5-4

 木村ちゃんと一緒に家に帰る。帰りのバスで窓際に座らされる。ふたりとも無言で、スマホをいじることもない。木村ちゃんは何を思っているのだろうか。そもそもなんで一緒に帰ることになったんだっけ? 私を独りにしたら死にそうだからか。

 止めることないのにな。

 家に着いて、木村ちゃんは強引に家に上がる。結構気遣いの人なのに、こういうところで強引になれるのすごいよな、と思う。

「晩ごはん、一緒に作るよ」

「作らないし私は食べないよ」

「作れ。食え。いいから」

 命令形の木村ちゃん、新鮮だなあ。

 あんまり食材の残りがなくて、とりあえずチャーハンになる。木村ちゃんがメインで野菜を切って火を使う。一緒にってなんだっけ、と思っていたら味見係にされる。

「どう?」

「……濃いめだね」

「うん。そのほうが美味しい派だから」

 さいですか。

 で、完成。テーブルを囲んでいただきます。でも食べる気が起きない。食べるってことは生き延びるということだから、ちょっとやる気が出ない……と思っていたら木村ちゃんが、私のスプーンで私のチャーハンを掬って私の口に運ぶ。火傷しても別によかったけれど、煩わせてもなんなので素直に口を開けておく。

「美味しい?」

「うん。濃いけど」

「じゃあ全部食べて」

 一応お腹は空いていたのか、なんだかんだ完食できる。生き延びちゃうな、と思うと嫌な気持ちになるが、考えたらお腹が満ちてようが後で飛び降りれば関係ないな。うん。

 あ、そうだ。死ぬ前に。

「木村ちゃん」私は言う。「部屋にきてよ」

 素直に私の後ろについてくる木村ちゃん。そういえば部屋汚かったかもな、まあもういいか、どうせもうじき死ぬのだし。木村ちゃんと一緒に入室して、私はキーボードの前に立つ。

「これ返すね。いままでありがとう」

「何言ってんの」と木村ちゃん。「遊井。どういうつもり?」

「私はもう死のうと思ってる。死ななかったとしても、音楽は辞める」

 木村ちゃんは私の言葉を受けて、ひどく悲しそうな顔をした。死ぬとかは言わないほうがよかっただろうか。いっそ、わざわざいま言わずとも、遺書か何かに返却の旨を書いておけばよかったのかもしれない。

 何もかもミスばかりだ。木村ちゃんのことも徒に傷つけてしまっているだろうか。今日はチャーハンで大丈夫になったふりで遣り過ごしたほうがよかった気がしてくる。

「遊井は」木村ちゃんは言う。「音楽が嫌になったの?」

 え? どういう意図だろう。

「私は生きるのが嫌になったんだよ。増田くんのことを傷つけて、弟のことを苦しめて、増田くんのお母さんにも今日、嫌われちゃった。弟が死んだのは私にも原因があると思う。私がいなかったら弟は死ななかった。これ以上生き続けて、誰のことも傷つけたくない」

「じゃあ、傷つけないように生きればいい」

「無理だよ、私じゃ」木村ちゃんにはわからないかもしれないけれど。「私はどこまでも粗忽で、よかれと思って他人を虐めてしまう人間だって、もうわかっちゃったから。やらかさないように気をつけたって、やらかしであることに気づけないんだから」

「遊井は、遊井の思っているほど酷い人間じゃないと、私は思うよ」

 木村ちゃんは真っ直ぐ私を見る。私の奥を探って引きずり出そうとしてるみたいな視線。でもそんなのないよ。いま言ってるのが全部なのに。

「私は、木村ちゃんが思っているほどマシな人間じゃないんだよ。弟が亡くなって、私は初めて、自分が弟のことろくに気にしてなかったことに気づいたもん。アウティングのあと、自分と増田くんとオママゴトのことでいっぱいいっぱいで、弟のケアとかなんにも考えてなかった。私がもっとちゃんと、弟だって暴露で傷つくんだし、そのうえで増田くんと別れた弟がどんなにしんどいか考えて、様子を見にいったりしていたらよかったんだよ。まともな家族なら、そうするべきだった」

