第十話「開戦」①
1〈鏡花〉
「一体どういうつもりだ。我々を巻き込み、東京中を巻き込むこの状況を作った。S級異能者の捕獲と言うのは方便だな。最初からこれが目的だったのだろう」
金橋高慶は、その傷跡のある無機質な顔の表情を一切変えずに言う。
鏡花は、息を乱していた。汗が額を伝う。何とか気を落ち着かせようとしたが無駄だった。死が、目前に迫っている。落ち着くも何もない。
鏡花は拘束されていた。手枷を付けられ、跪かされている。異能の波長を乱す特殊な手枷らしい。サイコキネシスが使えない。
そして自分たちの周りを、高慶が従えた異能対策部隊の部下たちが取り囲んでいる。全員自動小銃の銃口をこちらに向けている。トリガーに指を掛け、いつでもそれを引ける状態で待機している。高慶が命令を下せば、躊躇なく彼らは従うだろう。
鏡花の隣に並ばされた天星は。同じく跪かされていたが、彼女はじっと目の前に佇む高慶を見つめ返している。
彼女に乱れは一切ない。高慶からの問いに、肩を竦めてとぼけるように笑みを浮かべてみせる。
彼女なら拘束されるまでもなくこの場の全員を皆殺しに出来たはずだ。だが大人しく拘束された。
(……やっぱり私は。もう天星様のことを、理解できない)
死が目前に迫ったこの状況よりもその事実が。鏡花に諦念を抱かせる。
「答えろッ!」
不意に高慶が、手にした銃の銃床で天星を殴りつけた。そして地面に転がった彼女の背中を踏みつけ、銃をその頭に向ける。
「天星様!」
叫ぶ鏡花に、ちらりと天星が視線をくれた。その眼差しには、こちらを安心させるような優しさが込められている。彼女はブレない。冷酷なほどに。
「お前はもう、人間じゃないな。何者だ。一体俺たちまで巻き込んで、何を企んでいる」
高慶の指が、銃の引き金に掛かる。少しでもおかしな動きをすればすぐ引くつもりだ。異能専用の銃弾。それを受けたら、天星でもただでは済まないはずだった。
ふと、笑い声が響く。無邪気な子供が、いたずらを仕込んでほくそ笑むような。天星だった。
「自分が聞いたことに、必ず答えてもらえると思っているのかい? 子供みたいだね。少しは自分の頭を使いなよ」
天星が可笑しそうに言う。
高慶が引き金を引いた。サプレッサーの付いた自動小銃の、乾いた音が連続して響く。銃弾が。いくつも天星の脳天を撃ち抜いた。
「天星様ぁ!」
撃たれた。彼女が。死んだ。彼女が。
だが。静まった銃声の代わりに、笑い声が。響く。まるで機械が規則的に音を鳴らしているみたいに。
天星が顔を上げる。血は流れない。額にいくつか穴が空いていた。そこには虚空の闇が渦巻いているように見えた。
初めて鏡花は。彼女に恐怖を覚えた。彼女は人間じゃない。わかっていたが、それを目の前に突き付けられた。
「人間というのは愚かだね。道具は道具らしく、振舞っていればいいものの。度が過ぎているよ、金橋司令官」
天星が静かに言うと。不意に高慶の周りにいた対策部隊の部下たちが苦しみ始めた。身体中を掻きむしりながら、悲鳴を上げる。
一人が、発火した。内側から火を放たれたように、その炎は全身を一気に蝕む。全員がすぐに燃え上がっていく。高慶以外の。
「さて、そろそろどいてくれるかい。さすがに気分が悪いよ」
高慶と鏡花が目を離した一瞬で。天星は立ち上がっていた。その掌を、高慶の頭に向けている。
「……化け物め」
高慶が呟く。そして彼の頭は瞬く間に削り取られていた。頭を失った身体が、後ろに倒れて重たい音を立てた。
「大丈夫かい、鏡花。一応君には結界を掛けておいたけれど、怯えさせてしまったかな。窮屈な想いをさせてごめんね」
天星が指を動かすと、鏡花の拘束がすぐさま消えた。
鏡花は立ち上がる。そして、天星を見据えたまま、ゆっくりと後ずさって距離を取る。
「……鏡花?」
「……天星様。あなたならわかっているでしょう。私の、あなたに対する恐れの感情を」
「……そうだね」
天星は物憂いげにまつ毛を下げ、頷く。やはり彼女はわかっていた。
おそらく自分も殺されるのだろう。所詮自分も、彼女にとっては道具に過ぎなかった。役目を果たさないのなら、壊してしまうまでの使い捨て。
