第七話『ごめんね、守れなくて』⑥


  6 ~学園崩壊前:和泉透子~


「行かせてもよかったのかい。パートナーの七竈と君が離れたら、異能は半減する。君の矛と盾は、もう役に立たない。だろ?」

「……續こそ。行かせてよかったの。沙希とえなが、二人の捕獲が目的じゃなかったの」

 結界が降りた天国の扉の前。透子は空に浮かぶ天星と視線を絡ませ合っていた。

 もはや霧は晴れ渡っている。異能対策部隊の連中は、捕獲対象の沙希とえながが逃げ出したのを悟ってここから撤収したか。天星が──續が何らかの合図を送ったのかもしれない。

 とりあえず彼女はこの場に閉じ込めることが出来た。が、結界を下ろしている豊橋は、もう大粒の汗を浮かべて息を切らしていた。

 あまり時間は掛けていられなそうだ。その前に。彼女に聞きたいことがあった。いくつか。

「別にいいさ。彼女たちを捕まえるなんて、この後いくらでもチャンスはある。むしろこの場を切り抜けられる力があってよかったよ。つまらないからね」

「……もしかして、楽しんでるの。この状況を。私たちは、命を賭けてるんだけど」

「もちろん私だって命は賭けているさ。じゃなきゃ、わざわざこんな結界なんかに囚われたりしない。私と話したかったんだろ、君。時間がないみたいだから、手短でどうぞ」

「攻撃は? しなくていいの? 油断大敵。いつも私たちに口が酸っぱくなるほど言っていたよね」

「君の異能に、もう私を倒す力はない。なら、わざわざ対話の腰を折る必要もない。だろ?」

 續に言われて、透子は聞こえるように舌打ちをした。なめやがって。まあでも、こちらの出方に対する警戒は怠っていないようだ。それを肌で感じる。

 續らしい。でもどことなく、違和感。彼女を前にした時からずっとそれが拭えない。このピースが噛み合わないような気持ち悪さは、一体何だ。

「本気で異能者のための世界を作るつもり? 現状を変えたいのは私たちも一緒。でもこのやり方は間違ってる。あんたに付いていった人たちも、こんなんじゃどんどん離れていくよ。あんたは信用できないって。……信頼は、續の何よりの武器だったよね。こんなの、續らしくない」

「本気だよ。もちろんそれについては私だって考えている。……けどまぁ、どうでもいいんだ。信頼なんてね。だから手段は選ぶ必要はない。なるべく多く、異能者を引き込めればそれでいい」

 その言葉で、より透子の中の違和感が強まった。

 信頼。人と人との繋がり、絆。それは續が、何よりも大事にしていたはずのものだ。例え一瞬の縁だとしても、彼女は取りこぼさないように大事に、丁重に扱っていた。人が生きてこそ、社会。人と人が繋がり合ってこそ、世界。それが彼女の信念、一本の通った芯だった。

 十九年。それは人が変わってしまうには十分すぎる時間だけれど。一本の芯が歪んでしまうほど、續は弱くなかった。一年ちょっとしか過ごさなかったけれど、透子にだって續のことは痛いくらい良くわかっていた。

