第七話『ごめんね、守れなくて』⑤


  5


 気配を肌で感じた瞬間。既に沙希は銃撃していた。マガジンはもう替えてる。異物殺傷専用弾。

 だが天星は張られた結界の外側にいた。弾む透明な壁が、天星に届くすれすれで銃弾を押し留める。

「姫沼沙希。君は本当に油断ならないね。そんなに私が憎いかい? 一応、恩人のつもりではあるんだけれどね」

「ありがた迷惑以下だよ、クソ救世主気取り」

 余裕綽々で笑みを浮かべる天星と睨み合う。

 瞬時。散弾が降り注ぐ。天星に向かって。

 未来介入。成功した。天星の干渉を受けつつも、五秒ほどで。

 だがやはり結界に阻まれ、外にいる天星には届かない。かと、思われた。

「……ほう。この短期間で、ここまで異能を研ぎ澄ましたのか。やっぱり君は、興味深いね。――君達は、というべきか」

 天星が着ているローブの袖と裾を持ち上げる。散弾が撃ち抜いた弾痕が袖に残っていた。そして裾は、側面が食い破られている。

 隣を見る。えながが右手を蛇の顔に模して構えている。彼女の傍で、小さな蛇足が三匹飛び交っていた。

 ――彼女も。結界に干渉してすり抜けたのだ。僅か、天星の衣服を痛めた程度だったが、大きな一歩だ。

 結界を破れる。つまり諦めなければ、こいつを殺せる。確信が、沙希を奮い立たせた。

「續……」

「お前、何してんだよコラ。対策部隊の犬にでもなったのか? 政府の犬の犬じゃ、子犬だぞ」

「……透子。七竈。やあ。久しぶり、らしいね。犬は向こうであってこっちは飼い主だよ。いや、その飼い主も支配してる側かな。何にせよ楽じゃないね」

 透子と七竈が沙希たちを庇うように前に出て、天星に呼びかける。しかし天星は相変わらず得体の知れない笑みを浮かべたままだ。

 十九年ぶりの生身での再会。透子と七竈でさえ気が揺らいでいるのを感じるが、天星の感情は一切読み取れない。

 ここまで感情を感じられない奴は初めてだ。初めて遭遇した京都の時もそうだが、こいつは本当に人間か? 沙希は疑わしくなるが、今はそれをどうでもいい。

 コッキングしたショットガンを放つ。三秒。現れた散弾が天星の間近に飛ぶ。

 が、結界に防がれた。結界外までは沙希の未来介入をも通さないみたいだ。

 しかし。細かい散弾の内、僅かな粒。それが天星の肩の辺りを掠めて飛んで行った。

「蛇足、嚙み破れッ!」

 えながが蛇の形に構えた両手を突き出す。目にも留まらぬ速度、蛇足三匹一斉に飛び出す。小さい分だけ速度が出せる。

 結界にぶつかる。ぐにょん、と撓む結界。二匹は破れなかったが、一匹は外まで抜けた。

 そのままのローブの袖を噛みちぎる。だが次の瞬間には、結界の内に蛇足が戻されていた。結界も元通り。やはり一瞬。沙希の場合は僅かな弾の粒しか結界外まで届かない。

「問題。日が暮れた頃に、おじいちゃんがしそうなアクティビティは何かしら」

「バンジージャンプ。晩じぃ、だね」

