兄弟

うつつに返れば(意識を取り戻したら)、雲林院うりんいんに、我らが届けよう」

 紀有朋きのありともが女を抱え起こしながら、言う。


 人を喰った鬼は、寺で出家しゅっけさせる。

 紀氏が鬼を殺すことを禁忌としているのは、うえの許しがなければ、鬼に成ったとしてもたみの命を、思うままに(勝手に)奪うことはできないからだ。


――紀氏は、うえ側近そばちかつかえることもできないのに、旧事ふるごと(昔の事)を、あやなく(意味もなく)未だに守っている。



「――子は、病で亡くなったと申し上げましょう」

 悲しむ顔様かおざまで言う紀望行きのもちゆきに、有朋は女を横たえて、聞く。

「こちらが鬼だと、初めから分かっていたな」


 望行は、友則が断ち切った御簾みすを巻いて、すみに置き、答える。

「いなくなった乳母めのとが、子を連れ出したのではなかったので…」

 望行は半蔀はじとみを(上下に分かれた戸の上半分)を下ろす。



 乳母は、子がいなくなったことを責められたくなくて、みづからの(自分の)家に逃げ帰り、こもっていただけだった。あの男は、乳母の家を訪ねることもなく、あのようなことを言っていたのだ。



 紀有朋きのありともは、紀友則きのとものりに背から抱えられている阿古久曾あこくそを見やる。

ざえある子が生まれて、私も、これで心安こころやすく(安心して)旅立てるよ」


 まだ四歳の阿古久曾に、戯言ざれごと(冗談)は分からず、弟・紀望行きのもちゆきが聞いた。

「兄君、次は何処いづこへ旅をするのですか」

陸奥みちのく(東北)に誘われてるんだけど、遠いし、寒いし、どうしようかな~~~」


 紀有朋は、国守くにのかみ(県知事)のとも(部下)としてつかえたり、目代もくだい(県知事の代理)をつとめたり、田舎いなかわたらい(地方公務員)をしていた。

 紀友則きのとものり官位つかさくらいも得ないまま、父に従って、田舎渡らいをしている。


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