第七話『ごめんね、守れなくて』③

  3 ~戦闘前線:宝石月桃色、神木智尋~


 桃色は構える。

 右肘を大きく後ろに引き、拳を振り上げる。強張った指、震える手。

「……ごめんなさい」

 一瞬ためらって、そう言って唇を噛み締めて。桃色は拳を前に突き出す。

 Mrs.の巨大な腕が振り下ろされる。地面に倒れこんで、もう虫の息だった、異能発症者を。拳が叩き潰した。

 ふぅ、と息をつく。重く肩にのしかかるものを感じて、その場でうずくまりたくなる。

 発症者はまだ異物になっていなかった。人の姿をしていた。それでも破壊衝動に呑まれ、人を殺した。街を壊した。手遅れだった。

 だから、殺した。桃色の立つ周りにも、ひっくり返った車たち、捲れ上がった歩道。半壊したビルなど、彼、彼女らが暴走した爪痕が残っていた。

 そして、遺体。五体満足で綺麗に残っている人はいない。見るに堪えない、凄惨な現場。

 血、腕、足、上半身、下半身。臓物。人だったものがあちこち。暑さの中でむせ返るような血と動物的な匂いが思い出したように漂って来て吐き気がした。

 腕を引く。Mrs.の腕が消える。同期接続していたから、柔らかい果実を潰したような不快な感触が手に伝わっていた。

 Mrs.が腕を振り下ろした後。血飛沫が広がっていて、潰れた人の形がそこにいた。……震えそうになる手を、桃色は必死に抑える。

 慣れない。多分一生、この感覚は。

「桃色。大丈夫」

 よろけた肩を受け止めてくれる腕がある。智尋だった。

 彼女は桃色の肩を抱き、優しく微笑みかけてくれる。その頬に、血がついていた。桃色は慌てて取り出したハンカチで彼女の頬を拭く。

「智尋こそ大丈夫⁉ ケガとか……」

「してないよ。返り血。こっちも終わった。発症者はもういないみたいだね。周りの人たちの避難も、警察の人たちがしてくれた」

 言って智尋は、その場で両手を合わせて目を閉じる。この場の死を、悼む仕草。

 桃色もその隣で倣った。

 今回はあまりにも被害が大きすぎる。あの交差点での事件以来、いやそれ以上だ。東京のあちこちで発症者が出ている。こうしている間も、誰かが殺されて街が壊されていく。

(……これも全部、あの天星ってやつの仕業……?)

 そうに違いないのだろう。明らかな陽動。学園から、戦力を分散させるための。

 今頃学園には、天星本人がやってきているのだろうか。絶対にぶつかり合っているだろう。

 沙希とえながが。東京校のみんなが、こんなことを巻き起こした人の仲間になるとは思えない。

 ……みんな、無事だろうか。心配になる。

「智尋。一旦みんなと連絡をとろう。たぶん大丈夫だと思うけど」

「うん、そうだね」

 腕のデバイスで、桃色と智尋は沙希に連絡を取ろうとする。

 が、繋がらない。二人ともだ。こちら側はオンラインなので、向こう側が繋がっていないということになる。

(通信妨害……? 学園側だけ? 高目先輩とゴリラ先輩は……)

 学園側の誰とも連絡が付かない。真凛とシスターはコール音は鳴るものの、二人とも応答しなかった。

 これも天星の仕業なのか。真凛とシスターも無事なのか。不穏な予感が、胸を打つ。

「桃色。一旦、高目先輩たちと合流しよう。嫌な予感がする。異能を発症した人たちの現場には、二人と合流した後……」

 智尋の言葉が途中で切れる。

 風を感じた。こちらに何か向かってくる。お互い別々の方向へと飛び退いた。

 今いた場所に何かが突っ込んだ。轟音と、土埃が辺りに飛び散る。見えなかった。見えない何かが、アスファルトの道路を陥没させた。

 桃色は腕を振って、Mrs.の大きな手で土埃を振り払わせる。そして、何かが飛んできた方を見た。

 学習塾が最上階の、四階建てのビルの上。誰かが二人立って、こちらを見下ろしていた。距離が離れている。

 ショートヘアとロングヘアの少女二人組だ。二人とも前髪の左右逆に青いメッシュを入れて、まったく同じ顔をしている。双子だ。着ている制服は、異能学園のベストとスカートだった。

