向き合うこと
「最近、いつにも増して不運だ……」
私が教室でそう呟くと、碧が少し不思議そうに私の顔を覗く。
「何かあったの?」
碧の言葉に、私は鞄の中の教科書を机に入れながら応えた。
「いや、今日ね……朝起きたら案の定寝坊してて、それで走ってたらタンスの角に足ぶつけて、それでも家を出て、土砂降りの中。
自転車は今修理だから傘さして行くったんだけどトラックに水かけられてさ……」
「それでこんなにびしょびしょなんだ……」
「ねえ碧、どうすればいいかな私……」
「まず、寝坊しなければいいんじゃない?」
碧の正論に何も言えなくなった。
私は、少し黙って、他の話題がないか考える。
「ねえ、湊……」
碧が、少し真剣そうに口を開いた。
「何?」
「小学校のころのさ、あの……はじめくんって覚えてる?」
「……覚えてるよ」
嫌なことを思いだした。
きっと、碧にとっても嫌な記憶。
小学二年生のころの、記憶だ。
転校してきた碧の最初の友達になったのは私と、私の隣の席の男子、瀬田はじめだった。
その頃はまだ足が不自由だった碧の車椅子を押しながら、私達は楽しく過ごしていた。
彼女が私達以外からどう思われているのか、私は知らなかったのだ。
あるときのことだ。
碧は、いじめの標的になった。
体育をずっと休み続け、体育祭にも参加しなかったこと、それがしゃくに障ったらしい。
先生の目を盗み、殴られることや蹴られることはざら、碧の家が比較的お金持ちだと知って、カツアゲまがいのことをする輩もいた。
それに苦しんでいく中、瀬田はじめは、次第に碧からも私からも距離をとることになった。
自分が巻き込まれるのが、怖かったのだろう。
そして、次第に周囲に合わせるように、はじめも碧をいじめるようになっていった。
私は、それが許せなかったのだ。
いじめっ子の一人が、窓から碧の筆箱を投げ捨てようとしたとき。
私はそれを止めるため、いじめっ子と殴り合った。
殴り合うこと三十分。気がつけば昼休みが終わりそうになって、急いで席に着いたが。
その日から、いじめの矛先が私に向くようになった。
それでも、碧はずっとそばにいてくれたけれど、辛くて泣きそうになった。
一人になると、声も出さずに泣いてしまう。
そんな人生を送っていた。
二年たつとそのいじめは自然に消え、中学になったときには、碧にも私にも沢山の友達ができた。
でも、それでも、一度負ったこの傷は、消えやしないんだ。
「で、はじめがどうしたのさ。今更……」
そう言った後、私の放つ声が、少し強くなっていたことに、私は自分で気づく。
怒っていたんだ。私は……
「ちょっと前にさ、会ったんだよ。それで、私達に謝りたいって、今週の土曜日、駅前で待ってるって」
碧が、俯きながらそう言った。
だが、私にはどうしてもあの時のことが許せそうにない。
一番そばに居るべき時に、あいつは碧のそばに居なかったんだ。
「本当に、そいつと会いに行くの?」
どうしても強くなってしまう声を抑えながら、碧に訪ねる。
「うん。昔は友達だったから……向き合わなきゃって思うんだ」
空元気が丸わかりの笑顔で、碧は私に微笑む。
本当に会いたいだなんて、これっぽっちも思っていないくせに……
「ねえ、私も、そいつと会いに行っていいかな」
そう私が言うと、碧は少し考え込んだ後、自信なさげに小さく頷いた。
チャイムが鳴り、しばらくすると先生が教室に入る。
そして、朝のホームルームが始まった。
学校から、二人で帰る帰り道。
今日はあまり会話が弾まない。
私はあまり暗い雰囲気は好きじゃない。
だが、どうしても会話がはばかられる。
きっと、碧も真剣に考えたのだと思う。はじめと本当は仲直りがしたいけど、はじめと会うのを恐れているんだ。
でも、恐れたうえで、碧がはじめと向き合うなら私は碧の考えを尊重したい。
……私にあいつを許せるだろうか?