「日記を書いてそうな大きな『小さい昆虫』は?」

「アリ。大アリー、ということだろ?」

 芳翠の思考の隙間を作る異能にも、天星は瞬時に回答して隙が出来ない。そもそも思考を阻害できていないのだろう。天星がこちらを見る眼差しは問題中も、まったく隙がない。

「空気拳、五十連発ゥッ!」

 朱里が幾度も拳を突き出し空気を打ち出す。飛ぶ拳撃は結界を何度もうねらせるも、結界の外の天星まで当たらなかった。

「矛盾、矛先」

「次剣、百突き」

 薙刀を構えた透子。刀を抜き突進した七竈が同時に天星に向かって突っ込む。

 が、その刃も天星を捉えない。透子の振るった刃も、止まって見えるほど素早い七竈の突きも。結界が阻む。

 天星は微塵も動かず表情も変えず、ただそれを見守るような眼差しで眺めていた。その余裕が、ひたすら腹立たしい。

「無駄だね。君たちの異能じゃこの結界は通れない。ちなみにこれは私のコピーした異能ですらないよ。それにも歯が立たないみたいだね」

「はぁ……ッ、無駄な煽りどうも……っ。で、お前は? 結界の外から高みの見物しか出来ないってわけか?」

「もちろん。私からも攻めさせてもらうよ。こちらはこの程度の結界くらいなら、通り抜けられる」

 七竈に言われて、天星が答える。そして彼女は静かに持ち上げた手をゆっくり握りしめた。

 警戒を強める。そんな沙希の足に、妙な違和感が襲う。

 右足を見る。黒い手が地面から現れて沙希の足首を掴んでいた。

 ぐぷん、と。右足が地面へと引きずり込まれた。手が引っ込んだ先は黒い沼のようなものが波紋を立てている。全身引っ張り込まれたらどうなるのか。見当もつかない。天星の異能か。

 沙希はすかさず右足を掴んでいる手を拳銃で撃った。三発。捉えたのか、手が沙希を離した。慌てて引き抜くと、黒い沼が影のように消えた。

「こちらの狙いが、姫沼沙希と九十九えながなのは気づいているだろう? もらうよ、彼女たちは」

「簡単に言ってくれちゃって。失敗したけど、今?」

「今のはちょっとした挨拶さ。次は少し、本気を出そうかな」

 沙希が煽ると、天星はにこりとしたまま両手の指を組んでぎゅっと握りこんだ。

 三秒先。ノイズまみれの未来を何とか覗く。そして見た。やばい。

「えながッ!」

 かろうじて叫んで、沙希はその場から跳び退ける。

「蛇足、私を飛ばせッ!」

 反応してくれたえながが大きな蛇足に飛んできてもらいその尻尾を掴んで飛び立つ。

 すぐさま。沙希たちがいたところの空気が歪み、包み込むような透明な円が現れる。あれに捕まっていたら中に閉じ込められ、さっきの手で地面に引きずり込まれていたのだろう。ギリギリだった。

「まだ来る! 逃げ続けてッ!」

 バク転して沙希は更に跳び退く。えながも蛇足をうねらせて宙を舞う。透明なドームがいくつも現れ、沙希たちを捕まえようと追いかけてくる。

(やば、速い……ッ)

