予期せぬ覆者

乱入らんにゅうしてきた男の一人は私におおかぶさる様につかみかかって来たので

それを私は背中からくずれるように倒れながら相手の腹部ふくぶに右足をあて蹴り上げるが、

倒れながら見えたのはもう一人、

男がいてその男が迷わず女性をうししばとらえてしまった為に

最初に乱入して来た男に決め手を入れられなかった、

ならばと私は身を起し入口に立ちふさがり正面しょうめんに倒れている男と女性を人質の様に捕えている男の二人を牽制している、

私一人ならこの二人の乱入者らんにゅうしゃ捕縛ほばくするのも……

難しくはあるが不可能ではない。

男達が手にしている得物えもの刃渡はわた一尺いっしゃく(30.3cm)の懐刀ふところがたなのみ。

対して私は刃渡り一尺六寸(48.48cm)の脇差、

間合いが広く屋内では振り回しても余程よほど下手へたでも無い限り窮屈きゅうくつに思う事も無い長さだ。

おかげで牽制は思い通り、と言ったところだが……、

まず、女性が人質に取られ、

旅館の二階には客人が二人も宿泊している。

見るからに身分の高そうな御仁で加えて江戸の幕臣ばくしん御家人ごけにん城勤しろづとめでもあったらこの旅館の評判は御公儀の知る事になり、

ただでさえ今の老中ろうじゅう水野みずの様という方は倹約けんやく政策を推し進めて旅籠はたごも飯屋も贅沢ぜいたくだと目をつけられているのに、

一悶着ひともんちゃくあった事が明るみになれば、まず取り潰される事は必至ひっし

二つどころか三つも危機にさらされるなんて、とんだ失態しったい

しかもこんな日に限って両親兄弟は伊豆いず熱海あたみ湯治とうじに出かけて旅館には私一人とか、

窮地にもほどがる。

以上の牽制から今に至る逡巡しゅんじゅんに約1秒。

泣きたくなってきた、

合わせて乱入から大体5秒前後の間に男達の会話は全く無い、

冷静になって考えてみれば柿渋かきしぶ装束しょうぞくは明かに忍装束しのびしょうぞく___

だが、得物が懐刀ふところがたな一振ひとふりだけで、

私も決して手練てだれという訳ではない、

にもかかわらず二人がかりで男一人に牽制されている。

仮にも忍びなら下忍げにんもいいところだろうと思うが下忍二人で女性一人をさらう、

それも態々よくよく旅館に侵入してまで危険をおかしてである___。

真っまっとうな忍びなら……、

人拐ひとさらいに真っ当が有るのかどうか言い難いが、

簡単確実に拐うなら路上で拐うべきではないか?

それも二人というのも気がかりだし、

普通……、かどうかはこの際別にして、

忍びが人拐いをするとしたら実行担当の下忍が二~三人

現場監督の中忍ちゅうにんが一人というのが鉄則てっそくの筈ではないか……?

