第六話「そして悲劇は幕を開ける」④


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 来たる、八月一日。

 沙希たちは広い生徒会室に集められている。向かい合った長机に、東京校の一同が一堂に介していた。

 時刻は、午前七時。ご丁寧にも天星は午前九時に伺うと時間まで指定してきていた。ブラフの可能性も当然あるので早く集まった。

 それ以上に早く集まると逆に体力を消耗すると判断されたが、沙希とえながは五時にはもう全ての準備を終えて臨戦状態だった。たぶんみんなそうだ。

 長机の先端の方に、理事長の豊橋。右側に教師陣。透子、七竈。二年担当、三年担当は非常勤で、非異能者なのでここにはいない。

 左側、沙希たち一年。高目たち二年。青鷺たち生徒会三年生組。

 重い空気が充満している。誰もが押し黙っていた。来るべき時が来る。その重圧が、ずっとぴりぴりと肌を焼いている気がする。

 おそらく天星たちとは、全力でぶつかり合いになる。殺し合いだ。異能適合者同士の本気の、殺し合い。

 この学園がどうなるかわからない。負けたらどうなるかわからない。

 ……そもそも勝ったとしても。自分たちがどうなるかなんて何の保証もない。天星たち反乱の一件で、皆殺しにされるかもしれない。殺処分するみたいにあっさりと。

(……でもあたしは。やっぱりあいつが正しいとは思えない。あいつは、敵だ。あたしの家族の、仇だ)

 沙希の心は揺らぎながらも、ぶれない。

 天星の理想とする世界。異能適合者だけが生き残った世界。それが正しい世界の在り方とは、どうしても思えない。

 言葉だけなら、沙希たちにとっては理想郷かもしれない。

(でもそれなら。……あたしたちは一体、何のために戦ってきたんだ)

 ぎゅっと机の下で両手を握りしめる。そんなのわからない。自分たちはまだ子供だ。これまでの人生と向き合って答えを出せるほど、まだ生きちゃいない。生きていけないかもしれない。

 だから、これまでの自分の人生と向き合うために。天星と戦う。

 数多の星々の人は外側から見ればカルト集団だったかもしれない。でも、沙希に良くしてくれた。母親だって、楽しそうだった。

 だから絶対、仇は打つ。

 ふと感じる、隣のえながの視線。気遣うような眼差しに頷き返す。

(大丈夫。抱え込んでないよ。あんたも、一緒だもんね)

 手を差し出したら、ちゃんと握り返してくれる。この子と一緒なら。多分少しは、怖くない。大丈夫だと、自分に言い聞かせられる。

 不意に、長机の先に座っていた豊橋が立ち上がって、手を叩いた。みんなの視線が向くのを確認すると、口を開く。

「皆さん、今更ですが。逃げたい人は逃げてください。私たち東京の面々は、おそらく天星たち一派と戦闘になるでしょう。死傷者が出る確率はかなり高いです。逃げる人は全力でサポートします。明日への保証は、申し訳ないですがありません。だけど、今日死ぬよりはマシかもしれません」

 間を置いて皆の反応を窺ってから、豊橋は続ける。

「また、あなた方の誰かが天星側につくとしても、私は責めません。仕方ない選択だと思います。私たちは──あなたたちをずっと番犬のように扱ってきた。報いは受けて当然です。……だから皆さん。今日を全力で、生き残ってください。絶対に、死なないで」

 声に芯がある。切実な言葉だった。豊橋は、気丈に笑ってみせた。

 この人のことを完全に誤解していた。沙希はまた、人をみくびっていた自分を恥じた。

 すっ、と手を上げたのは三年の青鷺芳翠だ。

「私はこの学園の生徒会執行部、生徒会長です。生徒としては最高よ役職で、この学校を守る立場にある。これからやってくる輩は、学園を脅かす者達です。つまり、私の敵でもある」

 戦います、と芳翠は立ち上がって宣言する。隣の生徒会組、香坂蒼と鎌足朱里も頷いた。

「私は別に学園とかどうでもいいけど、芳翠がそうなら従うよ。ただ、劣勢になったらこの二人連れて全力で逃げる。この学園のために死なないし、死なせないから」

「あたしもだ! 生徒会執行部の正義! 燃えたぎっている! 正義は勝つ! あたしらも勝つ! 戦うぞ!」

 次に手を上げたのは、二年の高目真凛。彼女は姿勢良く、一人だけ紅茶を口にしていた。隣にシスター・ゴリラ、傍らにティーセットのワゴンを近くに置いた黒川というお付の女性が座っている。

