4.cunning bird(詞:キムラトオル)

4-1



「遊井さん、すっかり上手くなったよね」

 六月、スタジオでキーボードのレコーディングを終えて、稗田父に確認してもらっているとそう言われる。私としては未熟を自覚することばかりだけれど、でも二年前よりは安定感がでてきたとも思うので、素直に喜んでおく。

「ありがとうございます。オママゴトで鍛えてもらいました」

「いやあ、そんなに頻繁に色々やってるわけじゃないし。遊井さん、自主練いっぱいしてるんだね」

「まあ、残業なしで仕事終わって真っ直ぐ帰った日とかに、おうちでオママゴトの曲とか弾いてますね。最近とか休日はアニメ見て漫画読んで八時間くらいキーボード弾いてます」

「熱心じゃん」

「弟が独り暮らしになって集中しやすくなった感じですね。弟いたときは料理担当だったんで不本意に中断せざるを得なくなることもありましたけど、いまは自分の食べたいときに作って食べればいいですし」

 ただ、その自由度のせいでだらけてしまっているところはある――音楽ではなく、生活面で。思えば弟がいることでまともであろうとする気持ちが保たれていたんだな、と休日の昼間からビールを呑んでいるときとかに思う。

 遊井薊、二十六歳。好きなことはアニメ鑑賞、読書(漫画とライトノベル)、キーボード練習、飲酒。駅ビルの某店の販売員(正社員)。オママゴト(インディーズバンド)のキーボード担当。独り暮らし。交際経験あり(高校時代)、恋愛感情なし(アセクシャル)。

 ざっくりプロフィールをまとめると、この感じで酒飲みなのちょっとありきたりかもなと思うけれど、ありきたりを嫌うほどの反骨精神も、私にはない――世界に主張したい自己って、そういえばない気がする。

 なりたい自分すらない――いや、厳密にはもう、なっている。オママゴトの一員として馴染んだうえで一緒に音楽をやりたい、というのは恐らく達成できている。だから私、いま、目標がない。

 ……なんか、どうなんだろう? と思ったのでその日の夜、なんとなく望花さんに音楽をやり続けるモチベーション、世界に主張したいこと、生きる理由、みたいなことを電話で訊いてみる。木村ちゃんや稗田父は、少なくともモチベーション面では知っているけれど、望花さんのそういうところは聞いたことがないなと思ったから。

「いや重いこと聞くねえ」と望花さん。「音楽のモチベーションか、まあ結構、楽しいから……かな? ベースで弾いてみたくなる曲がどんどんリリースされていくし、やってくうちに思いついたアイデアはパパにお願いしてオママゴトの曲に入れてもらうこともあるよ」

「あ、そうなんだ」編曲にも噛んでるんだ。レコーディングのときにアレンジとして提案しているのかもしれない。「こう、将来ベーシストとしてどうなりたい、みたいなことは?」

「……昔は色々あった気がするけど、いまは、ないかも」

 なんで? と訊きたくなったが、あんまり深掘りすると傷を抉っちゃう可能性だってあるな、と思ったのでそこは流した。

「世界に主張したいことも、ないかも」望花さんは次の質問に答える。「不満に思うことや、悲しいなってことはあるけど、世界を変えたいなんて、そこまで思いあがれない。私は私がちっぽけだと知っているし、ちっぽけじゃなければ変えられるようなちょろいもんだとも思っていないし。世界に自分を認めてほしい、とかも思春期で終わってて、いまは世界じゃなくて周囲から排斥されてなければいいかなって。つまんない大人かな?」

「いえいえ」普通に、落ち着いた大人なだけだと思う。世界のどうにもならなさを、世界にとっての自分のどうでもよさを、自覚している大人。「あくまで、他の人がどういうスタンスかを知って自分のスタンスを客観視したいだけなんで」

「そっか。ちなみに生きる理由としては、いまは結婚控えてるのが一番大きいかな」

「はーなるほど。え結婚?」するんですか?

「うん。二年前のクリスマスくらいから付き合ってる人。二個上でね、お互い貯金できたから、いい歳だし結婚しようかって話になって。来月あたり籍入れる」

「へぇー……そっか、おめでとうございます。幸あれ」

「ふふ、ありがとう。ちなみに結婚したら職場辞めるんだ。収入的に私は専業主婦で大丈夫だから、家事とかしながら俺のこと待っててほしいって言われて」

 まだこの時代に専業主婦ってあるんだ。まああるか、あるところには。昔々あるところに、というわけではないのである。

「じゃあ、偶然ビルで会うこともなくなるのかな」

「まあ、もしかしたら遊井ちゃんとこ買い物とか行くかもしれないし。そうだ、オママゴトの活動は続けていいって言われてるから、そのへんは心配しないでね」

 で、そのあたりで望花さんに別用ができて通話終了。私はリビングのソファに身体を預けて天井を仰ぐ。

 結婚かあ……。

 なんていうか、いや普通に概念は知っていたし読んだり聞いたりしてきたし、職場の人が結婚したり離婚したりって話も聞いたことあるけれども。というか、去年さらっと胡桃も結婚していたし(ふーんって流しちゃってた)、そういえば専業主婦になったらしいけれど。

