君はもう、戦わなくていい

「楓ッ!」

 うちの名前を呼ぶ声が聞こえる。

 湊の声だ……

 真っ暗な闇の中、うちは消えゆく意識の中で実感する。

 これが、死ぬってことか……


 湊……うちと同じように、親友のために戦った女の子。

 うち、君を守れたよ……

「……楓、良かったのかい?」

 声が聞こえた。うちの……魂から。

 うちと魂を同化させた、うちの神様。

 名前は……意美豆努命おみずぬのみこと

「ごめんね……オミ……巻き込んじゃって」

 そう、うちは返した。

 うちの魂の中で。

「いや、私はいいんだ……あんたの役にたてたからさ」


 ひどくゆっくりと時間が過ぎる感覚。

 まるで夢を見ているかのような浮遊感。

「ねえ、オミ……さよなら……ありがとう」

「ああ、さよなら……この世界で死んでも、消えるのは私の魂だけ……あんたの魂、たいした傷がないといいね……」

 そう言い残して、魂から響く声は消えた。


「オミ……」

 うちは一人取り残されて、元の世界に帰って行く。

 神の力が守っても抑えきれない魂の外傷は、元の世界にも影響を及ぼす。記憶障害、感覚、身体機能の不全、酷いときは、自我の崩壊。

 でも、きっと……大丈夫。神様が祈ってくれるから……この魂が傷ついても、たいした問題なく元の世界に帰れるさ……




 うちは目を覚ます。

 ここは……どこだろう。

 そうだ、電車の中。

 電車の中、うちは座っていた。

 さっきまで、何をしていたんだっけ。変な夢を見ていたような……

 痛くて、辛くて……寂しくて……でも、なにかが嬉しかった。

 誰かに、出会えた気がするんだ。


 でも、それはたかが夢。

 夢の内容が、思い出せないなんて、よくあることだ。

 スマートフォンを開く。

 一つの通知が来ていた。

「LINE……か……」

 そういって、少し寝ぼけた頭で確認する。

「来月の大会、楽しみにしてるね!決勝で会おう!

 私を超えてみるがいい!」

 そう書かれたメッセージへの返信を書いている途中、うちは気づく。


 こんな友達……いたっけ?