「沙希とえながに随分固執してたみたいだけど。あんたにとってあの二人は、何なの? 仲間にしたい対象? それとも、異能をコピーしたいだけ?」

「そのどちらでもない。ただ彼女たちは、あまり自由でいられると厄介でね。良くて捕獲。悪くて、死んでもらえれば。私にとって最高の結果だね」

「……そう。それを聞いて、ちょっと安心したよ。遠慮なく、お前を殺せる」

 透子が手を前に出す。天星が首を傾げた瞬間。

 後ろから飛んできた薙刀が、天星の背中を貫いた。そのまま彼女を地面に串刺しにする。

 地面に伏した天星を、透子は足元に見下ろす。

「……ほう。まだ矛を召喚する力は残っていたのか。やっぱり君たちは、油断ならないね」

「違うよ。お前の異能と共鳴してんの。續は、私たちとパートナーだったからね」

「なるほど。そういえばそうだったね。共鳴か、この状態でも出来るんだね」

 天星が興味深そうに言う。この状況でも、彼女は一切揺らぐ様子は見せない。抵抗する気さえ見せない。

 でも全て見通して、投げ出したわけでもない。強まり続ける違和感。もうそれは、ほとんど確信だった。

「最後の質問。……お前、何? 續じゃ、ないよね」

 投げかける。透子はもう親しい人を見る目をしていなかった。

 透子の異能が共鳴出来ている。だが、透子の感覚は、目の前のそれがパートナーであった續ではないと告げている。

 よくわからないが、こいつは續じゃない。それだけはわかった。

 笑い声。天星だ。彼女は心底愉快そうに笑っていた。

「あははっ……やっぱり、わかっちゃうか。十九年も経つのに、まだ忘れられないのかい、天城續が」

「質問に答えてない。續のフリをしてる、お前は何」

「私は『天星』だよ。ずっと名乗っているだろう。冥土の土産なんてものには期待しないでおくれ。私はそこまで、優しくないからね」

 透子の薙刀が、弾けるようにして天星の背中から抜けて吹き飛ぶ。

 天星の身体が浮き上がり、再び透子たちを見下ろした。

「……さてと。私も命を賭けさせてもらおうかな。奥の手があるんだろう? それを試してごらんよ」

「命を賭ける? どういうこと?」

「ここで私が君達もろとも死んだら、君達の勝ち。私が生き延びたら私の勝ちさ。正直、どういう結果になるのかはわからない。私も楽しみなんだ」

 ――どうせ私のような存在は、これからいくらでも現れるだろうしね。

 天星は笑っていた。そこに感情があった。新しいおもちゃを前にした子供のような、どんな遊びをしようか想像を膨らませているような幼い笑みだった。

(……やはりこいつは、化け物か)

 續に似ているが、中身はまるで違う。こいつは人じゃない。化け物。それしか上手く言い表せる言葉がなさそうだった。

「……理事長。お願いします」

 天星から目を逸らさないまま、透子は後ろに立つ豊橋に言った。豊橋が頷いたのがわかる。彼女も覚悟の上だった。

「この時代を生きる人達に。子供たちに。くまなき明るい未来が訪れますように」

「その願い、私が引き受けよう。私が、生き延びたらね」

 天星が笑みを絶やさぬまま言う。この状況から必ず生き残れる自信からの態度じゃない。

 これから豊橋の起こすことで、自分が死んでも構わないと本気で考えているのだ。

 これが彼女の言う、「命を賭ける」という行為。自分の身体を使った実験と同じだ。生きるか、死ぬか。

 こちら側が使っているものとは、根本から意味が異なる。

 ──こいつは、續じゃない。透子はそう実感せざる得ない。

 豊橋が両手を合わせ、ぎゅっと握りこんだ。

 彼女の異能は結界を張るだけじゃない。その内側に閉じ込めたものを、すさまじい力で圧縮させて消滅させる。

 今その結界は、学園全体を覆っていた。その中にいるもの。天星をも逃さぬために。

 一気に空気がひずんでいく。視界が急速に震え、歪んだ。これなら苦しむ間もなく、逝けることだろう。

 ……七竈。續。

 そう呟いたつもりの自分の声がちゃんと声になったのか。透子自身にもわからなかった。


  7 ~学園脱出:姫沼沙希、九十九えなが~


 路地を慎重に駆け抜ける。沙希たちが走るその場にはまだ混乱の跡が真新しく残されていた。

 車が道路の途中でいくつも停められ、中にはドアが開きっぱなしのものもある。人の姿はない。遺体もないのが幸いだったが、何かが暴れたようにところどころ電信柱や街灯、信号機が倒されていたり、アスファルトが陥没が陥没していたりした。ここでも異能発症者が暴れたのかもしれない。

 きっと今、東京中がこんな混乱の嵐なのだ。

 異能学園東京校は、一般住宅街などからはそれなりに距離は取られた場所にあるが、それでも人の生活圏からはさほど離れてない。異能学園にしては珍しい立地。普通はほとんど隔離されているから。

 長い脱出用の地下通路を通って出てきたのは、まったく見覚えのない住宅地だった。学園からはだいぶ遠ざかった場所のようだ。異能学園の傍に人の居住地はない。

 地下通路も様々な状況に対応できるようにか、複雑に入り組んで分かれ道もいくつかあった。出口もきっといくつかあったのだろう。

 先導する七竈はその中から一番学園から離れた出口を選んだようだ。彼女は沙希たち全員付いてきているか確認する以外は、もう後ろを振り向かなかった。教師としての表情を崩さなかった。

