第九話「在りし日よ 2026~2028」①

  1〈八月五日:東京二十三地区封鎖、四日目〉


 テレビでも、ラジオでも。絶え間なく同じようなニュースが飛び交うように報じられている。

 東京二十三地区、封鎖。生存している住民たちの避難は完了し、東京全体がゴーストタウンと化した。

 表向きは自衛隊が出動し、封鎖したことになっているが、異能対策部隊が主だ。だが彼らも、簡単には東京内に侵入することも叶わないようだ。

 東京内を現在掌握しているのは、当然天星に他ならない。彼女は東京全体に、発症者や異物などを何人も放っている。

 この街を狩り場にしているのだ。おかげでしょっちゅう、まるで戦火の真っただ中にいるような建物の倒壊音や破壊する音が止まない。

 破壊衝動が鳴り止まない彼らは、獲物である人がいないと自分たち同士で衝突し合う。共食いの如く。そしてまた、新たな発症者、異物が投下される。無間地獄だ。

 そのせいで、対策部隊は後手に回らざる得ない状況のようだ。結界は張られていない。入れるものなら入っていろと言わんばかりに。

 だがおかげで、えながたちも東京内に潜伏しやすくなっていた。皮肉なことに、対策部隊の追手の心配はしばらくしなくてよさそうだ。

 しかし、懸念がないわけではない。天星側の追手。それが来ないのだ。てっきり沙希やえながを捕獲すべく街中を天星側の異能者が捜索し始めるかと思ったが、そんな様子はない。えながたちの腕のデバイスに埋め込まれたGPSも、七竈が取り出して壊したので居場所を気取られてはいないはずだった。

 えながたちは最初に訪れた隠れ拠点一つに留まることがひとまずは出来ている。この四日間、何事もなかった。それが、ひどく薄気味悪いのだ。まるで、嵐の前の静けさのような。

 天星の企みが、まったく読めない。奴の動きも今のところなかった。東京中を機能停止させて封鎖させる大騒ぎを起こして、一体何を起こすつもりなのか。

 わからない。が、一つだけわかることがある。天星の企みはおそらく、最終段階に入った。そんな虫の知らせにも似た予感が、えながにも、おそらく他の人たちにも感じ取れた。

「……ちっ、ダメだ。非常用回線でも学園の上層部と繋がらねぇ。あいつら、完全に私らのこと見捨ててさっさと逃げたな」

 備えられている少し古びた大型の通信機器をいじっていた七竈だったが、もう連絡を取るのは諦めた様子でため息をついた。もとより、えながたちも外部からの支援に期待などしていなかった。

 自分たちはこの状況で、完全に孤立している。そしてわかり切っていることが、もう一つだけあった。

(……私らがどうにかしないと。天星のせいで世界が完全に終わる)

 椅子に座っていたえながは立ち上がる。

 学園側で用意された隠れ拠点は、街に馴染んだ雑居ビルだった。一棟丸々で、一応管理はされていたらしく埃臭さはなかった。街の様子や万が一の刺客に備えて窓から外を確認できるのはよかった。一応ベッドなども各個室に備え付けられている。シャワーもトイレも使えた。食料も充分だ。

 時刻は昼。離れた場所で、発症者か異物が暴れているのか爆発音のようなものが轟いている。だが迂闊に止めることも出来ない。今の状況では。

 えながたちは、広いスペースの一室に集まっていた。二年の真凛、シスター・ゴリラ。三年の生徒会、芳翠、蒼、朱里。そして途中で合流した、小学生組の日南と、アズマの二人。それに、教師の七竈だ。

 部屋に用意された大型のモニターには、ずっと東京を上空のヘリで遠めに捉えた映像が報じられている。皆どこか居場所がなさそうにそれを眺めていた。会話もほとんどない。誰しもが疲れていた。打開策の見えないこの状況に。七竈でさえ焦りを見せ始めている。

 そして──沙希は。えながは部屋を出る。殺風景な階段を降り、二階。少し廊下を進んで、隅の部屋。やや迷ってから、控えめに三回ノックをした。

「……沙希。起きておるか。入っても、いいか……?」

 思ったよりも問いかける自分の声は掠れていた。返事はない。しんと静まり返っている。この四日間ずっとこんな感じだった。

 えながは遠慮がちに扉を開ける。沙希は。部屋の隅でシーツを被り、うずくまっていた。おそらく起きてはいるのだろう。だが、満足に飲み食いもしていないはずだ。さすがに心配になる。

