ。絶対そっちまで行ってやるから待ってろよ。

「今だ! 進むぞ!」

 えながが叫ぶ。彼女はタコの触手を全て片付けたようだ。沙希たちは駆け抜ける。

「ワープホールはすぐそこだ。早く……!」

 鏡花が言った途端。何かが上から飛び込んできた。未来視していた沙希はえながと鏡花を両腕で庇いつつ飛んで地面に倒れ込む。

 大きなハンマーを床に叩きつけた女性。細腕でいともたやすく鉄骨のようなそれを振り上げて、こちらに構えてくる。

 その横には、あらゆる種類の銃や鋭利な金属を周りに浮かせた少女が立っていた。さっきの襲撃は彼女か。

 そしてタコの触手がまた数え切れないほど水面を突き破ってきた。きりがない。相手にしていたら天星に辿り着く前に削られそうだ。

「みんな、適当に相手して逃げ――」

 沙希の言葉の途中。立ちはだかっていた異能たちが横から風でも受けたように吹き飛ぶ。

 空気が歪んでいた。鏡花のサイコキネシス。そう思った時、沙希とえながも同時に前方へと飛ばされていた。

「そのまま行って! ここは私が引き受ける!」

 鏡花が手をかざして叫ぶ。沙希たちの身体は彼女の力で、一気に空間の裂け目へと引き寄せられる。

「鏡花! ダメッ!」

「いいんだ! 私は天星様とは戦えない。――悪いけど、後は頼んだ」

 立ち上がった異能たちと鏡花が向き合うのが見えた途端。

 景色が歪み、青に呑み込まれる。ワープホールの中へ。天星が待つ、最深部へと沙希たちは飛んだ。


  16


 目映い。目が眩む。どこまでも真っ白だ。景色の像が結び始めたのかどうかもわからないほどの光量。

 いつまでも続くかと一瞬不安になったが、やがて眼が利くようになってきた。

「ッ……!」

 空中に投げ出された感覚があった。そのまま沙希は着地する。後から現れたえながが着地し損ねそうだったので、慌てて受け止めて抱き寄せる。

「大丈夫? えなが」

「ああ、すまん。……鏡花は」

「さっきの場所に残ってくれたみたい。あたしたちを行かせてくれた。……もう、負けられないね」

「最初から負ける気なぞないじゃろう。私らは、最強じゃからな」

 えながに手を貸しつつ、沙希は二人で立ち上がって前を見据える。託された。この背中を押してくれたみんなの思い。絶対に無駄にはしない。

 もうあいつは自分の気配を隠そうとすらしていない。この広大な空間全体に、天星の異能が充満して漂っているかのようだ。肌を細かな針で刺すような、不快でおぞましい感覚。異能であるあいつの波長。沙希の異能を刺激してぴりつかせる。

 沙希とえながは、空に浮かぶ正方形上のキューブの上にいた。白いそれは足場の役割をしているみたいで、ゆっくりと上下左右にランダムに動き続けている。

 高低差を付けて、そういう立体物が浮かび上がり、機械的に移動していた。そういうアスレチックゲームのステージみたいだ。

 周りに見える景色は、点々と光が灯る闇。星空と言うよりは、宇宙の中に放り込まれたような。足場の外側、下も奈落のようになっていて、落ちたら底があるのかすらわからない。