 そうしていないと、たぶん自分がそのまま剥がれて動けなくなってしまうことに気づいているのだろう。そんな彼女の心境が痛いほど伝わるのに、何もできずに言えない沙希は自分が情けなかった。彼女たち大人に守られる子供でしかない、自分が。歯がゆい。

「みんな、離れるなよ。さっきより何が襲ってくるかわからん。早まって一般人も巻き込まんようにな」

 身を低くして走りながら、七竈が振り返らずに言う。「はい」と沙希たちは小さく声を上げてそれに続く。

 桃色たちからデバイスに応答はない。真凛たち二年生組もそうだ。特殊な電波で繋がっているから位置はわかるが、それでも通話に出られないほどの何かがあったのではないかと不穏な予感は拭えない。

 まだ遠いが、焦れたらいつどこから対策部隊だの天星の刺客だのに襲われるかわからない。慎重になる必要がある。

 だが天星との距離が取れたおかげか、沙希は通常通り十五分先まで未来視と介入が出来そうだ。だがさっきの戦闘で、だいぶ消耗してしまっている。いつもみたいに出し惜しみをしないというわけには行かなそうだ。えながとの共有も、まだしている余裕はなさそうだった。

 不意に、地面が揺れる。そして凄まじい轟音が辺りの空気を振動させた。学園の方からだ、と沙希は瞬時に悟る。

 ……正直、この未来は見ていた。から、七竈にはどうしても言い出せなかった。彼女は足を止め、学園の方を向いた。

「……透子」

 一瞬彼女は呟いて、すぐ前を向いた。再び足を動かす。その足取りにもう迷いはない。……沙希の胸が、歪むように痛んだ。

 ぎゅっと先ほどからずっと握りしめてくれている、えながの手が、何とか沙希を立ち止らせずにいてくれた。

「……七竈先生。十五分先、あたしたち対策部隊とぶち当たります。あいつらここから規制線を張って待ち構えてる。避けて通れません」

「……おっけ。みんな、戦闘準備。奴ら、本気で私らを殺して姫沼と九十九を奪いに来るぞ。私はもう、ほとんど役に立たない。悪いけど、頼んだ」

「わかりました」

「合点承知ィッ!」

 沙希たちの返事と、突き抜けた朱里の返事が重なる。

 ちらり、芳翠の視線が沙希と合わせてくる。「あまり無理をするな」。そう釘を刺す視線だ。そして蒼もこちらに頷き掛け、朱里はにやりとして力こぶを作って見せる。

 わかっている。あたしとえながはジョーカー。出来るだけ節約。この三人に任せよう。

 一応、残弾をチェック。異能弾はショットガン、拳銃合わせて少し。ゴム弾は拳銃用だけで、それもそこまで残っていない。未来介入できるとは言え、こちらも戦力に数えられるか怪しいものだった。銃がなければ沙希は普通の人間とそこまで変わらない。早めに身を隠せる場所に行かないとやばそうだ。

「まず最初に宝石月たち一年組を回収。その後、高目たち二年生のところに行く。……そろそろ十五分。来るぞ」

 七竈が言う。十字路に差し掛かる。表通りは避けているが、この辺り一帯は対策部隊が規制していた。どこを通っても衝突は避けられない。

 一旦止まった七竈。沙希たちを待てと手で制して、曲がり角から手鏡で向こう側を覗き込んだ。

 異能部隊の連中十五人。でかい装甲車が道を塞いでいる。さすが政府お抱え。予算潤沢だ。

 まず芳翠が飛び込んで連中の思考攪乱を行うのが適切だろうけれど、奴らは撃ってくるだろうからそれを何とかしなければならない。蒼の守る膜だと、先ほどみたいに小さくはない傷を負う。

 七竈が指先で、回り込むと指示した。少しでも近くへ。沙希たちも頷いた。

 その時だ。

 七竈の手鏡に映っていた部隊の連中が、一斉に浮かび上がった。彼彼女らにも予想外だったらしい。もがいているのがわかる。

 沙希は飛び出して曲がり角を覗いた。兵たちがもがくたび、その周りの宙に気泡のようなものが舞い上がる。まるで水中にいるみたいだ。装甲車までもが軽く浮かび上がっていた。

