閑話幕間その3「放課後茶しばきタイム」


  1


 帰りのホームルームが終わると、担任の透子は「ごめんね、この後職員会議なの。また明日」と優しく微笑んで教室を出ていった。

 何となく。今日は教室が広い、と桃色は思う。

 それもそのはずで、今日は沙希とえながは京都の遠征に向かわされた。応援要請だったらしいが、詳しい内容は桃色たちにはわからない。

 こういうのは久々だ。そう思ってため息をつくと、タイミングが隣の智尋と被った。見つめ合い、お互い笑う。

「やっぱり、寂しいよね。沙希ちゃんと九十九さんがいないと。もちろん、桃色と二人きりなのは嬉しいけど」

「もぉ、智尋。可愛いこと言わないでよ。……今晩、空いてる?」

「えと、うん……。桃色のゲーム配信が終わった後だったら……」

 あからさまな誘いを仕掛けると、智尋は耳まで赤くなって横髪を撫でた。

 ……やばい。また配信に乗せられなそうな顔になりそう。キスくらいならここでも大丈夫か。監視カメラはあるけど、見せつけてやっか。何ならぶっ壊してもいい。

 そう思いながら、桃色は立ち上がって智尋に近づこうとした時だった。

 教室の引き戸が開いた。足で開けたらしい背の高い女性が、着ている修道服のポケットに手を突っ込んでこちらを覗き込んでいた。

「この前の一年坊、ですよね。先日はクソお世話になりました」

 彼女は祈るように指を組んでこちらに頭を下げる。白い手袋をつけた手の甲の部分に、薔薇が突き刺さったドクロの刺繍が物々しく施されていた。

「シスター・ゴリラ先輩。この前はありがとうございます。どうかしましたか?」

 驚きつつも桃色たちは笑顔で迎え入れる。二年生が一年生の教室に来たのは初めてだ。一応二人とは、全校集会などで顔を合わせたりはしていたけど。

 シスターはニコッと清楚に笑うと、親指を自分の肩の後ろにクイクイとやる。その時彼女の金髪の隙間から、バチバチにピアスを付けた耳が見えた。

「この後、時間は空いてますか。茶、しばきません? 断っても大丈夫ですので」

 桃色は智尋を窺ったが、答えは同じそうだ。シスターを見る。

「はい。ぜひ!」

 この人、好きかもしれない。そんな予感にわくわくした。


  2


「まあ、お二方。お待ちしておりましたわ。さあ、どうぞお掛けになってくださいまし」

 シスターに導かれてやってきたのは、二年生の寮の裏。

 ちょうど日陰になりつつ、目の前の花壇で花を愛でられるその場所には椅子とテーブルがあり。

 そこにシスターのパートナーである高目真凛がお茶会セットを広げて待っていた。茶器や、カップに、スコーンなどの菓子が乗せられたタワーのような段状の食器なんかもある。こんなの、貴族が出てくる海外ドラマでしか知らない光景だ。桃色はわくわくしてきた。