 ショートヘアの方が拡声器を口元に持ってくる。

「宝石月桃色。と、何だっけ。何とか智尋? よく今の避けれたね。動画映えもばっちりだったよ」

「すごいじゃん。やるじゃん。やっぱ東京校の奴らってすげーなぁ」

 ロングヘアの方も同じ声で拡声器を使う。彼女の方はスマホを構えている。その望遠の方のレンズは、桃色たちのことを捉えているみたいだった。

「今ね、絶賛生配信中! すげぇよ、同時接続数一万超えた。こんなん初めて」

「あたしらチャンネル登録数、三百くらいだったんだよね。同時接続数なんて、五十人行けばいい方。でも今、すげぇよ。登録数は千超えたし。やっぱみんな、刺激求めてんだね」

「今のであんたらが死んでくれたら面白かったけど、それじゃあっけなさ過ぎてダメか。逆にコメント欄も盛り上がってる。ありがとー!」

 能天気な二つの声が交互にこっちに響いてくる。

 何だ、こいつら。桃色と智尋は構えを解かない。

 同じ異能学園の生徒ではあるが、敵意があるのは明らかだ。さっきの一撃はこちらを殺す気だった。あれは異能だ。何をしてくるのか、油断ならない。

「じゃあそろそろ視聴者も退屈するだろうから、次のイベント行っとこうかぁ」

「ほい、じゃあ次の主役の方々ぁ。ご登場願いまーす」

 ショートヘアの方が奥に引っ込んで戻ってくる。

 彼女が引っ張って来たのは、Tシャツ姿の男性だった。跪いた彼は両手を拘束され、猿轡と目隠しをされている。呻きもがいているのがわかった。生きている。

 ロングヘアの方も、スーツ姿の女性を連れてくる。そうやって二人は四人ほど、同じ拘束をした人を並べる。みんな身じろぎして、生きているのはわかる。圧倒的な恐怖が、そこから感じ取れた。

(こいつら、何する気……?)

