内教坊

 阿古久曾あこくそを見送って、妓女ぎじょたちと女嬬にょじゅたちは内教坊ないきょうぼうに戻った。

 かたくなに(意地を張って)見送りに出なかった阿古久曾の母・五節ごせちが、ゆか丸寝まるね(ごろ寝)をしているのを見て、妓女たちと女嬬たちは長息ながいき(溜息)をいた。



 他の舞やがく(演奏)を教える(教師)と分けて(区別して)、五節の舞の師である、この妓女は「五節の師」と呼ばれているが、女の舞は言うもおろかか(言うまでもなく)、男の舞までを教えることもある。一度ひとたび、舞を見ただけで、おぼえ、舞うことができるのだ。おぼえた舞を忘れることもない。



姐君あねぎみ。むづかる(すねる)くらいなら、見送りに出ればよかったのに~」

 言われて、五節の師は空寝そらねして(寝たふりをして)、白い単衣ひとえの袖を引きかぶる。


 内教坊の妓女たちは、互いをあねおとうとと呼び合う。


 妓女たちと女嬬たちは、空寝する五節の帥の周りに座る。

「あこくそ、どこ~」

 妓女の一人に抱えられたわらわが、声を上げた。


「見たでしょ。阿古久曾あこくそは、父君ててぎみの所へ行ったのよ」

「ど~こ~」

『父君』を知らない子は聞き返す。母は子を揺すった。

弓弦ゆづるも、父君ててぎみに会いたいねえ~」

「――私は、会わせたくないなあ~。られちゃったら、嫌だもん」

 妓女の一人がふくれた腹を撫でながら、言う。


――どちも(どちらも)、いづれの(どこかの)うたげの夜に、物のまぎれで、公達きんだち(貴族)が妓女に孕ませた子だ。

 舞やがく(演奏)のざえがあれば、子と認められて、家に迎えられることもある。多くは、女子めのこであれば、女嬬にょじゅ(世話係)、男子をのこであれば、いづれのつかさ(役所)で使われることになる。


られたんじゃないもんっ。あげたんだもんっ」

 引きかぶった袖の下、空寝そらね(寝たふり)をしている五節の師が声を上げた。


 やがて(すぐさま)妓女ぎじょたちと女嬬にょじゅたちが騒ぎののしる(大騒ぎになる)。

「阿古久曾、帰って来るんでしょう」

「今日だけじゃないの」

「そうじゃないかと思ってた…」

「やめなよねっ。あんた、いつもそうやって、後から『知ってました~』って言うのっ」

「阿古久曾には言ったの」



 五節の師は、空寝して答えない。



 今日のこころみで、ざえがあれば、阿古久曾は、内教坊に帰っては来ない。紀望行きのもちゆきの家に引き取られる。

 五節の師は、それを妓女たちと女嬬たちにも、阿古久曾にも言っていなかった。言えなかった。


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