 異能、と確信すると同時に。近くの塀を突き破って巨大な氷の塊が突っ込んだ。装甲車もひっくり返し、その場にいた対策部隊は地面に伸びる。すぐには起き上がれなさそうだが、死んではいなさそうだ。

 その氷の塊に、どこか既視感を覚えた。すると、声が聞こえてくる。

「沙希お姉ちゃん、えながお姉ちゃん! 久しぶり!」

 塀の向こう側、氷で出来たジャンプ台から飛び上がり、こちらに綺麗に着地して快活な笑みを見せたのは。沙希たちがよく見知った少女だった。

 満島日南。彼女が氷の異能が発症した時に沙希とえながが助け出した、小学四年生の少女だ。

 彼女は確かに異能適合者だったらしい。今のは完全に、氷の異能を使いこなしていた。

「日南ちゃん! 元気だった!?」

「もちろん! お姉ちゃんたちのおかげ! ほらすごかったでしょ? 私、私たち、すっごく強いんだ!」

 思わず沙希は彼女に屈み込んで抱きついている。照れくさく笑う声が耳にかかってこそばゆい。良かった、彼女は無事だった。天星にも連れて行かれなかったみたいだ。

 えながにも顔を向けようとしたら。彼女も飛びつくように日南に抱き着いた。二人で左右からぎゅっと彼女を包み込む。

「生きておったか! 元気そうで何よりじゃ。まったく、ちょっと見ぬ間にたくましくなりおって!」

「えへへ、くすぐったいよえながお姉ちゃん。お姉ちゃんたちも、無事で何よりだよ」

 こんな嬉しさを露わにしたえながは初めてで、少し沙希は戸惑う。そして、彼女にとってもこの子の存在は本当に大きかったんだと今更悟って、微笑ましくなって。沙希も更にぎゅっと、日南とえながを自分の両腕で抱き寄せる。

「よし、お前ら、それくらいで。満島、よく無事だったな。ここを離れるぞ。たぶん今の騒ぎで他の部隊の奴らも集まってくる」

 沙希とえながに包まれた日南の肩にぽんと手を置いて、七竈が言う。彼女も嬉しさを唇で噛み締めていたが、冷静を装っていた。

「はい。七竈先生も、ご無事で何よりです。満島日南です、みなさんよろしくお願いします!」

 沙希とえながに離された日南は七竈に言って、初対面の三年生組にも挨拶する。相変わらず礼儀正しい子だ。

 ふと、ごぽり、と水中で水が揺らぐような音が聴こえた。

 そして上から日南の隣に、少女がゆったりと着地してくる。ふんわり。長い髪が水の中にいるように広がって、それがゆっくり下りていく。

「半沢アズマ、です。よろしく、です」

 アズマと名乗った少女もぺこりと頭を下げる。日南と同じ背格好なので、おそらく同世代なのだろう。無愛想ではなく、表情が少ない、という印象。三年生の蒼と雰囲気が少し似ていた。

「アズマは私のパートナーちゃんなんだ。言葉は少ないけど、すごくいい子。よろしくね」

「どうも、です」

 先ほど部隊の奴らが浮かび上がったのは、アズマの異能のようだ。自分の異能の範囲内を、水の中のように出来る力か。彼女も日南も、ずいぶん鍛えているようだ。頼もしい反面、異能者としての苦労も感じ取れて沙希は複雑になる。きっと大変だったはずだ。沙希は異能学園に引き取られた時の自分の姿を重ねてしまう。

 日南とアズマが開けてくれた道を駆け抜ける。装甲車はひっくり返り、部隊の兵たちはあちこちに散らばっているが呻いているので全員生きている。ちょっと以前の日南の仕返しが感じ取れて、沙希は少し笑いそうになってしまう。とりあえずしばらくは立ち上がれないだろう。

「日南ちゃんたちのところにも来なかったの。……天星。あいつ、いろんなところめちゃくちゃにしてるでしょ」

 沙希が聞く。走る沙希たちと並んで、日南は自分が進む地面に氷を張りスケートを滑るように素早く移動していた。アズマは空中を素早く泳いでついてきている。優雅ささえ感じるその姿はカジキのごとくだ。

