第八話「遭難」⑤


  8 ~姫沼沙希、九十九えなが~


 二人とも、立っているのがやっとなほど疲労し切っていた。

 それでもえながが何とか蛇足を単体で召喚し直してくれて、沙希たちは飛んでいく。

 桃色は一人で急にどこかへ行った智尋の異物を追いかけていった。危険だ。彼女に絶対桃色を殺させない。約束したのに。沙希たちの疲弊が、桃色たちの追跡を遅れさせた。

 未来視は。ダメだ。まともに働かない。危険予知と介入、そして境界越えをやって負担を掛けすぎた。数秒先なら何とか。十五分先は無理そうだ。これ以上は、異能が暴走する。感覚でわかる。

 えながだって、やっとの状態のはずだ。蛇足の速度がいつもより遅い。Mrs.の手を伝って飛び移っていく桃色は速すぎて、もう姿が見えなくなった。

「えなが、大丈夫……?」

 蛇足の前に座る彼女の肩に手を置く。彼女がぐったりしているのは一目瞭然だ。息切れしている。沙希も同じような状態だった。

「蛇足一匹くらいなら余裕じゃ。心配するな。宝石月を……桃色を、追うぞ。智尋との約束は、絶対に守る。そうじゃろ?」

 肩に置かれた沙希の手を取って、前を見たままえながは答えてくれる。その震える手に、沙希は何とも言えない気持ちになる。

 急がなければ。これ以上、約束を守れないのは嫌だ。桃色だけは、絶対に守る。

 だがどうして、智尋の異物は突然姿を消したのだろう。それどころか桃色を見て、攻撃をぴたりと止めた。

(……まだ智尋くんの、意識が残っている……?)

 それが桃色との邂逅で、再び蘇ったのだとしたら。智尋を殺さずに、済むかもしれない。彼女を治すことが出来るかもしれない。

 そんな些細な希望だけでも、抱かせてくれ。叶えてくれ。本当にお願い、神様。縋るように、祈らずにはいられない。

 ビルの角を曲がる。そして沙希は目を見張った。

 桃色が。Mrs.の大きな手のひらに乗って、智尋の異物の間近にいた。もう触れられるほどの距離だ。

 それなのに異物は、桃色を攻撃しない。確信した。智尋の意識が戻った。これなら、もしかしたら。そんな思いが、ようやく芽生えた。

 不意に。異物が動いた。桃色を押し、彼女はMrs.の掌から落ちる。

「え……」

「蛇足、受け止めろッ!」

 沙希たちは地面に降り立つ。そして蛇足を先行させ、桃色を受け止めようとする。

 刹那。智尋の異物が、四方八方から撃たれた。弾丸の嵐。鼓膜が痺れるほどの銃撃音。されるがまま撃ち抜かれていくその黒い姿が、目に焼き付く。

 永遠に続くような銃撃が止んだ。蛇足は、桃色をしっかり受け止めてくれていた。だけど。

 智尋の異物が。その身体を崩し、少しずつ灰が散っていくように消え去っていく。修復の異能が、発動しない。

 智尋自身の意思が。戻ってきた意識が、崩れるままに身を任せているのだ。

 彼女の姿は完全に消失して。同時に、異能の気配も消えた。智尋は、いなくなってしまった。桃色の、目の前で。

 未来視。危険探知が働く。今の容赦ない銃撃は、異能対策部隊だ。おそらくずっと、こちらの隙を窺っていたのだろう。

 桃色まで撃とうとしている。そして、沙希たちには麻酔弾、捕獲ネット弾、電気ショック弾を撃ち込もうとしていた。こいつらは、こんな時に。それどころじゃないんだ。こっちは。

 えながはまだ蛇足で桃色を受け止めている。だから沙希が、未来介入を働かせようとする。暴走するギリギリまで、研ぎ澄ませ。桃色を、えながを。守れ。

 だが。視えてしまった。未来。そしてそれは、すぐ現在になる。

 黒い手が。雑貨ビルにいる対策部隊の連中を殴りつける。複数の、通常サイズの手。それらが、兵士たちを殴り飛ばしていく。

 桃色の、Mrs.。智尋がいないのにここまで強大な異能が働くのは。彼女が、怒り狂っているからだ。

 取り囲んでいた対策部隊は、全員のされた。確認できる倒れたものは動かないので生死は確認出来ないが、殺してはいないと信じたい。

 Mrs.の巨大な掌を召喚して、それに乗り舞い上がる桃色の背中。こちらを見ない。振り返らない。

 ただその小さな背中には。いつぞや感じた、鋭い刃のような怒りがささくれ立っているような気がした。

「……桃色……?」

 沙希は戸惑いながらも呼びかける。嫌な予感がした。

 未来視が上手く働かない。ノイズまみれで見えない。この先が。これは、疲労のせいだけじゃない。

「……ごめんね、サッキィ、ツックー。私、わかんなくなっちゃった。誰かを助けるのが、誰かのためになるのが、きっといつか良いことに繋がっていくんだって。そう信じてたのに」

