第三話「桃色吐息」⑤


  5


「……なるほど。君が神木智尋ね」

「自己紹介はいらなそうですね。要さん、でしたっけ」

 立ち上がった桃色の肩を優しく撫でて、智尋が隣に並ぶ。

 萩人は驚いた様子さえ見せずに名前を呼んだ。……何だ、こいつ。人の彼女の名前を、勝手に。

「人の彼女を、勝手に怪しげな団体に勧誘しないでもらえますか。それにさっきから手加減している。……真剣に戦ってる、桃色に対してあまりにも失礼だ」

 智尋は爽やかに笑いながら言う。めちゃくちゃ怒っていた。

 萩人は、はっとなり頭を掻いた。

「……ああ。そうかそうだよな。だから君たち、怒ってるのか。ごめんな。余計な世話だった」

 萩人は両腕を勢いよく引いた。にやり、と笑う。

「じゃあおじさん、本気出すわ。死ぬなよ? 殺したくないんでね」

「おじさん構文、大っ嫌い」

 萩人が掌打する。同時に桃色は拳を突き出している。打ち出された空気砲。桃色の拳とぶつかる。めちゃくちゃ重かったけど、相殺出来た。

「まだまだ、だねぇッ!!」

 萩人は連続で腕を突き出す。連続突っ張り。桃色は更にMrs.の腕を四本に召喚。正面から隙のない殴り合いになる。

「無駄、無駄、無駄無駄ムダムダムダァッ!」

「お、それわかるの今の若い子も。嬉しいわ、話題の一つが出来たみたい、でェッ!」

 打ち出す空気砲。殴り返す無数の拳。押し合いへし合いぶつかり合った。どっちも譲らない。

「はぁっ……こんなもん? 本気の割には軽いね、おじさぁん?」

「可愛いのにえっぐい煽りすんなぁ。でもちょっと、予習不足じゃあないか?」

 ぶつかり合いの中で、少し額に汗を浮かせた萩人がにやりと笑う。

 はっとなる。後ろに意識を向ける。

 無数に打ち出された空気砲。そこに反射する圧力を、目に見えない透明な圧力を一緒に含ませたとしたら。

 背中に風を感じた。反射する圧力で跳ね返ってきた空気の塊が、後ろから迫ってきている。やばい。萩人本人に全振りしすぎていて、防御が背後まで回らない。

「お嬢ちゃん、背中が煤けてるぜ」

 萩人の気取った台詞が聴覚の端で聞こえた。来る、と衝撃に備えた瞬間。

 巨大なパンダのバルーンが、桃色の背中に当たった。ふにゃん、と優しくキャッチしてくれる。空気砲の衝撃はそれが全部受け止めてくれた。

「君の仕業かぁ。卑怯じゃない、おっさん相手に二人掛かりは」

「ボクと桃色は常にペアです。それにボクはちゃんとあなたの前に姿を見せていた。不意打ちで警察の人たちを皆殺しにしたあなたに言われてもね」

「それ言われちゃ、ぐうの音も出ねぇな」

 苦笑う萩人を、智尋が睨んでいる。智尋が、きっとこのバルーンの欠片を持っていて、元の形に修復したのだろう。爪の先ひとかけらでも素材があれば。桃色と一緒にいるフルパワーの智尋の異能は、瞬時にその元を修復できる。