 だが視界は、不思議なほど見晴らしが利いている。遠くで動いている足場たちもよく見えた。明るいのか暗いのか、よくわからない場所だった。

 際限があるかわからないほど広い場所。天星のいる場所だ。どこにいるか、気を張る必要はなかった。

 案の定、沙希たちの足場の前にゆっくりと降り立ってきた箱のような立体上。天星が勿体ぶったように姿を見せた。無機質な笑みを浮かべて。

「遅かったね。予想通り二人で来てくれたのか。よく辿り着いたと褒めてもらいたいかい?」

「あんたの相手じゃ、みんなは役不足で願い下げだってさ。何格好つけてんのさ。早く降りて来いよ。ビビってんの? あたしら二人に負けたら言い訳できないもんね?」

 沙希が指でくいくいとこちらに来るように示してやると、天星は口元に手をやって一笑に付していた。子供を嘲る大人ぶった態度だ。余計にムカついた。

「それも楽しそうだけれど、今は遠慮しておこうかな。もうちょっと、観客として楽しみたいからさ。君たちと話したい子がいるんだってさ」

 そう言った天星が、急に浮き上がって空間の中に溶けるように姿をくらました。沙希たちは追いかけようとする。

「待て! 逃げんのかよこの……ッ!」

 その代わりに、天星がいた場所に降り立った人物がいた。彼女は一切隙のない視線で、じっと沙希たちを見下ろしていた。

 整えられたハーフツインも、いつでも気を抜かないメイクもそのままだ。眼差しは乾いているが、そこに彼女の感情はあった。天星に、異能だけ取り出されたわけじゃない。本人だ。

「……桃色。ねえ、桃色! 何やってんの、そんなとこで。一緒に天星のこと、ぶん殴ってやろうよ!」

 沙希の呼びかけに、桃色は一切反応を示さない。でもちゃんと、桃色だとわかる。だってずっと一緒にいたんだから。これからもずっと、一緒なんだから。

「……ねえってば。返事してよ。わかってるでしょ? 天星の思うつぼなんだってば! あたしたちが戦う必要なんてない! でしょ⁉」

 必死に声を張る。でも、やはり桃色は答えなかった。そして、足にバネを貯めるようにぐっとその場で姿勢を低くする。軸のブレない完璧な姿勢だ。

「……ダメだ沙希。あやつは頭に血が昇っている。少し頭を冷やしてもらうぞ」

「無理、だよ、えなが……っ。桃色と戦う理由なんて、一つもないのに……っ」

「止めるだけじゃ。少し話を聞いてもらう。どっちみち向こうはもう臨戦状態じゃ。……来るぞ」

 跳び上がった桃色。地面に水平に現れたMrs.の大きな掌を蹴って、こちらに飛びかかってくる。速い。

「ッ……!」

 沙希とえながは避ける。浮いている足場はびくともせず安定していた。が、凄まじい衝撃が足に伝わってきて痺れた。

 桃色が、こちらの足場に着地した。土煙が上がっている。その中で目が光ったと思った瞬間。

 既に沙希の懐に桃色は入り込んでいる。

「ぐぁ……っ!」

 未来介入した手で彼女の腕を掴もうとする。読まれていた。彼女は沙希の過去の手を、肘で軽く受け流す。

 そして掌底。衝撃で沙希は吹き飛んだ。地面を転がって必死に体勢を戻す。何とか足場から落ちずに済んだ。

 ……やばかった。咄嗟に後ろに飛んで勢いを殺しておかなかったら。ただでは済まなかったかもしれない。殺気があった。彼女は本気なのだ。それがひたすらに沙希を動揺させる。

「蛇足。薙げッ!」

 えながの声。現れる蛇足の尻尾が桃色目掛けて振るわれる。

 が、Mrs.の巨大な腕が。それを掴んでガードした。そのまま空間から蛇足を引きずり出す。

 そして振るった。投げ出された蛇足が、そのままえながを巻き込んで吹き飛ぶ。

「がっ……!」

「えなが!」

 えながは下方にある別の足場に落ちたようだ。それだけかろうじて見えたが安否がわからない。

 慌てて向かおうとしたら。足を踏み鳴らして、桃色が立ちはだかった。

「桃色! お願い……! こんなの、絶対おかしいよ……っ」

 沙希の声は震える。彼女とは戦えない。無理だ。傷つけたくない。

 だが桃色は。ただ冷たい眼差しを向けたまま、ゆっくりと低く構えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る