第十話「開戦」④


  12〈姫沼沙希、九十九えなが〉


 ワープホールの先。見渡す限り、積もった砂が広がっている。砂漠、というより、砂丘だろうか。先が見えない。さっきの空間より随分と広大なようだ。

 ぱらぱらと、何かが降ってきていた。手を差し出すと、砂だ。良く見れば頭上にも砂丘があった。空も、砂の荒野になっている。まるで両方とも地面の互い違いになった世界だ。

 天星が作り出した世界というのがよくわかる。そしてこれだけの異空間をいくつも作ってつぎはぎに繋ぎ合わせたあいつが、いかに強大な力を有しているのか。ひりつく。油断は大敵だ。

 あいつは異能を人に発症させて吸収できると言っていた。この数日で、また何人か喰らったのか。

 前よりも力を増しているように思える。もっと早く行動していればと後悔が募るが、どうにもならない。せめてあいつを、殺す。これ以上誰も犠牲にならないように。

「……沙希。来てるぞ」

「うん。視えてる」

 異能の気配。天星ではなく、人でもない。彼女が作り出した、異能そのもの。異能者たちをなりふり構わず自分側に引き込んだのも、今のこの状況を作り出すためか。

 あいつは最初から異能者のための世界なんてどうでもよかったんじゃないか。利用するためだ。自分のために。異能者たちから異能を引き出し、形にする。そうすれば意のままにあいつは操れる。

 ……あいつは、自分を信じて付いてきてくれた者さえ。怒りが、沙希を奮わせる。異能を形にするのは、使える本人が死んでいないといけない。なら多分、あいつは。……絶対にあいつを、止めないと。あいつはやっぱり邪悪だ。何よりも。

 砂が。舞い上がりながら軌跡を描いてこちらに向かってくる。異能。サメの背びれのようなものが視えた。砂の海を泳いでいるのか。来る。

「蛇足、動け!」

 えながが蛇足に宙を走らせる。砂のサメはこちらを追っている。すごい速さだ。みるみる距離を縮めてくる。砂丘は奴のテリトリーというわけか。こちらには分が悪すぎる。

 サメが砂の中から飛び上がった。その巨体を。未来介入していた沙希の散弾が撃ち抜いている。

 しかしすり抜けただけだ。サメ自体も砂で出来ている。あいつに攻撃しても意味はない。操っている異能者、いや、異能を見つけないと。

「沙希ッ!」

 えながが叫ぶ。思考に気を取られた。何かが沙希目掛けて蛇足の横から飛び掛かって来ている。人影。

「ッ……! うぁ……!」

 一人を未来介入で撃ち落としたが、もう一人いた。放たれた蹴り。沙希はそれを腕でガードしたが、その重さに蛇足から吹き飛ばされた。砂の上に落ちる。

 すかさず受け身を取って立ち上がる。ショットガンを構えた先。

 サイドテールの少女が沙希の前にいた。今二人いたように思えたが、彼女しかいない。砂のサメを操っているのは彼女なのか、それともパートナーなのか。

 そしてやはり、人形のように顔に表情がない。人じゃない。やはり天星が形にした異能だ。……あいつは自分の駒にするために、異能者さえ手に掛けたのか。許せない。

 ふと、目の前の少女の姿がぶれたように見えた。蜃気楼かと思ったが、そうではない。少女が目の前で、二人に分裂した。

 自分の分身を生み出す異能。ということはサメを操っているのは彼女のパートナーだった異能か。どこかに隠れている。

 この砂の中、見つけるのは骨が折れそうだ。未来視に集中したいが、目の前の分裂した少女が構えている。来る。

「沙希! 今行くぞ!」

「えなが! サメを操ってる子を探して! こっちは大丈夫!」

 蛇足に乗ってこちらに向かいかけていたえながに呼びかける。そして分裂した少女が向かってくる。速い。沙希はショットガンを構えた。

 不意に、横から歪んだ空気の波がぶつかってきた。分裂した少女たちがその衝撃波を喰らい吹っ飛ぶ。一人に戻った彼女が崩れて灰になっていくのが見えた。異能は脆く作り出されていたようだ。天星は余興のつもりなのだろう。

(今のは……?)