「あなたの背中も、煤けてますよ? ダメです、一瞬でも桃色から意識を逸らしちゃ」

 智尋がにこりと笑う。その時には桃色は、油断した萩人の傍らに潜り込んでいる。

 低く構えて、クロスさせた両腕をチョップするように勢いよく振りぬいて解放する。途端。

 四方八方からMrs.の腕が現れて。取り囲んだ萩人に向かって振り下ろされる。チョップが。時間差で幾度も。芝生が飛び、土埃が舞う。

 桃色が動きを止める。急な静けさが、辺りに散らばった。

「……やっぱ、年は取りたくないわな。今のはやばかった。さすがだなぁ、お嬢さん方」

 土埃が晴れて、地面に伏していた萩人が姿を見せた。反射圧力で防がれたみたいだ。

 だが彼の左腕。スウェットの袖が破れて、腕の途中が大きく腫れ上がっていた。折れたのは腕だけか。チィっ、と桃色は聞こえるように舌打ちした。

「でも俺の反射神経の方が上だったね。惜しかった。大人を舐めたらいかんぜよ、君たち」

「お前こそ、子供を舐めない方がいいよ」

 這いつくばった萩人を、桃色は横目で養豚場の豚を見るような目で見下ろす。

「反射圧力で自分の周り包んで全方位から守ってるでしょ。じゃあ今、お前がいる場所は完全密封状態なわけ」

 萩人の目が見開かれる。彼が視線を向けた自分の顔の横。

 欠片が浮いていた。まるで時間が巻き戻るように一瞬で。それは形を取り戻す。ピンが抜けた状態の、手榴弾。智尋だ。

 まず光。爆音が耳をつんざく。Mrs.の手が桃色を爆風から守り、指が耳栓のように音から守ってくれた。

 Mrs.の腕が黒煙と土埃を払いのける。

 萩人は。いた。ぷすぷすと煙を上げながら転がっている。着ているスウェットは焦げてボロボロになっている。

 咄嗟にご自慢の反射神経で反射圧力の守りを張り直したみたいだ。生きている。意識はある。

 だが両脚は爆発でやられたみたいだ。これで逃げられない。足の修復は、智尋に任せよう。

「……やられた。おっさん相手に二人掛かりは、やっぱり大人げないって君たち」

「子供なんで」

 萩人が咳をしながら、煤だらけの額に手をやって空を見上げる。雲一つない、うだつような晴天。

 桃色は息を大きく吸って、煙で少し噎せて。そのにが苦しさを噛み締めながら、萩人の傍らに立つ。

「何で警察の人たち、殺したの。いい人も、いたのに」

「……俺の娘が殺された。そのいい警察の人たちにな」

 吐き捨てるように、萩人は言った。桃色は。傍に来ていた智尋に視線を送ってから、彼の前にしゃがみ込んだ。

「何が、あったんですか」

「おっさんの昔話に付き合ってもらえる? 俺、嫁と娘がいたんよ。嫁とはもう、離婚してる。そんでもって娘は、ある時いきなり異能に目覚めた」

 どくん。桃色の中で心臓が揺らぐ。吸って、吐く。萩人に続きを促す。

「まだ十三歳だった。君たちより年下だな。だが娘は──守(まもり)は、異物にはならなかった。異能適合者だったんだ。いきなり現れた知らない奴らに、学園とやらに連れていかれた。そこに行けば娘は何とかなるとか言われて。俺は元嫁と一緒に、その書類に保護者としてサインした」

 萩人は遠い空を眺めて、穏やかな表情になる。今まで見た彼のどの表情の中でも、彼らしかった。

「異能学園に入れられた生徒とは、月に一回だけ保護者だけが面会できる。知ってるよな?」

「……知りません。私たち、児童養護施設出身なので」

「そうか。悪かった。……なぁ、あそこにいると、自分たちがまるで罪を犯した囚人みたいに感じられないか? あれは学園じゃない、檻だ。面談の時も、分厚いプラスチックの壁越しに受話器で話すんだぜ。俺たちは何度も学園に抗議したが、ダメだった。書類にサインしちまったからな」

 ──書類扱ってばっかの仕事だったのに、一番肝心なことは見逃しちまった。萩人が咳をする。

「守はいい子でな。俺たちのことは一切責めなかったし、逆に会った時は元気そうに笑顔で振るまってた。『パパ、私力を使いこなせるようになったんだよ』。『パパ、私人を助けたんだよ。私、もう一人前だよ』。……あの子の楽しげな声が、今でもずっと耳の中で聴こえてる」

 そして彼女の、十四歳の誕生日。

「職場に電話が来た。娘が死んだって。心からお悔やみ申し上げますって、学園の連中からすまなそうに。遺体はなかった。会わせてももらえなかった。……よりにもよって、誕生日だ。俺は仕事上がりにプレゼントを買うつもりだったんだよ。絶対渡せるって、さっきまで思ってたのがバカみたいだった」

 守は、街で暴れていた異物と対峙した。だが相手の方が格上だったのだ。

 最初に彼女のパートナーが殺された。そして守は、激昂して異能を解き放ってしまった。

 異能は制御しなければ、その力に呑まれる。適合者だからこそ、その力は持て余すほど強い。

 呑まれた守は異物を殺したが、自らが異物になった。

「俺は人間じゃなくなった守が、取り囲んだ警察連中に撃ち殺されるのをニュース番組越しに見た。『警察が対処したのでもう市民の方々は安全です』なんて、記者会見で偉いやつが言ってたかな。……おかしいだろ。守はッ! その市民を守るために戦ってただろうがッ! 対処だ? 人の娘を何だと思ってんだこの犬どもがッ!」