「私たち、埼玉の学園の初等部だったんだけれど、天星って人の使いだって言ってた女の人が来てた。学園の人たちみんな連れて行かれちゃったけど……私たちは、何とか逃げ出したんだ。嫌な感じがしたから」

「逃げ足、自信ある、ます。二人とも」

 日南とアズマが答えてくれる。

 やはり天星は異能者たちをほとんど自分たちに取り込んでしまっているみたいだ。中には日南のように不信感を抱きつつも連れ去られた人たちだっているはずだ。

 全員が全員、異能者だけの世界など臨んでいないはず。この調子ではいずれ天星側が内部崩壊を起こして収拾がつかなくなるのではないか。

(……いや。あいつならそれも予期してる。その上で何か企んでる、はず)

 先程化け物じみたあいつを前にした時の薄ら寒さを思い出した。あいつは異能者を集めて何かする気だ。内側からの分裂や反乱など、気にもならないような何か最悪なことを。

 自動危機探知モードにしていた沙希の未来視が、何か捉えた。日南の異能と相性は悪かったはずだが、鍛えてくれたおかげかあまり干渉なくクリアに働いた。

「みんな。対策部隊の奴ら、もうあたしらの位置に勘づき始めてる。また来るよ。あと……何だこれ。変だ」

「沙希、どうした?」

「わかんない。……そこから先の未来が視えなくなった。たぶん異能者だ。あたしと相性悪いタイプの」

 えながに聞かれて、沙希は答える。

 対策部隊の奴らがこちらを追ってくる。たぶん、天星が沙希たちが桃色たちを迎えに行くのを吹き込んでいるからある程度のルートは捕捉されているのだろう。

 異能者が来るのは確実だ。急に未来視がブラックアウトしたからだ。天星の刺客か、それともまた対策部隊が兵器として使っている子か。下唇を噛む。

「よし。姫沼と九十九はなるべく異能節約。青鷺、香坂、鎌足三年生組、戦闘は頼む。無理はすんなよ。満島と半沢は尚更だ。いざとなったら私が囮になるからみんな逃げろ」

「わかりました。……でも先生も、自分を安く見ないで。あたしたちは透子先生たちから、先生の命預かったんだから」

「……わかってる。悪い。でも、お前らの命は一番優先だ。それは忘れるなよ」

 沙希の言葉を噛み締めるように七竈は頷く。彼女も死なせない。絶対に。胸の内で誓った。

 桃色たち、そして真凛たち。彼女らと合流するまで、対策部隊、天星の刺客と何回遭遇するか。繰り返す戦闘でじりじりと削られるのも痛いし、時間の猶予もあまりないように思える。一刻も早く他の二組の。桃色と智尋の無事を確認したい。何事もありませんように。どうか無事でありますように。未来が見える癖に祈りに託すことしか出来ない自分に苛立ちながら走る。

「対策部隊の装甲車が来てる。左の曲がり角。向こうはまだこっちに気づいてないし、気づかれていることに気づいてない」

「承知ッ。あたしの拳で装甲車をひっくり返す。タイミングを教えてくれッ」

 朱里が小さく拳を鳴らした。彼女の力なら軽いことだろう。だが懸念が一つ。

「もう一方の曲がり角から、対策部隊が徒歩で一個隊来てる。十人。こっちも気づいてないけど、あたしたちのこと数で押すつもりみたい」

「じゃあそっちは、私たちが! アズマ、行ける?」

「承知、だよ。楽勝、だね」

 日南の言葉にアズマが無表情で得意げにピースした。少し心配だが、先ほどの活躍を見せてもらったから任せても大丈夫だろう。

 いざとなったら、沙希の未来介入とえながの蛇足を使う。正直沙希は、さっきから息切れしていた。えながもだ。

 これくらいの走りで呼吸が乱れることなんてないので、異能を研ぎ澄ませ過ぎているせいか。芳翠に釘を刺された通り、節約しないとそろそろやばい。あくまで自分たちは切り札に徹した方が良さそうだ。

