閑話幕間その9「在りし日よ」

「なーんかさ。こうやってお出かけして、のんびりするのも久々だよね。智尋とこうしてるの、やっぱ好きだな」

 隣の席に並んで座って。季節限定のフラペチーノに舌鼓を打ちつつ、桃色が笑う。

 カメラが回っている時は見られない、無邪気なその表情。誇張なく、釘付けになるほど愛らしい。こんなご褒美をこんな間近で見ることが出来るボクは、きっと恵まれすぎている。そう、心から思う。

 だから智尋も、彼女に優しく笑い返した。智尋の手元には、ブラックのままのコーヒー。ミルクやシュガーは入れずにそのままの苦みと酸味を楽しむのが智尋は好きだった。

 そして彼女と、別々の甘味を頼んでお互いに少しずつ交換し合いながら味わう。そうするともっと美味しくなるものだから、人間というのは不思議なものだ。

 こういう時間が智尋は、何よりも好きだ。……正直彼女と過ごす時で好きな瞬間がありすぎて、ちょっと誇張しすぎたかもしれない。何よりも好きな時間の、一つだ。

 智尋と桃色はカフェに来ていた。壁際を彩るステンドグラスの窓が特徴的、置かれている装飾物や店内の雰囲気はどこか古風で、古き良きエモい雰囲気が落ち着く。

 桃色と一緒に通してもらったテーブル席は大通りに面した窓があり、そこを行き交う人たちや開けた景色を堪能できるから、閉塞感がなくていい。そこもお気に入り。

 前に夜の修復作業中に、閉店していたこの店先を見つけた。調べてみると店内の雰囲気も素敵そうだったので、彼女のインスタやvlogに映えると思ったのだ。

 彼女は、喜んで写真や動画を回してくれた。いつも智尋が誘ったところには楽しそうに付いてきてくれる彼女。本当に心からそんな時間を堪能してくれる彼女が好きだ。

(……本当に可愛いな。ボクの、カノジョ)

 はしゃいだ様子でこの前配信であったことを話してくれる彼女の笑みをじっと見つめながら、智尋は自然と顔を綻ばせている。

 何度だって見惚れてしまう。誰にも譲る気はない、ボクだけの特等席。笑顔。完璧に整えられた髪とメイク、鍛えられているけれどそれを感じさせないスタイルのいい細身の体つき。彼女を構成する全てが、やっぱり好きだ。そうやって実感するのは、これで何回目だろう。数える必要なんてないか。これからも積み重ねていくし。

「なぁに。可愛い私に見惚れちゃった、ちーひろ?」

 智尋の視線に気づいたのか、桃色がいたずらっぽく唇の端を持ち上げながら囁いてくる。それでまた撃ち抜かれた気持ちになる。

「……うん。正解。可愛すぎて見惚れてた。ボクのカノジョに」

 言いながら、彼女の口についたクリームを指で優しく拭って、それを自分の口に含む。もちろん、わざと。

 桃色は目を見開いて、それから少し小悪魔風な愉しげな笑みに表情を切り替える。

「……ふーん。ありがと。じゃあもっと、いっぱい惚れ惚れしてもらおっかなー……?」

 こちらが誘ったのに気づいたのだろう。周りをちらりと窺ってから、桃色は更に智尋の傍に座り直して、顔を近づけてくる。

 髪を撫でられ、耳たぶにそっと触れられる。それは彼女の

「これからキスするからね?」の合図。店内はお昼時でそれなりに混み合っていたが、奥の席だから気づかれないだろう。

 智尋はゆっくり目を閉じ、桃色の甘いホイップの味がしそうな唇が降り立つのを待つ。

「……すみません、あの。宝石月桃色ちゃん、ですよね?」

 遠慮がちな声がした。

 目を開けると、やや肩身が狭そうに桃色に声をかけた少女たちが立っている。少し年上くらいだろうか。当然、こちらの異能学園の制服とは別のセーラー服を着ていた。今日は学校が早く終わったので、寄り道していたのかもしれない。