「高目先輩、お招きいただきありがとうございます。今日の縦ロールも素敵です。毎朝巻いてるんですか?」

「ええ。わたくしではなく、黒川が。身の回りのことは全てお任せしておりますわ」

「黒川と申します。真凛お嬢様のお付きを担当させていただいております」

「ど、どうもご丁寧に……」

 真凛の傍でお茶会の準備をしていた古めかしい使用人服の女性が、深々と頭を下げてきたのに桃色たちも倣う。

 召使いの人って実在するんだ……と感動した。高目グループがそれなりに大きな企業であるのは知っていた。本当に真凛は、そこのご令嬢だったのだ。

「黒川さんは学園の中に入れるんですね。異能者と学園関係者以外立ち入り禁止かと思ってました」

「わたくしの家はここのスポンサーですから。多少の無理は通させていただきましたわ」

「真凛様は私がいないと、歯ブラシの位置すらわかりませんから」

「黒川。わたくしのポンコツっぷりを披露なさらないで。毅然と振る舞いたかったのに」

「どうせいつかはボロが出ますから」

 椅子に座らせてもらった桃色たちは、真凛と黒川のそんなやり取りを微笑ましく見守る。この二人の間には深い信頼関係が見て取れた。

「真凛。隣、失礼しますね」

 シスターが真凛の隣の椅子に腰を下ろす。修道服の下はパンツになっているので、彼女は遠慮なく長い足を組んだ。荒ぶった格好も絵になる人だ。

「コラ、ゴリ。はしたないわよ。宝石月さんたちが驚いてらっしゃるわ」

「すみません、これが一番楽な体勢なので。神よ、お許しを」

「神は許してもわたくしが許さねぇですわよ? お座り、お手」

「私は神の使いであり、犬畜生ではありませんよ真凛。わんわん」

「わ、私たちはお構いなく……」

 シスターと真凛も気軽に話している。清楚な見た目に対して大胆な言動と行動でびっくりさせられるが、さすがパートナー。真凛はシスターのそういう面にも慣れきっているようだ。

 ここにも信頼の結びつき。この空間の空気、とてもいいです。桃色はニコニコになる。

「どうぞ。お茶が淹れました。アッサムです」

 黒川さんが待たせる時間もなく桃色たちの前にティーカップを置いてくれる。無駄のない所作。紅茶のいい香りが、桃色の心まで満たしてくれるようだった。

「いただきます。……あ、撮ってもいいですか。インスタに上げたくて。マナー違反ですかね」

「マナーなんかありませんわ。どうぞあなた達らしくお振る舞いになって。この人を見ればよくわかるでしょう」

 呆れた様子で真凛はシスターを見る。シスターは紅茶を一気に呑み下し、「失礼。お代わりいただけますか」と空のカップを黒川さんに差し出していた。悪びれのない自然体に桃色も吹き出してしまう。

 美味しい紅茶と、お菓子に舌鼓を打つ。紅茶は香り豊かであっさりとしていて呑みやすく、スコーンもほどよくしっとりとしていて喉を通りやすかった。マーマレードジャムを塗ると酸味と甘味が上手くマッチしていい味変になる。

 他にもバターの風味が香ばしいクッキーやパウンドケーキ、貝殻の形をしたマドレーヌなど彩りが熱盛だ。

 少しだけ沙希たちがいない桃色の心の隙間が、紛れたような気がした。

「美味しいですね、紅茶もお菓子も。見た目も可愛らしくて、目の保養にもなります」

「あら、神木さん。わかっていただけます? このためにどれも一つずつ名店から取り寄せましてよ。味も造形も天下一品ですわ。一つの芸術ですわね。まずこのスコーンは……ちょっと、ゴリ? 芸術品をムシャムシャしないでくださる? 蒸かしたじゃがいもじゃないんですわよ?」

「腹に入れば芸術品もじゃがいももおんなじですよ。神に感謝」

「雑に感謝しないでくれます? というか神じゃなくて職人に感謝なさいな」

「では職人に、感謝感激雨あられ。ありけりなり」

 口にスコーンのカスをつけながら、シスターが両腕を広げて日陰の空を仰ぐ。二人のやり取りはテンポが良くて飽きない。今度、動画出演お願いしちゃおうかな。いや、今交渉しよう。

