第七話『ごめんね、守れなくて』⑦


  8 ~戦闘前線:高目真凛、シスター・ゴリラ~


「そ、そろそろ時間切れですねぇ……。私たちは、そろそろお暇しますぅ……」

「よし、帰っていっぱいいちゃいちゃしよっか、桜乃。今日は本当によくやったね。すっごく甘やかすよ、私」

 ずっとおどおどとしている少女、鈴木桜乃。ずっとそんな彼女を抱きしめて頭を撫で続けている女性、望野李旬が唐突にそう言った。

「っ……は……? てめぇら逃げんのかよ……? 待てクソったれども……ッ」

 息を切らしながら、シスター・ゴリラは唸り吠える。

 視界が揺らぐ。必死にピントを絞って、目の前の二人を射程距離から外さないようにする。

 人差し指を、前に構える。震える。ブレる照準を何とか合わせた。

「目標、捕捉……。ミサイル、発射……ッ」

 熱風。シスターの真横を駆け抜けて髪とウィンプルをはためかせる。

「それ、なかったことにしよう」

 李旬が左手の薬指を畳んだ手を前に突き出す。

 ミサイルは。着弾しない。この辺りが吹っ飛ぶくらいの異能は込めた。が、無効化された。それが李旬の異能なのだ。

「無駄だよ、わかってるでしょ? あなたみたいな遠距離型の異能が、一番私と相性悪いの。わがままする子は、可愛くないぞ?」

「に、逃げるわけじゃ、ないですよぅ……。私たちもう、あなたたちに、勝ってるので……。あなた、もうすぐ死にますよねぇ? この子たちの、毒でぇ」

 桜乃が持ち上げた腕。手の先まで、びっしりと何かが蠢いている。

 蜂だ。密集した羽音がこちらの聴覚まで揺さぶってくる。彼女の異能。

 毒。さっき戦闘中、シスターはその二匹に刺されていたみたいだ。何とか堪えていたが、もう限界が近いのがわかる。何とか意識を振り絞るので精いっぱいだ。

「逃がすわけ、ねぇですわよ。わたくしの妻に、よくも手を出したわね」

 真凛が。桜乃たちの死角から飛び出す。腕と足が変形したタイヤが唸る。全力だ。

「それ、当たらなかったことにしよう」

 李旬がまた言った。真凛の振るったタイヤが、彼女たちの前で止まる。火花が散る。止められているのだ。李旬の異能に。

「あなたの攻撃も無駄。何回も試してるでしょう。私達がここに来たのは、あなた達にとって相性最悪なわけで――」

 バキンッ、と分厚いガラスが割れるような音がした。真凛の腕のタイヤが、李旬の異能を掻き破った。

 李旬は桜乃を抱きかかえて慌てて飛び退く。咄嗟に桜乃の顔を庇った腕を、真凛のタイヤが削り割いた。血飛沫。

「……なるほど。怒ってるから異能も増幅してるわけね。桜乃の顔狙ったでしょ、今」

「私の妻を、毒で汚した報いですわ。……万死に、値する」

「り、李旬さん、だ、大丈夫、ですかぁ……?」

「かすり傷だよ、桜乃。あなたを抱くのには問題なし」

 ぐらり。シスターの意識がブレる。体がふらついて倒れかけた。

 真凛の意識を、こちらに向けさせてしまった。その隙に李旬が、桜乃を抱きかかえて大きく跳躍した。

「私の跳躍力の限界、なかったことにしよう」

「待ち、やがれ……ッ」

 すかさずシスターは空気銃弾を打ち放つ。しかし狭まった視界では捉えられない。

 あっという間に李旬たちはビルの屋上へ飛び乗り見えなくなった。

 追わなければ。そう思って踏み出した足がおぼつかず、シスターは倒れかける。

 それを真凛が受け止めた。その慣れ親しんだ薔薇のような優しい香りに包まれて、肩から力が抜けたような気がした。

「ゴリ、大丈夫? ……ごめんなさい、奴らを逃がしたわ」

「すみません、我が神よ。私が、不甲斐ないばかりに」

「あなたが不甲斐なかったことなんて一回もない。愛してるわ」

 ぎゅっと抱き寄せられた。毒が回ってなかったら、そのままキスして舌を入れたいくらい感情が昂っていた。

 ふと、違和感。シスターは考える。時間切れと奴らは言っていた。何の時間だ……?