 ――その誰かは。この世界は。私達のこと、化け物としか思ってなかったんだね。

 振り返る桃色は、微笑んでいた。頬に涙が伝っていた。メイクが崩れちゃって動画を回せなくなるからと、絶対泣かなかった彼女が。今まで見た誰の表情より、それは孤独で、哀しげだった。

「……智尋は、私のために全部くれた。あの子をそんな目に遭わせたのは、私達が守ろうとしてた人達なんだよ。……許せない。許せるわけ、ない」

 歪む、彼女の声。また沙希とえながに背中を向ける。そして。

「――そうだろう。宝石月桃色。この世界は醜い。真の弱者は救うに値しない。異能の世界だけが、正しいんだ。我々を化け物と蔑む奴らは、殲滅すべき。そうだろう」

 天星の、声。

 青い渦が、桃色から少し離れた頭上。花開くように現れて、天星がローブをはためかせ姿を見せる。

 そして桃色に向かって手を伸ばす。いざなう。自分の元へと。

「憎いだろう。最愛の人の、無念を汲みたいだろう。……私たちのところへおいで。共に弔おう。彼女を殺した奴らの屍の上で」

「桃色ッ! 行っちゃダメッ!!」

 沙希は必死に駆け寄ろうとする。絶対に連れて行かせない。彼女はただ揺らいでいるだけなのだ。自分を見失っているだけなのだ。

 大事な親友を、もう失いたくない。

 だが阻まれる。左右のビルの根元が連続で爆破されて、倒れてくる。衝撃と土埃。沙希は弾き飛ばされる。

「蛇足ッ! 払えッ! 捕まえろッ! 何が何でも行かせるなッ!」

 えながの声。蛇足が尻尾を振るい、土埃を払う。そして浮かび上がっていく桃色に向かって一直線に向かおうとする。

 瞬時、爆風。蛇足は胴体を破られながら、吹き飛ばされた。

「がッ、あぁッ……!」

「えながッ!!」

 えながが叫んでいる。沙希は必死にその姿を探した。いた。路上に倒れ込んだ彼女を助け起こす。息はしている。が、意識を失った彼女はもう満身創痍だ。蛇足に攻撃も喰らった。やばい、かもしれない。

「邪魔すんなや、偽善者どもが。お前らは捨てられたんやで。お友達に」

 吐き捨てるような声。倒れたビルのがれきの上からこちらを見下ろす、森郷秋菜の姿。異能学園京都校で、彼女はパートナーの歩優を失った。いや、失わされて誑かされ、天星側に付かされている。今の爆発は、彼女の異能だ。

「桃色ッ! お願いッ! 行かないでッ! 桃色ぉッ!!」

 必死に叫ぶ。天星の元へいざなわれる桃色の背中に。

 彼女は振り返らない。そして天星の手を取った。

 そのまま二人は、青い渦の中へ消えていく。秋菜も、こちら苛むような眼差しを送って、渦の中へ入っていった。

 渦が消える。耐えがたいほどの静寂が、えながを抱きかかえたままの沙希にのしかかる。

 何も、出来なかった。大切なものを、奪われた。自分たちは負けたのだ。天星に。

「姫沼! 九十九! ようやく見つけた!」

 不意に声が聴こえた。跪いた沙希の肩に触れ覗き込んできたのは、七竈だった。

「九十九は……やばいか。私が背負うから、姫沼は走れるか? 対策部隊の連中がここまで来てる。移動しないとやばい。……宝石月と、神木はどうした?」

 沙希の手からえながを受け取って背負い込んだ七竈が尋ねてくる。沙希はふらりと立ち上がって、茫然と口を開いた。

「……先生。あたし、もう何にもわかんなく、なっちゃった……」

 七竈に手を引かれるまま、走る。

 今はただ。考えたくなかった。全部。放り出してしまいたかった。

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