 新たな異能が天星によって投入されたかと思ったが、今のはこちらを助けたように見えた。何だ。

 更に離れた場所の砂の山が巻き上がっていく。渦になりながら。砂の竜巻のようだ。

 その中に隠れていた、もう一人の少女の姿が露わになる。先ほどの少女と逆の位置のサイドテールの彼女。サメの操り主だ。

「えながッ!」

「わかっておる!」

 えながは砂の上に立っていた。姿を現した少女のところに蛇足が出てきて尻尾で薙ぎ払う。少女の形をした異能は一瞬で灰へと還っていった。

「沙希、無事か!?」

「うん、大丈夫……でも、今のは……?」

 えながが傍にやってきて肩に手を置いてくれる。異能たちは倒したが、誰かが手助けしてくれたとしか思えない。誰だ。今の異能の気配。身近な人ではないが、どこかで感じたことがあるような。

 はっとなる。心当たりがついた瞬間、その異能の持ち主が現れた。

 背の高い少年。ではなく、少女と言った方がいいのだろう。

 天星が傍に従えていた人物。鏡花と呼ばれていた。彼女は今天星が着ていたようなローブを脱いで、異能学園の制服を身に纏っている。

「お前は……ッ!」

 沙希とえながは同時に構える。側近が直々に相手になるということか。

 だが鏡花は、両手を上げた。異能の気配はない。不意打ちする気はないようだ。それに様子が変だった。

「待て。私はもう天星様の元を離れた。君達をあの人のところまで案内しに来た。この先は迷路みたいに空間が入り組んでいる。私はここを把握している。時間は無駄にできない。だろう?」

「……それが嘘じゃないという根拠は?」

 必死に言う鏡花を、えながは睨む。

 確かに一番天星の傍にいた人物の言葉を鵜呑みには出来ない。だが。沙希の未来視は。少なくとも今すぐには彼女に敵意はないと告げているような気がした。

「……証明は出来ない。信じて欲しいなんて求めてない。だが私は、天星様を止めたい。情けないが、私には出来ないんだ。だから、頼みたい。おかしなことをしたら、すぐ殺してもらって構わない。だから、来て欲しい。……お願い」

 彼女は深々と頭を下げた。嘘を言っているようには見えなかった。

 鵜呑みには出来ない。罠の可能性は充分にある。だけど。

 沙希は頷いた。

「……わかった。天星のところまで案内して」

「おい、沙希!? こいつを信じるのか!? 天星の一番近くにいた奴だぞ。何を企んでいるのかわからん。危険だ」

「もちろん信用したわけじゃないよ。でもわざわざ味方の振りしてあたしたちを謀ったりする意味なんて、向こうにはないと思う。殺す気なら今やればいいしね。……でも少しでもこっちを疑わせたら、容赦なく殺すよ。今のあたしは」

 沙希は鏡花を見定めるように睨んで言う。胸の内側、冷たい怒りがすっと浸透していくようだ。おそらく今なら、言った通りのことを実行できるだろう。

 天星を絶対に殺す。そのためなら、何だってやってやる。ためらわない。

「……それでいい。私の未来は随時見張ってくれて構わない。付いてきて。天星様はおそらく、このつぎはぎの空間の最深部に行った。そこで君たちのことを、待っているはずだ」

 鏡花は言って、再び深く沙希たちに頭を下げる。

「これまでのこと。……本当に、ごめんなさい。あの時の私はそうするしかなかったけれど。やっぱり天星様に、付いていくべきではなかったんだ。謝ってもどうにもならないことをたくさんしてきたけれど。……申し訳ない」

