隣にいる資格

 私が目ざめると、まだ朱音は私に抱きついていた。

 幸せそうに眠るその顔を見て、起こしては駄目だと思った。

 朱音のその手にそっと触れ、そっと私の体から離す。

 そして、身長に体を起こし、ベッドから出る。

 やっぱ、幸せそうな寝顔っていいものだなあ……

 私も、何か夢を見た気がする。

 内容は思い出せないけど……温かい夢。


 私のとなりで朱音が寝てくれて、少し楽になった気がする。

 でも、私はこんなに優しくされていいのか。

 そんな疑心を私は抱えたまま、私は高校へ行く。

 足を踏み出すたびに、楓のことを思い出す。


 どうして楓は、私なんかを助けたのか……私を守った意味。私が守られた意味を、きっと私は探さなきゃならないんだ。

 吐き気もましになってきた。

 だけど、まだ向き合うのは怖い。


 それでも前に進んでいくと、学校にたどり着いた。

「ねえ、湊……」

 教室に入り席に着くなりすぐ、碧が話しかけてくる。

「なに?」

 私が振り向くと、碧は手を伸ばし私の頭に触れる。

「髪……はねてる」

「あ……忘れてた」

 私は自分の頭を触り、苦笑しながらトイレに駆け込んだ。

 トイレでゆっくり髪の毛を直す。

 つい忘れちゃってたな……土日、いろいろありすぎたんだ……

 そうだ。土曜日、私が強ければもっと……

 朱音が私に向き合ってくれたんだ。

 だから、私も強くなりたい。

 鏡に向かって笑顔をしてみた。すぐに心が虚しくなる。

 これじゃ、ただの空元気だよ。




 放課後、廊下を歩いていると突然、碧は私の脇腹をつついた。

「ひゃいっ!」

 驚いて出た素っ頓狂な声に、碧は小さく笑う。

「ねえ、何か……困ってることがあるんでしょ?」

 突然、碧は私に言った。

「これは、私の問題だから……碧が気にする必要はないよ」

 微笑んで、そう返すと、碧は押し黙ってしまった。


「それよりさ、昨日、妹と一緒にゲームしたんだよ。あの、格ゲーのやつ……どんな名前だったっけ……」

 他愛ない話で誤魔化そうとする私と、ぎこちない笑顔で笑って誤魔化す碧。

 何かが、違う。私と碧は、もっと笑い合える親友だったはず。

 私が誤魔化したせいで、こんな空気になったんじゃないか?


