第七話『ごめんね、守れなくて』①


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「姫沼沙希。九十九えなが。両者ともS級異能者だ。当然名前は知ってるね。その二人の、捕獲を頼みたい。生きたまま、私の元に届けていただければ。残りの東京校の連中は、どうとでもして構わないよ」

 ソファに腰を下ろして、足をぶらぶらともてあそぶ天星はそう言った。

 テーブルを挟んで向かい合ったソファに座る強面で屈強な男は、金橋高慶(かなはし こうけい)。

 光のない彼の目はじっと前の天星と、その後ろに立つ鏡花から外れない。妙な真似をしたら即座に殺す。そんな目だった。

 人を殺し慣れてる。というよりもそれが、日常の一部になっている。そんな感じの底知れぬ目だった。

 鏡花は高慶から意識は外さず、なるべくその眼差しは避けるようにした。

 鏡花と天星がいるのは、異能対策部隊本部。その活動拠点だ。堂々と都内の大きなビルとその地下を使い切っている。

 そして目の前の男はそこの最高責任者、本部長なのである。丸腰であるはずなのに、油断したら撃ち殺されそうな隙のなさを感じる。只者ではないと鏡花にもわかる。

 高慶は表情筋を動かさぬまま、唇だけを動かした。

「……まず聞きたい。どうやってここまで入った。ここにはそれなりの先鋭たちを常に控えさせているつもりだが」

「入口がわかったから、堂々と正面から。なるべく不殺と思ったが、本気でこちらを殺しにかかられてはね。何人かは異能を発症させて吸収させてもらった。悪いね」

「お前たち二人だけでか?」

「大勢で押し掛ける不躾者に見えるかな。それなら失礼」

 ――わかってるくせに。ずっと観てただろ?

 高慶の視線に返しながら、天星は堂々と振る舞っている。鏡花でさえ緊張してさっきから喉が乾いているのに。

「今、あらゆる異能者の施設では脱走騒ぎが起きてるから、大義名分も立つだろう。市民を守るため、やむを得ず異能学園東京校と戦闘になったとか何とか。東京校を守る防壁は私が破壊する。繰り返し言うが、姫沼沙希と九十九えながの捕獲は絶対条件だ」

「それを呑んだとして、我々になんの利益がある」

 高慶は人形のように背筋を立てた姿勢を身じろがせずに聞く。

 不意に笑い出したのは、天星だ。

「お互い、無駄な腹の探り合いはやめない? ずっと目の上の瘤だったんだろう、あの二人が。小学校での異能者騒ぎでは、殺そうと躍起になっていたみたいだけど」

 ──同時に、喉から手が出るくらい欲しかったんじゃないかい。天星がぷらぷらした足を止めて身を乗り出し、猫背になる。まるで獲物を前にくつろぐ猫だ。いつでも喰えるぞ、そういう構え。

「未来が視えて、介入さえ出来る。人だって建物だって、戦車だってミサイルだって薙ぎ払えて噛み砕ける大蛇を自由自在に操れる。しかもこの二人は共鳴し合って、尚更異能が強まる。その潜在能力は計り知れない。……兵器としては、この上なく魅力的だよね。他国への牽制にもなる。特に、この国のような核を持たない先進国にとってはね」

 高慶の眉が僅かに顰められ、それで彼の表情が初めて動いた。

 全身を黒い服で覆った彼は、膝に両肘をついて指を組み、同じような猫背の体勢になる。

「その両者を、こちらに差し出すと。それが見返りか?」

「いいや、まさか。時々、貸し出してあげてもいいってだけの話。……二人はきっとまだまだ強くなる。今姫沼沙希には十五分先までの未来という制限が、九十九えながには一匹までの大蛇という制限がある。だが、更に先まで見通して介入できるようになれば? 複数の大蛇を召喚して、一つの大群を操るようになれれば? 時々貸し出すだけでも、充分すぎるんじゃないだろうか」

 ──ついでに、厄介だった東京校の連中も壊滅させられるしね。天星は囁く。

「異能者たちを守っていたコミュニティは私が搔き乱したから、邪魔は入らないし余計な後始末もいらない。絶好の機会を逃さない愚か者でないことを願うよ、金橋高慶司令官殿」

「……お前の目的は何だ、天星。異能者たちが玉座に君臨し、力を持たないものはそれに隷属する世界を作ると嘯いていたように思ったが?」

「あれこそ、異能者たちを奮い立たせて意のままに操るための大義名分だよ。彼女らを導く者としてね。私の目的は、異能者とそうでない者との共存さ。表向きでも和平が保たれる世の中が実現すればそれでいい。──例えあなたたちが、裏では異能者を人道的ではない方法で兵器として使っていてもね」

 ぴくん、とまた高慶の表情が揺らぐ。

(異能者を、兵器として使う……? 人道的ではないやり方で……?)

 後ろで黙って聞いていた鏡花も、また揺らぐ。どういう意味なのだ、それは。こいつら、異能対策部隊は、何をしているんだ……?