 真凛の背後。自動小銃を構えた異能対策部隊の兵たちが姿を見せた。殺意。感じ取る。

 シスターは咄嗟に真凛を後ろに押しやって、指を構えた。

「ロケット弾装填。……発射ッ」

 空気弾を打ち放った途端。肩に衝撃。部隊の傍の車が爆発し、連中が一斉に倒れ込んだのを確認しながらシスターも地面に仰向けになりかせる。

「――ッ!!」

 真凛が。シスターの昔の名前を呼んだ。そしてシスターを抱きかかえたまま、足をタイヤにしてその場を離れる。銃声。部隊の連中が撃ってきているが、当たるわけがない。誰よりも速いのだ、真凛は。……そういうところが、好きだから。

 真凛はビルの物陰へとシスターを運んでくれて、そのままそっと優しく抱きすくめ直す。

「──、しっかりしなさい! 死んじゃダメよ。絶対に、死んではダメ」

「……はい。でも少しだけ聞いていただけますか。私の、懺悔を」

 銃声が止んだ。だが異能部隊の奴らは少しずつこちらとの距離を詰めてきてるだろう。時間がない。

 でも今伝えなければ。こちらの時間もきっと、長く持たない。

「……真凛。あなたと会えて、本当によかった。あなたと過ごせたこの十年。私は幸せだった。こんな私でも、この世界にいていいんだって思わせてくれて──本当にありがとう」

「何を、言っているの。十年だって二十年だって。その先の一生も。わたくしたちはずっと一緒よ。そうでしょう」

「……結婚してくれるって言ってくださって。本当に嬉しかった。あなたと結婚、したかったなぁ……」

 彼女の頬に手を触れる。溢れた彼女の涙を、そっと指で拭って、シスターは微笑んだ。

 毒がもう回り始めている。意識が朦朧とする。きっともう眠ったら、起きることはないだろう。わかる。だから。

「真凛。愛してる。私がいない世界でも。あなたは絶対幸せになって」

「やめて。……嫌よ。絶対、嫌。お願い。わたくしを一人に、しないで……っ」

 あふれる涙。そんな顔をさせてしまって、ごめんね。そんなに感情をこぼしてしまうくらいまで愛してくれて。本当に嬉しい。

「ダイレクトエアーパンチングアタァアアアックッッ!!」

 不意に路地の向こう側から凄まじい声が響いて、何かが吹っ飛んでいく轟音が聞こえてきた。シスターと真凛は呆気にとられる。

 気配もなく、突然傍に現れた人影。シスターたちのところにしゃがみ込んだのは、三年生の香坂蒼だった。

「蝕むものを、解き払え」

 蒼は立てた人差し指を、シスターに向かって振るって見せる。

 途端、身体が楽になった。今までの苦痛が嘘のように。

 シスターは真凛の腕から立ち上がって、腕をぐるぐる回して見せる。……うん、絶好調。いくらでも走り回れそうだ。

 シスターはぽかんとしている真凛を振り返り、苦笑う。

「……我が神よ。失礼。先ほどの懺悔は全部、忘れていただけますか。恥ずかしいので」

「一生覚えてる。ゴリ。本当に、本当に良かった」

 ぎゅっと抱きしめられた。彼女の涙。温かい春の花びらのように感じた。愛おしい。まだこの世界に。彼女と一緒にいられる。それだけで、震えてしまいそうになる。

「……香坂先輩様。解毒していただき、ありがとうございます。神には感謝しませんが、あなたには一生の御恩が出来ましたね」

「わたくしからも、高目グループからも最大限の感謝を。あなた方の一生涯、労働を不要にいたしますわ」

「いいよ。その御恩は全部、その素敵なお嫁さんに使ってあげて。あなたたちが無事で、良かったよ」

 蒼は嬉しさを隠せずに頭を掻いて答えてくれる。

「異能対策部隊の奴らは全員ぶっ飛ばしたぞッ」

「まだまだ増援が来そうね。今すぐここから離れましょう」

 同じ三年生の朱里と芳翠も姿を見せた。その後ろには、教師の七竈もいた。彼女のパートナーである透子はいない。……何かあったのだろうか。

「高目、シスター・ゴリラ。良かった、無事だったか。安全なとこまで移動するぞ。行けるか」

「いつでも行けますわ。……一年生の、姫沼さんたちは? ご一緒じゃないんですの?」

 彼女たちの傍には、姫沼沙希と九十九えなが。そして桃色と智尋の姿はない。一緒に行動していなかったのか。

 七竈が苦そうな顔になる。

「ここにも来てなかったか。……ずっと通信も繋がらん。全員とだ。何かあったかもしれない。早めに合流しないとまずいな」

 七竈に引率されつつ。シスターたちは移動を開始する。一年生組との合流。それが第一目標。

(……どうか皆さん、ご無事で)

 祈る神などいないが。シスターは彼女たちの無事を、祈らずにはいられなかった。

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