第四話「激動」⑤


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 翌日。天国の扉での歩優の処置は、正午だった。時計の針が二つとも真上を向く時刻。

 早めに起きた沙希たちは手早くシャワーなどを浴びて朝の支度を整えて、京都校の敷地内を回ってみた。

 意外と広く、中庭などもあった。朝日を心地よさそうに浴びた花や草木がすくすくと育っている。

 ちゃんと手入れされているようだ。日の差し方まで計算された、華やかな庭。ベンチもあるし、何と東屋まである。ウチの中庭より豪華じゃん。……透子先生たちに言ってみようかな。中庭、みんなでいじってもいい? って。

「ここで、あの二人も過ごしたんじゃな」

 えながが、東屋にあるベンチに腰を下ろして、座面を撫でた。沙希もその隣に腰を下ろす。ここから見る中庭の景色は、何というかすごく良かった。

 沙希たちは先ほど。歩優と秋菜たちと同じ一年生二人、二年生、三年生とも顔を合わせた。というか泊まったのが寮の客間だったから、朝に食堂で会ったのだ。ここでは全学年同じ寮らしい。

 いつもなら賑やかなのだろう。でも彼女たちは、静かに会話し食事を口に運んでいた。

 皆、歩優のことを悼んでいる。心配している。でも誰にも心配をかけないように、沙希たちを困らせないようにいつも通り振る舞おうとしていた。みんな優しい人たちだった。

 秋菜は、いなかった。寮の部屋にもいないということなので探しに行こうとしたら一年生の子たちに言ってもらえたのだ。

「秋菜、中庭がお気に入りで。いっつも歩優と一緒にいたから、そこにいるかも」

 なので沙希たちは学内を巡りつつ、中庭にも足を運んだのだ。

 だがやはり秋菜はいなかった。一応天国の扉の前も確認したが姿はない。どこに行ったのだろう。少し心配だ。十五分圏内でも見つかってない。

「ここってたぶんみんなで管理してるんだろうね。ほら、名前がある」

 庭の一画に、それぞれ生徒たちの名前の木札が植え込まれたところがある。

 歩優と秋菜のところには、カスミソウが植えられていた。白と紫に寄り添いあった花たちが、沙希の目に焼き付く。

「……そろそろ時間じゃ。行こう、沙希」

 立ち上がったえながが、手を差し出してくる。沙希は頷き、その手を取った。

「うん、えなが」

 迎えの車に乗って、天国の扉へ。

 秋菜は。辛いだろうけれど、立ち会いたいたら立ち会えるように手筈は整えていた。

 彼女は立ち会いたい。昨日そう言っていたはずだけど。

「……秋菜ちゃん、いないね」

待ち合わせ場所にも、天国の扉の前にも秋菜はいなかった。

「一応、学舎にGPSの反応がありますが。お連れしますか」

「いいです。彼女がそう選択したなら。行ってきます」

 車の運転手の提案をやんわりと断って、沙希たちは天国の扉の中に入っていく。

 鉄格子を潜り抜けると、ちょうどストレッチャーに乗せられて歩優が部屋から白衣を着た男たちに連れ出されるところだった。

 両腕と両足にごつい拘束具を巻かれた彼女は、紙のように白い顔をしていた。駆け寄った沙希たちには、彼女が震えを必死に抑え込もうとしているのがよくわかった。

「……歩優ちゃん」

「姫沼さん。九十九さんも。ありがとうございます。……よろしく、お願いします」

 思わずぎゅっと沙希は、彼女の手を握りしめてしまう。小さい。冷たい。一人にしておけない。

 それでも彼女は、縋らないで自ら沙希の手から離れた。そして、弱々しく微笑む。

「大丈夫。恐くなんかないです。あたしは、天国にちょっとだけ先に行けるだけやから。……秋菜は。来ないんですね」

「ごめん」

「いいんです。昨日会えましたし、お別れも言えました。姫沼さんたちのおかげです」

 ──さよなら。歩優は施設の一番奥の部屋、処置室へと運ばれていく。沙希たちはその後に続く。

 処置室は、奥に向かって長方形になっている。その突き当りの空間で、拘束具のついたベッドに移し替えられた歩優は。腕にカテーテルを通されていた。

 これから彼女は三種類の薬物を投与される。一段階目で意識を失い、次で呼吸が止まり、最後に心臓が止まる。考えるだけで沙希は眩暈がした。

 白衣の男たちは作業を終えたようだ。みなベッドの上の歩優から離れて沙希たちの方へやってきた。

 壁に設置されたスイッチを押すと、歩優と沙希たちの間に分厚い透明な壁が降りる。安全のためだ。死の直前の感情の動揺で、異能が良からぬ反応を起こすことがあるらしい。一応この建物の中も、異能が働きにくくなるノイズが聴こえない程度に流されている。沙希たちには意味がないが。