 どんどんドームが出てくる速度が速くなる。避け切れない。一人では。

「沙希ッ!」

「えなが!」

 同時に呼ぶ。

 沙希の未来介入した手がえながの手を掴み、更に高く彼女を跳躍させる。

 来てくれた蛇足が、沙希を乗せて飛び立ってくれる。何とか速くなるドームから逃げ出せた。

 だがまだだ。沙希は更に介入。えながは蛇足を蛇行させて飛び回る。いくつも現れる沙希の手がえながを高みへ飛ばす。何とか避けられる。

 しかしダメだ。速すぎる。避け切れない。捕まる。最悪な未来が迫る。

「矛盾、矛先払い」

「次剣、三十枚卸し」

 透子と七竈が飛び込む。振るった薙刀と刀。連続で現れ続ける透明なドームを、一気に薙ぎ払った。これから現れるドームをも、時間差の斬撃で斬った。

 ドームの追撃が止む。

「ようやく目で追えた。とんでもないことしてくれるね、續」

「うちの生徒に手ェ出したからには、ただじゃおかねえぞお前」

 透子と七竈は見下ろしている天星を睨んだ。天星は、あくまで笑みを絶やさない。

「そっちは防戦一択だね。このままじゃ私にじりじりと削られていく一方だよ。さあ、どうする」

「こうするに決まってんだろ、バカが」

 沙希はショットガンを撃つ。未来へ。三秒後、天星の目の前で散弾が爆ぜる。

 今度はもっと大きく飛び散った銃弾の一部が結界を抜けた。天星の肩を掠る。

 服だけでなく身体をも捉えたはずだ。しかし彼女の身体から血が滲まない。

 怪我も負わせられないのか。もしくは本当に人間じゃないのかこいつは。焦る。このままじゃ本当に防戦一方だ。

「蛇足、食い破れッ!」

 えながが叫ぶ。龍のように大きくなった蛇足三秒。天星に向かって突っ込む。

 結界にぶち当たっても、蛇足は牙を剥いたまま突進する。

 ミシシッ、と音がした。結界が軋んでいる。そして一匹が結界を突き抜けた。結界に穴が空いた。行ける。

「蛇足ッ! 噛み千切れッ!」

 天星に向かって蛇足が大きく口を開ける。初めて、天星が身体を翻してそれを避けた。

 このまま蛇足であいつを喰らえば終わりだ。勝機。そう思った。

 だが天星に牙が喰い込もうとした瞬間、弾かれた。あいつの何らかの異能でガードされた。

「ぐっ……!」

 えながが呻く。見ると彼女の右手に大きく裂傷が出来ていた。慌てて沙希はハンカチをあてがう。

「大丈夫!?」

「平気じゃ。それより沙希」

「うん。もうかましてやった」

 ショットガン。放っている。えながが空けてくれた結界の隙間から。すぐ塞がってしまったが、未来介入が通った手応えがあった。

 しかもさっきより介入出来る秒数が増えた。確実にこちらの異能は磨きが掛かっている。えながとの共鳴が、更に高まって力を強くしてくれているのだ。

 五秒。だが散弾が現れない。しくじった、わけがない。絶対に当たった。間違いない。

「姫沼沙希。この前のことから何も学ばなかったのかな。だとしたら期待外れだよ」

 天星の笑みが深くなった。初めて見せた、彼女の感情らしい感情。優越感。……腹立つ表情だ。

「未来は複雑に絡み合っていると言っただろう。面と面でぶつかり合った一秒一秒、辿り着く結末はいくつもある。私はその中から都合のいい結末を選べるんだよ。もう一度説明させないでくれないか。手間がかかるね」

 天星が言い切った時だった。

 散弾が彼女のすぐ傍で炸裂した。真正面。顔面にも入った。ぐるん、とその身体が反動で回転する。無重力状態のように。

「……驚いたね。これは本気の賛辞だ。まさか私の未来改変を、かいくぐるとは」

 ぴたりと頭が上の位置で止まった天星が喋る。彼女の笑みは更に深い。

 顔にはいくつか穴が空いていた。額、頬まで散弾の跡。血が溢れる。穴が空いたローブにも赤が滲み始めた。

(何こいつ……? 確かに当たってるけど、ノーダメージってこと……? これも異能の一つ……?)

 ガードされたわけでもない。でも奴は沙希の散弾が当たったのを意に介した様子もない。当たったけど当たっていないような、気持ち悪さ。何なんだこいつは。

「少し君たちを舐めすぎたね。私も結構本気になろうか」

 天星が穴の空いた掌をくるりと反転させる。先を見た沙希は叫ぶ。

「えなが、逃げてッ!」

 沙希とえながは同時に飛び退く。瞬時、散弾。降り注ぐ。さっき沙希が撃った、撃ち終わったはずの銃弾。

「まだ来る! やばい!」

 介入した沙希の両手が、えながの足場になって彼女を高く跳躍させる。そして沙希の方は蛇足が捕まえてくれて高く跳んだ。

 散弾の雨。沙希が撃ち終わったはずの銃弾を、天星がいくつも召喚している。これも未来改変の一つか。考えたいがかわすので手いっぱいだ。

「えなが!」

 介入した沙希の手で何とか散弾を避け続けていたえながに、沙希自身の手を伸ばす。彼女はしっかりそれを掴んで、沙希と同じく蛇足の背に跨った。蛇足はすさまじい速度で飛び回り、襲い来る散弾を回避する。

