第六話「そして悲劇は幕を開ける」③
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「あたし、物心付いたときから未来視が出来てたんだよね。介入出来るようになったのは、学園に来て特訓してからだけど。あの時は、一ヶ月先まで見通すことが出来たんだ」
沙希の部屋だった。えながと一緒にベッドに腰を下ろし、お互いシャワーは済ませていた。
せっかくだし一緒にシャワーブースに入り、子供みたいにはしゃいでお湯を掛け合った。そして少しだけ、キスをした。二人の気持ちを探り合うような口づけは、何だかいつもより甘く、そしてくすぐったかった。
「片親でさ、あたしにはママ――母親だけしかいなかったの。父親はどこかの女と出てったみたいで、顔も知らない。それで母親は、だいぶ情緒不安定だったんだよね。来る日も来る日も泣いてた」
――それで、宗教団体に入ったの。沙希は言ってから、ペットボトルのスポドリを口に含む。口の中が乾いていた。話し慣れていないことを話すのは、少し緊張する。
「『数多の星々』ってところだった。そこの施設の人達、ママにもすごく優しく接してくれて。あたしも連れて行かれてたんだけど、いい人達ばっかりだったと思う。ママも楽しそうになって、あたしも嬉しかった。新しい家族がいっぱい出来たみたいで」
学校帰り、母が仕事で遅いときはよく施設を訪れた。彼、彼女らは優しくて、沙希の面倒を見てくれたし勉強も教えてくれた。お小遣いをもらったこともある。本当に、良い人達だった。
ある時、そこの人の飼い猫がいなくなったという。そこで沙希は役に立ちたくて、未来視を使った。猫が遊んでいた玩具があれば、あの時はその子がどこにいるのか未来を探ることが出来た。介入は出来なかったから、ビジョンが広かったのだ。
猫は見つかった。そして『数多の星々』の信者の人たちは、沙希を自分たちの神の使いだと認識した。
沙希は神の言葉を告げる子として、翌日から『告げ子様』と呼ばれるようになった。
「教祖のおじいちゃんにもすごく気に入られて、良くしてもらって。ママなんて、泣いちゃうくらい喜んでさ。あなたが私の娘で良かったなんて抱きしめられながら言われちゃったりして。……嬉しかったなぁ」
沙希は足元の遠い場所を見る。えながは、黙って耳を傾けてくれていた。だからつい、感情が乗ってしまう。あの時の想いが、記憶とともに鮮明に蘇ってくる。
皆が喜ぶので、沙希もこの人たちの役に立ちたいと未来視を幾度も使った。今までの恩返しをしたかったのだ。
小学六年生になった沙希は。だんだん自分のいる状況が普通ではないと悟り始めていた。神のような扱いを受けて、皆をそれに縋らせているのではないか。そんな迷いが生まれていた。
異能の存在を知った。自分は本当は、隔離されるべき存在なのではないかと怖くなった。
「告げ子様がいなければ、私たちは明日をどう生きればいいのかわかりません。何とぞ告げ子様。私たちをいつまでもお導きください」
教祖にも話したが、彼は頑なに沙希に縋り付くようにそう言った。今や数多の星々の人たちは、沙希なしではいられないほど依存しきっていたのだ。
沙希の、母親でさえも。もはや娘を見る目ではなく、何かを崇拝するような眼差しを向けてきた。
沙希は、怖くなった。
だがもうやめられない。告げ子としての役割を、迷いながらも全うしてした、そのさなか。
「未来を視た。あたしが、数多の星々のみんなを。ママを、殺してた」
ママに話した。教祖様に話した。信者のみんなにも話した。だが誰も、動揺しなかった。ただ優しく、沙希に向かって微笑みかけていた。
──それが告げ子様の神託だというなら、わたくしたちは喜んでその未来を受け入れましょう。引導をお渡しください、告げ子様。
話は通じなかった。恐くなった沙希は逃げようとしたが、施設の一室に幽閉されてそれも許されなかった。
扉を叩いても、喉が枯れるほど叫んでも。誰も助けてはくれなかった。誰も沙希は、助けられなかった。
あの時からずっとあたしは、無力のままだったのだ。歯がゆい。何も変わってなどいなかった。あたしはガキだ。
「……それで、未来視した日が来た」
沙希は定期的に与えられる食事にも手を付けず、鉄格子のベッドの傍で膝を抱えていた。震えが止まらなかったのを今でも覚えている。
すると、突然。叩きすぎて少しへこんだ鉄の扉が、音もなく突然こちら側に開いた。
沙希は顔を上げた。しんと不気味なほど施設の中は静まり返っていて、世界中に自分しかいなくなってしまったのではないかと錯覚した。
そして、悲鳴。いや、違う。そこに恐怖はなかった。至福のあまり、喜びのあまり。喉からほとばしった、感謝の言葉が聞き取れた。
──告げ子様ッ! ありがとうございますッ! この世からの解放の時を与えていただき、感謝しますッ!