「はいっ。ここで会ったが何かのご縁! あなたの人生桃色にっ。宝石月桃色です!」

 桃色はもう配信者モードで受け答えしている。少女らには自分たちがキスしようとしていた雰囲気も悟らせなかっただろう。さすがの切り替えの速さ。こういうところも好きだ。

「わっ、ち、智尋くんもいる……! ご、ごめんなさいデート中でした……? その、インスタとか配信とか観てて……。良かったらその、写真とか。ち、智尋君もその、ご一緒に……っ」

「いえいえ。桃色をいつも応援してくれて、ありがとう」

 自分にも視線が来たので、智尋も応対モードで微笑みかけた。赤面した少女たちが照れくさそうに目を逸らす。

 桃色は智尋と恋人関係なのを名言していて、よくインスタの写真や動画、配信にも少しだけお邪魔させてもらったことがある。なのでこちらのことも知っていたのだろう。ありがたいけど、少しくすぐったい。

「もちろん! お店の人の許可はもらってるので、この席で良かったら。智尋も一緒に、ね?」

 誘われて智尋も頷く。こういうことにはお互い慣れていた。席の対面に少女たちを通し、彼女たちのスマホで写真をそれぞれ撮った。

 ついでに彼女たちのノートに桃色はサインをして、しきりに恐縮している彼女たちを桃色が笑顔を元の席に戻るのを見送った。その笑顔が眩しいのは、智尋の身内評価だけではないようだ。彼女は気づかれやすい。きっとオーラとか、そういうのがあるのだ。ボクも鼻が高い。

「良い子たちだったね」

「うん、そだね。ああいう子たちが喜んでくれてるっのって、すごく嬉しくなるよ。やっぱ配信とか、やってて良かったなぁって」

「そう感じられる桃色も、良い子だよ」

 髪型が崩れるので、頭ではなくテーブルの上の彼女の手を優しく撫でてやる。照れたように笑い返してくるその表情は、ボクだけの独り占め。

 チリン、と鈴が弾むように鳴る。入り口のドアに付いたそれが、来客を告げる音だ。

 そちらに目をやると、少しはしゃいだ様子の沙希と、戸惑い気味に彼女に手を引かれているえながの姿があった。二人とも買い物袋を手に提げている。ここに来る前にどこかに出掛けていたのだろうか。

 こちらの姿を見つけると、沙希は満面の笑みで手を振ってきて、えながをにんまりと指差す。その指を、むっとした様子でえながが掴んで二人で何やら言い合っていた。

 すっかり打ち解けたなぁと智尋は感慨深くなる。この前の小学校への出動の件から、二人は随分距離が縮まった気がする。それが智尋にも、桃色にも伝わっていた。「二人とも、最近いい感じだね」と桃色もにんまりだ。

「ごめんねぇ、お待たせ。桃色、智尋くん! こいつがどうしても行きたいって駄々こねるからさぁ。連れてきてやった!」

「おい姫沼っ。私はそんなこと言っておらんぞ。今日はお前に買い物に付き合ってくれたついでじゃ。勘違いするなよ、一杯飲んだらすぐ帰るぞ」

「はいはい。照れ隠しはいいから、おばあちゃん? ほら、奥座って奥。緑茶が呑みたいとかわがまま言わないでよ?」

「私はお前らと同じ十五じゃと何回言えば……! あとそんな稚拙なわがままを言うガキでもないぞっ」

 二人はやいやいリズムよく言葉を交わしながら、智尋たちのテーブルの対面に腰を落ち着ける。桃色と一緒ににこにこと二人を見ていたら、「……どうしたの?」「何じゃ?」と同時に二人が口を開く。

「いやぁ、仲良くなったなぁって思って」

 桃色と智尋が同じタイミングで同じ言葉を口ずさむと、「仲良くなんかなってない!」と二人で声を揃えて同じように首を振ったので智尋たちは吹き出してしまう。そして二人はまた睨み合う。お互い顔が赤いのは、おそらく気のせいではないだろう。

