第二話「誰がために」②


  3


「ちっ、ダメだ。異能を探知したってだけで、何の情報もありゃしねぇ。起こったのはついさっきなんだろう。現場で聞くしかねぇな」

 アクセルを思いっきり踏み込みながら、七竈がハンドルを暴れ馬の手綱の如く操る。彼女自慢の桜色のスポーツカーが、唸りとサイレンを上げながら公道を飛ばしていく。異能適合者を引率する車は、サイレンの搭載を許可されている。

 沙希とえながはしっかりシートベルトを締めて、しっかり周りに掴まりながら七竈の乱暴な運転に付き合っている。急ハンドルを切った時に揺さぶらかけた後部座席のえながを未来介入の腕で支えたら、「ド阿呆。異能を無駄遣いするな」と怒られた。嫌い、こいつ。

「もう現場に着く。私は透子がいねぇから、役に立たん。期待するな。だが、私よりお前らの方が絶対強い。わかるな?」

 沙希たちは頷く。

 異能は共鳴する。相性のいいパートナーと。だから本来の力を出すには、二人が揃っていなければならない。だから出動は常にペアなのだ。

 例外は、智尋の修復の異能くらいだ。「桃色が傍にいたら、逆に直しすぎちゃうんだよね張り切っちゃって」とは本人談。修復の加減は難しいのだ。

 小学校らしい校舎が見えてきた。周りに人だかりが出来ている。警察がテープを貼って校門から入らないように規制しているようだ。マスコミらしきバンもいくつか駆けつけていた。

 七竈がつんのめるように車を路肩に止める。沙希たちは飛び出す。人だかりは十五分前に、軽く押し出して自分たちの通るスペースを開けさせていた。

「異能特別学園東京校の者です。状況は?」

 立ちはだかった警官たちに身分証を提示し、七竈は端的に言う。正面にいた屈強そうな警官の男は、わざとらしく鼻で笑って見せた。

「何だ、お前ら異能のバケモンどもか。さっさとお仲間を大人しくさせて来いよ。こっちは大迷惑だ」

「……おい。うちの生徒にそんな舐めた口……っ!」

「先生、いいよ。慣れてる。すみません、急いでいるので。避難は完了してますか? 異能を発症したのは誰ですか?」

 未来を視ていたから嫌味を言われるのを沙希はわかっていた。次に浴びせられる言葉も。

「とっくに終わらせてるに決まってんだろ。……おい、お前。昨日異物をぶっ殺したやつだよな? あんな感じで今回もさくっとやってこいよ。楽勝なんだろうが、バケモンが」

 息を吸って、吐く。話にならない。このまま自分の目で見た方が早そうだと思った時だった。

「口を、慎めよ。こわっぱ」

 えながの声だった。蛇足が、空中から顔を覗かせていた。その巨大な眼で睨まれた男は、蛙のように立ち尽くす。

「お前の言うバケモンが、誰のためにここに駆けつけたのかよく考えろ。そして、忘れるなよ。お前くらい、私は手を片方軽く動かすだけで殺せる。試すか?」

 えながが持ち上げた右手を大きく開くと、蛇足が口を開いて威嚇する。男は声もなくへなへなとその場に跪いた。失禁したようだ。

「おい、九十九。やめろ。でもよくやった。……お前、二度と子供にそんな口を利くじゃねぇよ」

 大人はな、子供たちの手本にならなきゃいけねぇんだよ。七竈が男の肩を軽く叩いて言う。

 ……何だろう。急に沙希は体がすっと軽くなったような気がした。

 不意に、ガラスが割れる音が響いた。目をやる。校舎の側面から、棘のようなものが大きく突き出していた。いや、あれは……氷柱だろうか。霜が浮かんでいるのが微かに見えた。

「行くぞ、姫沼。あれで発症者の場所がわかる」

「あ、うん……」

「姫沼! 九十九! 無理はするなよ! 無事に帰って来い!」

 えながに連れられて、七竈の声に背中を押されて沙希は走り出す。

「ねえ、九十九。……その、さっきありがと。庇ってくれたでしょ、あたしのこと」

 隣に並んで校庭を駆け抜ける最中、沙希はえながに向かって声をかけた。罵倒されるところまでしか未来を視なかったから、まさか彼女があんな行動に出るとは思ってもみなかった。