「ねえ、碧……私、今すごく悩んでるんだ……」

 朱音も、碧も、私の心を癒やそうとしてくれる。

 せめて、その想いにだけでも向き合えたら……戦いにも向き合えるくらい強くなれるかな……

「やっと、湊から言ってくれた」

 碧は突然、私の手を握る。

 指を絡ませて、手を繋ぎ合う


「ちょっと碧。靴出せないから」

 そう言って私は繋いだ手をほどいた。

「あ、ごめん……」

 碧も靴を取り出し、履き終わってもう一度手を繋ぐ。


「ねえ、碧……どうして、私に気をかけてくれるの?朱音にも気をかけられたけど……」

 そう私は聞く。私が救われていいのか、まだ答えを出せないでいた。

「湊は私の恩人だから……私、湊がとなりにいるだけで救われるんだ」

 少し照れくさそうに碧は言う。

 照れてはいるけど……そこに迷いはない。


 でも、私だって碧がとなりにいてくれるだけで救われるんだよ。

 だから、お互い様だよ。

 そう言いたくてもいえない。

 あまりにもその言葉は私には照れくさい。


 そういえば私は……碧の隣にいるために戦い始めたんだった。

 私はずっと、碧の隣にいたい。きっと、それが私の安らぎだ……この心に開いた穴も、きっと碧が埋めてくれるはず。

 そう思いながら、校門を抜ける。


「ねえ、湊……私、悩みを消すことはできないかもだけど、湊の隣にいることだけはできるよ?」

 碧の手が、より強く私の手を握る。

「明日って、祝日だよね……」

 碧が私の返答を待たずに続けた。

 絶対話さないとばかりにギュッと握った手は温かくて、私も、離れたくなくて強く握り返してしまう。


「明日、朝から夜までずっと、一緒に遊ぼう」

 碧の言葉。

 それはとっても魅力的で、淡い桃色の碧の頬に見とれてしまう。

 私は、頷いていいのだろうか。

 そんな資格が、私にあるのだろうか……


 口を開こうとした私が言葉を発す前に、碧は言葉を付け足す。

「これは……絶対だからね!」

 そう言っているうちに、私の家に着く。


 碧は突然、私に抱きついた。

「え?」

 驚く私の顔を見上げ、碧は優しく笑う。

「これで、ちょっとは楽になった?」

 そう言って碧は体を離し、手を振って少し早足で家に帰ろうとする。


「碧……」

 そんな碧を、私は何故か呼び止めようとしてしまった。

 振り向く碧に何でもないと言って、私は家に入ろうとする。

 その時何故か、私の目から何かが頬をつたった。

 これは……涙。

 そうだ。今日はずっと……涙を堪えて歩いてきた。


 私は、一人が怖い。

 一人でずっと苦しそうにしてきた頃の碧を知っているから……

 二人でいるぬくもりを知っているから。

 碧は、そんな私の隣にいたいといってくれる。

 私のとなりにいることが、救いだと言ってくれる。


 その言葉が嬉しくて……となりに居ることしかできない自分が情けなってくる。

 きっと、いま私、涙ですごい顔をしている。

 こんな顔じゃ……帰れない、朱音に見せられないな。


 涙を拭って、夕焼け空の中私は家を離れる。

 家族に今日はいつもより少し遅れますと連絡をいれ、この想いが落ち着くまで散歩を始めた。


 家から徒歩五分、二台のブランコしかない小さな公園に、私はブランコをこぎに来た。

 小さいときから、落ち込んだときはここに居た気がする。

 普段は誰もいないこの公園。まして今は街灯が道を照らす時間帯。

 それなのに、今日は珍しく先客がいた。


 知らない女の子。私より、四~五センチ下の身長に、少し茶色が混じった短い髪の毛。綺麗な瞳が、水晶のように輝いていた。

「こんなところに人が来るなんて……」

 そう私が言うと、女の子は小さく振り向いてぺこりと私にお辞儀した。


 この公園に二人で居るのは久しぶりだ。

 小学生のころは、碧と二人で居ることもあったけど……ここなら、碧を苛めるやつらも来ないから。


 女の子のとなりのブランコに優しく座り、ゆっくりこぎ始める。

「私は鳩羽湊……あなたの名前はなんて言うの?」

 私が女の子に聞くと、「天見あまみケイ」と、素早く、静かにそれだけ答えた。


「ケイ……なんで、ここに来たの?」

「別に」

 少女はあまりにも無愛想で、私は避けられているんじゃないかと思ってしまう。

「私はさ、いろいろ悩んでて……だからここに来たんだ」

 初めて会う人だからこそ、この言葉は自然に言えた。

 きっと、背負ったりしないだろうから。


「友達とか……いる?」

 ケイの質問。

 私は突然の問いに困惑しつつも、頷いた。

「いるよ。とびきり大切なのがいる」

 そう私が自信をもって答えると、ケイはブランコを止めた。


「なら、きっと大丈夫」

 ケイがそう言って、ブランコを降りる。

 友達が居るから大丈夫……か。むしろ今の私には、友達がいないと駄目なことが惨めで、私も向き合わなくちゃと思ってしまうんだ。


「ねぇ……ずっと夢を見ていたいって思わない?悩みもなく、ずっと友達と笑い合える夢……」

 ケイが、抑揚のない声で語る。

 急に、そんなことを言われたから、私はなんて答えればいいかわからなくなった。


「ごめん、ボクが言ったこと全部忘れて」

 そう言いながら、ケイは去って行く。

 ……何だったんだろう。

 あの子も、何か悩みがあったからここに来たのだろうか。

 日が沈みかけの空。私は、ゆっくりと家に帰る。

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