「朱里先輩。装甲車の走ってくる音聴こえますよね。あと十秒、引き付けて。日南ちゃんたちは、まだ遠いからもう少し待っても大丈夫かも。五分。いつでも何か出来るように待機して」

 沙希が指示を出す。先に曲がり角を飛び出したのは朱里だった。目の前に迫りくる対策部隊の装甲車に、バットを使うように両手を振るった。

「ディープインパクトキャノォオオオオンッッ!!」

 空気が歪むのが見えるほどの衝撃。猛スピードを出していた装甲車が正面からひっくり返った。強風というか衝撃波に煽られたかのごとくだ。凄まじい力技だった。

 地面に横たわった装甲車。後ろの扉が空いて、対策部隊の連中が転がり出てくる。

 しかしもう。芳翠が装甲車の上に立っている。彼女の異能の範疇。

「日本で一番早い時期に鳴くセミの名前は、何かしら」

 銃を構えようとした兵たちが一斉に芳翠の出した問題の答えを考え始める。そこに飛び込んだのが、蒼だ。

「意識、削り除けろ」

 腕を振るった蒼が放った透明な膜が兵たちを包む。途端、全員糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。彼女の操る膜は、そういう使い方も出来るらしい。意識を奪って、全員気絶させた。

「撃てッ!」

 反対側から来ていた歩兵の部隊が異変に気付き、銃を構えたらしい。距離があるが一斉射撃するつもりだ。素早く芳翠たちは装甲車の陰に隠れたが。

 突如氷の壁が出来る。連続した銃声。だが弾は一切その壁に阻まれて通らない。ヒビすら入らない。

「そこ、溺れる、ます」

 上に浮かんでいるのは、アズマだ。彼女が両手をふわふわさせると、曲がり角の塀を越えて、兵たちが浮かび上がってきた。もがき、付けているマスクの隙間から気泡が溢れていた。呼吸を奪われて溺れているのだ。空中で。

「しばらく起きないでください、ねッ!」

 日南が跳ぶ。手には氷で出来ていた巨大なハンマー。十人いた部隊を一気にぶん殴り飛ばす。地面に転がった連中は気を失ったみたいだ。

 こっちもオールクリア。日南たちは二百点満点すぎる。地面に着地した日南とアズマのところに駆けていって、沙希は二人を抱きしめようと思ったら。

 未来視が。ぶっつり途切れた。見えない。

 ──異能が来る。感覚が告げた。

「日南ちゃんアズマちゃん! 危ないッ!」

 必死に彼女たちに向かって駆け寄る。日南は反射的に、自分たちの左右に高く氷の壁を瞬時に聳え立たせた。

 赤い光が壁の向こうに見えた。そしてゴォッ、とこちらに迫りくる轟音。張ったばかりの氷の壁が瞬時に溶け始めている。そして、出来た隙間から熱風。

 火柱が。駆けるように高速でこちらに迫っていた。氷の壁が溶ける。

 沙希は日南とアズマの手を引っぱる。そして介入した手で彼女たちの背中を突き飛ばし、身体の方で彼女らを受け止めつつ地面に倒れこむ。

 ギリギリだった。走る火柱を避けれた。装甲車の爆発音。火炎に巻き込まれたようだ。芳翠たちは、と顔を上げたら三人はもう沙希たちのいる安全な場所に戻ってきていた。気を失っていた異能部隊の連中もこちらに連れ出したらしい。とりあえず誰も死ななかった。

「……日南ちゃん、助けに来たよ。そいつらに捕まってるん、だよね?」

 ジェット音のようなものが上から聞こえてくる。そして声。静かだが、怒りを抑えたような震えを帯びた、声。

 見上げる。両手から炎を吹き出させて浮かび上がった少女が、ゆっくりとこちらに向かって下りてくるところだった。その激情的な眼差しをした顔には見覚えがあった。日南と同じくらいの年。この子は。