「わたくしは、将来高目グループの代表取締役になる立場です。そしてそこに携わる私を除いて、みんな非異能者。いい人たちばかりで、汗水たらして高目グループを守るために日夜働いてくださっている。……異能者だけの世界を作るとか、クソッタレの思想を掲げるイカれたカス女の好きになんかさせませんわ。絶対に」

 ──わたくしには、わたくしが代々受け継ぐべきものを守る使命がある。カップをソーサーに置いた彼女は、凪いだような眼差しで遠くを見た。嵐の前の静けさのような激しさが、目に宿っている。譲れぬ意思がそこに感じられた。

「……私も、真凛の望む世界のために。神はいねぇですから、それの意志に従わず自分の意志で戦いましょう。ファッキン、天星ワールド」

 真凛の隣で足を組んで座り、紅茶を啜っていたシスター・ゴリラが、真凛の見るあらぬ方向に向かって両手の中指を立てる。本格的なパンツスタイルの修道服だがやはりコスプレというのは本当のようで、結構パンクな人のようだ。

「……はいっ!」とやや緊張気味に手をぴんと上げたのは、沙希の左隣の桃色。

「私も、動画を見てくれる人がいます。配信に遊びに来てくれる人たちがいます。心無いコメントをする人だってもちろんいます。……でも基本、人はいい人たちばかりです。私に、明日を生きる元気を与えてくれる。生きてていいって、教えてくれる。私はその人たちのために、戦います」

 言い切って強張った桃色の肩を、隣の智尋がそっと抱く。「桃色、大丈夫。ゆっくり息をして」と優しく囁く。

「ボクはご存じの通り、建物とか場所の修復によく行きます。その時、お礼を言ってくれる人たちがいるんです。子供から、ご老人まで。この世界は、思ったよりボクたちを差別する人ばっかりじゃない。……守る価値は十分にあると思う。ただ」

 智尋は豊橋の方を見た。彼女は珍しく笑っていなかった。

「ボクは桃色優先です。桃色が危険だと思ったら、ボクは彼女を守るのを第一に判断します。もちろんあなたたちに危害を加える気はありませんが、これだけは伝えておきたい」

「……智尋」

 桃色の心配そうに顔を向ける。豊橋は、智尋の視線を受け止めて頷く。

「わかりました。自分たちの安全を、第一に。それが最優先です。これからあなたたちを戦場に巻き込む立場の発言としては、無責任極まりないですけど。こうとしか言えない。どうか、ご無事で」

 沙希は椅子を立ち上がる。同じく豊橋を視線で射貫く。

「豊橋理事長。一つ約束してください。もしあたしたちが、天星に勝っても負けても。生き残ったあたしたちを、全力で外の世界から守ってください。あたしたちはこれから、命を懸けて戦います。賞賛はされても、非難されたり殺されたりする道理は、絶対ない。例えこの学園を、この世界を守れなかったとしても」

 豊橋は沙希の言葉をしっかり呑み込むようにして間を開け、頷いた。

「口約束ですが、誓いましょう。戦うあなたたちを、私たちは、私は全力で守ります。例え、私が死のうとも。責任は取ります」

 言った豊橋の顔を、沙希はじっと見ていた。……本気だ。沙希は座り直す。

「なら、私の決意表明はこの前言った通りです。天星をぶっ殺します。世界のためとかじゃなくて、あたしのために」

「私も以下同文じゃ。天星の大義名分を聞くと虫唾が走る。あいつはきっと腹に一物も二物もあるぞ。ここで殺しておかないと、たぶん世界がぶっ壊れる」

 えながも言い切った。テーブルの下で、しっかり沙希の手を握り直してくれながら。

「……みんな、絶対に無茶しないで。どんな形でもいい、絶対に生き延びて。私たちは、絶対にあなたたちを守る」

「私と透子は續──天星を多少知っている。だが十九年前のあいつはあのままの姿でも、何か変だ。でも対策は出来る。私たちも戦って、お前らを全身全霊で守る。みんな、生き延びるぞ」

 透子と七竈、教師陣も言った。これで、全員の意志が、一つに折り重なった。

 アラートが鳴る。学校のスピーカーから。沙希たちの腕のデバイスから。

 時間を見る。七時半。……あいつ、やっぱりブラフで早めに行動してきやがった。

『東京市内各地に、多数の異能発症者の探知あり。全員、暴走確認。異物化の恐れあり。各地、死傷者不明』

 AIの機械的な声が告げる。それでようやく、沙希たちは気づいた。

 天星は、この東京全域を。戦場と化すつもりだ。

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