第三話「桃色吐息」④


  4


「少し落ち着いてくれないか? 五分。いや、一分だけ俺の話を聞いてほしい」

「あなたを、殺したらね」

 逃げ回る萩人に、桃色はMrs.の腕と足を振るう。突き出された拳。無知のようにしなる足。無数に繰り出される打撃。

 ニトントラックがスポーツカー並みの速度で突っ込むのと同じようなものなのに、萩人には当たらない。

 彼は避けるし、逃げるし、びたりと打撃が彼の前で止められるのだ。まるで透明な壁に阻まれるように。

(何だこいつ)

 冷静になってきた桃色は、彼を追いながら考え始める。

 異能発症者であるのは間違いない。だが、異能に適合してるはずがない。適合者は今まで女性しかいなかった。

 男性は例外なく、破壊衝動に呑まれ、数時間で異物と化す。

 だが、今追っている男は。理性的に見えるし、異物になる気配はない。それなのに、異能を使いこなしている。

 何だ? 何かおかしい。こいつは一体何なのだ。

『桃色。そいつ、変だ。追うのは一体やめてみない?』

 腕のデバイスから智尋の声がした。車でこちらを追ってきてくれているのだ。距離が開けば、智尋の異能と共鳴出来なくなって桃色の異能も半減してしまう。常に異能適合者はペアでいなければならない。

 彼女の心配もわかる。けど今は、桃色の激情が勝っていた。

「ごめん、智尋。追う。あの人警察の人たちを皆殺しにした。放っておいたら被害が広がるかも」

 半分本音だったが半分は違った。

 良く接してくれた釘木を目の前で殺した。出会ったばかりだったけど。仇を打つには、それだけで理由は充分だった。

「……と。この辺りでいいか」

 男が急に足を止めた。逃げ回っていたのに。

 周りを見渡せば、自然公園の運動場だった。陸上競技用のトラックが、大きな楕円を描いている。桃色たちは、その輪の中の芝生に立っている。

(……誘い込まれた?)

