第三話「桃色吐息」①  

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「ここで会ったが何かのご縁。あなたの人生桃色に! こんにちは、宝石月桃色でーす!」

 カメラに向かって、桃色はにっこり微笑み手をひらひらとした。

 ハーフツインの髪が風でなびいている。というか、桃色は落下していた。

 街に並ぶ背の高いビルより、更に上空。スカイダイビングのように落ちている。一応ピンマイクは付けているけれど、風音で使えないかもしれない。後で部屋のマイクで吹き替えとくか。

 髪はなびくけど、顔は風の影響を受けない。文字通り大きな手で包まれて、風圧から守られているから。

「今日の動画はねー、いつもの通り人助け! ヒーローモードでいっぱい人、助けちゃいます! そして絶賛飛び降り中! 名物ヒーロー着地、狙っちゃおう!」

 テンションをやや上げめで、カメラにウインクして見せる。ちなみにアクションカメラで、延長できる自撮り棒はちゃんと持ってもらっている。

 空気中から伸びている真っ黒な腕に。その腕とはペアの左腕が、カメラの向こう側でサムズアップする。「よーい、アクション」の合図。

「オッケー、Mrs.ショッキングピーチ。ゆっくり減速して、着地するよ? タイミング合わせて」

 仰向けに空から落ちていた桃色は言う。自分を守るために包み込んでいる大きな黒い両手に。そして、カメラを取ってくれている両腕にも。

 全部、彼女の腕だ。腕部分、手部分だけ現れているその存在は、Mrs.ショッキングピーチ。

 桃色の異能。真黒な体の部位を、好きな大きさに好きな数だけ召喚出来る。ただし範囲は自分の周辺で、路線バスの全長一台分くらい。

 ちなみに今落ちているのも、Mrs.の腕で思いっきりぶん投げてもらったからだ。現場に駆け付けるのには、車より障害物のない空を行った方が早い。その方が、素早くいっぱい、人を助けられる。

「地面近いよね? 行くよ、三、二、一。着地!」

 落ちる桃色の身体に負荷が掛からないように少しずつ減速していたMrs.は、ブレーキを掛けて落下速度を和らげた。

 そしてぱっと、包んでいた両手を開いて桃色を解放する。桃色は狙った通り、地面に着地できた。膝を格好良く曲げるのが、ヒーロー着地のコツ。

 カメラ係のMrs.の腕たちに確認する。指で丸を作ってくれた。ばっちり撮れた。今回のサムネ決まったかなこりゃ。

 現場が見えた。火事だ。ビルの下部から火柱と、黒い煙が上がっている。消防車が水を掛けていたが、火はなかなか収まる気配はなく逆に暴れまわる一方だ。

『宝石月さん。ビルの上の階にまだ取り残されている人がいる。下の火が強すぎて避難できないみたい。申し訳ないけど緊急で。火と煙の回りが思ったよりも早い』

「行けるよ、トッコー先生。速攻で、みんな助けちゃうね?」

 腕の埋め込みデバイスに、透子から通信が入る。そして、すっかり慣れ親しんでいるけども、未だに耳にするたび心弾むあの声が、やってくる。

『ごめんね、桃色。炎が消えないとボクの修復異能は役に立たないから。一人だけ無理させて、ごめん』

「いいの、智尋。私もいっぱい目立てるし、再生回数も増やせる。リスナーも爆増、いいことまみれ。大丈夫だよ、見てて。絶対誰も、もう死なせないから」

 規制線の前に集まってスマホを構えている人だかりが見えている。あれを通っていくのは面倒だし、画に華がない。

 ……やっぱ空を行くしかないかぁ。

「Mrs.、私のこと拾い上げて。ビルの上の人たち、そのまま助けに行こう」

 二tトラックより巨大な黒い手が、現れて桃色の前に手のひらを向けて差し出される。踊りに誘うような優雅な仕草。ばっちりその上に乗りこむところもカメラに収めて、桃色は浮き上がるその手のひらに持ち上げられていく。

