第二話「誰がために」①

  1


 朝起きたら、もう隣りで眠っていたえながはいなかった。

 薄情なやつ、と沙希は寝ぼけ眼に思う。が、ベッドは整えられ、昨日使ったタオル等は洗濯室に持っていったのかなくなっていた。部屋も片付いているし、換気でもしたのか昨日の濃厚なセックスの残り気配はなくなっていた。

 前言撤回。マメなやつ。でも、やっぱり好きじゃない。

 部屋に備えられたバスルームでシャワーを軽く浴びて身支度を整えて。ベストにブラウスの制服を着た沙希は大きな姿見の前でリボンタイの角度などを確認する。完璧。

 部屋を出て階段を下ると、まっすぐ食堂へと向かう。両開きの扉を開ければ、無駄に広々とした長テーブルの並べられた空間になっている。当初はこの寮を使っていた学園の生徒たちで賑わっていたのかもしれない。異能を持たない普通の生徒たちの使っていた頃、沙希たちの檻になる前の学園では。

「サッキィ、おはよ。よく眠れた?」

 入り口のすぐ近くに座っていた桃色がひらりと手を振る。今日もハーフテールの髪は乱れもなく、メイクも隙なく施されていて可愛らしい。涙袋と、やや垂れ目がちな優しい目元をちゃんと強調する感じが、自分の強みを活かしている桃色らしい。朝から気を抜かないこういうところが、好きなのだ。

「おはよう、桃色。いい感じ。智尋くん、おはよ」

「やあ、沙希ちゃん。昨日は大変だったみたいだね。お疲れ様」

「それは智尋くんも同じでしょ。遅くまで街の修繕作業お疲れ様。派手にぶっ壊しちゃってごめんね?」

「沙希ちゃんが謝ることじゃないよ。それにそれがボクの仕事だから」

 桃色の隣に座る背の高いショートカットの少女は、神木智尋。桃色の異能共鳴のパートナーだ。言葉を選ばず言うと、儚い美少年然とした彼女は何というか沙希でも目を奪われるくらい美しい。桃色と並んでると理想的な美男美女のカップルに見える。

 が、あくまで第三者の印象の話。男女が並んでいたらカップルと取られるのは沙希はあまり好まない。女同士だって、カップルと認識されたっていいじゃないか。

 だから桃色たちは、美女美女の理想的なカップルだ。

「隣いい? 私もいただいちゃおうかな。わぁ、今日フレンチトーストにカリカリのベーコンじゃん。妙にメニューだけは凝ってるよね、ここ。……ねえ、あんたさ。そんな端っこにいないでこっち来たら? 四人しかいないんだよ?」

 別のテーブルに用意されていた自分の朝食のお盆を手に取りつつ。沙希は食堂の隅の席にいるえながに目をやる。埃が溜まりそうな角のところをわざわざ選んで、姿勢よく、特に美味しそうでもなく淡々とえながは口に運んだものを咀嚼している。妙に品があるのがむかつく。陰気なやつめ。

「最初にここに来た時言ったじゃろう。私は、仲良しごっこはする趣味はない。構うな、うっとうしい」

「あんたがそういう態度でも、こっちが気になるんだって。仲良しとかこっちも求めてないから、もうちょい近く来てくれる? せめてこの場に馴染んでよ、うっとうしい」

 睨み合う。間に入った桃色と智尋が「まぁまぁ。仲良く仲良ーく」と声を揃えて宥めてくれる。同じコンビでも、この雲泥の差。やってらんない。もう一人、有能な一年生が入ってきてくれればいいのに。

 コンビは異能共鳴の相性がいい二人が選ばれるが、基本的には同じ学年になる。入学したときに相性のいい相手をあてがわれるからだ。だが例外的に、学年の違う生徒たちがコンビになることもあるらしい。

 沙希もそれを提案したけれど、無駄だった。えなが以上にいないのだ。異能の相性「だけ」はいい相手が。

 ちなみに大人になってから異能適合者になる人も当然いるので、表向きは会社に仕えている体で、社宅という沙希たちと同じような檻に入れられて異物狩りに駆り出される。……そのことについては、今は考えたくない。

「ちっ。面倒なやつじゃ。何で私が気を遣わにゃならん」

 彼女はお盆を持って立ち上がり、沙希たちと同じテーブルだがやはり少し距離を空けたところに腰を落ち着けた。いや、まあいいけどさ。やっぱむかつくわこいつ。大きなため息つきつつ、沙希も彼女を視界の隅に押しやって朝食を取り始めた。