「右、上、下! 正面から! 高く飛んで!」

 沙希の指示を的確に汲んでえながが蛇足を操る。散弾の雨は止まない。当然異能専用弾。掠るだけでもやばい。まさかこんな隠し玉を持っていたとは、天星め。

「ほう。これもかわし切るか。でも、油断大敵だよ。私は別の異能も使える」

 天星の声。銃撃が止む。途端見えた、ノイズまみれの未来。

 速すぎる。一秒より更に。反応しきれない。

「えなが……ッ!」

 彼女の肩を押す。せめて彼女だけでも。だがそれは叶わない。

 透明なドームが沙希とえながを包みこんだ。そこに囚われた瞬間、身動きが一切取れなくなる。意識だけがある。まるで糸を切られた操り人形だ。かろうじて瞬きと、呼吸だけ許された。

「ゲームセット。私の勝ちだね。案外、あっさりで残念だよ」

「――まだ九回表だぞ、バカが。こっちが攻める番だ」

 七竈の声だ。沙希は未来に意識を向ける。ノイズまみれだが、俯瞰的にこの後起こることを捉えられた。

「破り壊せッ!」

 蒼だった。意識を取り戻したのだ。彼女は結界に触れて叫ぶ。

 結界にヒビが入った。途端、一気にそれは瓦礫の如く割れ、崩れていく。

「まさか。何という」

 呆気に取られた天星。初めて見せた動揺。

 その隙をついて、芳翠がその足元に潜り込んでる。

「宇宙とは、何かしら」

 天星の目が見開かれる。数億、数兆、それ以上の情報が彼女の頭を過ったのだろう。さすがに隙が出来た。

 跳び上がったのは、朱里だ。彼女は拳を大きく振りかぶる。天星に向かって。

「ディープインパクトマッスルパンチィッ!!」

 直接天星を殴り付けた。天星は吹き飛び、霧を晴らしながら天国の扉の建物に叩きつけられる。

 数秒して、その未来が訪れた。沙希たちの身体は自由を取り戻し、地面に共に着地する。

 霧が晴れた天国の扉の方を見ると。地面に倒れ込んだ天星に、透子と七竈がお互いの刃を向けていた。

「動くなよ、終わりだ、續」

「私たちの生徒に手を出したからね。本当に首を落とすよ、續」

 旧友を見下ろす二人の声色は本気だった。天星が妙な動きをしたら容赦なく刃を振るうだろう。

 ぶち当たった天国の扉の壁にもたれて座り込む天星は、項垂れたまま、ふっと笑みをこぼす。

「……まさか結界を破られるなんてね。それもあの二人以外の生徒に。正直見くびっていたよ。ここまでやるとはね」

「当たり前でしょ。今の子供たちはすごいんだよ。私たちの世代より、ずっと立派だし、偉いし、すごいの」

「沙希たちが引き付けてくれて、蒼が結界を中和する隙がいくらでもあったからな。私らはとっくに超えられてんだよ、次の世代に。お前もこんな前線でとんでもねぇことしてねぇで、若い世代を育てる側に回るべきだったな」