 火事を眺めていた野次馬たちが、ビルの方に浮かんでいく桃色とMrs.の手に気づいた。彼彼女らの向けるスマホのカメラに、桃色は手を振る。

「こんにちは、宝石月桃色でーす! 今から逃げ遅れたみんな助けてきます! 配信者やってるので、チャンネル登録よろしくお願いしまーす!」

 宝石に月、色の桃色で検索検索ぅ、と付け足すのを忘れない。

 Mrs.の手のひらが、とりあえず黒煙の届かなそうなビルの外壁へと辿り着く。ガラス張りになっていた。ここなら良さそうだ。

「Mrs.、同期接続。私の動きに合わせて。カメラにもバッチリ撮ってね。カットになるかもだけど」

 桃色は構える。今立っている手のひらとは別に、少し大きめなMrs.の握りこぶしが隣に現れた。

「破ァ!!」

 桃色はカンフーの構えで、思い切り前に拳を突き出した。Mrs.の握りこぶしが同期して、突き出される。ガラス張りの壁が粉々になった。桃色はそこから飛び移り中に入る。

 広いオフィスになっているみたいだ。デスクがいくつも並んでいる。混乱の後が生々しく残っていた。

「トッコー先生、私のデバイスをこのビルの放送装置と繋げて。避難誘導する」

『もうやったよ。さすが宝石月さん、よろしくお願いします』

 透子は仕事が速い。桃色は腕のデバイスに語りかける。

「みなさーん、こちら宝石月桃色と申します。あなた方を避難させに来ました! 逃げ遅れたみんな、十二階の端っこのオフィスに集まってくださーい!」

 言いながら桃色は邪魔そうなデスクたちをMrs.の大きな両手で端に纏めて寄せておく。とりあえず全員集まれそうなスペースは確保。「トッコー先生、監視カメラで残ってる人がいないか逐一報告お願い。私はトイレとか確認する」

 走り出す。みんなここより煙から逃れて上の階に避難しているはずだから、探すべきはここから上だ。

 桃色は監視カメラのないトイレなどを一階一階調べて回る。出くわした人たちには十二階のオフィスに集まるように告げて、全階調べた。透子もみんな十二階に集まったと伝えてくれた。

 桃色も指定した十二階のオフィスに向かう。

「き、君が……? 私達を避難させてくれるのか……?」

 中年のサラリーマン風の男の人が、やってきた桃色を見て困惑していた。そりゃそうだ。消防隊でも警察でもない、ただの制服のガキ。ただし美少女、超人気配信者。

「はい、私が皆さんを外に連れ出します。安全に。落ち着いてください、ちょっとびっくりすると思いますけど、大丈夫ですから」

「だ、大丈夫なわけないだろ!? 君に何が出来る!? 下が燃えてるんだぞ!?」

 男性がヒステリックになり、周りの人たちも混乱し始める。不安や恐怖はすぐ伝播する。それが人の生存本能。だから正しい。

「let's sing、この世界は sing 楽しいよね for your life, for your dream! 一緒にさんはい歌いだそう!」

 桃色は大声で歌い出す。唐突なことに、その場のみんな目を丸くして押し黙った。

「……歌は世界を救います。皆さん、落ち着きました? では私の指示に従ってください。絶対大丈夫です」

 みんな、肩の力が抜けてしまったようだ。何となく桃色のペースになった。やっぱ私の好きなアニメの主題歌、すごいな。ありがとう、制作者の方々。

「ではこの窓から、一人ずつ。ちょっとゴツい見た目だけど、優しい手ですから安心してください。Mrs.ショッキングピーチって言います、彼女」

 割れた窓の外、空中で差し出されるように指を伸ばしている巨大な手にみんなぎょっとする。

「ほ、ほんとに大丈夫なのか……?」

「大丈夫です。何かしようとしたら、私のこと殴ってくれて構いません。出来れば顔は避けてもらえると嬉しいです」

 桃色は安心させるように、みんなに笑いかける。必殺の画面釘付けスマイル。それで少しだけ、場の空気が和んだ気がした。まだまだ威力はあるみたいだ。もっと頑張って、笑うだけでみんなを笑顔に出来るくらいにしなきゃなぁ。

「足元に気を付けてください。Mrs.の手、ちょっと柔らかいので。座って、体勢は低めにお願いします」

 逃げ遅れた人たちは十数人と思ったより少なく、余裕でみんなMrs.の手のひらに収まった。Mrs.は落ちないように両手でみんなを支えながら、煙の届かない場所からゆっくりと地上に降りていく。

「桃色ちゃんだよね。私、動画見てて。良かったら後で、サインとかくれる……?」

 Mrs.の手に乗る時に、リスナーだったらしい大人の女性に声を掛けられた。女性のリスナーもいるんだ、とちょっと感動して「もちろん。スマホで撮ってもいいですよ」と微笑んだ。

 もちろん男性のリスナーと出会えても嬉しい。そもそも動画や配信に対するコメントでしか、滅多にリスナーとは会えないから。学園には外部の人間と自ら進んで接触することは許されていないのだ。オフ会も、イベント参加もなし。何回か誘ってもらえたけど断らざるえない。

 でもこういう時は、別。助けた人とか、道行く人が自分を認知してくれていた時は、飛び上がりたいほど嬉しい。表面上はクールで可愛い女の子を貫いているけど、心の中ではサンバだ。

(配信者やってて良かったなぁ……)

