いとこ君

「また今日も、ざえなき子なのではないですか~」

 上東門じょうとうもんの前、そびゆる(背の高い)父の紀有朋きのありともと叔父の紀望行きのもちゆきの背を見上げて、紅葉もみじがさね(表・赤、裏・濃赤)に赤の指貫さしぬき烏帽子えぼしこうぶ紀友則きのとものりは、はちぶく(ぶつぶつ、言う)。


 黄紅葉きもみじがさね(表・萌黄、裏・黄色)の直衣のうし指貫さしぬきはかま)、烏帽子えぼしこうぶ紀望行きのもちゆきは、ふくらかな身(ふくよかな体)を、右に左に揺らして、上東門じょうとうもんの内を覗き込んでいる。


 紅葉もみじがさね直衣のうしに赤の指貫、烏帽子えぼしこうぶる有朋は、が子(友則)の言うことを全く聞いていない弟(望行)の姿に、薄い口縁くちびるを曲げて、口元のしわを深くする。

 が子(我が子)・友則と同じかさねだが、年齢としにつきづきしく(ふさわしく)濃く染めている。



「出て来た」

 紀望行が声を上げ、背を伸び上がらせる。内教坊は、上東門じょうとうもんそばにあり、そうして見晴みはるかす(遠くを見渡す)ほど遠くないのだが。


 萌黄もえぎ童直衣わらわのうしくれないはかま、黒髪を総角みづらに結ったわらわ(子ども)が内教坊から出て来ると、紅のあこめ(肌着)に白い単衣ひとえを着た妓女ぎじょらが次から次へと、ちょうむらがり舞うように、あふれ出て来る。


 見送る白い袖を振る妓女らを一度も振り返ることなく、童は真っすぐに上東門へと歩いて来る。


 が子(我が子)が歩いて来ても、望之が背を伸び上がらせて、ふくらかな身を右に左に揺らしているのは、袖振る妓女らの中に、を探しているからだ。


 紀友則は、あじきない顔様かおざまで(つまらなそうな表情で)、そびゆる(背の高い)父と叔父の背の間から見る。

 上東門を出て来たわらわの、夜の闇が口を開いたような瞳と、瞳が見合った。


なにはづに難波津に

 童が大きく口を開き、玉をらすような声で歌を詠み出す。


 紀望行は駆け寄り、地に両膝を着き、ふくらかな身で、が子(阿古久曾あこくそ)を包み込むように抱えた。

 紀有朋は振り返り、吾が子(友則)の両耳を両のたなごころ(両手のひら)でふたぐ。


「そのまま、歌を詠みなさい」

 父(望行)に言われて、阿古久曾は、抱えられたまま、歌の続きを詠むが、口は父の胸にふたがれて、声は響かない。

「鬼に歌を詠み掛けたら、何があっても、三十一みそひと文字もじの全てを、詠み切らなければならないよ。そうしなければ、此方こち(こちら)に向いた鬼のを全て、この身に受けることになる」

 四歳のが子の小さやかな身を、護るように父は抱える。


「鬼と人の見分けもつかぬわらべ(ガキ)に、ざえがあるものか」

 友則は両耳をふたぐ父(有朋)の両手を払いながら、心苛こころいらる声(イラついた声)を上げる。


 望行は振り返り、ひきつった笑み顔を向ける。有朋の背の陰にいる友則に、その笑み顔は、見えていないが。

「初めてのことで、気負ってしまったんだよっ。ざえがあっても、なくても、こころみをするのは、紀氏に生まれた子のためし(習慣)だから、今日も、かしづき下さい(付き添って下さい)、きみ