 二年ぐらい一緒に過ごしてきた友達、バンド仲間が結婚するとなるとぐっと身近になるというか、……結婚ってあるんだな、となる。

 私自身、結婚と遠く生きているところがあるので、高校生のときクラスメイトが車に轢かれたときに交通事故って起こりうるんだな……って思ったのと同じくらいの感覚だ。

 私の両親は高校生の息子がいる状態で海外に行く程度には自由なので、子供に対しても自由を許しているというか、二十六歳になったけど結婚して孫見せなさいとか言われたことがない。私は恋愛感情が湧かないんだよとか説明したこともないのに、期待してる素振りすら見せない。弟にも「彼女できた?」とか言ったことがなくて、じゃあ漫画とかに出てくる子供の恋愛事情になんか期待してくる両親ってもう古びたステレオタイプなんだなあ、とか思っていたら普通に同期社員の両親は急かしてるらしくてびっくりした記憶がある。

 色んな人がいるように、色んな両親がいるんだなあ。

 それはさておき、結婚かあ。

 結婚したい? したくない。アセクシャル同士で友情結婚をするケースもあるらしいけれど、でも性別の違う人とマブダチになれたとて一緒に暮らせるかどうかはまた別問題だから、穏やかに過ごせるとは限らない。そもそも男の人とそんなに深く友達になれる気がしない……。高校時代に一瞬できた彼氏とか遠藤さんとかの件もあって、正直ちょっと若い男の人にいい印象がない。友達は同性がいい。胡桃みたいな子もいたけれど、でも実のところ胡桃との付き合いは苦ではなかったのだ。合わないところは合わせてればよかったし。お互いに興味があんまりなかったからかもしれないが。

 子供ほしい? ほしくない。セックスしたくないし。子供は嫌いじゃないが育てるのはあまりに重たい。老後に寂しくなるとか言うけれど、猫とか飼えばいいんじゃないかと思う。寂しいから子供を作ろう、と軽率に思えるほど素敵な世界でもないわけだし。それにそもそも過程が怖すぎる。小学生のときに身重の母を助けながら、どうして自分からそんな目に遭ってるんだろうと思ったし、高校生のとき見せられた母が私を産むときのビデオもキツすぎてトラウマなのだ。あれ運悪かったら死ぬらしいじゃん?

 ……でも望花さんも木村ちゃんもそのうち母親になるんだろうか? 木村ちゃんは少なくとも遠藤さんと付き合っていたわけだから男性との恋愛をしないタイプではないはずだ。しばらくそういうのいいやって去年あたり言っていたけれど。ルラ子は? ルラ子も、いまは知らないけど大学生のときはワンナイトとかやってたタイプだからさらっと相手を見つけていてもおかしくない。

 私は夫も子供もいらないが友達はほしい、というか望花さんと木村ちゃんとルラ子の三人がいてくれたらそれでいいって正直思う。でも三人とも母親になって母親トークばかりするようになったとしたら、疎外感がすさまじそうだ……。ネット音楽によくある歌詞みたいな表現をするなら、愛想笑いの仮面が顔に張り付きそう。

 いやさ、友達と話を合わせるために義務的に結婚と出産をやるとか、そんなの何もかもに失礼だけれど。あまりにも行動として幼すぎるし。

 それで三人が急に事故で死んだり、そうでなくても何かあって仲違いしたりしたら人生ごと空しくなりそうだ。

 んーもういいや。そもそもそういう話を考えたくて電話したわけじゃない気がする。

 アニメ見て寝よう、と思いながら缶ビールを開けてテレビをつけると、職場で性的マイノリティであることをアウティングされて自殺した会社員の報道がされていて、こういうのまだなくならないんだな、もっと尊重される世のなかになってほしいな、悲しいな、と思いつつ、私まだ弟にしかアセクシャルなこと伝えてないんだよな、とも思う。

 付き合いも長いし、ルラ子やオママゴトの人たちになら言ってもいいかも、ってくらいには信頼しているけれども、そこで変に頭を使わせるのはやっぱりしんどいし、現状言う必要もないんだよなあ、と躊躇う時点で少なくとも、私のタイミングはもっと後なのでしょう。

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