 初めて、萩人が吠えた。純粋な怒り。燃えるような、その身を内側から焦がすような。

 ひゅっ、と桃色は、小さく息を吐いた。

「桃色ちゃん、智尋ちゃん。あんな学園なんかにいちゃいけない。君たちは何も悪くない、子供なんだから。もう異物なんかと戦わなくていいんだ。市民なんかのために、その尊い命を捨てるな」

 こちらを見た彼の優しい声色に、桃色の心が揺らぐ。だから、手加減していたのか。殺さないようにしていたのか。自分を恥じる。

「学園から出たら。天星って人のところに行け。その人がきっと、正しい方向に導いてくれる。それを伝えに来たんだ。その人は、こんな俺にも異能を授けてくれた」

「天星……? それは、誰?」

「説明できない。たぶん、向こうから来てくれる。……悪いが、もう時間がない。俺の異物化が始まった」

 はっとなる。萩人の身体が、繭が裂けていくように。少しずつひび割れていく。光を反射しない漆黒が、その内側から覗き始めていた。

「元々男じゃ無理なのに、無理やり異能をもらったからな。それでも二ヶ月半。訓練したし、よく持った方だ。……悪い、殺してくれ。このままじゃ君たちを殺しちまう。ひどい役目を負わせちまうが」

 萩人は笑う。桃色は、立ち上がって後ずさりした。彼の異物化は、少しずつ進んでいる。

 素でもあれだけの強さだったのだ。異物化したら、きっと桃色たちでは対処できなくなる。

「もう遠慮はいない。俺は人じゃないからな。……ごめんな。手を煩わせる」

「……で、できま、せん。今の話、聞いちゃったら、もう」

「……そっか。また話す順番を間違えた。俺ってのは最後までどうしてこう、バカなんだろうなぁ」

 ──でも頼む。やってくれ。萩人の目がまっすぐ桃色を射抜いた。

 桃色は構える。肘を引いて、拳を握りしめる。同期したMrs.の大きな拳が、横たわった萩人の前に待機する。

 いつでも振り下ろせる。だけど。ひゅっ、と息苦しくなる。

 痛い。痛い。痛い。やだ。そんな目で、見ないで。

「桃色。君はいい。ボクがやるよ」

「ダメ。智尋にそんなこと、させられない」

「ボクだって君にそんなことさせられない」

 肩を掴む智尋を腕で押し留める。どうしたらいいか、わからない。でも、どうにかしないといけない。どうしたら。

 萩人の身体のひび割れから、黒い腕が飛び出す。もう迷っていられない。

 刹那。桃色たちの隙間を縫うように。通り抜けたものが、萩人を射抜いた。萩人の身体が軽く跳ね、突き出した黒い腕は、だらんとなって項垂れた。

「汝、安息なる眠りを。どうか心安らかなる旅路を」

 凛とした声が空気を割く。振り向く。

 紺色の修道服を身に纏い、ウィンプルという頭巾を被った、シスターの恰好をした女性が。真っ赤なバイクに跨ってそこにいた。エンジン音はない。彼女は銃の形にした人差し指の先を、萩人の遺体に向けていた。

「……シスター・ゴリラ先輩。高目(たかめ)先輩も。来てたん、ですか」

「出動要請が来ましたの。だから今のは、わたくしたちが独断でこの人を殺しました。あなた方に責任はありませんわ」

 今の言葉は、シスターの女性ではなく、彼女の跨るバイクが話した。

 シスターの恰好の女性が降りると、バイクは瞬く間に人の形に為る。桃色たちと同じ制服を着た、綺麗な縦ロールの髪の女性の姿に。

 シスター・ゴリラと、高目真凛(たかめ まりん)。桃色たちが所属する異能学園東京校の、たった二人の二年生だ。

「……どうかこの、クソッタレな世の中から解き放たれ。娘さんと一緒に向こうで、穏やかな時間を過ごせますように」

 シスターが膝をつき、萩人の前で指を組んで祈った。その隣で、真凛も手を合わせる。

 桃色と智尋も、それに倣って指を組み、祈った。萩人の旅の安寧を。

(……天星。誰だ、そいつ)

 桃色の胸の内側はざわついていた。萩人はその名前の人物の使いで、桃色たちを勧誘に来た。つまり彼が所属していた、何らかの集団の親玉なのだろうか。

 異能を授かった。萩人はそう言った。

 良くない予感が、桃色に警告を発していた。

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