 でも私は酷い姉だったから。

 そんなこと考えもしなかった。

「もっと上手くやれたらよかった。増田くんのお母さんにちゃんと増田くんのことをぼかしつつ謝るべきだった。アウティングをせずに増田くんと木村ちゃんが付き合ってること根拠つきで否定することなんていくらでもできた。配信を控えてるって意識してお酒を我慢すればよかった。でもできなかった。上手くやることなんてできなかった。下手を踏みながら、上手くやれてると勘違いしていた。すごい、救いようのない、馬鹿だよ。それが私だった」

 言い切った私に木村ちゃんは、

「違うよ」

 と言う。

 何が違うんだろう。

 なんで違うってわかるんだろう、木村ちゃんに。

「違わない。私は、私の悪いところ、全部、一番傍で、見てきた。私の価値のなさを、私の資格のなさを、私のしょうもなさを、全部見てきた。やるせなくて、どうしようもなくて、至らなさが息苦しくて、全部それを私自身で感じてきた。だから……私はずっと木村ちゃんと仲よくなりたかったからさ、木村ちゃんと友達になれて嬉しかったからさ、どっか嫌われないように振る舞ってたところもあったんだよ。具体的にいつどこってなると流石に忘れちゃったけど、でも、私はちょくちょく自分自身じゃなくて漫画とかアニメとかのメッセージを引っ張ってきてそれらしくして話したりする人間だし、弟くらいにしか言ってなかった秘密だってあるし、だから、木村ちゃんは私を、ちゃんとわかってなんてないし、木村ちゃんが私を最低じゃないと思ってるなら、きっとそれは私が木村ちゃんに嫌われないようなところしか、木村ちゃんに、見せてこなかったからだよ。だから木村ちゃんが、本当の私を私より、木村ちゃんが、知ってるなんてこと、ないよ、木村ちゃん」

 私は身勝手にも泣き始めている。自分がいま、木村ちゃんを拒絶しているのだと自覚しているから。木村ちゃんを突き放していて、木村ちゃんを馬鹿にしているのだと自覚しているから。友達に酷いことを言っている。この期に及んで酷さを重ねている。いますぐそのへんのコードで首を絞めて息を止めてしまいたい。どこかにある鋏で自分の胸を刺してしまいたい。台所に駆け込んでガスコンロに火をつけて服ごと自分を燃やし殺してしまいたい。

 死にたい。これ以上、木村ちゃんに何かする前に。傷つける前に消えたい。

「遊井」

 温かい。

 苦しい。

 木村ちゃんが私を抱き締めている。

「あのね、遊井。遊井はたしかに、遊井自身の気持ちとか、忘れられない失敗とか、いっぱい知ってると思う。遊井薊という人間の現実はたしかに遊井が一番知ってるに決まってるよね。そもそも私、遊井の学生時代すらろくに知らんし。遊井が私にくれた優しさだって遊井にとっては、なんか外付けとかのやつかもしれないね」

「木村ちゃん、だめ、私なんて触っちゃだめ」

「でもさ、遊井。私はね、遊井が繕ったり理性でやったりしてきたことだって本当の遊井だと思う。むき出しの心を覆い隠すものも含めて、遊井だと思う」

 木村ちゃんは暗闇で唱えるように続ける。

「だって、結局、色んなことを知って経験して、そこから何を活かすかって遊井の判断でしょ? じゃあそれは本当の遊井だよ。どんな風に振る舞うべきか選んだのは遊井だし、何か秘密を隠すのも遊井が遊井だからやることなんだから、遊井だよ」

 私は何も言えない。木村ちゃんは、それにさ、と続ける。

「遊井がどうして他人を傷つけたことに苦しんでいるのか、どうして上手くやれなかったことを悔やんでいるのかってさ。他人を傷つけないように上手くやれる人間になりたいからだよね? 合ってる?」