 人質だろうか。だとしたら迂闊に動けない。そう思って身を固くしていたら。

 ショートヘアの方が、拡声器で割れた声を響かせる。

「コメント欄のみんな賭けてー? こいつらを宝石月桃色たちは、助けることが出来るでしょーかー?」

 二人は同時に、拘束した人の背中を蹴飛ばした。落下する。四階から真っ逆さまに。

 桃色と智尋は駆ける。Mrs.の両腕を出したが、距離がありすぎる。届かない。

 智尋もバルーンの欠片をいくつも指に挟んでいた。すぐ飛ばして復元できるように。だけど。

 落ちる速度が速すぎる。間に合わない。わかっていた。でも宙を落下する四人は、ひどくゆっくりな動きに桃色には感じられた。

 遅い。遅い。遅い。自分たちの足が。必死に手を伸ばし、Mrs.の腕を伸ばす。智尋も必死にバルーンの欠片を投げた。

 鈍い音がした。粘着質な水音がした。重い果実が潰れたような音。

 桃色たちの目の前で。落とされた四人は地面に叩きつけられ、潰された。頭が割れ、手、足は折れてあらぬ方向を向き、飛び散った血に更に血が上塗りされていく。

 四人の遺体の前で桃色たちは立ち尽くす。悲しいとかふがいなさとかより。虚無が身体に重くのしかかるようだった。血とぶちまけられた臓物の匂い。頭がくらくらする。

「ざーんねん。救出チャレンジしっぱーい。所詮みんなのネットヒーローも、その程度だったってことだねぇ」

「チャンネル登録者、六十万人が泣いてるよぉ? 僕たち私たち、こんな情けないやつのファンだったんだぁなんて」

 近くで声がした。いつの間にか双子が降りてきていて、こちらに歩み寄りながら嘲笑ってくる。

 構えられたスマホのレンズ。それを睨む桃色はきっと、配信では映せない顔をしていた。

「……何でこんなことするの。この人たち、何も悪くないでしょ」

「はぁ? 何言ってんの? 元々こいつらが悪いんでしょぉ?」

 桃色の問いに。ロングヘアの方が吐き捨てるように言って、実際に唾を遺体に吐き捨てた。

「あたしらのこと、檻に閉じ込めて、差別して。勝手に命賭けさせて」

「自分たちは見ないふり。自由に出歩いて人生謳歌。あたしらは一生、そんな事できないのに」

 二人は揃って笑い出した。耳に鋭く響くような不快な笑い声だった。

「だから今度は、あたしたちがこいつらの自由を奪うの。生殺与奪の権も、全部あたしたちのもの」

「天星様が自由にしてくれたからね。異能者最強の世界を作る。邪魔するなら、お前らも殺しちゃうよーん?」

「っ……!」

 桃色は口を開きかけたが、咄嗟に言葉が出なかった。

 ただ特殊な力に目覚めただけの自分たちは隔離され、他の人は自由気ままに生きられる。こちらは一生、敷かれたレールの上を転がされる。

 彼女たちの話す、その孤独感を、虚しさを。桃色もわかるから、言葉に詰まる。

 あるいは、天星は間違っていないのかもしれない。異能者が自由になれる世界。桃色だって、羨ましくないわけじゃない。

 でもそのために誰かの命を奪い続けるのは、正しいのか。

 ……わからない。

 迷う桃色と、嘲笑い続ける双子の間に。智尋が割って入る。

 彼女の背中。刺すような刃じみた怒りを、桃色は感じ取る。

「……確かに君たちは、正しいのかもしれない。異能者だって自由であるべき。その考えは、共感できるよ」

 でもね。と智尋は彼女らに一歩踏み出す。

「このやり方は間違ってる。殺して、奪って。それで例え自由になれたとしても、一生その奪い合いだよ。人は、愚かだから。一度殺し合ったら、もうそのループから逃れられない」