「……すまん、勝手に入った。食べ物と飲み物、持ってきたぞ。いつもと同じで正直ないよりマシなものじゃが、腹は満たしておいた方がいい」

 パックで常温保存できるフルーツジュースに、栄養補助食のビスケット。缶詰などよりは手軽に摂取できるこちらの方がいいと思った。

「隣、いいか」

 えながは声を掛けたが、沙希は身じろぎもせず返事もなかった。わかっていたから、えながは勝手に彼女の隣に腰を下ろす。

 差し出した食料たちに、彼女は手を出そうとも見ようともしない。ずっと遠くを、ここではないどこかを見ている。まるでどこまでも自分の内側に、沈んでいくような。

「……沙希……っ」

 シーツの内側で膝を抱えていた彼女の手を、取る。握る。

 強くなってしまうのを許してほしい。震えてしまうのを、許してほしい。見ていられないのだ。自分をずっと責め続けて、痛めつけ続けている彼女を。わがままでも何でもいい。彼女自身が望んでいなくても。

 立ち上がってほしい。いつもの彼女に、傍にいてほしいのだ。

「沙希。なぁ、沙希……っ。諦めるな……っ。簡単に私の手を、離さないでくれ……っ。お主がいなくなったら私は、一人でどうすればいいのじゃ……」

 声まで震えてしまう。情けないが、それが自分が打ち明けられる精一杯の本音だった。

 居場所を失った。親友を一人失い、もう一人は失いかけている。

 これで深く繋がり合えたパートナーまで失うのは。もう二度と、御免なのだ。耐えられない、とても。

「……ごめんね。えなが」

 沙希は。ようやく答えてくれた。疲れ切って、いつもよりずっと生気のない掠れた声だった。

「でもあたし……本当にもう、わかんなくなっちゃった……。何のために、誰のために、今までずっと傷ついて、戦ってきたんだろうって思っちゃったら。もう、どうしたらいいのか」

 シーツの隙間から見せてくれた彼女の目。衰弱して、遠くなったその眼差し。そこに、智尋がいなくなってしまった瞬間を。桃色が天星の元に行くのを許してしまった瞬間を何度映していたのだろう。考えるだけで、えながは胸が締め付けられた。

「天星がやってること、やろうとしていること。きっと良くないだって、わかってる。……でも、あたしたちが戦う理由って、何? 世界のため? 誰かのため? ……それに命懸けられるようなスーパーヒーローじゃないんだよ、あたし」

 おそらく彼女がずっと頭の中で巡らせていた心の内の内。溢れる言葉。えながは一つもこぼさぬよう受け止め、頷く。

 桃色は。自分が守ろうとした人々に、傷つけられ、殺されたと言っていた。その命を再び掬い上げて、智尋は修復の異能の限界を超え、異物と化して最後は消えてしまった。それも自分たちが本来守る対象、非異能者の、異能対策部隊の連中の手で。

 何のために。自分たちは誰のために戦ってきたのか。みんな、ずっと考えていたはずだ。頭の隅で、いつだって。

 そんなの、えながにだってわかりはしない。だけれど。

「沙希。わかる。痛いほど、よくわかる。だから、いいんじゃ。こんな世界、命を張るだけの価値はない。誰かが死のうが、私たちに責任などない。そう考える自分を認めてしまっても、いいんじゃ。私もそうする」

 ──もっとわがままになれ、沙希。えながは優しく、シーツ越しにその背中をさすってやる。

「戦う理由になんて、囚われるな。どうせ向こうにも大した理由なんてありゃせん。どの相手も本能のままに暴れてるだけじゃ。天星だってそうじゃろ。だったら私らも、本能で立ち向かえばいいんじゃ。ムカつかないか? 天星に」

 はっとこちらを向いた目に、えながは優しく笑いかける。沙希の顔は青ざめていて、目の下には隈があった。どれだけ思い詰めていたのか。いいのだ、もう。お主は悪くなど、ないのだから。

「腹が立つじゃろう。私たちの居場所を奪った。立場も危うくしたし、挙句の果てには生け捕りにしようとした。……智尋のことだって、元を辿れば原因は天星じゃ。……頭に来るじゃろう。だからあいつの企みなんざぶっ飛ばして、ぎゃふんと言わせてやろう。きっと痛快じゃぞ。何でも思い通りにいくと思っている奴が、水を差されて悔しがっている様は」