ぎゅっと目を閉じる。死ぬのは怖い。でも自分は周りの人を手に掛けた。報いは当然だ。
何よりも天星にとって自分は何者でもなかったという事実が、ひたすらに悲しい。結局自分は、誰にも認められなかった。そんな人生だった。
「……行きなよ、鏡花」
ふと天星が言った。思わず目を開ける。彼女は目を伏せたまま、鏡花を見ないようにしていた。
「私は君を殺さないよ。君は私にとって唯一の友人だった。私はそう思っていたよ。……だからもう、行くんだ。君はもう、自由だよ」
彼女は笑わないまま、鏡花に背中を向ける。隙を、見せた。彼女から。罠かと過った可能性も、そこで消えてしまう。これは彼女にとっての礼儀なのだろう。ここまで信じて付き添った、自分への。
「……天星様。申し訳ございません」
深々と鏡花は頭を下げて、その場から飛び立つ。
偽りの青空が上にも下にも広がっている。天星が作り出した世界。鏡花は出口へと続くワープホールへと向かった。
彼女に殺されるならそれも仕方ないと思っていた。
でも彼女はこちらが思っていた以上の感情を、抱いていてくれていた。例え彼女が人ではないのだとしても。救われたのは、確かに自分だった。
鏡花は溢れた涙を手で拭いながら、ワープホールの中に飛び込んで天星の元を後にした。周りの景色が、歪んでいく。
2
天星はじっと、鏡花が去った空間の裂け目を見つめていた。どこか遠くを見つめるように。物思いにふけるかのように。
「……君か」
天星は振り向きつつ言う。転がっている高慶の死体の傍らに、桃色が立っていた。
「あの子を行かせたんだ。意外だね。てっきり殺すんだと思った」
「……殺さないよ。仮に殺そうとしたら、君は全力で私を止めただろう?」
「何、私にビビってんの? ずっと距離取って、自分の周りに結界なんか張っちゃってさ。意外と小心者だね」
「慎重と言ってもらえないかな。失礼。これは君を信頼しきれてないわけじゃない。ただ、念の為さ」
天星と桃色はいつの間にか離れている。天星の作った空間がそうさせていた。天星が自分の周囲に結界を張っているのも事実だった。
桃色が近づけば決して外れぬ天星の視線。警戒しているのは一目瞭然だった。
桃色は肩を竦めて息を吐く。
「まぁ、どうでもいいや。私はお前に協力するわけじゃない。……智尋をあんな目に合わせた人間に、報いを受けさせる。それだけだから」
「なら、君の望みはすぐ叶うことになる」
天星が無機質に微笑んだ。
「新世界を迎える覚悟は良いかい、宝石月桃色」
「だから、そんなのどうでもいいって。……覚悟なら、出来てる。誰かを傷つける、覚悟はね」
桃色はMrs.の手に引っ張り上げてもらってその空間を裂け目から後にする。
天星の視線はじっと注がれていた。桃色もまた、彼女を睨み返していた。
3〈姫沼沙希、九十九えなが一行〉
景色が、流れていく。一気に突き進む。
沙希たちはえながの蛇足の背に乗って移動していた。素早く。だが全速力ではない。慣れている沙希とえながとは違い、他の人たちでは速すぎて振り落とされてしまう。だから出来る限りの最高速度。
着実にスクランブル交差点が近づいてくる。そこに、天星がこちらのために用意した青渦のワープホールがある。そのあからさまな挑発、正面から受けて立ってやる。
街は。突き抜けていく大通りの景色はほとんどの建物や物が半壊していた。放たれていた異能発症者たちが暴れたせいだ。
でも今は、不気味なほどに静かだ。おそらくこの先で天星が罠を張って待ち構えている。嫌な気配をひりひりと沙希は肌に感じていた。自動的に危機を探知する未来視は常に張り詰めさせている。いつでも来い。
「みんな! この先で人が待ち構えてる。……暴走者じゃない? 異能対策部隊? いや、一般人も……これって……」
さっそく正面の方に反応があった。だが妙だ。見えたのは対策部隊の装備をした人と、同じような銃を携えた一般人だった。
だが彼らの顔に生気はない。それどころか身体が半分なかったり、首がないものなどもいる。まるでゾンビの群れだ。ああ、そうか。