 透子と七竈に言われて、天星はふっと気が抜けたように笑い声を上げた気がした。

「……そうかもね。でも、遅いよ。何もかもが遅すぎたし、それは私の役目じゃなかった」

 ……何勝手に、穏やかなムード作ってんだよ。お前。

 沙希は駆け出している。そして素早く天星の正面に行くと、拳銃の銃口をぴったり彼女の額にあてがった。この距離なら外さない。未来介入を使うまでもない。

 確実に殺せる。こいつを。

「おい、姫沼! 何やってんだ!」

「沙希、落ち着いて。こいつはもう抵抗しないよ」

「ダメでしょ先生。何、こいつを生け捕りにしようとしてんの。殺さなきゃでしょ、ここで」

 呼吸も鼓動も凪いでいる。ただ純粋に研ぎ澄まされた、目の前の対象への殺意。それだけが沙希を満たしている。

 目の前のこいつは。天星は、邪悪だ。ここで殺さなければ。人が大勢死ぬ。私たちのような異能者も死ぬ。世界が壊れる。それは感覚じゃなく、確信だ。

 殺す。絶対にここで、殺す。引き金に掛けた指に力を込める。

「沙希ッ!」

 えながの声。それだけが沙希のまっすぐな意識に飛び込んできた。

 拳銃を握る手に、手が重ねられる。小さなその両手は、えなが。こちらを覗き込んだ彼女の目は、ただ心配そうにこちらを窺っていた。

「いいんじゃ。お主がそんな罪を背負う必要はない。こんなやつの命を、背負う必要なんかない。……お主は優しいから。きっと今引き金を引いたら一生苦しむ。私はそんなお主を、見たくないんじゃ。私のわがままを今だけ、聞いてくれぬか……?」

 どこまでも優しい声。手が震える。銃身がぶれて照準が定まらない。研ぎ澄まされていたはずの殺意に、迷いが混じる。

 大きく息を吸って、吐いて。沙希はようやく強張る手を下ろした。

「……ありがとう。いい子じゃ、沙希。後でいっぱいお菓子をやろう」

「……子供じゃないんだからさ。もう、あんたのそういうとこ。……すごく好き」

 不格好な表情になったけれど、何とか笑えた。えながはちゃんと慈悲深く笑い返してくれる。それだけで、肩の力が抜けていく。いつもの姫沼沙希に、戻って行けた。

 笑い声がした。沙希とえながじゃない。透子や七竈でも、三年生達でも豊橋のものでもなかった。

 天星だ。天星が肩を震わせて笑っている。

「……何が可笑しいんだよ、お前」

「くっくっくっ……いや。パートナーの優しさに救われたね、姫沼沙希。引き金を引いてたら、きっともっと楽しいことになっただろうに」

 睨む沙希を意に介さず、天星は笑い続ける。

 不気味なその様子に、嫌な予感が肌を駆けずった。未来視。天星のせいでノイズまみれだが、何とか捉えた五秒先。

「みんな後ろに逃げてッ! 今すぐッ!!」

 叫ぶ。天星の周辺にいた透子、七竈が跳び退く。そして沙希はえながの手を引いてバックステップした。

 座り込んでいた天星の身体が大きく仰け反り、発光した。破裂、爆発。爆風と熱と光が、沙希たちに迫りくる。

(速いッ、範囲広ッ……! 逃げ切れなッ……!)

 予想以上の爆発。呑み込まれる。

「蛇足ッ! 引っ張り上げろッ!!」

 えながが叫ぶ。蛇足が尻尾で沙希たちを束にして捉え、そのまま飛び立つ。それで爆風からギリギリ免れた。やばかった。髪の先が焦げた気がする。一瞬でもえながの判断が遅かったら巻き込まれていた。

「九回裏は終わったよ。君たちの抗戦は、何の意味も為してなかった。人形遊びは楽しかったかい?」

 地面に着地した沙希たちに降り注ぐ声。

 天星。先ほどと同じように宙に浮いたまま彼女は、何も変わらぬ佇まいで薄笑いを浮かべながらこちらを見下ろしている。

 先ほど天星が座り込んでいた壁際を見る。爆心地。人の形の焦げ跡と、血だまりが広がっている。

 幻術の異能。だが、実体があった。誰かが天星の身代わりにされていたのだ。

 今まで沙希たちが見ていた天星は、全部幻だった。幻を、相手にさせられていた。未来視を防がれていたのはこのためか。

(……この感じ。天星にさせられていた人は、異能者……?)