うん、そうなんじゃないか。

目の前の二人は実行担当で旅館の外に現場監督の中忍が居て今も外から監視しているのではないだろうか、


この旅館は二百年くらい前に近江国おうみのくに甲賀こうかから招いた望月出雲守もちづきいずものかみ師事しじしてもらい建築したもの。

当然の事だが敷地しきちの外から旅館を見る事はできない、

垣根かきねの配置もだが、

敷地の外と内とでは高低差がついており

内に入ってからも途中の玄関に着くまでに緩い弧を画くように曲がり

道の中間と玄関とでは道の中間の方が二尺六寸(78cm)ほど高いが高配こうはいも緩やかである為に違和感すら起こさない、

ゆえに旅館全体を敷地外から見る事はできない、

そして二階から、

または一階の天井から様子をうかがう事も出来ない作りになっている。

もちろん穴を穿うがってのぞくも不可能だ、

中庭なかにわに回って監視する事も当然の様に不可能だ、

中庭の設置されている石燈篭いしどうろうが邪魔でどの角度から見ても館内の窓が見えない、

結果として館内に入らなければ中の様子は不可視であるが、

結局は館内も細工さいくが有る為に実際に部屋に入らなければ内部の様子が判らないとう結果に落ち着く。


で、あれば_____。


外からの干渉は無いものとして判断して良い、

相手が下忍とは言え二人を一人で相対して余計な雑念ざつねんが有ればすきを突かれ私も

女性も二階の御客人方おきゃくじんがたも旅館も危うく成るのは必定ひつじょう

まずは目の前の乱入者らんにゅうしゃを退治して女性を捕らえているもう一人を撃退して知人の番屋へ引き渡して、

騒げども世は事も無し_____。

と是非ともしたい、できるだけすぐに_____。


こく


短くひび奇声きせいを上げて

投げ飛ばした男が身を低く、

それこそたたみれに飛んできた、

右手には懐刀ふところがたな

確実のあしを取りに来た動きだ、

ねらいとしては悪くないし判断も決断も間違ってはいないだろう。

だが、私は人としてどうなので有ろうな、


右手の脇差わきざしの刃を相手に向けて

垂直すいちょくに成る様に畳に深く突き立てて女性を人質に取っている男へとかかる、

私に向かって飛んで来た男がどうなったか最早もはや言う迄も無いがて言うなら、

回避が間に合わず、脇差に激突げきとつした_____。


だが咄嗟とっさに身を右にずらして頭とき手はかばう事はできたが

左肩に半分以上脇差が食い込み、

胴体に左腕がぶら下がっている様な状態だ。


先にも案じていたがこの旅館は二階や天井てんじょうから様子を伺う事も穴を穿ってのぞく事もできない作りになっている、

何故ならば二階の床板ゆかいたと一階の天井は本来なら多少の隙間と木枠きわく等が有るだけだろうが、

この旅館では隙間の間に金網かなあみつつんだ厚さ一寸五分(4.5cm)の樫板かしいたを敷いている、

勿論もちろんえんしたから覗かれる事を防ぐ為一階床下にも同様の金網に包んだ樫板を仕込んでいる、


そこに脇差を突き刺したら当然刃は微動びどうだにしない。

当たり前だが勢いよくぶつかればはじかれるのは後者こうしゃだろう、

なればこそ、脇差しは左肩に深々ふかぶかと食い込み激痛と出血過多しゅっけつかたで意識が朦朧もうろうとして動きは取れない、

もう一人の乱入者は現状を見てはいない、

あまりに一瞬の出来事で矛先ほこさきを変えて飛び込んできた国重くにしげに目をうばわれ全体の把握はあくが出来ていない。


国重は迷わずに乱入者の顎元あごもと目掛めがけてひだり掌手しょうていはじ

右腕で女性を抱え込む様に確保する、


弾かれた男は背中から壁にぶつかり勢いで右手にあった懐刀を取りこぼす、

好機こうきのがしては女性を危険にさらしてしまう、

国重は女性から身体を離し時計周りに半回転をいれ

相手の右手脇腹に肘鉄すんてつみ込みと共に

体重を乗せて砕く様に打ち込む。

手応てごたえは十分にある、

勿論もちろん手加減てかげんはした、

でないと如何いかに相手がぞくとは言え殺してしまってはとがおよぶは私共わたくしども旅館自身、


とてもではないが納得もいかない___。


なら生かさず殺さずが妥当だとうと判断し

肘鉄すんてつをいれた賊は両手両足を縛り上げ、

左肩に脇差しが食い込んだままの賊は止血しけつ応急処置おうきゅうしょちをして右腕を柱に縛りつけて仕置しおきとする。


残った仕置きとすれば、

女性の安全と外に居るであろう監督役の後始末と二階の御仁ごじん方の安全を確保する事、

ただ、二階の御仁方は未だに起きた気配が無いからこのまま無かった事にするのが

無難ぶなんかと思う、

残る一番の問題が襲われた女性の安全なんだけど、

部屋に戻ってもらうにせよ

手元を離れた時点で安全は保障ほしょうしかねるし、

かと言って一晩ひとばん乱入者らんにゅうしゃ達と同室してもらうのは気が引ける、


なら済ませる事を先に済ませて手早くめるとしましょう。

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