 彼女の謝罪。沙希はえながと目を合わせて、それから黙って頷いた。返す言葉はなかった。それに許すかどうか。決めるのはたぶん、自分たちじゃない。

「付いてきて。ここからは迷いやすい。決して私の背中を見失わないようにしてほしい」

 鏡花は姿勢を戻すと、そのまま踵を返して迷いのない足取りで歩き出した。

 こちらにわざわざ無防備な背中を向けた。そしてやはり、彼女の周りに異能の気配はない。……彼女の覚悟を感じた。少しは信じてもいいかもしれない。そう思わせた。

 沙希とえながは鏡花に付いていき、砂丘の先にあった空間の裂け目を潜り抜けていく。


  13


 天星が作り出した異空間たちは、めちゃくちゃに繋がり合っていた。

 上下さかさまになっているオフィスの中。人気のない整った百貨店のフロア。空の教室。異能学園の敷地。鏡花の言う通り、迷路のように複雑に入り組んでいる。

 鏡花は先に立ち、迷うことなく進んでいく。途中、何人か具現化された異能の子たちを相手にした。

 沙希の未来介入、えながの蛇足。そして鏡花も、異能のサイコキネシスで脅威を払っていく。

 鏡花は強かった。そして戦う彼女の様子や表情には、強い意志が芽生えていた。あの時、京都の学園で対面した時の彼女は違う。それがわかった。

 彼女は。本気で天星を止めたいと考えているのかもしれない。そして自分のこれまでの行いを悔いている。それを少しでも償うために、彼女は今ここにいるのかもしれない。

 彼女と天星に何があったのか知らない。でも沙希たちの元に行くことを決めた鏡花を、天星は止めず、殺しもしなかった。それもまた、彼女の思惑の一環なのだろうか。……またあいつのことが、わからなくなる。

「……ここは」

 ワープホールを抜ける。降り立った空間。清潔な白が基調の、長く続く通路。

 固く閉ざされた扉が、左右にずっと並んでいる。そこは、異物に開花する前兆が見られた少女たちが入れられる収監室。消毒液の匂いはしない。でもどこか、清められた死の匂いが充満しているのを感じる。

 ここは、天国の扉の中だ。異物化しそうな少女を、薬を投入して安楽死させるための、異能学園にある施設。

「……いる」

 鏡花が手を差し出して沙希たちを止める。

 ここから先、異能の気配。そして、人の気配。形にさせられた異能ではない、異能者がいる。

「大丈夫。あたしに任せて」

 沙希は鏡花より前に出た。

 未来視でわかっていた。この先にいる彼女のことが。

「ここは、お前らの行き止まりや。残念やったな」

 向こう側から歩いてきたのは、森郷秋菜だった。パートナーだった水野歩優を殺され、謀られて天星側に付かされた少女。

「……秋菜ちゃん。何度でも言うよ。歩優ちゃんは、天星が殺した。あいつはあなたを騙してるだけ。このままだと、もっと犠牲になる人達が増える。お願い、話を聞いて」

「しつこいな、お前も。そもそも、私達のこと道具みたいに使って、歩優が異物になりかけてたのも他の人間のせいやろ。そんな奴ら、いらんねん。これからの私ら異能者の世界には」

「天星は異能者のための世界なんて作ろうとしてない。あいつはあなたのことだってどうでもいいんだよ。あいつに騙されちゃだめ。……お願い、秋菜ちゃん」

「うるさいッ!」

 秋菜が叫ぶ。同時に沙希の近くのドアが爆ぜて、沙希目掛けて吹き飛んできた。


  14〈森郷秋菜〉


(……ちっ。仕留め損なったか)