「別に、お前のためじゃない。私は自分の行いに誇りがある。それを貶された気がして、頭に来ただけじゃ」

「……でも、ありがと。あたしが楽になったのは、確かだから」

 彼女が一瞬驚いたような眼差しを向けてきた。それから目を逸らす。

「いいから、目の前のことに集中しろ。転んだら置いていくぞ、鈍足」

「は? あたし、百メートル走であんたに負けたことあったっけ?」

「あれはわざと私が手を抜いただけじゃ。次は絶対勝つ」

 前言撤回。やっぱりこいつは、いけ好かないやつだった。


  4


 昇降口に飛び込んで、廊下を駆け抜ける。色々なものが倒れて、落ちて散らばっている。ドアが開けっぱなしの教室も、荷物が置きっぱなしで机が倒れている。

 混乱と恐怖の後が生々しく残っている。心がざわつく。だが、誰も倒れていない。それだけでだいぶ落ち着ける。

「姫沼、集中しろ。逃げ損ねたやつはいないのか?」

 こちらを振り向かずに前を走るえながが言う。それではっとして、未来視した。一応自分たちが校舎に残っている誰かを発見する未来は、十五分以内には視えない、けど。

「九十九、ちょっと報告。これからあたしたち、絶対十五分以内に異能発症者と会うよね? それが見えない。全然」

「……まずいな」

「うん。あたしとは相性が悪い相手だ」

 心のざわつきが僅かに増す。

 異能は共鳴する。だから相性のいい相手と共にいると力は増幅する。

 が、その逆もある。波長の相性が悪い相手だと、異能がうまく機能しないことがある。

 これから対峙する相手はつまり、沙希が未来に介入出来ない相手ということだった。まったく未知数。何の情報もない。

「私は大丈夫じゃ、蛇足は出せる。油断するなよ、足を引っ張るな」

「誰に言ってんの? あんたこそ、あたしに頼りすぎないでよね」

 太ももにつけたホルスターから拳銃を取り出し、安全装置を外してスライドを引いた後、チェンバーにしっかり弾丸が装填されているのを確認する。背中には愛用のショットガンが入っているラケットバッグを背負っている。

 普段から死ぬほど訓練している。相性の悪い相手とはこれまで何度も渡り合ってきた。生きてるってことは、そういうことだ。

 あの氷柱が突き出してきた、最上階の三階に足を踏み入れる。

「寒っ……」

 思わず半袖の腕を抱いてしまう。明らかに空気が冷えている。今は六月の夏真っただ中だ。冷蔵庫の中に突っ込まれたような気分だ。

「ここだ。……入り口が凍り付いておる」

 現場は、「四年一組」とプレートが掲げられた教室。入り口の引き戸に氷が張り付いている。南極でもなければこんな見上げるほどのものを見られないだろう。分厚くて、弾丸さえ通らなそうだった。

「蛇足、ぶっ飛ばせ」

 えながが右手を突き出す。蛇足が身をうならせて氷ごと扉を吹き飛ばした。沙希はえながに頷いて、銃を構えつつ中に入る。

 まず近くを警戒。冷凍庫の中みたいに教室に霜が張り付いてキンキンに冷え切っている。

 周りを見渡しつつ銃口を向けて。沙希は呆気にとられる。すぐ銃を下ろした。

「噓でしょ……マジか……」

 絶句する沙希の後ろにすぐえなががやっていて、はっとするのがわかった。

 周りを凍り付かせるほどの冷気、その中心。座り込んで、泣いている少女がいた。彼女が発症者。この教室にいたなら、多分十歳くらいだ。

「ダメッ! 来ないでッ! 来ちゃダメッ!」

 こちらを見ていた彼女が必死にそう呼びかけてくる。彼女が押し留めようと手を前に出した途端。

 氷柱が地面から生えて伸びる。刃物よりも鋭利な先端が迫る。すんでのところで沙希は避けたが頬を掠った。冷たいのに、頬が熱い。血を手で拭った。

「姫沼!」

「大丈夫、二秒先まで捉えた」

 呼びかけるえながに沙希は言った。逆に言えば二秒先、視ていなければ顔面を貫かれていた。速い。肝が冷えた。

(こんな小さな子が、これだけの力……。どうなってんの……?)