「はぁ? じゃあどうするわけ? 一生檻ん中のパンダでいろってこと? 嫌に決まってるじゃん。代案もなしに批判とか、猿でも出来ますけどぉ?」

「……そうだね。ボクも正直、どうしたらいいかは見当もつかない。でもとりあえず――君たちは止める」

 ちらりと一瞬智尋が、桃色を振り返る。彼女は笑っていた。怒っていた。迷っていた。桃色の心臓が、ぎゅっと切なく脈打つ。

「止めるって、どうすんのー? 殺す? それじゃあたしらと変わんないじゃん。ぎゃははっ」

「所詮あんたも同じ穴のムジナじゃん? 彼女にも、それ背負わせちゃうわけー?」

「いや、桃色はいいんだ。ボクが君たちを、殺す」

「ち、智尋……?」

 彼女の背中に手を伸ばそうとする。

 その前に、彼女の言葉が響いた。

「というか、もう始まってるよ? いや、もう終わるかな」

 双子がはっとなる。彼女たちを囲むようにして、複数の欠片が。ピンの抜けた手榴弾の形に修復した。

「Mrs.ッ!」

 咄嗟にMrs.の大きな手のひらを重ね合わせて、智尋を守る。

 爆発。連発。凄まじい風と音がこちらまで揺らがす。智尋は両手で耳を塞いでいた。桃色も、Mrs.の他の指が耳を守って鼓膜を守ってくれた。

「……智尋」

 爆風が止み、Mrs.の手をどける。智尋の背中が、どこか遠くに感じた。知らない彼女の感情を感じる。

 今のは本気で双子を殺すつもりだった。同じ異能適合者を、躊躇なく。

 心配だ。今すぐ彼女のその寂しげな背中を、抱きしめてあげたい。

 けど、まだだ。双子の気配が消えてない。

「あっぶねぇなぁ、おい。つまんない小細工使いやがって」

「スマホ壊れたらどうすんのぉ? 視聴者爆下がりじゃん。煙で何も見えないし、見せ場にもならないし。そういうの考えてよぉ」

 二つ声がした。さっきと同じ調子だ。桃色はMrs.の手で爆煙を払う。

 目の前に車がいくつも積み重なっている。中にいるであろう双子を守るよう曲線状に。防壁だ。いつの間に。

 明らかに双子、どちらかの異能だった。常に異能者はペア、どちらの力か判断しきれないのがネックすぎる。

 何せ桃色たちは。今まで同じ境遇の異能者ペアと戦ったことがない。そんな必要はなかった。今までは。

「ま、いっかぁ。カメラならあちこちに仕掛けてるし。どっかしらが、今の捉えてくれてるでしょ」

「あ、一花(いちか)見て見てっ。視聴者二万人になった! このまま十万、めざそっか! やっばぁ、登録者も増えてるよぉ」

「登録者も十万人目指しちゃおっか、双葉(ふたば)」

 車が。まるで吸い込まれるように浮き上がり、道路のあちこちにぽんと置かれる。ずしん、と鉄が地面にぶつかる音と振動が立て続け桃色たちを揺らす。

「しゃっきーん、登場。今の決まったねぇ」

「あ、どんどん同接増える増える。あたしたちもこれで銀盾確定かなぁ。くれる人、残ってないと思うけど。これからの世界では」

 一花、双葉とお互いを呼び合っていた彼女らが、決めポーズをしながら姿を見せた。余裕綽々。でもわかる。

 彼女らはまだ、こちらを殺す気だ。殺気がびりびりと、桃色にも伝わって手が震えそうになる。

(……この子たちと戦うの? 殺すの? 同じ異能者なのに? どうして……?)