「喜多美ちゃん⁉」

 日南が彼女を驚いたように呼ぶ。本条喜多美。確か日南の親友、だったはずだ。異能に目覚めて不安そうだった日南を抱き寄せていた彼女の姿が過る。

 でも、今地面に降り立った彼女が使っていたのは異能だ。その匂いがする。そしてさっきのは攻撃だった。明らかにこちらを殺すつもりの、攻撃。

「天星様が、教えてくれたよ。日南ちゃん、そいつらに捕まったんだって。そいつらに、悪いことさせられてるんだって。だから、助けに来たの、私」

「き、喜多美ちゃん。落ち着いて。その天星って奴が言ってるのはデタラメ。私たちは、日南ちゃんを保護しただけで……っ」

「お前に、言ってないッ!」

 説明しようとした沙希に、喜多美は腕を振るう。火柱が凄まじい勢いで走る。こちら目掛けて。

「沙希ッ!」

 飛び込んで地面に押し倒してくれたのはえながだった。彼女が庇ってくれなかったら今頃火だるまにされていただろう。

 慌てて身体を起こす。沙希とえながは、日南たちのいるところと炎で分断されてしまっていた。二人だけ孤立させられた。

「日南ちゃん! 大丈夫⁉」

「平気! 沙希お姉ちゃんたち、先に行ってて! 桃色ちゃんたち、助けに行くんだよね?」

 ──私は喜多美ちゃんと、お話しするから。そう言った日南は、瞬時に状況を察したらしい。

 喜多美は天星に誑かされた。喜多美もまた異能適合者だったのだ。それでいて自分の仲間に引きずり込んだ。……あいつ、やっぱり人間じゃない。化け物だ。

「急いで姫沼さん、九十九さん! この場は、私たちは引き受けるわ」

「二人とも行け! 宝石月たちは頼む! こっちは高目たちを回収する! 後で連絡して合流するぞ!」

 芳翠と七竈の声がした。炎と黒煙で見えないがみんな無事のようだ。

 心配だったが、今動けそうなのは自分たちだけだ。行くしかない。えながと目を合わせて、頷き合った。

「蛇足ッ! 全速前進じゃ!」

 不意にえながが蛇足を召喚して、背中に沙希と自分を乗せ飛び立たせる。周りの家より高い位置。障害物は何もなくまっすぐ進める。

「逃がさないッ!」

 喜多美の声。彼女から放たれた炎の玉が、凄まじい速度で迫りくる。

 それが、突然鎮火した。沙希たちの周りに、ぽこぽこと気泡が舞う。

「火の用心、火遊び厳禁」

 傍に浮かび上がったアズマが言う。彼女が助けてくれたようだ。周りを水中のようにする異能で炎を掻き消したのか。

「誰だよ、お前。日南ちゃんと仲良くして。私の方が、先に親友なんですけど」

「半沢アズマ。日南の、パートナー」

「呼び捨てェ⁉ 馴れ馴れしくすんな! パートナーってことは、ちゅ、ちゅーとか、したわけ⁉」

「それ以上のことも、したけど。それが、あなたに関係、ある?」

「私の方が、先に日南ちゃんのこと好きだったのにッ!! 死ねッ!!」

 荒れ狂った喜多美の炎。それを優雅に泳いでかわしながら、アズマはこちらを見た。

 囮になるから早く行け、ということだ。彼女も賢くて、良い子だった。合流したら、うんと褒めて甘やかしてあげよう。そう決めた。

 沙希たちを乗せた蛇足が飛んでいく。風圧が掛かる。気を付けないとそのまま振り落とされそうだ。

「えなが! 蛇足、こんなに使っちゃっていいの⁉ 異能、使いすぎなんじゃない⁉」

「良くはない。が、異能共有しながらなら問題ない。じゃろ?」

 沙希の前で蛇足に跨っていたえながが器用に振り返る。耳まで赤らんだ彼女の表情で察した。

「……えながも、ちょっとえっちな子になったね」

「なっとらんわ。いいから、そっちも未来視働かせるんじゃぞ。最中に撃たれちゃかなわん」

「わかってる。……ん……っ」

 彼女を蛇足の背に押し倒して、口づけた。余裕がないから、少し荒っぽいキスになる。

 すぐ舌が、唇と唇のあわいでもつれ合う。性急すぎる自分に気が付いて、身体が彼女との共有を求めていることを今更自覚した。

 気分が昂る。異能の補給は、お互い出来ていそうだ。蛇足の速度が上がった。沙希も、脅威が迫る未来をオートで探れるようになった。

 このまま、桃色たちの元へ。無事でありますようにと、願わずにはいられなかった。

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