最後まで何も話すことなく、私の家に着いた。
気まずい空気のまま、また明日と碧に手を振る。
碧もまた、弱弱しく手を振り替えした。
「ただいま」
家のドアを開けそう言うと、リビングから「お姉ちゃんおかえり」と声が聞こえる。朱里の声だ。
「お姉ちゃんなにかあったの?」
私が手を洗っていると、朱里がそう問いかけてきた。
「なんでもないよ。大丈夫」
「嘘だ。お姉ちゃん昔から、すっごくわかりやすいんだよ?」
「そう?でもほんと、何でもないんだ」
作り笑いを浮かべながら、私は階段を上っていく。
自分の部屋に入って、真っ先にベッドに寝転がる。
「鳩羽湊、君の精神状態に乱れが生じている。悩んでいるのだろう?」
スマホから声が聞こえる。ヤマトタケルさんの声だ。
「何がわかるんですか……大丈夫ですよ」
「大丈夫はそんな簡単な言葉じゃない。少しはわかるさ、私と君は心で繋がっている。一度魂までも、身に纏わせたからな」
「ちょっとうるさい……!」
私は少しだけ声を荒げた。
今日はもう疲れたな。早めに寝た方が良いか……
そう言って寝転がっているうちに、少しずつ、瞼が重くなっていった。
あれから数日。
ついに約束の日が来た。
はじめと、会う日。
駅前に行く前に、近くの公園で碧と合流。
そして、私と碧は手を繋ぎながら駅前に向かう。
不安が汗となって、碧の手を塗らすのが伝わってくる。きっと、怖いんだ。
それでも碧は行くことを選んだから、私は碧について行きたい。
私だけでも、碧の隣にいてあげたい。
気がついたら駅前にたどり着いていた。
そして、はじめがいた。
見かけは大きくかわっていたが、雰囲気でわかる。
だが、すこしおとなしくなったような……
「なあ、碧……湊も来たのか……ごめん。俺は、あの時お前らを裏切った。お前らの、心を……」
はじめの言葉を、黙って聞いていた。
私は、やっぱり納得がいかない。
碧と一緒でなければ、会いたいとも思わなかった。
「なあ、俺にできることはないか?困ってることとか、欲しいものとか……償えることはないか……?」
はじめが、碧の顔を見て、一歩踏み出してそう言った。
だが、私は何故かその言葉が、許せなかった。
「なに……それ……償ったら許してもらえるとでも思ってるの?」
つい、言葉が口を突いて出た。
許せない。その心が、今になってまた燃え上がる。
やっぱり何をされても許せると思えないんだ。
「許されなくてもいい。ただ、あやまりたかった。それだけなんだ……」
私ははじめの頬をひっぱたく。
勢いよく、力をこめて。
それでも顔をあげたはじめの顔は酷く真剣で、少し涙ぐんでるように思えた。
「一番居てほしいときに碧のとなりにいなかったくせに……忘れかけてたときに急に現れて、勝手なこと言わないでよ!」
そう叫んだ私の顔を、はじめは俯きもせず、真剣に見つめていた。
嫌になるくらいに……
「……碧。いこ?」
私が、碧に問いかける。碧が、小さく首を振った。
そして、はじめに歩み寄る。
「真剣なのはわかったよ。でも、やっぱり簡単に許せることじゃない。だから、少しずつ分かり合っていこう?
きっと、私は向き合わなきゃなんないんだ。あなたにも……」
そう碧が言うと、はじめは何も言わずに泣き崩れた。
声も出さずに、泣き崩れた。
まるで、強がりな子供のように。
碧は私の手を握った。
「じゃ、いこ?」
まだ辛そうな、どこか悲しそうな声で、微笑みかけるように私に言った。
「あんなやつのこと、本当に許せるの?」
きっと、その言葉には消えない怒りが隠っていたのだと思う。
だけど、それを優しくなだめるように、碧は言うのだ。
「許せるかとか、わかんないけど、はじめくんの想いに、私はできるかぎり応えたいから……」
その言葉を聞いて、私はもう何も言わないことにした。
私だって、碧の想いに応えたい。
なら、私にできることは……
その瞬間、悪寒が背筋をよぎる。
振り向くと、一瞬黒い霧が、遠ざかっていくはじめを覆ったように見えた。
そして、次の瞬間。
また時間が止まる。
スマホから問いかけが聞こえる。
「君が今から守るのは、君が憎んだあいつだぞ?君は、戦えるのか?」
スマホを強く握りながら、私は応えた。
「きっと、戦うしかないよ。あいつは、碧が分かり合う相手なんだ。だから、私は戦う」
世界は色を失い、天からは虹色の根が伸びる。
化け物と戦うための鎧、神装を纏った私は、戦う意思を天にかざす。
本当は心のどこかで小さく迷いながら……
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