 わからない。ずっと。桃色は迷い続けている。

 だが、彼女らから目を離さない、前にいる智尋の背中は。迷っていなかった。彼女もまた、一花と双葉を殺す気なのだ。

 何故なら、彼女たちが桃色を殺すつもりだから。智尋はこちらを守ろうとしている。

 もちろん智尋だって殺そうとしているのだろうけれど。桃色は彼女たちと対峙することに、まだ揺らいでいた。

「ねえねえ、宝石月桃色。これ見てみてよ」

「あんたが守ってきた人たち。今守ろうとしている人たち。これが現実ってやつだよ?」

 これサブのサブ機だからあげるよ、とロングヘアの双葉が持っていたスマホを放り投げてくる。

 キャッチしたのは桃色に届く前に手を出した智尋だった。彼女は画面を見て、一瞬顔を顰めた。それからすぐ、それを地面に叩きつけようとする。

 慌ててその手を掴んだ。

「待って智尋。何。何なの?」

「桃色は……見ない方がいい」

「見せて。お願い」

 智尋の手からスマホをひったくる。智尋はためらっていたが止めなかった。画面を見る。

 コメントが流れていた。たぶん一花と双葉が流している今の生配信を見ている人たちだ。

『殺せ! 殺し合え! 異能者ども! 化け物ども!』

『化け物どもの殺し合いに一般人巻き込んでんの? こいつらもう災害じゃん』

『警察早く何とかしろよ。こいつらさっさと殺せって』

『誰か死なないかなぁ。退屈になって来たよ』

『桃色ちゃんが死んだら、死体拾いに行こっかな。剝製にしよ』

 そんな文字が、桃色の心にどろりと注がれていくようだ。眩暈がした。吐き気がした。血の匂いより何より、この言葉たちに。

「みんな他人事でしょ? あたしらのことなんてどうなったっていいんだって、こいつらなんて」

「だからあたしたちだって、こいつらをどうしたってよくない? 何を必死こいて守ってんの? むなしいし、うざいよそういうの」

 一花と双葉がせせら笑う。

 わからない。わからないわからないわからない。桃色はその場でうずくまって頭を抱えたくなる。

 その肩を掴んでくれたのは、智尋だった。

「桃色。あいつらの言ってることは全部まやかしだ。耳を貸さなくていい。君は君を信じる自分を、信じていいんだ」

 ――ここにいて。すぐ終わらせてくる。智尋が笑って、一花と双葉に向かって歩き出す。

「何カッコつけてんだよ、智尋くぅん? カメラ映りとか気にしちゃうタイプ?」

「こっちももう始まってるよ? てか、終わるかも」

 ショートヘアの一花が上を指差す。

 桃色達の上、ビルの外壁が剥がれるようにして落ちてきた。

 ガラス、岩みたいなコンクリート。降り注ぐ。桃色に向けて。最初から彼女らはこっちを狙ってきてた。智尋の弱点と知っていたのだ。

「み、Mrs.……!」

 咄嗟に反応できない。外壁の塊が大きすぎてMrs.の手では防ぎきれない。どうしたら。

 智尋が飛び込んできた。桃色を抱きかかえたまま、自分が背中で着地するように。

 そして爆発音。コンクリートの塊が砕ける。ガラスの雨からは。

 突如現れた東屋の屋根が、桃色たちを守ってくれた。外壁の塊は爆発で粉々になったらしい。

 智尋の修復能力。コンクリートを砕いたダイナマイトも、この東屋も全部。いつもより異能のキレが増している。こんな連続で一瞬修復をこなすなんて。

 つまり彼女は、怒り狂ってる。

「……桃色、大丈夫?」

 背中で東屋の床に着地した彼女は腕の中の桃色を覗いて言う。頷いた。

 彼女は優しく微笑んで、座り込む桃色を東屋に残して出ていく。土埃舞う中。楽しげにポーズをする双子と対峙していた。

「今、桃色だけを狙ったね? どういう意味か、わかる?」

「なぁに、敵の弱点を付くのは戦術の基本でしょぉ?」

「彼女に手を出すなぁとか、またかっこつけんのぉ? 定番すぎて同接減っちゃうよー」

 下卑た笑いをする双子に、智尋は静かに言った。

「――死ね」

 双子の上に、タンクローリーが現れる。双子は咄嗟に左右に飛んだ。

 ガソリンをたっぷり背負ったそれが地面に叩きつけられる。爆風、熱波。だが桃色たちはそれを感じる程度。

 智尋が防壁の欠片を修復して、自分と桃色の周辺を守ったからだ。防壁は異能も、何物も通さない。

 ただしその分完全な修復は難しく、一回ですぐガラスが割れるように砕けてしまう。砂粒のように散ったそれは二度と復元できない。

 沙希たちが京都校で天星が防壁を破壊したときに回収してきたもの。一回きりの、彼女の奥の手。

「……さすがにしぶといか」

 智尋の背中が呟く。そして一瞬だけ桃色の方を向いて、笑った。

「桃色は別のところに。離れすぎなければ、異能は共鳴できるから。ここ終わったら、迎えに行くね」

「で、でも、智尋一人で……っ」

「……ごめんね、桃色。迷わせて。君はあの二人を殺せない。殺さなくていいんだ。ボクがやる。やりたいんだ。任せて。絶対迎えに行く」

 彼女はもう桃色の方を見ていない。炎が上げる黒煙の中で双子の気配を探っている。

 わかっていた。殺すつもりで向かってくる相手に躊躇する自分は今、智尋の足手まといなのだ。このままここにいても、彼女はこちらを守りながら戦うことになってしまう。ハンデにしかならない。それなら一人の方がずっとマシだ。

