無力、胸に抱いて

 神装巫女専用のサイトは開くのに、いくら問いかけてもタケルさんの返答はない。

 そういえば、今まで自分の部屋にいた時はずっとタケルさんと話していたんだった。

 家族のようなものだったんだ……失って初めて気づいた気がする。


「ねえ、そこに居るんでしょ……応えてよ……」

 その声が届いているのかさえわからない。

 せめて誰かとなりにいてくれたら……少しはこの気持ちも楽になるはずなのに……

 タケルさんは、忘れてくれと言った。

 どうやったら忘れられるだろう。

 短い期間とはいえ、ずっと隣にいたのに……

 今もきっと、この魂にいるはずなのに……


「この心を、誤魔化してよ……」

 誰もそうはしてくれない。そうわかっていて、私は呟く。

 楓は、今どうしているだろうか……きっと、私のせいで楓は……

 そんなことを考えるだけで胃の奥が締め付けられるように痛い。

 次第に吐き気も襲ってきて、私はトイレに逃げ込んだ。


 どうして、こんな気持ちにならなきゃいけないんだ……

 そう、自分に問う。

 答えは自分でわかってる。

 守れなかった。ただそれだけ。

 楓は……楓は無事にいてくれるのだろうか。

 きっと大丈夫だと思えるほど、今の私は強くなれない。


 胃の中の全部吐き終わって、ふらふらとした足取りでリビングにたどり着く。

 今日のご飯は、カツ丼。

 私の好物のはずなのに、喉をとおらない。

 三口、それだけ食べて、もう口に入らない。

 それでもなんとか胃の中に詰め込んで食べきって、私はもう一度トイレで吐いた。

 意識がもうろうとする。

 でも、辛いとか苦しいとかそれだけは絶対言わず、私は自室に戻る。


 ベッドに跳び込み眠ろうとしても、疲れているのに眠れない。

 大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせようとする。

 だって本当に辛いのは私じゃない。楓だ。

 楓のほうが辛いから、私は辛いなんて言ってはいけない。

 大丈夫だ。大丈夫だ。

 何度もその言葉を繰り返す。

 寝る前は、タケルさんと話すのが日課だった。


 簡単に大丈夫と言うなって叱られていた時もあったっけ。

 でも、私には大丈夫と言うしかない。

 辛いとか、苦しいとか言ったら、私が守り切れなかった人達に失礼なんだ。

 駄目だ。何か考えてると……眠れない。


 眠れない夜は嫌いだ。いつまでたっても闇が開けなくて、その間ずっと考えてしまう。

 終わることなくネガティブに、思考が巡り続けてしまう。

 それもこれも全部、私が守れなかったせいだ。


 何万回も同じことを考え続け、無駄な時間とともに朝が来た。

 今日は、日曜日。

 朝ご飯のトーストもやはり口に入らない。

 苦しくて口を手で押さえていると、となりの朱音が弱弱しく聞いた。


「お姉ちゃん……すごく、嫌なことがあったんだよね……私にもわかるよ」

「朱音、大丈夫。私は、大丈夫だから……」

 取り繕って誤魔化す言葉。

 絶対に、辛いとも悲しいとも言わないように。

 私の罪に向かい合うために、私は取り繕った。


「もう二度と、大丈夫なんて言わないで……私に嘘つかないで!」

 朱音が私の手を掴んだ。

 私を話さないように、強く掴んでいた。

 それでも、私はそれを振りほどく。

 黙って、私は自室に帰る。

 朱音に弱い私を見せないために……


 それでも、朱音はついてきた。

「……なんで、ついてくるの?」

 突き放すような言葉になってしまった……

 言った後で実感する。

「だって、お姉ちゃんまえ言ってた!辛そうな人がいたら、となりにいてあげてって……」

「私は、辛くなんてないからッ!」

 無意識にも荒げた声。

 朱音は驚きに後ずさった。

 駄目だ、どうして……自分の心すらも抑えられないのか……


「あ……ごめん。朱音……」

 私の頬をつたったのは、冷や汗。

 自分で自分が怖くなった。

 私の傷ついた心が、誰かを傷つけてしまう。そう思えた。


「ねえ、今日一日だけお姉ちゃんのとなりにいて、いいかな?」

 朱音が、私の服の裾を掴んだ。