「で、答えは? こちらは条件も要求も見返りも全部開示したよ。これは協定だ。やることは他にも山積みでね。この場で早急に返事をしてもらえるとありがたい。総理大臣なり、その上の者なり。好きなだけ電話でもして相談すればいい」

 天星に言われ、高慶は眉間に皺を寄せて腕を組む。その間も視線はこちらから一切外れない。瞬きのタイミングすら計っているように見えた。

 やがて高慶は、また唇だけを動かして言った。

「……わかった。異能学園東京校を襲撃する具体的な日時を取り決めよう。ただし、やり方はこちらで決めさせてもらうぞ。姫沼沙希と九十九えなが両者生きたままの捕獲。守るのはそれだけだ」

「それで構わない。日時はもうこちらで決めた。八月一日。キリが良くて、覚えやすいだろう? じゃあ良い結果を期待しているよ、金橋司令官」

 話はそれで終わりとばかりに、天星は高慶に背中を向けて司令官室の出口へと向かう。高慶はその背中から、鏡花はそんな彼から目を離さずに後ずさりしながら天星に付いて行って部屋を出た。

(……気に食わないガキだ。協定など、誰が守るものか。姫沼沙希と九十九えながを生け捕りにしたら、引き渡すふりをして天星を殺す。我々の一人勝ちだ)

「……だそうですよ、天星様。私たち、このままだと殺されちゃいそうですけど」

「だろうね。まあ、こちらもはなから協定などするつもりはないさ。共存なんて、馬鹿馬鹿しい。この世界は我々、異能者のものだ」

 重装備の兵たちが瓦礫のように転がっている床を歩きながら、鏡花と天星は話す。ビー玉みたいに転がっている銃弾たちを踏まないように注意した。

 人の心を読む、テレパシーの異能。天星が誰かからコピーした力の一つらしい。今のは高慶の心の内だ。さっきから鏡花にも彼の心のうちは筒抜けだった。だから、油断できなかった。彼は本気で天星をあの場で殺そうとしていたからだ。

「じゃあ行こうか。後は向こうに任せよう。あまり期待せずに果報は寝て待とうか」

 天星が指先をくるりと回し、青い渦のポータルを前に開く。ワープの異能。これもコピーした力だ。

 だから鏡花は、少し考える。

 天星は力を一度に一つしか使わない。そういう制限だ。彼女も力を解放しすぎると、異物になる危険があるのか。それはわからない。

 だから今なら、鏡花の心の内が彼女に伝わることはない。

(……天星様はどうして。そんなに姫沼沙希と九十九えながに固執するんだ……?)

 思えば天星はずっと、二人のことを意識していた。鏡花は彼女から二人の視察を頻繁に頼まれている。

 未来介入と操蛇術は、彼女にとってもコピーしておきたい魅力的な能力なのだろうか。それとも彼女たち自身を、仲間に引き入れたいのか。

 ……真意がわからない。考えてみればずっと。鏡花は彼女が何を思い、行動しているのか。細かく把握していない。

 ただ異能者が自由に生きられる世界のために。そんな大きな目的のため。それしか鏡花は、彼女を知らないのかもしれない。

「……天星様。少し、よろしいですか」

 ワープして、いつものホテルの一室に戻ってきた後。「疲れたねぇ。シャワーを浴びようか。先に鏡花、どうだい?」とこちらを振り向いた天星に、鏡花は言った。

「もちろん。どうしたんだい、そんなに難しい顔をして」

「天星は、あの高慶という男に、異能者を兵器として使っていることを知っているとおっしゃってました。あれって、どういう意味です?」

「その通りの意味だよ。あいつら異能対策部隊は、異能者を秘密裏で拘束して、その異能を兵器として使っている。国内での異物に対する対処でも、他国の紛争とかにも貸し出しているんじゃないかな。異能が発症するのは、今のところ日本国内だけだからね。他国も喉から手が出るほど欲しいんだろう」

 天星は迷うことなくすらすらと並べた。鏡花は、きゅっと手を握りしめる。そうしないと、震えてしまいそうだ。

「それって異能者を、人間扱いしてないってことですよね。あいつらは。……あの場で部隊全員皆殺しにするべきだったんじゃないですか。兵器として使われている異能者を、助けるべきだったんじゃないんですか」

 訴える声に熱がこもる。肩が震えた。いや、全身震えていた。怒り、苛立ち、絶望。……初めて天星に抱いた、疑問。

 自分でも持て余して、訳が分からなくなりそうだった。

 天星は。ゆっくりそんな鏡花の前に歩み寄ってくると。背伸びをして、そっと頬に触れた。優しく撫でた。いつもの、思いやるようなそんな手つきだった。

「……鏡花。大丈夫、落ち着いて。今あいつらを皆殺しにしたところで、どうせまた同じようなのが蛆みたいに湧くだけだ。だったら、存分に利用してやろうじゃないか。どうせ全部、排除するつもりだから。殺すのは、それからでも遅くはないよ」

 天星は鏡花を見上げて、やんわりと微笑む。

「もちろん今兵器として使われている異能者の子たちは、みんな救出する。でも今はダメだ。あの下衆どもを使いつくしてから。それまでは我慢の時だよ、鏡花」

 ──だから私を信じておくれ、鏡花。彼女はまっすぐにこちらの眼を覗き込んで言う。

 鏡花は。まだ震えている手を持ち上げて。頬に添えられた天星の手にそれを重ねた。

「……はい。天星様。信じております。私はずっと、誰よりもあなたの、お傍に」

「それでいい。さすが鏡花だ。さあ、疲れただろう。シャワーを浴びておいで。お茶は今日は私が入れておくから」

 天星は最後ににっこりと子供のように笑うと、鏡花に背を向けてティーセットのある棚の方に向かう。

 鏡花はじっと、その長い髪の先が地面を擦る背中を見つめていた。

(……本当に。信じていいのですか。天星様)

 わからなくなる。何も。

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