第四話「激動」③


  3


 天国の扉の中は。白で統一されていて、不気味なほど清潔感で満ちている。

 真新しい病院の匂いに似ているかもしれない。死の香りが、消毒液と共に漂っているのも含めて。

(でもやっぱり、ほんと檻だよね……この場所も)

 厳重な金庫のような入り口を通ると、すぐ鉄格子と透明防壁が行く手を阻む。傍の壁にある端末に腕のデバイスを認証させる。学園の非異能者の職員なら、身分証のIDカードなのだろう。おそらく階級は上じゃないと入れない。

 鉄格子が自動でゆっくり開いていく。ここから先に、常在のスタッフなどはいない。食事、着替えや日常用品はAIと建物に張り巡らされたテクノロジーが全自動で配布する。中に入れられた少女に。清掃に人が入るのは、彼女がいなくなった後だ。

 だからこの先には、死の瞬間を待つ少女しかいない。今は歩優、たった一人だ。

 沙希はぎゅっと掌を握りしめて。鉄格子の奥へと足を踏み入れる。

 まっすぐと伸びた廊下。窓はなく、花などもなく、清潔な白で統一されたその場は息が詰まるほど無機質だ。

 突き当りまでは短く、左右に四つほど並んだ扉が見える。そこに異能化を控えた少女たちが収監される。元々ここで最期を迎えられる生徒は多くないので、部屋数も少ない。一階以外に階もない。

 使われている部屋は今、一室だけ。そこに、歩優がいる。

 そして、今沙希たちから真正面に見える扉。そこが、処置室だ。少女たちは椅子にくくりつけられて、管から液状の薬を注ぎ込まれる。まるで、海外の死刑囚の末路のように。

「っ……歩優……」

 沙希たちの背中に隠れるように後ろに立つ秋菜が上擦った声で呟くのが聞こえた。

 沙希はえながと目を合わせると。そのまま二人で秋菜を左右で挟むようにして、お互いで右手、左手を繋いでやる。

「……歩優ちゃんに、会いに行こう。秋菜ちゃん」

「水野はもっと不安かもしれんぞ。しゃきっとせぇ、森郷。お主がそんな顔しててどうするんじゃ」

「か、覚悟なら決めてきとるわ! さっさと行くぞ、うちに付いてこい!」

「なら、とりあえずあたしたちより前に来てくれない……?」

 結局小鹿のように震えている秋菜を、えながと一緒に手を繋いで間に挟みながら沙希たちは廊下を進む。

『水野歩優』と扉の横のディスプレイで表示されている部屋の前に来た。沙希はまず、分厚い鉄で出来た扉を優しくノックした。

 そしてディスプレイに触れる。これで部屋の中のディスプレイに外の自分たちの姿が表示されたはずだ。

「水野さん。起きてる? ごめんね、急に。東京校から来ました、姫沼沙希と九十九えながです。話は、ちゃんと学園側の人から通してもらえてるかな」

 歩優の字が、液晶の中で微かに瞬いている。……無言。もしかしたら精神をすり減らしてしまっているのかもしれない。無理もない。

「歩優……っ」

 秋菜が心配そうな声を上げた時、モニターがぱっと切り替わった。前髪を整えながら、白いパジャマのような衣服を身に纏った少女が画面に映し出される。

『あ、えと……映ってます、か。京都校一年の、水野歩優です。東京からご足労いただいて、ありがとうございます。わざわざ、あたしなんかのために』

長い髪をシュシュで纏めて、前に流している彼女は、モニター越しでも顔が良くないのがわかる。目の下にも、濃い隈が浮いていた。

「気にしないで。何か欲しいものとか、ある? してほしいこととか」

『……いえ。大丈夫です。私は平気ですから』

 歩優は笑う。弱々しかったけど、儚かったけど、ちゃんと。沙希は一瞬だけ眉間に皺を寄せる。そしてすぐ、歩優に笑い返す。

「水野さん──歩優ちゃん。実は会ってほしい人がいるんだ」

 そして沙希とえながの背中に隠れていた、秋菜の背中をとんと押して前に出してやる。

 モニターの中の歩優が。大きく目を見開いた。もじもじと手を合わせる秋菜を見る眼差しが、初めて感情を見せた。

「あ、えと……歩優? 元気、やった?」

「……秋菜。来とったん。ダメやなかったの。前日、やのに」

「この人たちが。姫沼さんと九十九さんが入れてくれたんよ」

 歩優、ちゃんと寝れとる? と秋菜は足元を見がちながらも、ちゃんとモニターの歩優にも目をやる。

「大丈夫やない、やろうけど。ウチも一緒にいるから。ずっと一緒やから、ウチら。大丈夫やで。うちが来たからには、もう安心や」

 秋菜が。震えそうな声で背をぴんとまっすぐ伸ばして胸を張って。笑ってみせる。

 それを見て、少しずつ崩れていく歩優の表情は。筆舌に尽くしがたいほど、儚く頼りげない少女だった。

「……秋菜。ごめん、ちゃんと会いたい。こんなモニター越しで最後とか、嫌や。ちゃんと秋菜の、顔見たい」

 歩優は泣かなかったけれど、今にも溢れそうな声で言った。

 えながが沙希を見た。

「姫沼」

「もうやってる」

 十五分前に。分厚い金庫の扉が、ゆっくり開いていく。未来介入の範疇。この施設の防壁システムなんて、いくらでも介入できる。

「歩優……!」

「……秋菜っ」

 隔てるものがなくなって。二人の少女がお互いを認め合って、そのまま抱きしめ合った。

 モニターを介さない歩優は、思ったよりもずっと小さくて、幼かった。そして憔悴していた。今にも倒れそうなほど、立っているのがやっとだ。

 そんな彼女を、秋菜はしっかり抱き支えた。一目でわかったのだ。彼女の身体、心の状態が。ずっと寄り添ってきた、パートナーだから。

「大丈夫。大丈夫やから。ウチら、最強やろ? いっぱい人助けてきたやんか。きっと大丈夫や。神様も見てくれてたやろ」

「……せやなぁ。あたしら、頑張ったもんな。きっと、すぅって。苦しくもなく、行けるよな」

 そこで先に、歩優の涙腺が決壊した。それに共鳴するように、秋菜も鼻を啜る。

(……そっか。あたし、部外者なんだ。この子たちに、何もしてあげられないんだ)

 未来に介入出来るけれど、彼女たちの未来は変えられない。何のための、力なのか。十五分先? そんなの変えてどうするんだ。

 どうにもならない。

 泣き尽くしながら震えて、それでも結びつき合う二人の少女たちを前に。沙希は眩暈を感じた。

(あ……)

 そんな揺らぐ沙希の手を、誰かが取った。一人しかいない。えながが目を逸らしたまま、震える沙希の手を。自分の手で包んでいた。

(……ありがと)

 今は言えない、最大限の感謝を。口の中で呟いて。沙希はえながの手に、その小さな手に縋って、縋られた。

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