 背中から黒い翼のように、Mrs.の大きな両腕を広げて奇襲に備える。が、他に気配はない。

「ここなら何もないから、思う存分暴れてくれ」

 スウェットの男は体を伸ばしながら言う。

 ……建物も、人気もないところにわざわざ移動した? 何のために? 目の前の気さくそうな男のことが、ますますわからなくなる。

 そして疑わなくなった。彼は自らの異能を乗りこなしている。異能適合者だ。

「ここには俺と君しかいない。下手な小細工は使わないよ。……いやぁ、やっぱ実戦だと体が思うように動かんねぇ。年は取りたくないもんだ」

「……お前、何?」

「何だ、話を聞いてくれる気になったか。若い子は話が早くて助かるよ。おかげで俺みたいなのが時代に取り残される」

 萩人は肩をぐるぐると回して、次に足の屈伸運動をしながら続ける。

「単刀直入に。君、いや君ら。俺たちの仲間にならないか。もう一人いるよな近くに。たぶんそれで聴いてるだろ?」

 萩人が桃色の腕に埋め込まれたデバイスを、養豚場の豚でも見るような目で眺めている。智尋の存在も嗅ぎ取られている。彼女に指一本触れたら殺す、と桃色は視線に込める。

「お前、何言ってんの? さっき躊躇なく、人殺したよね? 頭おかしいんか?」

「いや、俺は正常だ。おかしいのは君らだろ? 君らだって、人殺してるじゃあないか」

 異物だって、元は人間だろ、と男は言う。

 桃色のハーフツインの毛先が逆立ちそうなほど、殺意が満ち溢れた。

「……しまった。気に障ったなら謝る。俺ってやつは、いつも言葉を選ばなくて相手を怒らせる。つまり俺たちは、既に仲間だって話だよ」

「一緒にしてんじゃねえよッ!!」

 桃色は両手をパンッと体の前でぶつけ合う。両肩のMrs.の大きな両掌が。蚊を叩くように萩人を叩き潰した。

「……また怒らせちまったなぁ。悪い。俺、年頃の女の子とのコミュニケーションがマジで下手くそで。おじさんで申し訳ない」

「おじさん構文。大っ嫌いなんだけど。DMでよく来るから」

「言葉遣いすら君の気に障っちまうかぁ。わり、もうおじさん黙るわ」

 手ごたえはあった。

 だがMrs.が手を開くと、萩人はまったく無傷で首を回しながらぴんぴんしている。

 間違いなく彼の異能。でも、何となく察しがついてきた。

「お、その目は大体俺の異能を察したな。じゃあ特大ヒントをやる。俺が、例えば手を君に向かってこう下げると」

 萩人が手のひらを足元に向けたまま、肘を上に突き上げる。それをぐぐぐ……と力を籠めるように少しずつ足の方へ落としていく。

 ぐんっと。急に桃色の身体が重くなる。バランスを崩し、地面に伏してしまう。それでも萩人を視線から外さない。

 体に重りを付けられた。というよりは、上から巨大な手で押さえつけられたような感覚。だがMrs.の手のような感触や感覚がない。壁というより、空気に締め付けられているような。

「……圧力」

「正解。ま、これじゃあヒントにもなってないか。俺、教師には向いてないな。書類とばっかり向き合ってたからさ」

 透明な圧力を上からかけて、桃色を今地面に這いつくばらせているのだ。

 おそらくかける場所も、方向も。左右前後両方から圧力を掛けるという操作も出来る。大勢いた警官たちが一斉に潰されたことから、多分複数の場所、範囲まで自在だ。自分の周りに圧力を反射して、Mrs.の打撃から身を守ることさえできる。

 釘木を最後に殺したのは、桃色が近くにいたからか。それとも見せつけか。

 今だって桃色を一瞬で潰そうと思えば出来たはずだ。それなのにわざわざ加減して、自分の異能を開示さえする。

 舐められている。……桃色の額に青筋が立つ。

「さて。そろそろ手を貸そうか? さすがに女の子を抑えつけてるのは絵的にまずいもんなぁ」

「殺すよお前。マジで」

「……すまん。今のはセクハラか。いや違うんだ。別に君が女の子だからってことじゃなくて……っ⁉」

 Mrs.の重機のような両手が。桃色にかかっていた萩人の圧力をぐぐぐ……と上に引っ張り上げていく。身体が軽くなり、空いたであろう隙間から。

 桃色はスライディングの如く飛び出す。一瞬。萩人との距離が縮まる。拳の届く範囲まで。

「君の手は異能だから、俺の異能に干渉出来んのか。だから存在しないはずの圧力を掴める。やばい、相性の悪い相手だ」

「死ねぇえええええッ!」

 拳を握らず、掌打を放つ。Mrs.の分厚い掌が萩人を吹っ飛ばした。彼はぶっ飛ぶ。が、圧力を反射したのか無傷。地面にすら倒れなかった。

「……ただ、俺は君の打撃を全部圧力で押し返せる。お互い相手が良くないな。話せばわかる。君が俺たちの仲間になる。それで手を打たないか?」

「黙れ、ボケ、カス、アホ」

「だめだこりゃ。まあ、殴り合いも話し合いの一環か。俺の時代は、だけど」

 萩人が両肘を後ろに引く。そして両掌を桃色に向かって突き出した。

 咄嗟にMrs.のデカい腕でガード。が、弾き飛ばされる。桃色の身体は宙を高く舞った。

(圧力を急激にかけて。空気を押し出したのか)

 圧縮した空気砲だ。範囲を狭めれば銃の弾の威力を超えるだろう。

 だが喰らった桃色の身体は、軋むように痛んだ程度。……やっぱ舐めてる、この男。苛立ちが募る。

 桃色は芝生に落ちる背中で、受け身を取ろうとする。

 が、背中はふわっとした感触に受け止められた。

 座った人をダメにするビーズソファに。桃色は受け止められていた。

 これは修復だと気づく。たぶんソファのビーズの一部を投げ込んで、作り直した。

「……なるほど。君が神木智尋ね」

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