 でもその前に。

「もっと先輩たちとお話ししたいです。楽しくて。先輩たちのこと、聞いてもいいですか?」

 桃色が改めて笑顔でそう頼み込むと。真凛とシスターは顔を見合わせて、こちらに笑い返してきた。

 どことなく無邪気で、子供っぽい笑み。二人揃って。「どうぞ?」とタイミングと声のトーンまで同じだった。

「ありがとうございます。……あの、もしよかったらですけど。先輩たちのこと、他の人にも知ってほしいので。動画、回してもいいですか?」

 スマホを持って浮いたMrs.の手を指さしながら、桃色は勇気を出して提案する。

「もちろん」とまた一緒の返事が同時に返ってきた。


  3


「シスター先輩って、聖職者の方なんですか?」

「いえ。これはコスプレです。非公式ネームも自分で付けました。ルールは無用。神は私にとって不要です」

 クッキーをモンスターのようにむしゃむしゃしながら、シスターはばっさり答えてくれる。清楚な笑みと子供のような食べ方がミスマッチでやっぱり面白い。あとやっぱり言動がぶっ飛んでいる。この人は配信者向けかも。……どうだろう。場合によっては燃えるかも。

「コスプレと言ってもこの修道服、最高級の素材で作らせましたのよ。おかげで今のような夏でも、肌を晒さずとも快適涼やかに過ごせますわ」

 真凛が胸を張って言う。「手配したのは私ですけどもね。ゴリラ様の採寸も」と隣に座って紅茶を飲んでいる黒川さんが注釈してくれる。

「自分で付けたということは、やっぱり特別な意味があるんですか。ゴリラって結構その……特徴的というか」

「私は動物園の中でもゴリラが好きなので。それに、ゴリラと聞いたら普通ゴツい筋肉だるまを想像するでしょう。そこで私が出ていくと、大抵みな拍子抜けします。この格好を見て、聖職者ならと油断します。──そこを、一気にぶっ叩くのが何よりの愉悦です」

 清楚な笑顔を貼りつけながらシスターはさらりと言ってのける。「大抵人の死は油断と直結します。お二人とも神のご加護をお忘れなきように」と付け足された。

 すごい。ちゃんと考えているんだ。ますます興味深い。桃色は前のめりになる。

「高目先輩はいつもこんな感じで黒川さんとシスター先輩とお茶会をしているんですか? めっちゃ貴族のアフタヌーンって感じで素敵です」

「うふふ、素敵でしょう。わたくしとしては毎日繰り広げたいところですが、さすがにわたくしたちだけ贅沢三昧するわけにはいきませんからね。普段は節制してますわ。それにこの人相手だと最高級の茶葉を出しても張り合いがありませんからねぇ」

 ぐびぐびとやかんで沸かした麦茶のごとく最高級の茶葉を嗜むシスターを見ながら、真凛はため息をついた。だがその視線は、親しい人に向けるような温かさがある。二人の距離感が伝わってくる。

 そしてそんな二人を見守る、黒川の愛おしげな眼差しにも気づいている。

「黒川さんは。真凛先輩と過ごして、もう長いんですか?」

 ふと智尋が尋ねた。黒川が慌ててカップを置いた。

「わ、私もですか? えと、まだ真凛様がこんなくらいの頃からですから……十年目ですね。お世話させていただいております」

「わたくしはさやえんどうの精か何かですの?」

 黒川さんが人差し指と親指でサイズを示すと、すかさず真凛が突っ込む。確かに十年、それ以上の積み重ねが二人の間には感じられた。

「私が高目家にお世話になり始めたのも、ちょうどその辺りですね。クソお世話になってます」

「あらそうでしたわね。そんなになりますか。二人がいるのが当たり前すぎて、もう時間の感覚が鈍くなってますわね」

 シスターが空のティーカップを置いてしみじみ言うと、真凛もしみじみと遠い目になった。立ち上がった黒川がすかさずシスターのカップに紅茶を注ぐ。

「お、お三方の出会いとか聞いても、いいですかっ」

「もちろんですわ。でも、少し長くなってしまいますから。またの機会にいたしましょう。さすがにわたくしたちばかりが語り部では、宝石月さんたちも退屈でしょうし」

 しぃっ、と優雅に、真凛は左手の人差し指を唇の前に立てていたずらっぽく笑う。その仕草に「お嬢様だ…」と感動しつつ、桃色は薬指にはまっていた銀色の指輪を見逃さなかった。