 桃色は自分と同じくらいのMrs.の手に掴んでもらって、助けた人たちと付かず離れず降りていく。Mrs.が使える範囲は狭いから、距離だけは気を付けないと行けない。

 地上に無事お届けすると、待機してくれていた救急隊の人たちが駆け寄ってきて逃げ遅れていた人たちを保護してくれている。

 桃色の仕事は終わった。後はプロの人たちに任せよう。Mrs.が構えるカメラに向かって瞳の横でピース。

「桃色ちゃん。助けてもらって早々ごめんだけど、サインいいかな……?」

 救急隊に連れていかれる前に、さっき声をかけてくれたお姉さんが言ってくれた。桃色がにっこりして応じようとした時だった。

「やめろッ! そいつから離れろッ!」

 桃色は突き飛ばされた。したたかお尻をアスファルトに打ち付けて見上げると、サラリーマン風の中年男性だった。

「こいつは化け物だぞ! この前のスクランブル交差点の事件、みんな知ってるだろ! こいつみたいなやつが起こしたんだ。こいつもああいう風に俺たちを殺すんだぞ!」

 彼の大声で、周りの人たちの視線が一斉に尻もちをついたままの桃色に刺さる。火事を眺めていた野次馬の目すらも。

 不安。恐怖。侮蔑。怒り。リスナーである女性からでさえも、そんな負の感情が滲み出た眼差しを向けられた。ひゅっ、と息苦しくなる。

 痛い。痛い。痛い。やだ。そんな目で、見ないで。

「みなさん、落ち着いてください」

 声がした。誰かか投げつけられた空き缶を桃色に当たる前に払いのけたのは、智尋だ。彼女の声は、このじっとりとした熱を帯びた空気の中で一番、澄んでいた。

「今あのビルから、逃げ遅れた人たちを助けたのは。ここにいる桃色です。彼女はその時誰かを、少しでも傷つけようとする素振りは見せましたか? 少しでも怖いと思ってしまうようなことを、しましたか?」

 その場にいる人々を順番に眺めるようにする智尋は、穏やかに微笑んでいる。声はどこまでも澄み切っていた。

 これ、一番怒っている時の智尋だ。桃色だけが気づいていた。

 問いかけられて。どこか負の感情を発露させていた人々の間に、ためらいが生まれた。どっち付かずのこの空気の中なら。

 桃色は立ち上がれた。

「ごめんなさい、ちょっとびっくりさせちゃったかもしれません。私は、私たちは誰も傷つけるつもりはありません! なるべく多くの人たちの助けになれたらと思います!」

 桃色はぺこりと頭を下げて、両方の口の端に指を添えて笑みを繕った。

「確かに私たちは化け物かもです。でも、私たちは笑います。歌います。ゲームもします、漫画も読みます、授業だってちゃんと受けます。数学は、ちょっと苦手だけど」

 大丈夫ですよ、と桃色は笑みを深める。

「私たちはあなたたちを傷つけるような存在にはなりません。そうなる前に、私たちはきっといなくなってしまいますから」

 だから。

「私はそんな私たちの日常を、ちょこっとだけ切り取って動画にしてます。ゲームの実況配信とか、色々あったこととかの雑談配信もします。ぜひ、覗きに来てください。あなた方の持ってるスマホとかで。あとよければ、チャンネル登録と高評価も。コメントとかしてくれたら、テンション爆上がりします」

 この日一番の笑顔になれたと思う。少しの間、桃色の生み出した沈黙が、炎と水がせめぎ合う音の間に横たわっていた。

 やがて、小さな拍手が。リスナーの女性から。それから少しずつ伝播して、あちこちから。桃色たちに向けて大喝采の拍手になった。

「宝石月桃色! と!」

「神木智尋、でした。ありがとうございました」

 二人で拍手の中、揃って深々とお辞儀した。

 迎えに来ていた黒い霊柩車のような車に乗り込む。後部座席、智尋と隣きり。ドアが閉まり、走り出す。世界から遮断された。

 震える。桃色の全身が。息が、詰まる。必死に制服のスカートを掴む両手も、ぶるぶると止まらない。

 泣かない。絶対泣かない。泣いたらメイクが崩れてしまうから。いつでもカメラを回せるように、しなきゃ。

 必死に息を吸おうとする桃色を。智尋が抱き寄せた。自然に、そっと。どこまでも優しく。

「……智尋。マスカラ、制服についちゃうよ」

「いいんだ。大丈夫だよ、桃色。ゆっくり吸って、吐いて。自分のペースでいいんだ。君らしくて、いいんだよ」

 彼女の声はどこまでも澄んで、でも優しく、桃色を包み込むように。

 桃色は泣かなかった。でも、彼女の胸に。寄り添って、ただ縋った。

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