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 朝、木村ちゃんのほうが先に起きていて、台所に行くと弟と一緒に朝食を作っている。びっくりしている私の前でベーコンエッグが出来ていく。私は顔を洗ってお米を注いだりなんだりと朝食の用意を手伝う。

 三人で食べる。

「木村ちゃん、ごめんね。私、疲れてると起きるの遅くて」

「ん、別に待ってもよかったんだけど。守一郎くんがお腹空いて自分の朝ごはん作り始めてたから、じゃあ一緒に作ろうかって。色々お世話になってるし、昨日から」木村ちゃんはお米を食べながら言う。「ていうか昨日もちょっと思ったけど、いいお米使ってるよね」

「米だけはいいもの買う方針の家なんで。それ以外は絞りつつやってます」と弟。「姉貴、今日はこれ食べたら遊びに行ってくるからね」

「あ、了解。私も日中に出かけるから、一応鍵忘れないでね」

「うい」

 食べ終わって、弟が食器を洗っている間に私と木村ちゃんは部屋に戻る。あと二時間後くらいに家を出ても間に合うけども、どうしようか、と話し合って、弟が家を出ていったらちょっと演奏をしよう、と木村ちゃんが言った。

 木村ちゃんがギターを持って、私が電子キーボードの前に座る。ギターもキーボードも木村ちゃんの妹さんの遺品だと思うと、そのふたつだけで演奏をするというのに深い意味を感じてしまう。

 木村ちゃんが弾き始めるのはオママゴトの、木村ちゃんが作詞をして遠藤さんが歌っていた『睨む』という曲。いいのかな、と思いながら私は合わせてピアノの音を弾き始める。即席で分担したアコースティックバージョンというべきだろうか。

「《雨上がり 交差点 泥塗れの靴

 白昼 どこかで流れた星を睨んだ》」

 遠藤さんがいつだったか、青臭いと評していた木村ちゃんの歌詞。私は嫌いじゃないけどな、と思う。この曲は遠藤さんが歌うために男性キーで作曲されているものだけれど、木村ちゃんはキーチェンジもなしに難なく歌い上げている。音域が広いのだ。低いところから高いところまですごく綺麗に出る。

 曲を歌い終えた木村ちゃんは言う。「うん。よし。これなら遠藤いなくても歌える」

「あ、やっぱ遠藤さんが作詞した曲はもう歌うの嫌?」

「うん。やだ。ってこれは稗田パパがどう判断するかだけどさ。自分が作曲と編曲デモまで作った曲を封印したくないかもしれないし」

「たしかに」

 いつだったか、稗田父は《歌詞に合わせてメロディを作ってるから、言葉が変わるとメロディの狙いが台無しになる》と言っていたから、メロディはそのままに木村ちゃんが新たに歌詞を作る、とかは無理だろう。

 本当にこれからどうなるんだろう、オママゴト。

「わかんないこと考えてたってしょうがないよ」木村ちゃんはどこか吹っ切れたように笑う。「もっとやろ、遊井。これ楽しい」

 で、一時間くらいそういう時間になる。他の木村ちゃん作詞曲だったり、カバーしたことのあるKING KOKEKKOの曲だったり。それから&ハートのなかでもリードギターが簡単なほうの曲をやる。私はリードギターのメロディをピアノでなぞって、木村ちゃんはコード部分を弾きながら歌う。楽しい。もっと練習して即興でフレーズを作ったりできるようになりたいな、と思う。私には向上心があって、だからその行き場としてオママゴトにはやっぱりなくなってほしくない。

 うん。きっとどうにかなる。

 気が済んだあたりで寝間着から着替えて家を出る。駅までバスで行く。ファミレスには待ち合わせの十分前に着く。稗田父と遠藤さんはもう着いている。

「こんにちは」と私が言う。木村ちゃんは遠藤さんを見るなり笑みを消して黙ったし、遠藤さんも気まずそうに目を逸らすだけだったから。

「おっす。早いね」と稗田父が笑う。「もう人数伝えてあって、順番そろそろだからちょっと待ってて」

 席に通される。二人掛けと二人掛けで向かい合う席で、私の隣に木村ちゃん、稗田父の隣に遠藤さん。稗田父が木村ちゃんの真向かいに座ったのは、遠藤さんが向かいだと、どちらかが冷静じゃなくなったとき危ないからだろうか? 水とか、かけたりして。