「天星が、人の死体を操って私たちを襲撃する駒にしてる……。みんな、死んでるみたい……」
「……悪趣味じゃな。死して尚道具扱いか。さすがに不快じゃ」
えながも顔を顰める。あいつめ。どこまでも人間の尊厳を弄ぶつもりだ。沙希は苛立つ。
「あなたたちは移動と未来視に専念を。ここは生徒会に任せてください。この程度なら私たち三人で突破できますので」
「なるべく遺体は傷つけないようにするから。朱里、わかった?」
「合点、承知ィ! 加減を間違えて塵にしないようにするぞ!」
後ろの方で芳翠、蒼、朱里の三年生組が張り切った声を上げる。彼女たちに任せよう。
「あと少し。正面。見えてきます」
沙希が報告。蛇足が進む正面。大通を歩道も道路も埋め尽くすほどに、人、人、人で埋め尽くされている。いや、人だったものの群れ。まるでこちらの行く手を阻む壁だ。犇めいていた。
「ひどいな……」
沙希たちのすぐ後ろにいる七竈が鼻のところにジャージの袖をあてがって呻くように言う。ここまで届くような腐臭。遺体が、夏の暑さで痛んでいる。それでも人形のように動かされ、兵隊の如く使わされていた。最悪だ。
「来るぞ」
えながが言う。遺体の群れが、こちらに向けて一斉に銃を構えた。自動小銃を片手で構える者もいて、もはや人の動きではない操り人形のようなぎこちなさを感じさせた。
「エアーショットガァアアアンッ!!! 三連射ァアアア!!!」
朱里の怒号。同時に彼女は素早く腕を三度、大きく振るう。殴りつけられた空気が音波のようにうねり前面へ凄まじい勢いで飛ぶ。
人だった群れが吹っ飛ぶ。またはドミノ倒しになっていく。それでも人の意志はないので、彼らは怯まずに更にこちらに向けて銃を放とうとする。
芳翠が立ち上がった。群れとの距離は近い。彼女がいつの間にか手に携えていたのは、小型の拡声器だった。口元にあてがい、言う。
「その場でスクワット、五十回」
思考攪乱。声が届いた遺体の群れ全体が、その場でいきなりスクワットを始める。「働く脳はなくとも、肉体があるなら攪乱は出来るわね」と芳翠が言う。
「操る糸を、解き放て」
そして蒼。彼女が放った透明な膜が、進む蛇足の左右に足元にいる遺体の群れを包み込んだ。遺体たちが、次々と倒れていく。操る異能が解除されたようだ。
「次が来ます。左右のマンションに、銃を構えさせられた人たちが。五分後の場所で待ち伏せしてます」
「私たちが! アズマ、行ける?」
「いつでも、行ける、ます」
日南とアズマが声を上げる。アズマが浮き上がった。日南を抱きかかえて。そのまま蛇足と並走するように素早く空中を泳ぎ、舞い上がる。日南は目を閉じて自分の異能に集中していた。
差し掛かったマンションの並ぶ通り。外側に面した建物の通路から、銃を構えた操られた遺体たちが待ち構えていた。こちらが来たのを察したのか、一斉に銃を向けてきた。
銃声。絶え間なく。だがそれは沙希たちに届くことなく阻まれる。
氷の壁だ。それが飛ぶ蛇足に添うようにして左右、取り囲んで銃撃から守ってくれていた。分厚くて弾丸は通さない。
透き通った壁の向こう側、アズマの異能で水中に投げ出されたように遺体たちが浮き上がり身動きが取れなくなっている。その隙に通る。
日南とアズマが蛇足の背中に戻ってくる。彼女たちは生徒会組と二年生の真凛とシスターにわしゃわしゃと撫で可愛がられていた。二人はくすぐったそうにしている。おかげで何とか乗り切れた。
スクランブル交差点が近づいている。まだ距離はあるが、着実に。
だがきっと張られた罠はこの程度ではないはずだ。あいつなら、天星なら全力で阻んでくるはずだ。わざわざこちらを誘い出したのだから。まだあいつの手駒には、引き込んだ異能者たちがいる。
(……桃色は。無事かな。無事、だよね)
彼女もまた、天星に手駒として使われるのだろうか。……だとしたら、天星の奴を完膚なきまでに叩き潰してやる。絶対に桃色は取り返す。智尋とそう約束したのだ。
ぎゅっと。先頭にいるえながが前を見据えたまま、手を握ってくれた。不安で少し乱れた沙希の異能の気配を察したのだろう。自分たちの異能は、そこまで共鳴するほどに研ぎ澄まされている。気を抜けば、溢れそうなほどに。