 天星の身代わりだったのは異能者だった。おそらく操術の異能で人形の如く操られていた。

 今まで感じたところ、天星は一つのコピーした異能しか発現出来ていなかったように思える。ということは。

 幻術自体は操られた異能適合者の人自体の異能。操ったのは天星自体のコピー異能。

 殺意。殺意。殺意。今度は激情と共に沙希の中にどろりと沸き立つ、その感情。

(こいつ、同じ異能者を道具として使い捨てやがった……ッ)

 仲間じゃなかったのか。この世界から救うべき同胞じゃなかったのか。お前は。

「筋くらい通せよバカ野郎がッ……!!」

 撃ち放つ。拳銃。全弾放火。

 だが天星は避けようともしない。防ごうともしない。甘んじて沙希の銃弾を身体に受けた。

 仰け反りもせず、銃弾はただ彼女の身体を通り抜けたかのようだ。だがちゃんと当たっていた。

 弾痕が顔から体まで、天星に穿たれている。だが血も流れない。

 ただ穴が空いている。そこに虚無が広がるような暗い闇が広がっている。

 こいつ、人間か。初めて沙希は、目の前の存在に対する未知という恐怖を抱いた。

「筋ね。それなら通しているよ。異能が頂点、それ以外の者は隷属される世界のため。でも、多少の犠牲はどちらにもやむを得ない。それが戦争だよ。だろう?」

「お前がッ、それを言うなッ……! お前を信じてる人たちに、何とも思わないのか……! ふざけんなよッ!」

「もちろん思うところもあるよ。でも、私は神じゃない。全ては救えないよ」

「だからッ……!」

 今犠牲にした人だって、する必要なんてなかった。こいつはただこちらとの戯れ程度で、同じ異能者を殺したのだ。

 沙希に、殺させようとしたのだ。それが震えるほど、腹立たしい。殺してやりたい。

「沙希、無駄じゃ。こいつに沙希の言葉は通じとらん。……化け物じゃ、こいつは」

 えながが肩に手を置いてヒートアップした沙希を止めてくれる。天星を見上げる彼女の目。そこにも僅かな動揺と、恐怖が見て取れた。

 化け物。今まで散々自分たちが投げつけかけられた言葉。でもその言葉は今、目の前で対峙しているこいつにこそふさわしい気がしてきた。

 天星は、化け物だ。こちらの信念や想い、言葉は。彼女の毛先にも届かない。改めて沙希は、それをわからされた。

「……化け物ね。確かに君たちからしたら、私はそうかもしれないね。それより、いいのかい? 悠長なことをしていて」

「……は?」

「街に向かわせた子たちがいたろう? その子たちの元にも、同じように刺客と異能部隊を送り込んでおいたよ。早く行ってあげないと、手遅れになるんじゃないかな」

 他人事みたいに、温度を感じさせない声色で天星が言う。沙希ははっとなる。

「桃色……! 智尋くん……!」

 そして高目真凛と、シスター・ゴリラの二年生組も。危機に晒されている。ブラフではない、と経験上分かった。

 こいつは桃色たちを本気で殺す気だ。助けに行かないと。

 もう目の前で誰かが死ぬのは。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

「まあもちろん、私が黙って行かせるわけがないんだけれどね。頑張って」

 天星が両手を合わせようとする。またこちらを捉えるドームを展開する気か。沙希とえながは構えた。

「矛先、貫き通せ」

 天星の身体を、薙刀が貫いた。透子が振り投げたのだ。

 影が跳び上がる。刀を抜いた七竈だった。

「次剣、三十枚卸し」

 切っ先が光るのだけ見えた。途端、天星の両手が細切れになってばらけ落ちていく。だがやはり、血は吹き出なかった。ただ崩れ落ちただけという感じだ。

「同じ轍は踏むかよ」

「今は幻術じゃなくて本体だよね。私たちの生徒に、もう手は出させないよ」

「ふむ。いいね。私は君たちのことも見くびっていたみたいだ。じゃあもう少し──遊ぼうか」

 一瞬。もう天星の両手は復活していた。幻術? いや異能を使った気配はしなかった。

 握り合わせられる手と手。透明なドームが連続で発現する。透子と七竈はそれを避け続けている。

