閑話幕間その6「桃と木」②
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「……あ、桃色起きた? ごめん、気を失わせちゃった」
ぱちり。目が開いた。視線を左に向けると、寝間着を着直した智尋がヘッドボードにもたれてにこやかに声をかけてきた。
桃色はベッドに寝ている。顔中涙と唾液でべとべとだったけれどすっかり綺麗にされ、寝間着も着せられてタオルケットも身体に掛けられていた。
部屋も換気はしたみたいだけれど、先ほどまでの熱と淫行の残り香は漂っている。全部彼女が後始末をしてくれたみたいだ。
あれから何回したんだろう。意識がぐっちゃぐちゃに掻き回されて、時間なんて忘れた。身体がだるい。腰も至る所もじんじんしている。たぶん明日は満足に過ごせそうにない。
「いいよ。この前私が智尋にした時の方がやばかったもんね。昼までヤっちゃったし。今何時?」
「深夜の二時くらい。そのまま眠ってもいいよ。朝、一緒にお風呂入ろう。入れておくよ」
「ありがと。……ねえ、智尋」
寄り添って、髪を撫でてきた智尋の手にそっと自分の手を重ねた。そして指を絡ませる。彼女は快く、握り返してくれた。
「……もしかして、怖い? 天星がここに来る日が」
彼女の握り返す力が一瞬強くなった。そして、やんわりともう片方の手で桃色の手の甲を撫でる。
「怖くはないよ。きっとあの人たちとボクらは、殺し合いになる。死ぬのは、別に平気。……でも、桃色が死ぬのは絶対にいやだ」
最後の言葉は声が震えて強張っていた。ぎゅっとなった、彼女の眼差し。
久しぶりに見た。彼女の不安そうな顔。あの時も、そんな顔をしていた。
児童養護施設にいた頃。桃色は周囲の子供たちと馴染めず、いつも輪から外されていた。無視されていた。いじめられていた。
靴がなくなった。筆箱がなくなった。お気に入りの髪飾りが踏みつぶされて粉々になっていた。おろおろと泣く小さな桃色を、周りの子供たちはみなくすくすと忍んで笑っていた。
『あの子のママ、男の人といっぱいやらしいことして病気になって死んじゃったんだって。きっとあの子もそうだよ。気持ち悪いね。ばい菌だ』
耳を塞いでも突き抜ける陰口。しゃがみ込んでも注がれる侮蔑の視線。消えたかった。この世から、全部消してしまいたかった。
『君、名前は? ボクは神木智尋。良かったら一緒にいようよ。一人は、寂しいよね?』
不意に差し伸べられた手。新しく施設に入ってきた子。男の子のように背が高くて、格好良くて強かった。
『ダメ。私、ばい菌だから。汚いよ、あっち行って』
桃色がそう言うと、彼女は手を引っ込めた。そして自分の足元、昨日の雨でぬかるんだ地面の泥を掬うと、ありったけ自分の顔に塗りこんだ。
『じゃあこれでボクも汚いね。お揃い。ほら、一緒だ』
泥だらけで笑う彼女の笑顔が、この世で一番眩しかった。
それから桃色と智尋はいつも一緒だった。いじめはぴたりと止んだ。
今思えば、智尋が全部やめさせてくれたのだろう。彼女は強くて格好いいから。誰でも彼女の虜になるのだ。
『何で私なんかと一緒にいてくれるの? 優しく、してくれるの?』
聞いたことがある。そんな時も、彼女が優しく笑ってくれたことだけは覚えている。
『ボクのお父さんとお母さん、いなくなっちゃって。一人で家にずっといたら、すごく怖かったんだ。だから君も、一人にしたくなくて』
──それに君のこと、すっごく好きなんだ。一目惚れ。めちゃくちゃ可愛いなって、最初に会ってすぐ思った。
生まれて初めて受けた、最初で最後の告白。朝が一瞬で訪れたように、世界が光で満ち溢れた。
『私も、智尋のこと大好き。愛してる』
『愛してるって、すごい。大人だね、──ちゃんは。じゃあ、ずっと一緒にいようか』
小指と小指が結び合って、約束。それ以来ずっとそれは、守られ続けている。
施設のみんなが一斉に異能を発症して、異物になった時も。桃色と智尋だけは、人の形を保っていられた。
必死で逃げた。突然現れた巨大な黒い腕が、桃色たちを守ってくれた。智尋が走った後に再生して生えてきた木々が、異物の追跡をかいくぐらせてくれた。
桃色と智尋は、異能適合者専用の別の施設に移されることになった。
『──と一緒にいられますか。ボクたちを離れ離れにしないでください。──と、一緒じゃなければどこにも行きません』
施設の人に必死にそう訴えかけていた智尋は、不安そうな顔をしていた。桃色は、ぎゅっとその手を掴んで離さなかった。少しでも彼女が、安心できるように。
もう二度と、一人にはしないように。
『智尋。私、配信者になるよ。智尋が可愛いって言ってくれたから、もっと可愛くなりたい。世界中の人に、可愛いって認めさせたい』
お互いの異能が共鳴することがわかって、一緒にいられるとわかった日の夜。
あてがわれた独房みたいな部屋の中で、桃色たちは初めてセックスをした。それはただの真似事だったかもしれない。でも確かに、陸み合う行為だった。
『あと、私たちのこと。みんなにもっと知ってもらいたいから。配信者になる。ずっと一緒にいたってこと、証明したいんだ』
手紙を入れたボトルを海に流すように、ネットの海に私たちの軌跡を託す。
智尋は、優しく桃色の左手の薬指にキスをして、笑った。
『いいと思う。じゃあ配信映えする名前、付けちゃおうか。嫌いだって言ってたよね、自分の名前』
そうして桃色は、宝石月桃色になった。
「──大丈夫だよ、智尋。私たちは、ずっと一緒。そうでしょ?」
ベッドから起き上がって、桃色は智尋に小指を差し出す。
彼女はまだ強張っていたけれど。笑顔を作って、そこに小指を絡めてくれた。
「……そうだね。約束。ずっと一緒にいよう」
それだけが今、世界の全て。
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