 一人になった歩優は。じっと白い天井を見上げていた。その目は遠くて、どこまでも自分の内側に潜り込むようだ。

 見ていられない。でも、見なければならない。そのために、あたしたちはここにきた。

 沙希たちの前の透明な防壁に、彼女の心電図が表示されている。比較的安定していて、静かな心音。──本当に、強い子だ。

「……日出理事長? いらしたんですか」

 後ろの扉が開いた。枯れ枝のような京都校の理事長、良樹が杖をつきながら姿を見せた。さすがに沙希も驚く。てっきりこういうことには無関心かと思った。

「わしに構わんでいい。作業を続けろ」

「はい。投与量を調節ののち、第一投薬を始めます」

 端末を操作する白衣の男たちには目もくれず、良樹は防壁の向こうの歩優に目をやっていた。

 昨日会った時の鋭い眼差しが、今は緩んでどこか柔らかな印象に見えるのは。気のせいだろうか。

「……昨日はすまなかったな。学園の者の前ではああいう態度を装わないとならん。森郷秋菜も、余計に傷つけてしまった。理事長というのは、なかなか老体に堪える」

「……どういう、ことですか」

「わしにも孫がいた。今の彼女と同い年くらいだったろう。生きていれば」

 ──孫娘は異能発症者だった、と良樹は呟いて小さく咳き込む。

「学園を司る者として。年端も行かぬ少女たちを死地に赴かせ、時に死なせねばならん。おかげで若人ばかりが先立ち、年老いたものばかりが遺される。……いつからこの世界は、こんな風になったのだろうな。やりきれんよ。長生きはするもんじゃない」

 杖を掴む皺の浮いた手を、良樹はぎゅっと強く握りこんだ。震えるほど。

(この人にも。この人の戦いがあるのか……)

 沙希は人を見くびっていた自分の目を恥じ、反省した。

「……ごめんなさい。昨日、理事長室の机に足ぶつけちゃえって思っちゃいました」

「君のおかげで、昨日は痛かったよ。いくらでもなじって構わない。わしの両手はそれでも足りぬほど、血に塗れすぎている」

 言いながらも良樹は目を歩優から外さない。一瞬でも少しでも、記憶に刻み込むように。その視線は、そんな必死さを帯びていた。

「第一投与、開始します」

 白衣の男が告げ、端末を操作する。

 薬品が、カテーテルを通り、歩優の身体に流し込まれていく。歩優の目が閉じられていく。

 少しでも現世に繋がろうと足掻きながらも、彼女はそのまま眠りに落ちる。昏睡に陥ったようだ。と隣の良樹が小さくため息をつくのが聞こえた。額に汗が浮いている。

 今はただ眠っただけ。そしてそのまま、もう目覚めない眠りへと落とされる。

「意識喪失、確認。第二投与、開始します」

 呼吸を止める、第二投与。

 沙希は隣のえながの手を握る。すぐ彼女は握り返してくれた。その手も、震えている。

 白衣の男が投与のための操作を始めた。

 その時だった。

「っ……⁉」

 違和感。沙希の脳内に流れ込んでくる、数秒後の状況。おかしい。この場所でも五分は余裕なのに。直前まで感じ取れなかった。

 それより、やばい。

「みんな伏せて! 今すぐッ! 伏せてッ!」

 沙希が叫んだ時には、えながが蛇足を召喚している。その場にいた全員に体当たりして地面に転がせる。

 後ろの扉が吹っ飛んだ。爆発した。傍にいた沙希たちも衝撃で飛ばされて、蛇足の胴体で受け止められる。

 黒煙の中、部屋に入ってきた人物を沙希は見る。

「秋菜ちゃん……」

 秋菜は床に転がる沙希たちに目もくれず、ただ防壁越しに。眠る歩優だけを映していた。

「歩優、助けにきたぞ。ウチら、最強やもんな。ずっと、一緒やもんな」

 彼女の手が防壁に触れる。途端、防壁が爆発して、大きな穴が開く。

 秋菜の異能。触れたものに火力を含ませ、内側から爆発させる。

 でも今、パートナーの歩優の意識はない。彼女の異能は半減されているはずだった。それなのに、威力がある。何か起こっている。鼓動がうるさい。

 秋菜は眠っている歩優を抱きかかえると、そのまま部屋を出ていこうとする。

 その足を、良樹が掴んだ。

「待て。その子は異物になるぞ。罪もない人を殺させるつもりか」

 叫ぶ良樹を、秋菜は一瞥もしない。ただ一言、呟いた。

「邪魔や」

 秋菜を掴んでいた腕から、良樹が破裂した。血飛沫が舞い、沙希の頬にも飛び散った。

「秋菜ちゃん! ダメッ!」

 沙希はまだよろける身体を必死に起こして、彼女の背中に呼びかける。一瞬だけ、部屋を出た彼女は立ち止まった。

「……追ってこんといてくださいよ。この子のこと、見殺しにしようとしたやろ。容赦せんよ、ウチは」

 ひどく乾いた声だった。昨日とはまるで別人だ。何があった。何が彼女にこうさせた。

「沙希。追うじゃろ」

「……当然ッ!」

 えながに手を掴んでもらって立ち上がった沙希は。二人で秋菜たちを追った。

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