そして痛みに耐えきれなかったような絶叫が響いた。沙希は身を凍らせた。何をどうしたら、人間からそんな声が出るのだろう。
死ぬほど恐ろしかった。が、沙希はおそるおそる幽閉されていた部屋から外へと出て行った。
そこで、見た。自分とまったく同じ姿をした誰かが。信者の人たちを手に掛けていた。素手で体に手を突っ込み、心臓を、抜き取っていた。
──ありがとうございます。告げ子様、ありがとうございます……。
殺されていく人々の言葉。誰一人抵抗することなく、沙希と思い込んでいるその人物にされるがまま、殺されていた。
集会に使われていた広い室内は、むせかえるほど血の匂いがした。心臓をえぐられた人たちがいくつも折り重なるように倒れていた。皆、顔も名前も知っている。そして例外なく、安らかとは程遠い壮絶な表情を浮かべて死んでいた。
教祖は壇上で両掌に釘を打ち付けられて磔にされていた。そして、その前で。
跪いて、両手を合わせた沙希の母親がいた。彼女は最後に残されていた。沙希と同じ姿をした誰かは、ゆっくりとそちらに向かう。
……やめて。言葉にはならなかった。震えるばかりで、沙希はただその場に凍り付いたように動けなかった。
母親は目の前にやってきた沙希のドッペルゲンガーを見上げる。
その時の、恍惚とした表情。一生忘れることは出来ない。
そしてもう一人の沙希は。固まっている沙希を見て、微笑んだ。友人に笑いかけるように。
鼓動が、歪んだ。沙希の硬直が解けた。
『ダメッ!』
叫ぶ。手を伸ばす。
その時初めて、未来に介入した。十秒先。もう一人の沙希の、振りかぶった腕を、宙に現れた沙希の手が掴んだ。
だがすぐ振り払われた。その腕は。無抵抗の母親の胸を貫いた。
誰かが叫んでいる。ひたすら叫んでいる。どこか遠くで。沙希だった。沙希自身が、喉から血が噴き出しそうなほど叫んでいるのだった。
「沙希」
呼ばれて、今に返ってきた。いつの間にかえながが手を握ってくれていた。そして自分の手が震えていることに、沙希はようやく気付いた。
「無理して思い返さなくていい。もう済んだことだ。お主はまだ子供だった。自分を責めなくて、いい」
こちらを見つめる彼女の眼差しは、優しい。でもどこか悲し気な光を帯びていた。
彼女も、何かあったのか。何かを経て、そして囚われた顔を映しているような目をしていた。
沙希は彼女の手に、もう一つの自分の手を重ねた。
「平気だよ。……ありがと」
また過去に潜る。
母親を殺した沙希とうり二つのそいつは、血をバケツで浴びたような格好のままこちらへやってきた。
思い返せば、その時から黒いローブを着ていた。あれはやはり、天星だったのだ。
『やあ。君を閉じ込めてたゴミどもは全員始末したよ。もう安全だ。一緒に行こうか』
震える沙希に、同じ姿をした天星は言った。幻術の類の異能だったのかわからない。今思い出しても怖気が走る。
差し出された手を、沙希は引っぱたいた。ぬるりとした血の感触がして、くらくらした。
沙希は自分自身の姿を睨んだ。薄ら笑う、その不気味なやつの姿を。
こいつは敵だ。邪悪だ。そうはっきり感じた。
『……そうか。まあいずれ、君と私は出会うだろう。また会おう、姫沼沙希』
瞬きした瞬間に、そいつの姿はもう消えていた。
後には、死臭が立ち込めはじめた部屋と、積み重なった死体だけが沙希の前に残された。
そうして沙希は、異能学園に引き取られることになった。
生まれついての異能。耐性があったのか、異能共鳴を行わなくとも中学の間までは異物化の傾向もなく済んだ。未来視も出来たし、数秒先なら介入もできた。
大勢の異物を、その傾向のある人を殺してきた。
そして高等部に入った今。異能共鳴できるパートナー、えながと出会ったのだ。
「……だからあいつ。天星はあたしの仇、なんだ。家族を殺された。……絶対に殺さないと。あいつは同じことをまたやる。もう、やってる」
えながの手を包む手が、強張る。鼓動が不穏に軋んでいる。息が苦しい。
でも隣りにいる彼女が、そっともう片方の手で背中をさすってくれたから。ゆっくり呼吸を、取り戻せた。
「……よく話してくれた。今まで一人で抱え込んで、辛かったじゃろ」
――これからは、私もそれを背負う。えながは力強く言い切った。
「天星を、止めるぞ。私達のためだけじゃない。これからあいつの起こすことに巻き込まれる、他の誰かのためにも」
彼女の言葉に、沙希も奮い立って頷いた。
彼女にも、誰か大切に思える人がいるだろうか。天星から守りたい何かがあるのだろうか。
聞きたい。彼女のことも。でも彼女は、その準備がまだ出来ていないような気がした。視線がやや揺らいでいる。
「八月。もしお互い生き延びれたら。私の昔話にも付き合ってくれ。これは約束じゃ。二人で無事に、これからの災厄を乗り切るための」
立ち上がったえながが、また拳を向けてくる。沙希も笑みをこぼした。拳をぶつけ返す。
「うん。絶対に天星を止めて。二人でまた、昔話をしよう」
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