第13話 8-2.思い出した!
新しい警備員の仕事は、ほぼ日替わりで色んな現場へ回された。少し慣れてきた頃、パチンコ屋の先輩でギャンブル仲間の柳川さんから電話が入った。和彦が七月十五日付けでパチンコ屋を辞めた時、俺も来月辞めるよと言っていたが、今まで何度も同じ言葉を聞いていたので半信半疑だった。ボーナスを増やして引っ越し資金を作って辞めよう、と戸田競艇場で頑張ったがダメだったのでサラ金で借り、和彦が住んでいたのとは別の独身寮を出て、埼玉の和光に部屋を借りた。引っ越しを手伝って欲しいとの連絡で、今度は本気で辞めたらしい。
柳川さんが五年ほど住んだ寮の部屋にあった荷物は少なく、自家用車一台をレンタカーで借り、トランクと後部座席に全ての荷物を乗せて一度運べば、引っ越しは完了した。
柳川さんの新しい部屋は、都内から離れるとは言え通勤圏の和光で、風呂、トイレ、ちゃんとしたキッチンと部屋二間があり、壁も畳もきれいで夫婦でも住めそうな部屋なのに家賃五万円、と安いわけを聞くと、柳川さんは苦笑いしながら窓を開けた。すぐ裏が、大きな墓地だった。それに目をつぶり窓を閉めて過ごせば、きれいで快適な部屋というわけだ。
「これで、俺もギャンブルをやめて、真っ当な生活ができるかな」
「無理じゃないですか。戸田、近いでしょ」「そうだな。クソー。あの時勝ってりゃなー」
ボーナスをスッた時のことを未だに悔しがりリベンジも辞さない構えの柳川さんに和彦は思わず言う。
「また行こうとか、思ったらダメですよ」「うん、分かってる。今度こそは、な」
何ヶ月か前、柳川さんも和彦、遠藤も休みの日、三人で競艇へ行き十万単位で負け、夕方からスロットをして五万ほど負け、夜十一時頃から居酒屋へ食事に行き、酒も少し入ったせいか普段はいくら負けても温厚な柳川さんが突然席を立ち全速力で走り出す、という出来事があった。
食事中、テーブル席からいきなり立ち上がり「思い出した!」と叫び表へ走って出て行き、街中を猛スピードで駆け出した。柳川さんは高校時代陸上競技をやっていたと言う。和彦達も必死で後を追うが、なかなか追い付けなかった。柳川さんが何を思い出したのかは分からず、本人もその時のことを覚えていないそうだが、小説を書きたいそうだ、との噂も耳にした。多分今後会わないだろうから、和彦は思い切って訊いてみた。
「小説書くって本当ですか?」
「いや、その話はやめとこうよ」
柳川さんは必要以上に照れて、絶対に口を割ろうとしない。
「大原はどうなの、西荻なんかに引っ越して、何か考えてんの?役者にでもなんの?」「何で役者ですか、何も考えてませんよ」
和彦は和彦でライター講座に通っていることは言いたくないので、これ以上柳川さんを追及するのはやめておく。
柳川さんが元居た寮のある高島平へ戻ってレンタカーを返却し、引っ越しを手伝った礼として食事をご馳走になる。普通の定食屋。テレビでバルセロナ五輪を中継している。柳川さんが水泳の岩崎恭子の活躍、柔道のヤワラちゃんの話題などを振るが、和彦は付いて行けない。
「全然見てないの?」と驚かれる。
夏の高校野球では星陵高校の松井秀喜選手が五打席連続敬遠されたが、和彦は知らなった。自分の興味が赴くまま和彦は過ごしていて、世間のニュースに疎いのは以前と変わらない。
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