 なにか、大切なことを……忘れているような気がする。






「……こっちは無事終わりました。湊さん……そちらは、大丈夫ですか?」

 レイちゃんからの連絡。

 答えようにも、頭が回らない。

 そのなかで絞り出した言葉はたった一言。

「……大丈夫」

 それだけ言って、私は黙り込む。

「こいつの大丈夫を信じるな。私が……状況を説明する」

 タケルさんの声だ……

 すごいなあ、こんな時にも冷静で……私も、そんなふうにいられたら……


「女と交戦した……ちょうど……レイ、君と同い年くらいか、少し小さいくらいの女だ……そのとき、そいつに襲われていた女と協力したのだが……なんといえばいいのか」

 数秒、沈黙が響いた。

 そして、もう一度タケルさんの声が鳴る。

「死んだ。私達を守って……私達の仲間が死んだ……」

 またも、沈黙が響く。

 そうだ、死んだんだ。

 なんども理解しているはずの事実を、再度実感して胸が痛む。


 私が、死ねば良かったんだ。こんなことなら……

 そう思いながらも、淡々と、レイちゃんとタケルさんが会話をしていた。

「……その、敵の女の人の特徴……わかります?」

「ああ、長い髪で……四肢を代償に、鉄塊を生成、操り、そこから光線を放つ能力を持っていた。

 それと……愛、と言っていたか。そのために戦っていると……」

「そう、ですか……」

 レイちゃんの声が、震えて、暗くなる。

 三度目の沈黙。

 それを数秒後に断ち切り、レイちゃんは再度口を開く。


「ひなたちゃんだ……止めないと……そんなことするひなたちゃんなんて……」

 そう独り言のように呟いた後、また深く考え込むように黙り込んだ。

「どうしたんだ?」

 そう、タケルさんが聞くと、押し殺すように黙った。

「言えないことなのか……?」

 タケルさんの言葉。

 それに、レイちゃんは深呼吸をしてから……答えた。


「……私の義理のおねえちゃんなんです……その人は……」

 弱弱しい、声だった。

「……」

 静けさ。

 どうしてこんなにも、会話がぎこちないのか。

 きっとそれは、心が傷ついているから。

 だれか、私を助けてよ……

 そう願っても、きっと助けはやってこない。


「お先に……元の世界に戻ります。ちょっと……いろいろ一人で考えたい……」

 そう言って、レイちゃんとの通信は途絶える。

「タケルさん……私の、せいだよね?」

 そう、俯いたまま、立ちあがる力もなく座り込んだまま問う。

「君のせいじゃない……君が殺したわけじゃない……どうか……気負わないでくれ」


「……でも、私が強ければ……」

 そう、弱弱しく呟いた声に、タケルさんは返答する。

「もう何も……言わないでくれ……これは……私の責任でもあるんだ……そうだ……もっと私が……強ければッ!」

 震えた声。余裕の欠片もない、泣きじゃくった子供のような声。

 始めて聞いたような気がする。

 この人の、こんな感情的な声を……


「なあ、湊……」

 タケルさんの声が平静に戻る……

 いや、まだ少し震えていた。

 私と、同じ気持ちなんだ。

 こんな気持ち、私以外の誰かにも……味合わせたくないのに……

 胸が、痛む。


「君はもう、戦わなくていい」

 そんな声が、右腕から聞こえた。

「……」

 黙り込んでしまう。

 きっと、私が弱いからだ、だから、戦わなくていいなんて……

 もっと私が強ければ……きっともっと……守れたはずなのに……


「私が、君に戦いの運命を押しつけてしまった」

 またも右腕から小さな声。

 それは違うんだタケルさん。

 私は私の理由で戦ったはずなんだ。それでも、私は守れなかった。

 戦う理由を守れなかった。

 だから、タケルさんは何も悪くないんだ。


「君のようないいやつに、この運命は似合わない」

 いや、タケルさん。

 私はいいやつなんかじゃないんだ。

 守りたかった、かっこいいと思った人も守れない。私と同じ思いを持った……ただの普通の、とても優しくて強い女の子を……守れない。


「だから……君は……君の親友のとなりで、幸せに生きてほしいんだ……」

 違うんだ。

 私が幸せに生きる価値なんてなくて、本当にそう生きるのは楓の方なんだよ。

 私は、私の罪を償いたい。でも、私にはもう人は守れないってわかっちゃった……

 こんな弱い私は、きっと不幸になるべきなんだ。


「私は……君が少し好きだった」

 タケルさん。

 嬉しいけれど……きっと私はあなたに好いてもらう資格なんかない。

 あなたはすごい人なんだ。

 いつも私を気にかけて、心配してくれて……

 象の化け物と戦ったとき、戦えなくなった私を支えてくれたね。

 きっとあなたがいなかったら、私はあの時また立ち上がれなかった。


「だから、お願いなんだ。もう二度と……戦わないでくれ」

 私がもっと強ければ……

 きっと、もっと戦えていたはずなのに……

 そう頭の中で巡り続ける。

 戦う理由が、その胸にあったはず。

 それは、自分との約束でもあったはず……

 でも、私はもう……

 わかりあった相手さえ救えない私が……

 わかりあうだとか、助けるだとか……傲慢だったんだ。


「なあ、もう二度と、傷つかないでくれ……平穏に……今日のことも私のことも忘れて……静かに生きてくれ……」

 きっと、私はずっと忘れられない。

 それだけは確かなのに……

 タケルさんの言葉に言いたいこと、返したいこと、沢山あるのに……

 それも、どれも喉元を過ぎない。


「私も……ずっと黙るとするよ……それでうるさくなくなるだろ……?」

 タケルさんの声を聞いて、私は……

 私は、なんと答えればいいのだろう。

 なぜ、答えられずにいるのだろう。

 ただ、たった一言。

「寂しい」

 そう言えるだけで違うはずなのに……


「とにかく、元の世界に帰ろう」

 タケルさんの声とともに、元の世界にもどっていく。

 戦いで受けた傷は、元の世界に戻ればなおる。

 だが、そのこころに負った傷は……二度と治ることなどないと知った。


 元の世界で、私はスマホに語りかける。

 返事は、帰ってこない。

「ねえ……」

 返答がないとわかっても、話しかけ続ける。

 その画面が、涙で濡れる。

 私はどうしてこんなに泣き虫で……弱虫なんだろう。

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