 少し潤んだ目で私を見上げる瞳は愛おしくて、絶対に、傷つけてはいけないと思った。

「私、お姉ちゃんが大好きだから……となりにいたい」

 こうなってしまった朱音は頑固だ。

 きっと、どんなに止めても私の部屋に入ってくる。


 私は優しく、朱音の頭を撫でた。

 そして、ゆっくりと自室に向かう。

 一緒に朱音も入ってきた。

「昔は、お部屋一緒だったんだっけ……」

 私が小さく呟くと、

「それって……私が三歳くらいのことでしょ?そんな時のこと覚えてないよ……」

 と、朱音が淡々と言った。


「ねえ、朱音……どうして、そんなに私なんかを気にかけるの?」

 自分に自信がなかった。自分が優しくされて、いいわけない。

「なんでって……自慢の、お姉ちゃんだから」

 少し、怒ってる?

 少なくとも私には、朱音の声がそう聞こえた。


「私に、好きになる価値なんてないよ……」

 そう言った私の脛を、朱音が蹴った。

 痛くは、ない。だけど、やっぱりまた、朱音を傷つけてしまったのか……そう気づいてしまった。

「私が困ってくれたときは、絶対お姉ちゃん助けてくれるもん。だから、そんなこと言わないで……」

 朱音は私に抱きつく。

 その肌は、幼さ故に温かい。

 ぬくもりに包まれながら、私は朱音の頭を撫でる。


「ねえ、今日。お風呂も一緒に入らない?」

 朱音が、私により強く抱きついた。

 こんなに強い愛を、私が受け取っていいのだろうか……そう思えるほどに。




 二人で過ごしていると、少しだけ寂しさも和らぎ、時間が過ぎていった。

 私は、今浴室でシャンプーを泡立てていた。

「一緒にお風呂に入るの……いつぶりだろ」

「だから私覚えてないって……」

 朱音がすこし呆れながらそういうと、ボディータオルを手に取って私の背中を洗い始める。

「ああ、ありがとう」


「ねえ、お姉ちゃん。どうしてお姉ちゃんはいつも……辛いとき辛いって言ってくれないの?」

 朱音の顔は見えないけど、その声で、心配をしていることはわかる。

「私より辛い人とか、私より頑張ってる人がいるから……」

「それ……うまくいえないけどおかしいよ」

 すこし不服そうにしながら、朱音は私の背中を洗い終えた。


 体も洗い、お湯で泡を流すと、今度は私が朱音の体を洗い始める。

 その肌は柔らかく、細い両手と両足は肌荒れ一つないほど綺麗だった。

 こんな可愛らしい子が、私に優しくしてくれてる。

 それなのに私は……まだ、私の胸は痛い。

 こんなに優しくされて、いいの……?


 朱音の体も洗い流し一緒に浴槽に入る。

 二人が密着しないと入れないギリギリの大きさの浴槽。

 少し窮屈だけど、人肌の暖かさが直に伝わってくる。

「朱音も、おっきくなったね」

 私がそう言うと、私の膝に座る朱音が振り向いた。

「いつか、お姉ちゃんみたいになれるかな?」


 私達は一緒に風呂を出て、パジャマに着替え、そして部屋に向かう。

 どうやら、一緒に眠るつもりらしい。

 私がベットに潜り込むと、朱音は一緒に入り込んできた。

 ギュッと私を握り、私の胸に顔をうずめて、朱音は眠り始める。


「ねえ、朱音……」

 そう声をかけたとき、朱音はもう眠りについていて、小さな呼吸が、私の胸に伝わってきた。

 私はそっと朱音の頭を撫で、眠りにつこうとする。

 やっぱり、私が許されていいはずはない。だけど、朱音は今日私に優しくしてくれた。

 きっと、私がまた立ちあがるために。


 私は、もう一度戦えるだろうか。

 そう考えてみた。

 だが、やはり怖い。

 楓の胸に開いた穴を思い出す。

 私を守った縄を思い出す。

 または吐きそうだ。口を押さえ込む。

 視界の先には朱音がいて、その朱音のぬくもりが私を安心させてくれた。


 私を抱く朱音の体を私も抱き返す。

 そして、ゆっくりと眠りについた。

 こんな私でも支えてくれる人がいる。

 私は誰も守れないのだろうか……朱音のように、誰かを支えることはできないのだろうか……

 そう思いながらも眠りにつく。

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