「さ。めんどいし本題いこうか」稗田父はあっさり言う。「まず、何があったのかちょっとちゃんと聞きたい。ふたりから。言いたくないならいいけど」

「遠藤が浮気しました」木村ちゃんが言った。「昨日、家に帰ったら、遠藤が……あの、前に打ち上げに混ざった胡桃って子いたじゃないですか。あの子と浮気してました。それで、喧嘩して、遠藤のこともう信じられないし、遠藤も私に不満があったみたいだったので、別れることにしました。以上です」

「そっか。うん、そういうことね」稗田父は遠藤さんのほうを向く。「遠藤くんからも話を聞いておくね。どう? 何があった?」

「俺、言っていいんですか。なら言いますけど」と遠藤さんは言う。「俺は浮気なんかしてないです。透が嘘ついてます」

 え?

「は?」木村ちゃんが困惑と嫌悪感の混ざった顔で遠藤さんを見る。「何?」

「優之さん、信じてほしいです。透がおかしいんです。調子が悪いのかもしれません」遠藤さんは冷静に並べる。「俺は潔白です。透はみんなを騙して、自分が悪者にならないように俺と別れようとしている」

「何……? 遠藤、あんた、それで、通そうって言うの? 馬鹿じゃないの?」

「透こそ。必死になって、そんなに噓がばれるのが怖いのかよ。嘘だって言うならさ、証拠でも出してみなよ」

「……証拠?」

「うん。俺が浮気したっていう証拠。エビデンス」

「そっちが浮気してないって証拠見せれば? どうせ胡桃と……」

 木村ちゃんは言いながら気づく。私も察する。木村ちゃんが嘘をついているという筋でどうにかしようとしている人間が、トーク履歴とか写真とか、そういうものを削除していないはずがないのだ。完全に隠滅をしてからこの場に臨んでいるに決まっている。

「もしかしたら透は、俺に嫉妬をしているのかもしれない」遠藤さんはここぞとばかりに続ける。「オママゴトの、『あえての女の子』がバズったから。俺の考えた歌詞や動画としての演出がウケてバズったから。だから俺を悪いやつにしてバンドから追い出して、残った自分がちゃんと注目される環境を作ろうとしている。その可能性がありますよ、優之さん」

「ちょっと……稗田パパ、遠藤なんかの言ってること真に受けないで! お願いだから!」

「じゃあ証拠を出せよ透」と遠藤さんは睨む。「人のこと悪く言うからには写真くらいあるんだろ」

 あるわけがない。そんなことができるくらい冷静だったら、胡桃のことも逃がさなかったはずだ。そういう証拠を抑えられていないとわかっていて、遠藤さんは木村ちゃんを追いつめようとしている。

「……ざけんなよ」

 と木村ちゃんがいよいよキレ始めていて、危ない、と私は思う。ここで暴力的な行動に出たら、遠藤さんはそれ見たことかと木村ちゃんこそ悪であるかのように稗田父に訴えるだろう。

 私はなんのためにいるんだ?

 誰のためにいる?

「証拠はないですけど、証言ならします」と私は声を出す。「木村ちゃんは、遠藤さんに裏切られてすごく悲しんでいました。昨日、ずっと一緒にいた私にはわかります。電話でも、一緒に焼き鳥屋さんで食べたときも、昨夜、布団のなかでも泣いてました。嘘のために、あんなにたくさん泣く必要なんてないはずです」

「……嘘だ」遠藤さんは言う。「透が、そんなに泣くわけない。俺に浮気されたくらいで泣くなんて、嘘くさい。遊井さんもぐるになって、口裏を合わせている」

「私でも信用できないなら、焼き鳥屋さんに訊きましょうか」

「焼き鳥屋さん?」

「はい。カウンター席だったので、焼いてる人にも木村ちゃんが悲しんでいたのは見えてたと思います。だから、いまから行って木村ちゃんの顔見せて訊けば思い出すはずです。服装も同じですし」言い切ってから、私は改めて告げる。「私は嘘をついていません。木村ちゃんは本気で悲しんでいました。あなたが悲しませました。確認に行きますか? 隣駅ですよ」