「じゃ、じゃあ一つだけ! 高目先輩、その指輪って……」

「ああ、これ? まだ正式に婚姻は結んでいないのですが、形だけでもと思って仮の指輪を付けておりますの。この人の、手袋の下にも」

 嬉しそうに薬指を見せびらかす真凛の視線を受けて、シスターも自分の同じところを手袋の上から触れていた。清楚が少し崩れて、素のような照れ笑いがシスターの顔に浮かんでいた。

「こ、婚姻……? お二人は、結婚なさるんですか?」

「ええ、まぁ。わたくしが正式に高目グループの代表取締役を引き継いでからになりますから、この学園を卒業後ですわね。この国の法改正など待ってられませんから、さくっとハワイ辺りで挙式しようかと思っておりますの」

 さすがに驚いていた智尋に、真凛は何でもないことのようにさらっと返す。「会社運営のお勉強も始めておりますわ」と楽し気に真凛は語りさえした。

 この学園を、卒業したら。そんなこと、桃色も考えたことがなかった。

 この檻から羽ばたける。そんな当たり前の未来が、自分たちにも訪れるのか。

「どうしましたの? あなた方も、進路は大事ですわよ。一年生のうちからでもぼんやりとは、頭の片隅に置いておきませんと。なんて。先輩面なんてなかなか出来ませんからね。させていただきましたわ」

「……ごめんなさい。正直びっくりしちゃいました。私たち、ここを卒業できるんですかね」

 仮にここを出られたとしても。また別の檻に移動させられて、いいように使われる。それだけなんじゃないかと漠然と考えてきたから。

 だから未来を、希望の光いっぱいに語る真凛の姿は。眩しいを通り越して、どこか神々しかった。

 テーブルの下で手を震わせる桃色に。真凛は優しく微笑みかけてくれる。

「さあ。わかりません。絶対そうだと言えるほど、わたくしは無責任でも楽天家でもありませんわ。でも、出来るかもしれない。そんな未来が待っているかもしれない──それだけで充分なのですわ」

「どっちみち生きねばなりませんからね、私たちはくたばるまで。神の名のもとに遣わされた身として。神なんかいねぇですけど」

「ゴリったら。せめてコスプレでも心まで着飾ってくださいな。キャラがぶれてますわよ」

 隣で頷くシスターの肩を、真凛が軽く押して吹き出した。二人の手と手は、きっと今結ばれている。……眩しかった。

 桃色は智尋を見る。智尋も、桃色を見ていた。そしてどちらからともなく、口元を綻ばせて笑う。

 もし、この学園を卒業出来たら。彼女と一緒にいられたら。その時は。

 お互いの気持ちの答え合わせは、それだけで充分だった。

「さてさて、自分語りはこれくらいにして。次は宝石月さん方の番ですわ。その前に……宝石月さん、サインいただいてもいいです?」

「さ、サイン……?」

 いつから用意していたのか。唐突に色紙とサインペンを真凛に差し出されて桃色はびっくりする。照れた子供のように落ち着きなく、真凛はもじもじとしていた。

「実はわたくし、桃色さんのチャンネル拝見しておりまして……。ずっと声を掛けたかったんですけどなかなか機会が。よろしければでよろしいので」

「真凛様は宝石月様の大ファンで、メンバーシップも入っております。毎日の配信で定期的に赤スパを送っているアカウント、あれ、真凛様ですね」

「ちょっ、黒川……? 何でわたくしのアカウントを知っているの。不敬罪よ、不敬罪」

「知ってるも何も、アカウントのアイコンが高目グループのロゴマークでしょう。面白いのでそのままにしておきました」

「不敬罪。どうして早く教えてくださらなかったの? バレバレじゃないの」

 ……やっぱり、面白い人たちだ。

 桃色はもちろん、快く彼女のサインに応じた。寮の部屋の一番いい額縁に飾ってくれるらしい。

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