第8話 5-3.都営三田線での帰途

 解散後、都営三田線水道橋駅にいつも見掛ける女性の姿があった。さっきの食事会の時、端の方のテーブルに彼女が居るのに和彦は気付いていて、話し掛けようかどうしようかと迷っていたが、吉田茂や森川さんとの会話に時間を費やしてしまった。目が合うと、会釈を返してきた。ようやく、同じ学校であることを分かってくれたようだ。和彦はビールを何杯か飲んで、少し気が大きくなっていることもあり、以前から姿を見掛けていたことや話し掛けようと思っていたができなかったことなど、いつの間にか饒舌になっていた。花畑さん、との名の彼女は肩をすくめて照れ笑いしている。今まであの教室で話し相手がいなかったけどできて良かった、ということをお互い口にしながら、電車の中の時間を過ごした。板橋の常盤台から来ているらしい。

「学生さんですか、社会人ですか」

 花畑さんが聞いてくる。

「一応、社会人。板橋で働いてるんですよ」とだけ答える。

「えっ、板橋のどこ?」

 親しくはなりたいが、今の仕事は隠したい。

「もうすぐ辞めるんです。辞めたら教えてあげますよ」

 和彦は勿体ぶる。

 四年前、東京へ来たばかりの頃に応募した国会図書館での資料整理のアルバイト初日の朝、新入職員説明会の開場を待ちながら、一緒に応募したとおぼしき、宇都宮から出て来たばかり、と言う同世代らしい女性と話した記憶がよみがえる。国会議事堂前の広場で晴れ渡る空の下、和彦は東京へ来て初めて女性と言葉を交わした嬉しさから、

「僕も東京へ出て来たばかりなので、今度遊びに行きましょう」と初対面で口にしてしまっていたが、女性も嫌な顔もせず、社交辞令だろうが「はい、遊んで下さい」と返してきた。

 二十歳で上京した和彦は二、三日友人宅へ泊めてもらった後、山手線でぐるぐる回り、大塚の駅前に不動産屋が見えたので降りて、部屋を決めた。巣鴨とげぬき地蔵商店街の真ん中辺りから細い路地を少し入った所にある、風呂なし、トイレ共同、家賃三万四千円のアパート。続けてアルバイト情報誌を買い、決めたのが国会図書館での仕事だった。

アルバイト先の国会図書館には、女性も多かった。ただ、大学生達が馴れ合い的な雰囲気で仕事をしていることに気圧された。日給も、安い。泊めてもらっていた友人に報告すると、そんな給料で何やってんねん、と言われてしまい、改めて求人情報誌を見てみるとパチンコ屋の店員募集に目が止まった。給料が全然違う。国会図書館は日給五千五百円。パチンコ屋は時給千二百円。七時間働くと、八千四百円。そっちへ行くべきかな、と心変わりした。国会図書館で話した女性とは別々の持ち場へ配属され、会うことはなく、連絡先も聞いていないので、それっきりとなった。

 パチンコ屋でも、初めの頃はなかなか職場の雰囲気や仕事に馴染めず悪戦苦闘した。ギャンブル仲間に入って休日に競艇へ行くようになって、流れが変わった。和彦は元々、本当はそんなにギャンブルが好きではない。店の仲間とギャンブルに興じるうち夢中になるようにはなったが、根っから好きなのではない。一日中パチンコ屋に居るような人も世の中には居るが、そんな風に一日をつぶすことは空しい、と思える。

 巣鴨で降りる時お互いに手を振って別れ、地上へ出た和彦は暗い夜空の下、久しぶりに心が温まっていた。

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