 昨日の件といい、何かがおかしい。いや、それは今はいい。集中しろ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」

 異能の発症者である少女は、泣きじゃくりながら震える声でそう呟き続けている。彼女に敵意はない。わかりきっている。目覚めた力が勝手に暴走したのだ。

 それならば。

 沙希は銃に安全装置を掛けて、太もものホルスターに収めた。両手を上げて少女に見せながら、呼びかける。

「ねえ、君名前は? お姉ちゃんは姫沼沙希! 可愛い名前でしょ!」

 明るい声で、笑いかける。彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら、こちらを見る。

「み、満島……満島日南(みつしま ひなみ)……」

 彼女は答えてくれる。「日南ちゃん。素敵な名前だね」と更に沙希は笑みを深めた。

「お姉ちゃん、異能学園の人、だよね……? 桃色ちゃんと友達なの? おんなじ制服……」

「あれ、もしかして日南ちゃん、桃色のリスナーなの? そうだよ、超大親友! 今度一緒に会いに行こっか! リアルでもめっちゃいい子だから!」

「ほ、ほんと……?」

 それで少し、日南の表情のこわばりが解けた。……ありがとう桃色。配信者やってくれてて。何百回目かに、彼女を崇めたくなった。

「日南ちゃん、とりあえず一緒にここから出よっか。今からそっちに行ってもいい?」

「だ、ダメ! お姉ちゃん、危ないよ……!」

「大丈夫。お姉ちゃん桃色とおんなじくらいすごい異能使いだから。大丈夫だからね、日南ちゃんはリラックスしてて」

 沙希はちらりとえながに目をやる。指を三本、立てて見せた。三秒先まで、行けそう。伝わったらしく彼女は頷いて腕を組み、眉間に皺を寄せた。

 彼女の苦そうな表情から伝わる。もしもの時は。考えたくなくても考えなければならない。

 十五分後まで未来視が広げられない。敵意はなくとも、彼女の異能と干渉してしまっている。

 沙希は両手を見せたままゆっくりと、日南に近づいていく。

「こ、怖い……やだよ、お姉ちゃん……」

「大丈夫、大丈夫だから。ゆっくり息吸って、吐いて。すぐ迎えに行くからね」

 じりじりと。焦るな。少しずつ。日南ちゃんを不安にさせちゃいけない。こんなに寒いのに、額に汗が浮かびそうだ。

 観察していた。彼女の周りに、遺体らしき人は凍り付いていない。

 つまりは、発症したが、暴走していない。彼女はみんなが避難するぎりぎりまで、自分の異能を抑え込んだ。

 コントロール出来ている。彼女はただの発症者じゃない、かもしれない。適合できている、かもしれない。うるさい。希望くらい抱かせてくれ。

「お、お姉ちゃん……っ!」

「っ……!」

 空気が凍り付く。氷の礫が飛んできた。かろうじて沙希はその隙間を縫った。当たってないから、大丈夫だから。笑みを作って、沙希は日南に手を振る。

 距離は少しずつだけど、着実に近づいている。氷柱が伸びる。避ける。次は横から。しゃがむ。今度は礫と氷柱同時さ上下左右から。これは紙一重だった。

 全部防衛本能。人間の無意識だ。わかっている。けど彼女本人は、それを知らない。

「……お姉ちゃん。……もういい。もういい、から。お姉ちゃんたち、お願い……。逃げて」

 日南は苦しそうに顔を歪めて涙を溢れさせながら、そう言った。そう、言ったのだ。

 ぶわり。沙希の全身に、血が廻った。

(こんな……っ。あたしよりずっと年下の子に……っ。言わせる、とか……っ)