 えながは言う。あえて軽い調子で。

 沙希は。小さく吹き出して、それからぎこちなく笑った。ずっとそんな表情は見れていなかった気がする。やっぱり彼女が笑みをこぼすと、こちらまで肩の力が抜けるようだ。

「ぎゃふんって。何それ、初めて聞いた。古い言葉ばっかり知ってるんだから、えながは」

「ふ、古いのか……? よく言うし聞かないか……?」

「聞いたことないって。……でもそうだね。ぎゃふんと、言わせてやろうか天星に」

 ──智尋くんのためと、桃色を取り戻すために。言って、沙希は自分を覆っているシーツを自ら剥いだ。

 下着にキャミソールだけの姿。髪はぼさぼさだったが、顔色は戻ってきていた。良かった。彼女はまた、前を見てくれた。どちらが前とか、知ったことではない。自分たちが今見ているその先が、前なのだ。

「そうじゃな。智尋のため。そして、桃色を連れ帰るぞ」

 拳を彼女に差し出す。沙希は弱々しく、それにグータッチしてくれた。それでいい。やっぱりお主は、そんな不敵な表情が良く似合う。

 決意は固まった。

 だが私達は。もっと先のことも、覚悟を決めなければならない。えながは固く拳を握りしめ、それを背中に隠す。

「……沙希。おそらく、私達にここから先はない。わかるな」

 言いたくなかったが、言うしかない。だが彼女の表情は曇らず、真っ直ぐにえながを見つめ返していた。……立ち直りの早いやつ。もう覚悟など決めておった。そういうところが、大好きじゃ。

 学園の奇襲から、智尋の異物との戦いまで。えながと沙希は異能を使いすぎた。えながに至っては蛇足に直接攻撃をいくつも喰らっている。

 異物へと変化する兆候が、えながも、そして沙希も自分に表れているのを感じていた。異能の波長が、乱れてきている。気を抜いたら、そのまま溢れてしまいそうなほど、異能が身体中に満ちる違和感。

 腕のデバイスはGPSを取り除く時に破壊したが、おそらく機能していたら探知機でアラームがなっていただろう。即、天国の扉に収監されるレベルだ。

 おそらく異物への開花が始まるまで、持って一月。それもかなり希望的観測でだ。今から一週間、持てば良いほうかもしれない。

 自分たちに、この先の未来はない。なら。

 せめてムカつく相手に報復を。そして親友との約束を果たし、親友を奪還する。

 後のことより、目の前のことに。焦点を絞る。

「……なぁ、沙希。おそらくゆっくり話せるのも、今が最後じゃ。だから少し、付き合ってくれんか。私の、昔話に」

 学園襲撃前に約束したこと。今しかないと思った。

 沙希はすぐさま頷いて、「あっ」とえながとの距離をとった。

「……その前に、シャワー浴びていい? あたし、ずっとご無沙汰だったから。多分臭いよね」

 まあな、と気の抜けたため息をついたら、ノンデリと怒られた。……自分から言ったのに、それは理不尽じゃろうが。


  2〈九十九えなが:十三歳〉


  冬


 街が真っ白に染められていく。雪が、音もなく空から振るい降りてきて地面や建物などを覆い始めていた。昨夜から続く降雪が、すっかり積もってしまったようだ。

 冬が、やってきた。そう嫌でも実感させられてしまう。

 はぁっ、と吐いた息は白く、すぐ透き通っていく。えながはぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋めながら、雪化粧をしたテレビ塔を眺めていた。タワーのような電波塔で、上に展望台がある観光スポット。正面に表示された時計表記は、「13:14」だった。

 毎年この時期。こうやって白く静まり返った景色を眺めていると、どうしても思い出してしまう。フラッシュバックのように頭の中にちらつく瞬間、光景。いつまでも、振り払えずにいる。えながは分厚い手袋を嵌めた手をぎゅっと握りしめる。

『九十九、大丈夫か。報告してくれ。どこにいる?』

 ダッフルコートの袖で覆われた腕のデバイスから声が聴こえてくる。男性。えながたちの担任、白浜松樹(しらはま まつき)だった。やや受け持った生徒であるえながたちに熱を入れすぎているきらいはあるが、当然非異能者だ。担任、兼監視役に過ぎなかった。いくら熱を入れようとも、その距離は埋まらない。

「大通公園の……三丁目の辺りです。いちいち報告せんでも、GPSの反応でわかるでしょう」

「報告は大事だぞ? それに、俺はGPSの反応より君たちの言葉の方を信じられる。大通公園か。その辺りの一帯は閉鎖済みだ。丹波(たんば)は? 傍にいないのか?」

「……あいつは雪にはしゃいでどっか行きました。今探しとるところです」

「またあいつは……。まぁ、たまには息抜きもいいか。標的は? 二人ともケガはないか?」

「それもデバイスのデータと異能探知システムで……発症者は異物に開花する前に処理しました。私も丹波も無傷、五体満足です」

「そうか。良かった。……悪いな、君たちにばかりしんどいことを押し付けて。いつでも好きな時に帰還してくれ。一般人と接触しないその辺りなら自由に行動していいぞ。帰りの車は手配しておく」