 遠藤さんは黙る。

 私に言えることはそれくらいなので、発言終わりのサインとして水を飲む。木村ちゃんを見ると、少し泣きそうになっている。撫でようかなと思うけれど、やめておく。

「……優之さん」やがて遠藤さんは開口する。「俺を信じてくれますか」

「俺も生きてて長いからさ、色んなやつ見てきた。嘘つく男も嘘つく女も見てきた。バレバレのやつもいれば全然わかんなかったやつもいたよ。絶対嘘ついてそうなやつが本当のこと言ってた瞬間だってあった」稗田父はそう言うと、遠藤さんの肩を叩く。「でもさあ……ちょっとこの嘘で行くのキツいかもな~って思ってるやつは、確実に顔でわかるよ。負けそうだなって感じの。間違ったかなって感じの、顔色」

「優之さん」遠藤さんもちょっと泣きそうな顔になる。「俺、オママゴト辞めたくないです」

「どうして?」

「だって……これからじゃないですか。『あえての女の子』がバズって、注目されてて。ここからどんどん大きくなっていけると思います。ここから先が本番です。そのためには、俺のセンスがなきゃいけないと思います。俺のセンスでバズったんで。だってのに、俺がオママゴトから抜けさせられるのは、あんまりだし、バンドのためにならないです」

「俺は別にそんなこと望んでないんだよな」と稗田父。「前から言ってるじゃん。そういうんじゃないって。稼ぎたいとかじゃないんだって。そりゃ盛り上がってたらさらに盛り上げたほうが楽しいって思うよ? 俺の作った曲で楽しんでくれる人がいるのって嬉しいもん。でもそれは遊びってそういうもんだからなんだよな。遊びなんだよ、このバンドは。だからバンドメンバーとして遠藤君を入れ続けるかどうかは、はっきり言うと、俺が遠藤くんとこれからも遊びたいって思ってるかどうかなんだけど」

 何も言えない遠藤さんの顔をじっと見てから、稗田父は言う。

「ごめん。俺、遠藤くんとつるむの無理だわ」

 嫌いなタイプの大人の臭いがするもん。

 遠藤さんは余命宣告でも受けたみたいに呆然とした表情で、ふらりと立ち上がってレストランを出た。その背中が消えたと同時に、木村ちゃんは泣き出した。

「お疲れ、木村さん。奢るからなんでも頼みなよ」稗田父はそう言ってメニュー表を木村ちゃんのほうに寄せた。「俺も高校時代に彼女に浮気されたことあるから、裏切られた気持ちわかるぜ」

「ありがとうございます」と木村ちゃん。「ごめんなさい、こんな、迷惑かけて」

「いいってことよ。食いな」

 それから木村ちゃんと稗田父が遠藤作詞曲の封印などについて話し合うのを見ながら、私は(ついでに奢ってくれるとのことだったので)普段あんまり頼まないパフェで癒されて過ごした。私もちょっと疲れました。怖かったし。これくらいじゃ泣かないけどね。

 それから私は木村ちゃんの家に一緒に入って、遠藤さんの歯ブラシだったりなんだりの残滓を捨てて、荒れた部屋をどうにかする。ベッドに墜落した隕石みたいなことになっている冷蔵庫が非現実的で、ひしゃげたベッドとともにこのまま展示したい感じだ。

 壊れたベッドと冷蔵庫を捨てるにはとりあえず冷蔵庫をベッドからどける必要があるので、ふたりで力づくでどかす。遠藤さん用らしきビールがその冷蔵庫に二缶残っていて、ぬるかったけどもったいないので私のトートバッグに入れる。家で冷やしていただきましょう。木村ちゃんが何か言われたら私が勝手に飲んだことにすればいい。そのあとベッドから掛け布団をはがすとシーツの上にピアスが落ちていて、あーこれ前に胡桃がつけてたやつだ、見たことある……ていうか、がっつり浮気の証拠あるじゃんここに!

 なんなんだよもう!

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