「……うん」

「じゃあ、それも遊井だよ」木村ちゃんは私の頭を撫でる。「人間って過去だけで出来てないよ。こういう風になりたいって願う気持ちも、人間の大事な一部だよ。どんな自分が理想かってところも含めて自分でしょ。最低な自分が嫌、マシになりたいって思ってるなら、遊井は最低な人じゃなくて、最低だけどマシになりたい人」

 まあそもそも私は最低だと思わないけど、と木村ちゃんは笑う。

「ダメだよ。私は最低だよ。アウティング、しちゃう人なんて、最低だよ」

「最低な部分があっても、最低な部分だけじゃないんだったら、最低なだけの存在ってこと、ないと思うな」

「でも私くらい最低な部分なんて、ない人のほうが多いよ」

「そんなのわかんないし、それにマジョリティである必要、そもそもないでしょ」それから木村ちゃんは抱擁を解いて笑いかける。「少数派なほうが、面白い音楽やれるかも」

「……音楽する資格なんて、私にないと思う」

「資格なんていらないよ? 遠藤とかもそうだけど、どんなダメ人間でもやっちゃっていいのが音楽だし、だから音楽はダメ人間も救えるんだと思う。それにその気がなくても、鼓動と言葉があれば音楽になっちゃうわけだし」木村ちゃんは歌詞みたいなことを言って、私の双肩に手を置く。「大事なのはいまどうかじゃなくて、これまでどうだったかでもなくて、これからどうなりたいかだよ? 遊井はこれから、なれるなら、どんな遊井になりたい?」

「なりたい自分なんて……きっと、なれない」

「なれなくてもいいよ。有言実行なんて、できてない人のほうがずっと多い」

 私は少しの間黙って、木村ちゃんの瞳を見る。木村ちゃんは急かさず、穏やかな表情で、待っていてくれる。もし、今日は無理だから明日にするね、とか言っても許してくれるだろうか。

 くれるだろうな、と思う。

 そしてだからこそ、私はいま、口を開く。

「……誰のことも傷つけなくなりたい」

「うん」

「死なない理由をもっと増やしたい」

「うん」

「お酒でやらかさない人間になりたい」

「うん」

「漫画とかアニメとか、ちゃんと楽しめる精神状態に戻りたい」

「うん」

「……それから」

 私はキーボードを見る。しばらく座っていない椅子。弾いていない鍵盤。これで二年と少し、オママゴトの曲をがむしゃらに練習してきた。

 それを全て捨てるべきだと思う。私は死ぬべきで、音楽から離れるべきで、キーボードは木村ちゃんに返すべきだと思う。

「なるべき遊井、じゃないからね」木村ちゃんは見透かすように言う。

 なりたい私。

 もしも、なれなくてもいいのなら。

 ひっそりと、こっそりと、願っていいのなら。

「……もっと上手くなりたい、キーボード。新しい曲を覚えて、バンドで弾きたい。音楽、辞めたく、ない」

「うん。そうだね」

 木村ちゃんはまた私にハグをくれる。

「まだ、そういう風になれてないのも遊井だけど、そういう風になりたいのも、遊井だよ」

 変わりたいって気持ちも含めて、その人の心の形だよ。

 私はまた泣いてしまう。木村ちゃんは優しく撫でてくれる。

「ねえ、遊井。私、音楽を続けるモチベに、遊井と一緒に弾いて遊ぶの楽しいってのもあったんだよ。&ハートが主題歌やってるアニメの話するのも面白かったし。それに、遠藤と色々あったとき、遊井が味方してくれなかったら、私もっと傷ついてたと思う。音楽やめちゃってたかも。……遊井がいなかったらよかったなんて、少なくとも私は、全く思わないよ」

 木村ちゃんはどうしてこんなに温かいんだろう、どうして私のこと、納得させてくれて、愛してくれるんだろう。

 図々しくも、救われてしまう。


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