「……どうも」

 白浜との通信を切る。えながは再び白いため息をついて、周りを見渡す。

 大通公園。背の高いビルや百貨店などに囲まれた都市部に縦の細長い形に切り開かれた大型の自然公園だ。普段はこの札幌の憩いの場になっていて、この寒い時期でも街の人や観光客で賑わっている。左右を挟む道路も広く、いつもは車が絶えることなく行き交っているものだ。

 だが今は、ひどく静かだ。車は途中で乗り捨てられ、開きっぱなしのシートには早くも雪が積もり始めていた。白浜の言う通り、この辺り一帯は急遽封鎖されたからだ。

 異能発症者が出た。この公園ではなく、二本ほど離れた通りだ。そちらはひどい有様だった。建物は抉れ、道路は穴が空き地下鉄への入り口も瓦礫で塞がれていた。

 遺体が、何人かいた。雪の上に飛び散った血は、そのどす黒さを際立たせていてひどく胸騒ぎを覚えさせる。何とか人の形は保っていた彼、彼女らに。えながたちは手を合わせて回っていた。

 発症者は、処理した。一人だった。異能に呑まれ、理性を失い破壊衝動のまま暴れていた。

 異物になる前に。人のまま、殺してやった。二人で一緒に。呼吸を合わせて、殺した。血飛沫も上がらないよう、跡形もなく葬ってやったが。

 蛇足が彼を噛み砕き呑み下す感触が操った手に伝わってくるようで、不快だった。まるで生温い果実を握りつぶすような。その果汁のぬめつきが肌まで浸食してくるような。いつもこんな気持ちになる。

「……おい、丹波。勝手に一人であちこち行くな。お前はどうして、そう忙しないんじゃ」

 公園の一画。降り積もった雪を腕一杯に抱え込んで、それを舞い上げている少女に声を掛ける。

 長く艶めく髪まで雪まみれにして乱した彼女は。屈託のない笑みを、えながに差し向けてくる。もう鼻先も真っ赤だ。ついでに手袋をしていないせいで、手も指も同じような感じだった。

「だって、雪だよ。えなが。私の前にいたとこではこんなに積もんないからさぁ。はしゃがずにはいられなくない? ほら、ふわっふわ!」

 雪の深いところに勢いよく寝転がって、彼女は両手を上下に動かす。そして起き上がると、「天使!」と自分が寝転がっていた跡を指差して、また快活に笑った。確かに腕のところが広がったその人型の雪跡は天使のようにも見える。

 えながはまた、白い溜息を深くついた。

 丹波欠片(たんば かけら)。えながの、異能共鳴するパートナーだった。本州からやってきたという彼女は、この札幌の地で初めて冬を迎えたのだという。

(……人を殺したばかりだというのに。無邪気というか、逆に邪気というか)

 初めての白い景色にはしゃいでいる彼女は、先ほど発症者を一緒に処理したとは思えない。

 ……少し、無神経すぎる。人だって死んでいるのに。えながは呆れた。

 ぼすっと、軽い衝撃。欠片が作った雪玉を、えながのダッフルコートに投げつけてきたのだ。

「なーに辛気臭い顔してんのっ。せっかくの雪なんだから、楽しまないと! 誰もいないし、私たちの二人占めだよっ」

「……やったな。私が雪国出身なのをわかっての挑発じゃろうな、今のは」

 えなが即座に綺麗な雪玉を作り、正確なエイムで欠片のダウンジャケットにぶつけた。にぃっ、と欠片は笑みを深める。

「よっしゃ、雪合戦! 私これ夢だったんだよねぇ! どっちが多くぶつけるか勝負だ!」

「雪だるまになる覚悟はいいか、丹波」

 広い公園の敷地をふんだんに使って、二人だけの雪合戦が始まった。程よい雪質だから雪玉が作りやすく、当たっても痛くない。おかげでいつの間にかえながも夢中で雪玉を投げていた。

 何の音もないから、欠片の楽しそうな笑い声がビルとビルの合間の広い空間に反響していた。

(……そうか。これはこやつなりの、私への気遣いか)

 発症者を、人を殺した。彼によって作り出された凄惨な現場を見た。それで重くのしかかった暗い気持ちを、彼女は少しでも晴らそうとしてくれているのではないか。

「あっははっ。楽しいねえ、えながぁ!」

 欠片は屈託もなく笑いながら雪玉を作っては投げている。

 ……やっぱり、ただ呑気な奴なだけか。えながは考え直す。

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