「落ち着け。一人じゃない」。彼女の手はそう伝えてくれていた。握り返す。大丈夫。わかってる。彼女のおかげで、現状に集中できる。
すぐ、自動発動の危機反応未来視に反応があった。先ほどのような操られた遺体じゃない。何か来る。いや、もう来ている。
「……虫? いや、蜂?」
微かに見えた虫の大群。まるで一つの塊のように隊列を組みこちらに向かってきている。かなり速い。間違いなく、異能だった。
不意に、風が吹き付けた。いつの間にか空を飛ぶバイクに変形していた真凛に、シスターが跨って飛び立っていた。
「皆さん、少し熱いです。伏せといていただけます?」
シスターが言って、彼女は人差し指立てた手を構える。その先。
虫が、蜂が一つの生き物のようにうねりながら束になり、こちらに向かって来ている。明らかに攻撃という意思がある。
「火炎放射機。燃料装填。放出」
シスターの乾いた声。途端。彼女の構えた指先が火を噴いた。唸るような放射状の炎。シスターが指を動かすのに連携して渦が薙ぎ払うように動く。虫の群れは焼かれ、慌てたように引っ込んでいく。こちらの頬まで熱が届くような高温。沙希たち全員が伏せていた。
蜂たちが戻っていく先。低いビルの屋上。二人誰かが立っていた。背の低い少女と、それを包み込むように後ろから抱きしめた長身の女性。
天星側の異能者たち。操られているわけではなさそうだ。やはり刺客を放ってきたか。
「皆さま。あいつらの相手はわたくしと、ゴリにお任せくださいな。少し借りがあるのですわ、あの二匹には」
「すぐぶっ殺して追いつきますので。先に行っててください。皆さんに、神のご加護を。いねぇけど」
バイクの真凛をウィリーさせたシスターが全速力で空を駆けていく。一直線に、異能者の二人に向かっていった。
「高目先輩たち、大丈夫かな。結構厄介そうな二人だったけれど」
「あいつらを信じるぞ。私らも集中だ。もう交差点は近い。気を抜くなよ」
沙希の呟きに、七竈が答えてくれる。彼女も心配そうな声色だったがそれを隠していた。今は進む。天星たちの元へ。
蛇足が速度を上げた。
4〈高目真凛、シスター・ゴリラ〉
「ふ、へへ……。まんまと引っ掛かりましたねぇ、陽動に」
「奴らの戦力を分散させるって任務をちゃんとこなせて偉いね、桜乃。よしよし、いい子いい子」
ビルの屋上に立つ桜乃と李旬は、シスターとバイクになった真凛が目の前に来ても戯れるようにくっついて余裕を滲ませている。
「引っ掛かったんじゃねえよ。乗ってやったんだ。ノコノコ姿みせやがって。天に召される覚悟は出来てんだろうな?」
「わ、わぁ。怖いですぅ……。負け犬の遠吠えとか言うやつですかぁ、それぇ。弱い犬畜生ほどよく吠えますもんね。くっ、へへ……」
憤るシスターに、桜乃は小馬鹿にしたような笑みを浮かべて見つめ返してくる。
さっきの蜂の群れは、桜乃の異能だ。焼き払ってやったが、彼女にダメージが入った感じはしない。
おそらくあの蜂は本物で、彼女は操っているのに過ぎないのだ。異能の毒を授けて、操って殺させている。……自分の手も汚さない卑怯なガキが。シスターの怒りは煮え滾るばかりだった。蜂は自然界には欠かせない生命なのだ。
「……お前たちは無実の人たちを殺したばかりか、わたくしの妻、ゴリまで手に掛けようとしたわね。言っておくけれど、生きて帰れるとは思わないでくださる? ――極刑よ」
珍しく真凛も声を荒げていた。それを鼻で笑ったのは、桜乃を背中から抱きしめている李旬だ。
「この前殺されかけたのは、どっちだったかな。私と桜乃は無敵だよ。なんたって愛で繋がっているからね。掛かってきなよ。真実の愛で討ち滅ぼしてあげるよ」
「ならこっちは純愛でぶっ潰してやるよ、クソッタレが」
真凛が急発進する。桜乃は腕にびっしりと蜂を集まらせ、李旬は構える。
シスターも指先のぶれない照準を、彼女たちに向けた。
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