第五話「天星」②
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沙希とえながは地上へと降り立つ。秋菜は、意識のない歩優を抱えて、やはりあのローブの少女の元に向かっていく。
「なぁ、言われた通り歩優を連れてきたぞ。ほんまに治してくれるんやろな? 歩優は、死なずに済むんやろ?」
縋り付くような秋菜の声が聞こえてくる。やはり、あの少女が今回のことを謀ったようだ。
「秋菜ちゃん! ダメ! そいつの言う事聞いちゃダメ!」
彼女の背中に駆け寄ろうとする沙希。秋菜は振り返らない。止めないと。分からないけど、ひどいことになる。
「沙希!」
えながが沙希を突き飛ばした。尻餅をついた沙希の目の前に、コンクリートの塊が落ちてくる。割れたアスファルトの小さな欠片が、腕に突き刺さる。袖の下に血が静かに滴った。
「――天星様の、邪魔はしないでもらおうか」
低い声がして、誰かがすぐ近くに降りてきた。背の高いその人は女性のようだったが、声は男性のそれのように感じた。喉のところに布が巻かれている。あの少女と同じローブを身に纏っていた。
「天星……。一体何が目的なの?」
沙希は起き上がりながら立ちはだかる彼女に問う。視界の隅でえながも立ち上がったのを確認する。良かった、無事だ。
桃色の報告にあった名だ。天星という人物から使いが来て、戦闘になった。学園を出たら、その名前の人の元へ行くように言われた。向こうから来てくれると。
「お前たちに今は用はない。引っ込んでいてもらおうか」
彼女は言い捨てると、ちらりと学舎の方を見た。騒ぎを聞きつけた京都校の生徒たちが何事かと戸惑った様子で離れたところで集まってこちらを見ていた。
「鏡花。あまり敵意を出してはいけない。その人達も私の大切な同志だよ。こんにちは、姫沼沙希、九十九えなが」
地上へと降りてきた天星が、鏡花と呼ばれた彼女にたしなめるように言う。
「秋菜。よく決心してくれた。これで君の大切な歩優は救われる。さぁ、一緒に行こう」
天星は両手を秋菜に差し出した。秋菜はためらいつつも、歩優を彼女の手に預けてしまう。
「秋菜ちゃん! ダメだよ! 話を聞いて!」
呼びかけるが、秋菜の耳にもう沙希の声は入っていない。振り向きもしなかった。
不意にずず……と天星の後ろの空間に穴が空く。青色の光がマーブル状に渦巻いている。異能だ。あれに入ってどこかへ移動するつもりか。
何とか止めようと沙希は銃を構える。えながも蛇足を控えさせた。目の前の鏡花も戦闘態勢になる。一触即発。空気がちりつく。
「全員その場を動くなッ!」
スピーカーを通して割れた声が、その張り詰めた空気を破る。
門の前に車がいくつも立ち塞がり、重装備の兵たちがサブマシンガンの銃口を沙希たちに向けていた。
異能対策部隊。今回は周りに建物も人気もないので堂々の登場したわけだ。いつでも撃ち殺せる。
だが彼らを背にした天星は。振り返ることもせず、ただ秋菜を見ていた。
「気にしなくていい。行こう、秋菜」
天星の言葉に、戸惑っていた秋菜も頷き歩を彼女に向かって進めた。
止めるべきだ。わかっていたが未来視出来ない沙希は迂闊に行動出来なかった。今にも自分たちにさえ弾丸がぶち込まれそうな状況なのだ。どうしたらいいのか。
「発砲準備! 構えッ!」
構えた対策部隊の兵たちが引き金に指を掛ける。このままでは秋菜たちも撃ち抜かれる。介入できない沙希は無力だった。
「やめてッ!」
叫ぶ。銃声。隙間なく何百発も撃ち込まれた。
だが、どれ一つとして学内の敷地には入れない。まるで時間が止まったかのように、銃弾たちが宙で静止していた。