「そういえば桃色。昨日街を直している時にね、雰囲気のよさそうなお店を見つけたんだ。インスタ映えもすると思う。沙希ちゃんも、良かったら一緒にどう?」

「え? あたしも? いいのそれ、智尋くん。デートじゃないの? あたしお邪魔虫なんじゃ」

「いいに決まってんじゃんサッキィ。一緒にめっちゃバズりそうなの撮っちゃお。あ、vlogにしてもいい?」

「もち。あ、この前の動画みたいに顔隠さなくていいよ。どうせ知られちゃってるし、動画映え優先で」

 三人でわいわいと話し合う。そこで桃色がちらり、とえながの方を窺った。

「ねえ、ツックー。良かったらツックーも一緒に……」

「行かん。勝手に行け。変なあだ名を付けるな、宝石月」

 せっかくの誘いを、彼女はばっさり。いいけど、断り方にも礼儀はある。さすがに沙希は席を立った。

「……あんたさぁ、桃色が気を遣ってんのに。何なのその偉そうな態度。もうちょっと人に対する接し方があるんじゃないの?」

「……やかましいな。二度は言わんぞ。それとも、決闘でもするか? お互いどちらが黙るかを賭けて」

「決闘とか、石器時代? いいよ乗ってやろうじゃん。今のうちにふんぞり返ってれば? 十五分で地面と仲良くできるよ?」

「表へ出ろ、姫沼。その不遜な口ごと噛み砕いてやる」

 お互い立ち上がって睨み合う。「喧嘩よくない。喧嘩ダメ、絶対」と声を揃えて桃色と智尋が間に入ってくれた時だった。

 入口の正面。縦に並べられたテーブルのどの席からでも見える中央の壁にモニターが埋め込まれている。ここで指令を聞いたり、会議をしたりするからだ。

 それが急に点灯し、画面が映し出された。何気ない朝の、何でもないニュース番組。

『昨日、異能感染者が騒動を起こしたこの場所は、今は元の通りです。しかし、確かにあの凄惨な事件はここで起こったのです』

 昨日のスクランブル交差点が映し出されている。智尋の異能で綺麗に元通りになった場所には、献花台が設けられていた。

 人々が入れ代わり立ち代わり、花を添えては手を合わせて祈る。昨日沙希たちがそうしたように。編集された動画が入り、泣き崩れる人たちが映し出された。

『我々は昨日の事件を引き起こした異能発症者が、異能者の少女たちによって処理される一部始終の映像を手に入れました。ショッキングな映像が流れます。ご注意ください』

 現場にいるリポーターの男性が慇懃な眼差しでそう言うと、画面が切り替わる。

 離れた場所にあるビルかどこかから、望遠レンズで撮られた映像。

 遥か上空で、円状に竜巻が巻き起こっているのがわかる。そこから、黒く切り取られたような漆黒の獣──異物が飛び出してくるのを鮮明に捉えている。

 遠くのカメラもぶれるほどの咆哮を上げたその瞬間。四方八方から現れた散弾が、異物を撃ち抜く。

 沙希の撃った弾。あの時、隠し撮られていたようだ。

「っ……!」

 沙希は目を背ける。息苦しい。自分のやったことを見せつけられたかのような気分だ。

 いや、そうなのだ。あたしが、殺した。あの人を。

「……どういうつもりじゃ、まったく」

 近くで立ち尽くしたまま映像を眺めているえながが呟くのが聞こえた。やや怒りが滲んだようなその声を、少し意外に思っていたら。

 ドゴォンッ! と凄まじい音がした。大砲の弾でも突っ込んできたかのような衝撃。

 顔を上げると、モニターのあった壁に大穴が空いていた。埃が濃く舞い、ぱらぱらと砕かれた壁の木材やらモニターの残滓やらが地面に崩れ落ちている。

 その前に、桃色がいた。彼女は低く構えて、右の拳を前に大きく突き出し終えた格好で止まっていた。まるでカンフー映画で見るような綺麗な体勢。

「……あのさぁ。わかるよ、言いたいことは。私たちのやることは、外の人たちにも見られてるとか、そういう忠告でしょ? でもさぁ、さすがにこれは、悪趣味過ぎない?」

 構えを解いた桃色は立ち上がると、食堂の天井の隅に付いている監視カメラの方を見た。いや、睨みつけた。

「私の親友を侮辱すんなよ。──ぶっ殺すよ? お前ら、全員」

 初めて聞いた、桃色の冷たく澄んだ声。背中からも、研いだ刃のような鋭い怒りが滲みだしていた。

「……桃色、落ち着いて。沙希ちゃん、九十九さん、大丈夫かい?」

「あ、うん……あたしは大丈夫」

 傍に寄った智尋が、桃色のいからせた肩をそっと抱き寄せる。そしてこちらを振り向いた。優しく落ち着いた眼差し。えながも小さく頷いている。

 桃色が大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくり吐く。沙希たちを振り向いた彼女は、もういつも通りやんわりとした笑みを浮かべていた。