 望行は向き直り、胸の内のが子に言って聞かせる。

「あれは鬼じゃなくて、」

「『いとこぎみ』と呼べ」

 いららぐ声で友則は、叔父をえる(さえぎる)。

「そのわらべに、を知らせるな。鬼と対している時に、心無しに(考えなしに)名を呼ばれたら、困るからな」


 有朋の背の陰から友則は出て、歩み寄る。

 望行は阿古久曾あこくそを離し、立ち上がると、友則の前に押し出した。友則は、阿古久曾を見下みさぐ。


 夜の闇が口を開いたような瞳は、従兄弟いとこ見上みあぐ。

 阿古久曾の、ふくらかな顔様かおざまと薄い唇は、父・望行に似ているが、目見まみ(目元)と細い鼻は似つかない。


 見返す友則は、初冠ういこうぶりした(成人した)ばかりかと思えるいとけな顔様かおざまで、父・有朋から寄す皺と、白い髭を取り去ったとしても、ほそらかな顔様かおざまや、目見まみ(目つき)の角々かどかどしさ(とげとげしさ)は、似つかない。



「阿古久曾、いとこ君に名乗りなさい。いとこ君が、お前の名をまもってくれる」

阿古久あこく

幼名おさななでは、ようなしだ(役に立たない)」

 名乗ろうとする阿古久曾を、友則はえる。

 しかし、阿古久曾は父の教えを守り、最後まで名乗りを言い切った。


 父は笑んで、阿古久曾の黒髪を乱さないようにかしらを撫でた。

「阿古久曾。いとこぎみは、ざえが強すぎて、鬼のような気配がするのです。いとこ君の気配を覚えなさい。いとこ君に向かって、歌を詠んではいけませんよ」

「それもようなしだ(必要がない)」

 友則は言い閉じる(断言する)。

「才がなければ、二度ふたたび、会うことはないのだからな」


 友則は、阿古久曾のまろらかなかしら(丸い頭)を、指を大きく開き、包み込んだ。撫でるかと思えば、開いた指で、なさけづくって(やさしく)、締め付ける。

(お前)の妹は昨日、鬼を静められずに、『うまい旨い』と、頭から喰われてしまったぞ~」

 おどろおどろしいことを、笑み顔で言う。


「逃げるならば、今のうちだぞ~」

「さがなきことを(意地悪なことを)」

 望行は言って、阿古久曾を抱え上げると、歩き出す。


まことに(本当なの)」

 阿古久曾は、今にも泣きそうにうるう黒い瞳で見上げて、ふくらかな手で、父のきぬを握り締め、小さな声で聞いた。

 望行は、が子に頬ずりした。

「いとこ君が言ったのは、空言そらごと(うそ)ですよ。妹は、すくやかですよ(元気ですよ)」



――鬼を静められなかったのは、まこと(本当)だったが。



 紀望行きのもちゆきの男子二人に、鬼を静めるざえはなく、昨日、こころみをした(異能があるかを確かめた)むすめにもなかった。


 紀有朋きのありともの子・友則を最後に、紀氏には才ある者が産まれていない。


 男子二人を産んだ望行のむか(正妻)は、才ある子を産めなかったことをやみながら、自らのめいを望行にたくして、病で亡くなった。昨日、試みをしたむすめは、その姪が産んだ子だった。


 今日、こころみをする阿古久曾あこくそは、これまで他に通う所を(他に妻を)持たなかった真面目まめな望行が、内教坊ないきょうぼう妓女ぎじょに産ませた子だ。



「やめっ、父君っ」

 うちつけに(突然)聞こえた友則の声に、歩く望行と抱えられた阿古久曾は返り見た。


 友則を抱え上げようとしている有朋が、しわす顔を小さやかな両手で押しのけられていた。

「まだ父は、が子(我が子)を抱え上げられぬほど、おとろえてはおらぬぞ」

「そういうことではなくっ。(私)を何歳いくつだと、思っているのですかっ」

二十はたちを越えようとも、吾が子は吾が子」


 望行は向き直り、阿古久曾を抱え直すと、歩いて行く。

「あの父子おやこつね(いつものこと)だから、放っておきなさい」

「『放っておきなさい』」

 真面目まめ口写くちうつしする(言われたことを繰り返す)吾が子を見て、望行は、高く雲の棚引たなびく秋の空を見上げた。

「吾が子に、よくないことばかり教えているなあ・・・」


 その横を友則が駆けて、有朋が追って行く。


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