「はい、じゃあ仲良しのお二人さん。ご注文どーぞぉ?」

「おい宝石月、茶化すな。……いっぱいメニューがあるな。む、この抹茶と練乳のフラペチーノ。めっちゃ惹かれるのう」

「あんた、やっぱ抹茶好きじゃん。んーあたしはどうしよっかなぁ。このカフェラテと、あ、いちごのパフェ頼んじゃおうかなぁ」

「夕飯が入らなくなるぞ、姫沼。お前、この前体重を気にしていなかったか」

「おーい、九十九さん? 女の子にその話題は手榴弾投げ込むのと同異議なんですけどぉ?」

「そうなのか、知らなかったな。私は気にしたことがないからのう」

「フラペチーノ味わう前に床の味思い出させてあげようかぁ? 九十九ぉ?」

 じゃれ合いつつ、一緒にメニューを覗き込んでいる二人は微笑ましい。きっと前より隣り合う距離が近づいたのも、本人たちはたぶん無自覚なのだろう。

 桃色とアイコンタクトしてからまたその様子を見守っていたら、不服そうに本人たちは「何(何じゃ)その視線……ってまたハモってくるな!」とまた声を揃えていがみ合う。さっそく楽しい空間が出来上がったようだ。

 沙希とえながは礼儀正しく店員に注文をして、運んできてもらったフラペチーノ、カフェラテとイチゴパフェを味わっていた。お互い反応は素直で、表情にその美味さが表れて頬が緩んでいる。「んーさいこぉっ。さすが智尋くんセレクトだねぇ」「抹茶の風味と練乳が上手くマッチしておるな。これはうまいぞ」と好評な感じで、智尋も心が弾む。

「……二人とも、来てくれてよかったね」

 桃色がこっそり智尋に耳打ちする。その声も、弾んでいた。彼女も楽しいのだ。この四人の、この空間が。それが何より、智尋は嬉しい。何度も頷き返す。

「こっちのパフェも美味しいよ、九十九。ほら、あーん?」

 ふと沙希が。からかうような表情でパフェの美味しいところが乗った細長いスプーンをえながに差し向ける。

 きっとすげなく断ると思っていたのだろう。ところが。

「……ん。うむ。果実感がしっかり出ていて、悪くないな」

 えながは素直にそれを口に含み、何事もなかったかのように咀嚼してそう言った。

 その後に、はっと目を見開き、えながは耳まで瞬時に真っ赤になった。

(あ。これ、いつも二人きりの時にやってるのを無意識にやっちゃったパターンだ)

 智尋も覚えがあるのではっきりわかってしまった。桃色はプロなので、オンオフの切り替えはばっちりでそんな油断はしない。してしまって照れた彼女も見てみたいけれど。

「お、お、お、お前な! 急に変なことをするな! つい受け取ってしまったじゃろうが!」

「だ、だ、だ、だってあんた、無視とかするとか思ったから……! 何こんな時だけ素直になってんの⁉」

 お互い動揺して立ち上がり、睨み合う二人。そして静かな店内で騒いでしまったことに気づき、「……すみません」と二人で頭を下げてすごすごと席に着く。

 智尋と桃色は。ずっと肩を震わせて笑いを堪えている。「ちょっと。笑うな、そこの二人」と沙希とえなががまた声を揃える。阿吽の呼吸って、たぶんこういうこと。楽しい。

(……ああ、神様。ほんの少し、ほんの少しだけでもいいんです。出来るだけ長く、サービスしてくれるなら更に長く)

 ──こういう四人の楽しい瞬間が、続きますように。他の同い年の子たちと、同じくらい。

 そう心の中で。智尋は確かに祈るのだった。

「ねえねえ、動画回していーい? みんなで楽しく女子会って感じでっ。自然体でいいからさ」

「おっけー、いつでもいいよ桃色。九十九、初めての動画だからって緊張しないでよ?」

「アホか。私が緊張なぞしとるところ、見たことがあるか? 常に平常心じゃ」

 手前側に座っていた桃色が、みんなが画角に入るようにスマホを高く掲げる。

 一瞬彼女は。ちらりと智尋を見て、目を細める。

『ありがとね。おかげで楽しいよ』

 彼女はそう言っていた。だから智尋も、自然と顔が緩んでしまう。

「……うん、桃色。じゃあ動画、始めようか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る