第六話「そして悲劇は幕を開ける」②


  2


「沙希」

 拳銃のマガジンを抜き、スライドがしっかり下りているのを確認してから防音用の耳当てを外す。

 声を掛けられて振り向くと、えなががいた。学校指定のジャージ姿だ。同じ格好だ。彼女は首に掛けたタオルで額の汗をぬぐっていた。

 沙希もリストバンドで自分の汗をぬぐう。

「ああ、えなが。もしかして、こんな時間まで特訓してたの。熱心だね」

「そりゃ、お主もじゃろ。学園の武器庫の弾薬が空になるほど射撃訓練しとると聞いたぞ」

「え、嘘。今何時? ……うわ、こんな経ってたんだ」

 腕のデバイスで確認すれば、もう夜の22時を余裕で回っていた。七時間は訓練場にこもっていたことになる。地下で窓もないので、時間感覚が完全に狂っていた。

 ジムで基礎体力を鍛えて、運動場でAI人形相手に戦闘訓練。そして今は、射撃訓練場でひたすら銃を撃った。

 拳銃、ショットガン、自動小銃、ライフル。使えるものは全部。どんな状況が訪れても対処できるように、少しでも色々な武器に身体を馴染ませておきたかった。

「あまり根を詰めすぎても体に毒じゃぞ。飲むか?」

「えっ、いいの? ありがと、いただきます」

 彼女が自販機から持ってきてくれたらしきスポーツドリンクのペットボトルを手渡してくれる。受け取った沙希は、彼女と一緒に近くのベンチに腰を下ろした。

 もらった飲み物を口にする。程よい甘さが乾いていた喉に染み渡るようだ。

 集中していたせいで気づかなかったが、思ったより疲れていたのかもしれない。自覚すると今更のように気だるさと、ほんのり眠気を覚えてきた。不思議なものだ。

「そういえば礼をちゃんと言っていなかったな。あの時は、命を助けられた。ありがとう」

 ふと立ち上がったえながが、沙希に向かって深々と頭を下げた。あまりに慇懃な態度に、逆に沙希がかしこまってしまう。

「い、いやいや……! 急にそんな……っ。あれは元々あたしが撃った弾だし……あんたも無事で済んで、良かったっていうか……」

 あの時。天星の異能のせいとは言え、自分の撃った弾丸で彼女を殺しかけた。あの瞬間はまだ脳裏に焼き付いている。

 もし、天星を殺せていたなら。今のような日本各地を巻き込んでいるこの状況は防げたのだろうか。誰も表立って責めはしないけれど、きっとそうだったのだろう。

 でも沙希は。例え何度あの状況に立ち会ったとしても、同じ選択をしていた。大勢のために誰か一人を犠牲にする。そんなの無理だ。

(……それを臆病だって言うんなら、そうなんだろう。あたしは、臆病者だ)

 ぎゅっとペットボトルを握りしめる。あの時あたしは、天星を殺せた。でもそうしなかった。誰に責められたって、後悔はしていない。

 そう思っていたけれど、やっぱり、悔しかった。

 ぎゅっと強張った手を、包み込まれる。隣に座りなおした、えながだ。彼女は俯いた沙希の顔を覗き込みながら、言ってくれる。

「沙希。誰がどう思おうが、私がお主に救われたのは間違いない。間違いじゃない。一人で、思い詰めるな。私に頼れ」

 ──私はお主の、パートナーじゃからな。

 あんまりにもまっすぐに言い切られたものだから。ふとぎゅっと縮こまっていた心が、ゆっくりと解きほぐれていくような気がした。

 涙腺も緩みそうになる。でもさすがにもう泣くのは恥ずかしいから、笑ったふりをしてごまかした。

「……ありがと。えながもさ、しんどい時はあたしのこと全然頼ってくれていいんだからね。確か、誕生日あたしの方が早かったでしょ。ちょっとお姉さんだし」

「二か月くらいじゃろ。ほとんど誤差じゃ。……とにかく、あまり無理はするなよ。しっかり休むのも鍛錬のうちじゃ。八月はすぐやってくる。私らにやれることは精一杯全力を尽くそう」

 彼女が握った拳を突き出してくる。数秒迷って、その意味を理解した。

 沙希も握った拳を、軽く彼女の拳にぶつける。やった後に可笑しくなって、二人でいたずらをした子供みたいに笑い合った。

「さてと。私はもう行く。お主もしっかり寝るんじゃぞ」

「……あ、えなが!」

 立ち去ろうとする彼女の背中を、つい呼び止めていた。彼女は振り返る。

 その優し気な笑みと。もう少し夜を共にしていたくなった。

「……あのさ。シャワー浴びた後でもいいんだけど。付き合ってくれないかな。あたしの、昔の話」

 間も置かずに彼女は快く頷いてくれた。

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