「ごめんごめん、ちょっとイラッとしちゃった。びっくりさせちゃったよね、サッキィ、ツックー」

「いや、むしろすっきりしたかも。……ありがと、桃色」

「別に驚いとらん。私に気を遣う必要はない」

「ごめんね、智尋。下手に向こうを刺激しない方が良かったかも」

「いや、桃色のそういうところが素敵なんだ。それにボクも、今のはかなりイラッとした」

 腕を解いて、桃色の細い肩に優しく手を置いた智尋は、監視カメラの方を見上げた。

「今のはあなた方が悪いです。ボクはこの壁もモニターも直しませんよ。修繕はご勝手に。もし桃色にこのことで懲罰を加えようとしたら、その時はボクの協力は一切得られなくなることをお忘れなく」

 ──あと、前から興味あったんですよね。人をめちゃくちゃな形に作り直せるのか。と智尋は明確に脅す。

 思わず沙希は吹き出してしまう。それで桃色と智尋が顔を見合わせて笑い出した。えながだけが何を考えているのかわからない無表情だった。


  2


「ごめん。本当に、ごめんなさい。朝からあなたたちに不快な思いをさせちゃった。これは学校側の、連帯責任だから」

 朝のホームルーム。教室に入ってくるなり、担任である和泉(いずみ)透子は机に座っている沙希たちに深々と頭を下げた。あまりにも申し訳なさそうで、こちら側が恐縮してしまうくらいの様子だった。

「透子先生、いいから頭上げてって。透子先生が悪いんじゃないし、あたしらはもう気にしてないから。ね?」

「ごめんね、トッコー先生。寮の食堂の壁ぶっ壊しちゃった」

 沙希が言って、桃色が立ち上がって謝る。今度は透子が恐縮していた。

「そんなのいいよ。壁なんてどうにでもなる。それより自分たちのこと、もっと大事にしてあげて」

  ――何でも言ってね。あなた達は子供なんだから。

 透子は申し訳そうに笑う。何だろう、それだけで沙希は泣きそうになって、唇を引き締めて堪えた。


 ホームルームが終わって、一時限目の授業。数学。結構だるい。朝から数字と向き合いたくなくて沙希は机に突っ伏す。

「ほーい、お前ら席につけぇ。小テストを始めんぞー!」

 足で引き戸を開けながら、髪を後ろで雑に纏めたジャージの女性が入ってきて大声で叫ぶ。

 当然、広々とした教室に四つだけ並んだ席からは大ブーイング。

「ちょっとぉ、七竈(ななかまど)先生? この前の授業の時そんなん言ってなかったよ?」

「横暴ぉ、おーぼー! 待った! 異議あり! くらえ!」

「ボクも桃色と同じ意見です。異議ありです。前の授業の時の先生の音声データ、ボク作り直せますけど」

「こっちはなんの準備もしとらんぞ。小テストとか知らんですよ、先生」

 非難轟々。普段教室では寡黙なえながでさえボソリと不満を漏らす始末。そして、校舎の隅から隅まで響くような声が、教壇に立った双鈴七竈(そうれい ななかまど)から発射された。

「シャラァアアアアアアアアップッッ!! 異議を却下する! 私が小テストするって言ったら小テストすんだよ。それが教師の特権だ」

「うわぁ、ブラック学園だ。ツイッターに呟いちゃおっかな」

「やめろ宝石月。お前の何十万人もいるフォロワーにぶっ叩かれたら私が社会的に死ぬぞ。いいのか?」

「この前三十五万人になりましたー。いぇい」

「そうか、おめでとう。今度配信にスパチャ送っとく。それはとにかく小テストだ。普段真面目に授業受けてるやつなら楽勝だぞ。頑張れよー」

 無慈悲に小テストのプリントが各席に配られた。朝からかぁ……と深い絶望に苛まれたが、意外にも向き合ってみると沙紀はすらすらと数式も答えも導き出せている。

 数学は、教卓の椅子に座ってふんぞり返っている七竈が沙紀たちに教えている。というか各学年に教鞭を取れる教師は二人しかいないため、透子が国語や社会などを、七竈が科学や数学、体育などを半分ずつ担当している形だった。