天星がくるり、と軽く指を回すのが見えた。銃弾の方向が変わる。撃ち込んだ兵たちの方へ。
沙希は叫んだ。
「逃げてッ! ダメッ!」
その時にはもう、兵たちは一斉に自分たちの弾で撃ち抜かれている。その場にいたほとんどが身体に弾を喰らいのたうつ暇もなく地面を転がり絶命した。
「なんてことを……」
隣のえながが呆気にとられたように呟く。殺すのに一切の躊躇も感じられなかった。むしろ、楽しんでいるとさえ感じた。
あいつは、天星は邪悪だ。沙希は確信する。
「さあ、行こうか」
天星が歩優を抱えたまま、秋菜に手を伸ばす。それを取らせてはならない。沙希は走り出そうとした。
銃声。沙希は見た。転がる対策部隊の方から何かが撃ち込まれ、それが天星の腕にいる歩優を撃ち抜いた。
天星の腕から溢れ、歩優は地面へと転がる。額を撃ち抜かれていた。血溜まりが広がっていく。
「……歩優? 歩優ッ!?」
秋菜が倒れこんだ歩優に駆け寄り、抱き起こす。秋菜がそっと揺さぶっても、眠ったままの彼女はもう目を覚ますことはなかった。額から流れる血が、どろりと零れて床に滴る。
秋菜は顔を上げる。銃弾の飛んできた方。銃を構えた兵たちは微動だにしない。
彼らが一斉に吹き飛んだ。内側から爆撃を受けたように、四肢がもげ血しぶきを上げながら一人ずつ弾けていく。
秋菜の両腕が開いていくように左右に動いている。彼女の異能。絶望的な怒りの波長を帯びて、力が増しているのだ。触れずとも、彼女は人間爆弾を作り出せるようになったのだ。
「……殺す。お前ら、皆殺しだ」
地を這うような声が沙希の耳にも届いて、身震いした。昨日、頼りげなかった少女の姿はそこにはない。あるのは人の命を軽く粉砕する、鬼神だ。その場は悲鳴もない地獄へと化していた。特殊装備を付けた人たちが、一瞬で肉と臓物の欠片へと変貌していく。
「……違う」
えながが小さく呻くのが聞こえた。彼女も気づいていたのか。だが目の前の惨劇に、言葉にならないようだった。
「秋菜、大丈夫だ。落ち着いて」
「大丈夫じゃないやろッ! こいつら歩優を……ッ!」
「もう全員死んだ」
天星が彼女の傍に歩み寄り、その肩に手を置いた。それで秋菜ははっとなる。
門の前にいた異能対策部隊は、車ごと全員弾き飛んでいた。血飛沫と肉片しかもう残っていない。生臭さが微風と共に沙希にも届いてきて、胃をぎゅっと締め付けてきた。
「……すまない。彼女を元に戻すと約束したのに」
「……歩優。歩優ぅ……」
こちらに背を向けたまま、秋菜は我に返ったように泣きじゃくっていた。胸を突いて割く悲しみ、絶望、怒り。
その気持ちが痛いほどわかったから、沙希はようやく動けた。
「秋菜ちゃんッ! 今撃ったのは部隊の人たちじゃないッ! こいつらだ! その天星が撃ったッ!」
叫ぶ。伝えなければ。彼女は勘違いさせられている。
部隊の兵が歩優を撃ち抜いたように見せられていた。だが沙希と、えながは気づいていた。あの兵たちは既に天星の何らかの異能で、操り人形の如く銃を構えたポーズをさせられていただけだ。既に絶命していた。
だってあの銃撃には。沙希たちでようやく感じれるほどごく僅か、異能の匂いがした。ほとんど感覚だが、間違いない。
あれは、天星が撃った。
秋菜がぐるりとこっちを見る。潤んだ瞳が見開かれて、そこには虚無のような怒りが浮かび上がっていた。これが彼女の視線かと疑うほど、沙希は戦慄する。
「あいつらが、撃っただろ。いい加減なことばっか抜かしとると、お前も殺すぞ」
秋菜がこちらに手を向ける。沙希も咄嗟に銃を構えようとしたが、出来ない。彼女は撃てない。
代わりにえながが、沙希の前に立ちはだかった。蛇足が渦巻いて口を大きく開き威嚇する。