 沙希はえながと目を合わせて、加勢しようと足を踏み出す。

 が、止められた。芳翠の差し出された腕に。

「あなた方はご友人の元へ行きなさい」

「ここはあたしらに任せろッ! 正義の鉄槌を奴に下すッ!」

「いや、やばくない? あいつ人間じゃないんですけど。……はぁ。マジで死ぬかもねこれ」

 芳翠の周りに集まった朱里と蒼も、天星を睨みつけている。三人はここに残る気なのだ。

「先輩⁉ ダメです! この後ここがどうなるかも……ッ」

「それなら尚のこと、でしょう。ここであなた方を失うわけにはいかないの。私たちは、生徒会だから」

「この学び舎には世話になった。体育祭も学園祭も楽しかったしなッ。これ以上踏み荒らされてたまるかッ」

「……はぁ。本当は死ぬ前に逃げたかったんだけど。芳翠と朱里がその気なら、やるしかないか」

 学園を守るために。沙希たちをジョーカーとして残しておくために。彼女たちは自分たちを犠牲にしようとしている。

 違う。そんなことは、求めていない。求めていない、のに。

「──いいえ。あなた方も生きなさい。生徒がいるから、学園なのです。伽藍堂の校舎など、もはや学園ではない。生徒が生きてさえいれば、そこが学園、そこが教室なのです」

 そんな三人を突き飛ばしたのは、豊橋だった。

 そして彼女の前に、透明な膜が降りていくのが見えた。結界。異能の匂い。

 そうか。彼女もまた、結界を使う異能者だったのだ。

「お前ら! 潜伏場所はデバイスに送ってある! そこまで絶対逃げ延びろ!」

 七竈が天星の攻撃を避けながら叫んだ。彼女もまた、沙希たち生徒を生かすためにここで死ぬ気だ。

 かと、思えば。

「生徒には、引率が必要でしょ。あなたも行って、七竈」

 透子が七竈を蹴飛ばす。結界の隙間を縫うようにして、七竈が沙希たちのところに転がり込んできた。

 慌てて立ち上がった七竈が張られた結界を叩く。だがそれは分厚い壁のようにびくともしなかった。

「おい透子ッ! お前ッ! ここで死ぬ気かよッ⁉ 一生傍にいるんじゃなかったのかッ⁉」

 七竈は刀を結界に叩きつける。それでも結界は無慈悲に阻み続ける。

 地面に着地して、一瞬七竈の方を向いた透子は。優しく微笑んだ。

「──ごめんね、約束、守れなくて」

「ふざけんなッ!! 私を一人に、すんじゃねえよ……っ」

 結界を叩いて、七竈が声を絞り出した。沙希たちに掛ける言葉はなかった。

 どうしたらいいかわからないのに、どうすべきかはわかっている。それが痛いほど、わかり切っていたから。

「お行きなさい、七竈。生徒たちを死守。ここは私たちが守ります。命に代えても」

 結界の傍に立つ豊橋が言う。彼女もまた、穏やかな笑みを見せていた。

 七竈の逡巡は、ほんの一瞬だった。顔を上げてこちらを見た彼女は、もう教師の顔に戻っていた。

「……お前ら、行くぞ。絶対離れんな。宝石月、神木。高目、シスター・ゴリラ。二組と合流すっぞ」

 走る七竈に、迷いながらも沙希たちは続いた。

 天国の扉の建物の陰に入る前。一瞬、沙希は天星たちの方を見た。透子に攻められ、攻め続けながらも奴は。

 しっかり沙希とえながから、視線を外していない。ぎょっとする。まるでまだその手から逃れ切れていないような、違和感。

「沙希。私から離れるなよ」

 ぎゅっと手を握られて我に返る。えながが寄り添ってくれていた。

 軽く持ち上げられたマンホールの蓋が開けられている。深い闇。ここが外に通じる出口になっているようだ。

「一緒に飛び込むぞ。蛇足に受け止めてもらう」

「うん。……えながは、一緒にいてくれる、よね」

 思わず聞いてしまう。えながは少し間を置いて、「もちろんじゃ」と答えた。その声は少し、強張っていた。

 手を繋いだまま、順番にその穴へと身を投じた。

 学園を後にする。

 もう二度と、この学園で過ごした日々は戻ってこない。今更そんな実感が、冷たく胸を刺した。

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