 沙希は跳ぶ。氷柱がすんでのところで背中の後ろの床に突き刺さる。氷の礫は、軽く肩を掠める程度。五秒先。ちゃんと介入できた。行ける。

「お姉ちゃ……っ!」

 日南の前に着地した沙希は。そのまましゃがみこんで、一人座り込んでいた彼女をぎゅっと抱きしめた。

「……ごめんね。遅くなった。辛かったよね、一人で。もう大丈夫だからね」

 氷が。教室を覆う冷気が引いていく。やがて消滅して、後には机やらが散らばり、窓ガラスが全部割れた荒れ果てた教室だけが戻ってくる。

「お、お姉ちゃ……っ! ごめん、なさい……っ」

 沙希の胸に縋って、日南が泣きじゃくる。その髪を、そっと撫でてやった。良かった。本当に、良かった。

 沙希にとって異能の相性が悪いなら、それは彼女も同じこと。もし触れるほど近くにいれば、相殺できるかもしれない。それが、上手くいった。奇跡的に。

 そしてもう一つ朗報。日南は、異能適合者だ。とりあえずすぐには、異物化しない。 

 沙希も泣きたくなったが、堪えた。ちゃんと子供の手本にならないと。気を引き締める。

 えながを見る。彼女は沙希の視線を受けて、ほっと肩の力を抜いたように見えた。……珍しい。こいつもそんな表情、することあるんだ。

「じゃあ日南ちゃん。一旦お姉ちゃんたちと外に出よっか。お母さんとお父さんとかも来てると思うから、顔見せに行こ」

「う、うん……」

 日南の手を取って沙希は立ち上がる。「手は離しちゃダメだよ?」と言った。とりあえず沙希が接触している間、彼女の異能は抑え込めているようだ。これなら大丈夫だろう。

「九十九、とりあえず七竈先生に連絡して、すぐ保護の手配を……」

 言いながら歩き出そうとした時だった。

 捉える。五秒先の未来。干渉しているせいでノイズまみれの不鮮明だが、かろうじて視えた。

 沙希は日南の背中に腕を回す。一秒。二秒。彼女を抱え込みながら、背中から地面に倒れこもうとする。三秒。

「九十九ッ! 伏せて今すぐッ!!」

 えながの反応は速かった。その場で伏せる。五秒。

 ばすっ、ばすっ、ばすっ、とボールが弾むような音がした。教室の床に、複数の風穴が空いている。七発。間違いない。

 スナイパーだ。

「九十九! 狙撃手がいる! 少なくとも七人! 隠れて! またすぐ来る!」

 教室の外へ。ダメだ。あたしは避けられるけど日南に当たる。身を隠せる場所。どうしたら。

「蛇足ッ! とぐろを巻けぃッ!」

 えながが右手首をぶん回す。現れた蛇足が、その場でぐるぐると回った。机や教壇が折り重なり、即席のバリケードになった。沙希たちはそこに転がり込む。さっきまでいた場所に、また複数風穴が空いた。

「ありがと九十九、マジ助かった。これってもしかして……」

「ああ、わかっとる。異物対策部隊じゃ。しかも最悪じゃぞ。蛇足に一瞬気配を探らせたが、ダメじゃ。気取られない距離から、正確にこちらの居場所を一遍に撃ち抜いてきた。お前の異能が一瞬でも遅かったら、ここに三つ死体が転がっとる」

「ひっ……!」と抱きしめていた日南が息を呑んだので、慌てて撫でて「大丈夫だから。お姉ちゃんたちがいるからね」と宥めた。……大丈夫じゃないかもしれない。

 異物対策部隊。表向きは存在しないことになっている、政府の特殊部隊だ。

 沙希たちとは違い、非異能適合者の、選りすぐりの戦闘員たちで構成された国お抱えの暗殺部隊。

 昨日の一件のせいか、彼らも出張ってきていたのだ。彼らに任務を横取りされたことがある。近くでその仕事っぷりを見たことがある。

 彼らに、血は通っていない。脅威だと判断したものは容赦なく、殺す。そして今回は、沙希たちもその対象らしい。

(こんな小さな女の子一人に……ッ。ふざけんなよクソったれども……ッ!)

 血が燃え滾って身を焼きそうな感情を堪えながら、沙希は腕の中の日南を撫で続けた。そして、巡らせる。この状況の突破口を。

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