「やめなさい。我々は同志。殺し合う必要はない。殺すべきは、我々を脅威とみなす存在。異能に適応も出来ない、ただの人間だよ」
天星の声が凛と、殺伐とした空気の中に響く。その場の全員の視線が、彼女に吸い寄せられた。
「秋菜。歩優を守れなくてすまなかった。でもこれから彼女のような人を出さないために、力を貸してくれないか。私たちで、この世界を変えよう」
──もう『人間』に、飼い慣らされるのは終わりだ。彼女は秋菜の傍らに立ち、囁く。小さな声が沙希たちにも一言一句届いた。
秋菜は顔を上げる。
「……歩優も連れて行く。ちゃんと、お別れを言わせて」
「ああ、手厚く弔おう」
天星に肩を押されて、秋菜は歩き出す。そしてその背中は、青く渦巻く光の中へと消えていこうとする。
「ッ……!」
沙希は呼び止めようとした。だが、出来なかった。
無駄だとわからされてしまったからだ。自分の声は、もう彼女には届かない。どうしようもなく、あたしは無力だ。
「京都校の諸君。君たちもこの場にいたら、対策部隊の増援が来て殺されてしまうよ。私たちと一緒に来るなら、悪いようにはしない。共に行こう」
事態を見守っていた生徒たちにも天星は告げた。彼女たちの目の前にも青い渦が現れる。ためらいながらも、少女たちは一人残らず渦の中へと消えていった。沙希の手は、ただ自分という存在の小ささに震えていた。
押し留める言葉もない。だって増援が来て彼女たちが殺されてしまうのは、事実だから。
その場に誰もいなくなると、天星はこちらを見た。いつの間にか鏡花は彼女の傍に移動していてこちらを睨んでいる。天星が、やんわりとこちらに微笑みかけてきた。
「さあ、君たちはどうする? 私としては、ぜひとも共に来ていただきたい。導き手を求めている迷える魂は、いくらでもあるからね。君たちにはその素質がある」
「……ふざけんな。あんたをのこのこ逃がすと思ってるわけ?」
沙希は銃で彼女の眉間に狙いを定めた。鏡花が構えたが、天星自身は一切動じていない。笑顔がぴくりとも濁ることはなかった。
「仕方ない。君たちは早めに同志としたいところなのだけれど」
──何といっても、純血。生まれながらにして、異能者だからね。
天星はそう述べた。沙希は目を見開いて彼女を見た。えながも、同じような表情だった。
生まれついて異能を持っていたこと。それはえながにも、誰にも話していない沙希だけの秘密だ。
それをこいつは、何で知ってる?
「『告げ子様』と呼ばれていたよね、あのちんけな宗教団体の中では。まだ小さかった君をあんな窮屈な箱に閉じ込めて祀り上げるなんて。本当に醜いね、人間というのは」
「何を、言ってる……? あんた、それをどこで……」
目の奥に映る、あの時の光景。血飛沫、嗚咽。──感謝の言葉。
──告げ子様。ありがとうございます。私たちを導いていただき、感謝いたします。ありがとうございます。ありがとうございます──
幼い自分の悲鳴が、沙希の鼓膜を奥からつんざいた。
天星を、呆然とした眼差しで睨む。
「……あんた。まさか……殺したの。あたしの、家族を」
「家族、とは。まだ洗脳が解けていないかな。あれは家族じゃないよ。君を閉じ込めて自らのものにしていた、醜いけだものどもだ。──だから私が、解き放ってあげただろう? 連中は死ぬべきだった。最後に君の姿で殺されて、本望だったんじゃないかな」
血飛沫、感謝、血飛沫、感謝。血飛沫、感謝。血飛沫、感謝──。
沙希の目の前が真っ赤になる。
「ぶっ殺す……ッ」
沙希は続けざまに銃の引き金を引いた。天星の笑みが深くなる。
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