 秋菜が姫沼沙希の前で放った爆風。ドアも一緒に突っ込ませたが、防がれたようだ。

 サイコキネシス。物を自由に操る異能。使っているのは、鏡花とかいう、天星の側近だった奴だった。

 ……裏切ったのか。ますます秋菜の苛立ちは募る。

 明菜は更に仕掛けておいた異能を爆発させる。壁の破片、ドア、ガラス。至る所が爆ぜて沙希たちを襲う。

 だが間一髪で彼女らは避けていた。逃げ、防ぐ。舌打ちをした。

 だが向こうも簡単にはこちらには辿り着けない。ここの至る所に、設置爆弾式の異能を仕掛けている。触れたら、たちまち爆ぜるだろう。

 姫沼沙希は。天星が歩優を殺したという。自分を利用して、異能者のための世界を作るというのもデタラメだと。

 ……わからない。わからなくなりそうだ。でも嘘だ。騙されるな。

 歩優を殺した奴らに、復讐する。もう引き返せないのだ。私は人を、殺してしまったから。向こう側には、戻れない。

 だから姫沼沙希も、九十九えながも。裏切者もここで殺す。天星の元には行かせない。邪魔する奴は全員、やっつけてやる。歩優のため。全ては歩優の無念を晴らすためだ。

 沙希は。真っ直ぐこちらに向かって来ようとする。駆けだした。馬鹿め。地雷原に無策で飛び込むつもりか。お前から木っ端微塵にしてやる。

 秋菜は手をかざす。途端、沙希の足元が爆発した。爆風。黒煙が辺りに撒き散らされる。

 やったか。まともに喰らったはずだ。全身がバラバラになるくらいの爆力は込めた。まずは一人。案外簡単だった。

「は……⁉」

 刹那。人の気配。感じた途端、秋菜は伏し倒されている。後ろで両手を抑えられ、身動きが取れない。必死に顔を上げて、抑えつけている奴を見る。

 姫沼沙希だった。さっきまでずっと向こう側にいたはずのあいつが今、秋菜を捕えている。

 何が起きた。わからない。これも未来介入か。だがそれは十五分先までの未来に少し手を加えることしか出来ないと天星が言っていたはず。

 だが今いるこいつは、実体を伴ってここにいる。瞬間移動してきたみたいに。訳が分からない。

「ッ……!」

 右手を握って起爆しようとする。が、それも手を掴まれて防がれる。手で印を結ばなければ異能は爆破出来ない。悟られていたか。

「秋菜ちゃん。悪いけど行かせてもらう。天星は、あたしたちからも大事なものをいっぱい奪った。あいつは絶対に殺す。秋菜ちゃんも自分で考えて、これからのことを決めて。あたしは、あたしたちはもう選んだ。……だからもしまた邪魔するんなら、今度は容赦しない」

 沙希が秋菜から離れた。慌てて身体を起こし彼女と対面して、ぞっとした。

 その眼差し。温度を感じないほどに冷え切った視線でこちらを見ていた。

 彼女は銃を握っている。構えてはいない。が、秋菜に敵意があると判断したら、彼女は容赦なくそれを使うだろう。

(……こいつ、バケモンや……)

 纏っている異能の気配。前に会った時とは違う。悪寒さえ覚えるような、肌に突き刺さる禍々しささえ帯びたその波長を感じる。

 秋菜はその場にうずくまった。今更のように、視界が潤んで、熱いものが瞳から溢れてくる。

「……そんなん、もう遅いやろ……。私はもう、どこにも行けないんや……」

「遅すぎることなんてない。……決めるのはいつだって、秋菜ちゃん自身だよ」

 沙希とえながは秋菜を越えて歩いて行ってしまう。ふと、秋菜の前にしゃがみ込む気配があった。

 鏡花だ。気配でわかる。

「……君のパートナー、水野歩優のこと。ごめん。謝っても仕方ないと思うけれど。天星様が、あの子を手に掛けるとは知らなかった。けれど私はその後も、あの人を止めなかった。私も同罪だ。恨むなら、私を。そして君は、何も悪くない。ただ行き先を見失ってただけだ」

「……一人にして」

 鏡花の言葉に、また心が微かに揺れ動いた。「……ごめん」ともう一度口にしてから、鏡花は沙希たちに続いていく。

 静かになった空間で一人、秋菜は項垂れて涙を流す。苦しかった。どうしようもなく、独りぼっちだった。

「……なぁ、歩優。私は、どうしたらいい……?」

 縋る。彼女の声に。でも答えはない。もう彼女は、どこにもいない。

(……違う。自分でちゃんと、考えるんや)

 歩優なら。自分の死さえも必死に受け入れた彼女ならどうする。縋るな。そうやって思考を巡らせろ。

 秋菜は涙を拭って、ゆっくりと立ち上がった。

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