 迷う時間などなかった。桃色は彼女の背中に呼びかける。

「智尋、ごめん。……こんなことさせて、ごめんね」

 彼女の背中と反対方向に桃色は走り出す。

 殺せない。異物になりかけて手遅れになった人さえも手に掛けるのをためらう自分には。人である彼女たちは。

 もしこれで智尋が帰ってこなかったら。私は自分で死のう。これが見殺しなら、生きてる資格なんてない。

「彼女くん置いて、自分だけ逃げんのぉ? 思ったより薄情者だねぇ」

「桃色ちゃん、それもカメラで撮られてるよ? 一緒に死ぬとこも、撮ってあげる」

 すぐ傍から双子の声がした。姿は見えないのに、はっきりと。気配もある。でもいない。異能だ。

 急停止して構える。が、くすくすと笑い声が聴こえるだけで場所がわからない。どうする、と迷っていたら。

「桃色、伏せて」

 智尋の声。飛び込んでくる。桃色は頭を抱えて伏せた。

 鋭い音と振るう風。智尋が回転しながら桃色の上を跳ぶ。両手に剣を持ち、刃を振るう。ちらりとそれが見えた。

 そして飛び退いた双子が、急に姿を見せた。ワープというよりは、透明になっていたのが急に可視化できたみたいに。ぴんときた。

「言ったよね、桃色を狙うなって。一花の方は、透明化してさせる異能か。でも集中してないとすぐ解けちゃうみたいだね。で、双葉の方は、『再生と停止、逆再生』かな?」

 智尋が剣の切っ先を双子に向けながら言う。二人ともその言葉に動揺しているみたいだった。図星らしい。

 ショートカットの一花が、透明化。そしてロングヘアの双葉は、動画の操作みたいな力みたいだ。

 物質の時間を、戻し、停めて、動かす。さっき彼女たちを手榴弾から守った車の山が戻ったのも、桃色たちの上から狙ったタイミングでビルの外壁が降り注いだのもその異能か。車の山は、あらかじめ自分たちの前に積んであったのを一花が透明化して隠していたのだ。

「……で? わかったから何? あたしらの力って結構応用利くんだよ?」

「あんたらを殺すのに、多少のハンデくらい必要だよねぇ?」

 一花が双葉の傍に行き、彼女と掌をクラップする。二人の姿が消えた。

 車が。桃色たち目掛けて突っ込んでくる。こっちは双葉の再生だ。

 ここにぶつかっていた車を逆再生して、停止し、また再生して再現。運転手の姿はないから、人までは異能に巻き込めないらしい。

(このままじゃ、私のせいで智尋が死ぬ)

 突っ込んでくる車のフロントが、やけにゆっくり迫ってくるように感じた。智尋は屈んだ桃色を抱きかかえようと動き出している。それもゆっくりだ。時間の流れが遅い。これは異能じゃなく、桃色の感覚。ランナーズハイ、みたいなものだろうか。

 智尋と一緒にいる。私の固く誓ったことは、そんな虚ろなものだったのか。彼女に守られて、彼女を守れないほど。弱い誓いだったのか。

(……違うだろ、宝石月桃色。殺されるんだ。──殺さなきゃ)

 桃色は小さく呼ぶ。「Mrs.」

 桃色の頭上に現れたMrs.の拳が、突っ込んでくる車を殴り飛ばした。そして桃色はバネをつけて勢いよく立ち上がる。

「……智尋。私も戦う。智尋とずっと、一緒にいるんだ」

 隣の彼女に言う。智尋は。少し寂し気に、笑い返してくれた。

「……そうだね。生き残ろう」

 二人で剣と拳を構える。二つ折り重なった甲高い透明な笑い声が、どこかから響き渡っていた。

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