 透子もそうだが、七竈はがさつに思えて意外と教え方が丁寧でわかりやすい。そしてわかるまでちゃんと付き合ってくれる。自分の成長をしっかり感じて、意外と数学悪くないかも、と沙希は得意げな気持ちになってきた。

「おし、時間だな。はい、回収すっぞー。何だお前ら、嫌そうな割には全然問題なく解けてんじゃねーか。私の教え方、やっぱすげーな。天才か?」

「異議ありです、先生。ボクたちが優秀なんだと思います。でも先生の教え方も素敵です」

「おう、それは間違いない。ありがとな。じゃあ教科書、七十五ページ開けー。この前の地続きだから、ちょっと復習してから先に……」

 小テストを回収し終えた七竈が、黒板にチョークを走らせようとした時だった。

 彼女の腕の埋め込みデバイスが振動する。すごくわかりやすく嫌そうな顔をして、七竈は大きく舌打ちをした。

「ボケがッ。授業中に連絡すんなっつってんのに年寄り連中は……っ。みんな、悪い少しだけ自習な。私、ちょっと通話してくるわ」

 ジャージのポケットに手を突っ込んだまま、七竈が教室を出ていく。がたた、と沙希と桃色と智尋は席を寄せ合い、ひそひそ話を始めた。

「何だろ、今朝私がモニターぶっ壊した件じゃないよね? だったとしたら次はどこぶっ壊そうかな」

「いや、ボクらの脅しで相当びびったと思うから、違うよ。また出動要請とか?」

「えぇ、正に昨日の今日じゃん。異能発症者がいきなりわんさか出てくるなんて、そんなわけ……」

 一か所に固まって三人で話し合っていると、突如どでかい声が沙希たちの教室を外まで突き抜けていく。外で鳥が一斉に羽ばたいた。

「はぁああッ⁉ 出動要請⁉ 今、朝っぱらの何時だと思ってんすか? あのねぇ、私口がシゲキックスになるほど言ってますけど、学生の本分は学業なんすよ。大人に任せりゃいいでしょ、そんなもんは」

 どうやら廊下で通話している七竈のようだ。だいぶ、というかめちゃくちゃ揉めている。大方、自分たちに出動要請が出たのだろうと沙希も察しがついた。

「だ・か・らァ! そこは一般人も異能適合者も関係ねぇっつってんでしょうが。人手がねぇのは百も承知ですけど、いくら何でもうちの生徒をほいほい駆り出されてたらこっちも示しってもんが……ッ!」

 丸聞こえである。完全にキレている。が、言葉の途中で唐突に七竈の怒号が止まった。耳に刺さる沈黙がしばらく続く。入り口を見守っていた沙希たちは、またひそひそ話を再開しようとした時だった。

 入口の引き戸ががらりと開く。バツの悪そうな顔をした七竈が教室に戻ってきた。そして、沙希とえながに向かって手を合わせて深々と頭を下げる。

「……すまん。本当に、すまん。姫沼、九十九。超緊急出動要請だ。透子も今別件で出払ってて、人手がない。お前ら二人、出られるか? 嫌ならもちろん断れ。誰も責めんし、責めさせん」

「異能発症者がまた出たの? マジで?」

「マジだ。場所は……小学校らしい。今現場で必死に児童たちを避難誘導してる。混乱してて現状把握が全く出来ていない」

「わかった。行けるよ。九十九、悪いけど、嫌でも引っ張ってくよ?」

「つまらん確認じゃのう。知っておるか、人には足というものがある。私は自分で行く」

 えながが素早く立ち上がってさっさと教室を出ていく。桃色と智尋も立ち上がる。

「カマッドー先生」

「ボクらも行きましょうか?」

「いや、要請はとりあえず二人だけだ。お前たちはここで、待機。自習を頼む。マスコミが集まり始めてて、あまり大勢で行くと悪目立ちするってクソ上層部の意見だ。私は二人を車で引率する。二人は絶対無事に連れ帰す」

「桃色、智尋くん。ちょっと行ってくる。七竈先生、よろしくお願いします」

 七竈に連れられて、沙希も駆け足で教室を飛び出した。

 十五分後の未来は……ダメだ、まだ車に乗っている。せめて少しでも早く現場に辿り着けますようにと、祈りながら走る。

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