3-2



 木村ちゃんは昼間から酒を呑みたいってタイプでもないらしいので合わせて飲酒はそこそこにして、焼き鳥やら焼きおにぎりやらをたらふく食べる。何をどうするにしても、どんなことがあって何を考えたいにしても、お腹が空いていたら話にならない。

 食べてる間に弟に連絡を入れて了承の返事をもらう。人を急に泊めたのは大学生時代にルラ子と二回くらいやったぐらいかな、と思う。

 お腹いっぱいになって、腹ごなしにカラオケに行く。木村ちゃんは結構過激な感じの曲を色々と叫んだあと&ハートの新譜の曲を歌う。私もチェックしていたからコーレスっぽいパートで参加してみる。木村ちゃんはちょっと嬉しそうな顔をする。

「そうだ、遊井」歌い終えた木村ちゃんは私に顔を向ける。「四月の最初の土曜、空いてる?」

「え? あ、うん。空いてるけど」

「&ハートのライブ、当たってて。……遠藤と行く予定だったけど、ナシだから、チケット余ってんの。一緒に行かない?」

「え、行く。行きます。えっと、だけど私でいいの?」

「ほら、望花さんは&ハートあんまり聴いてないし。それに、今日そもそも電話したくなったのが遊井だったから、じゃあこれも遊井だよなーって」

「……嬉しい」

 本当に嬉しい。私はそもそも木村ちゃんと仲よくなりたくてオママゴトへの誘いに乗ったのだし、そのためにDNJだって&ハートだって聴いているのだ――むろん、いい音楽をやってくれるアーティストでなければ、必要でも聴き続けてなんていられなかっただろうけれども。

 だから私が木村ちゃんのなかで、それくらいの友達になれていることが嬉しい……!

「いまならなんでも歌える気がする。遊井薊、行きます」

「お、やったれやったれ。私は休憩してるね」

 で、DNJの曲を入れて、普通に譜割りが早くて全然ついていけなくてめちゃくちゃぐだぐだになって意気消沈する。

 ラップって難しいね。

 そんなこんなで四時間くらい歌ってたら夕方になる。バスで帰って家の近所のコンビニでお泊りグッズを最低限揃える。私はスナック菓子と、たしか切れてたはずの卵を買っておく。家に入ると弟がリビングでテレビを見ていて、物音を聞いて振り向く。

「姉貴、皿洗いと風呂沸かしといたよ」

「ん、ありがと」

 それから木村ちゃんを目にとめて会釈する。「弟です」

「木村透です。お姉さんとはお友達として仲よくさせていただいてます」

「姉貴のバンドのボーカルやってる人ですよね、ライブで見たことあります。俺は遊井守一郎です。姉貴がいつもお世話になってます」

「ちょ、そういうのいいから……」と私は言う。なんだこの挨拶みたいなノリ。「お前、ルラ子のときそんなんじゃなかったじゃん」

「や、ルラ子より木村さんはまともそうというか……ちゃんとしなきゃいけないタイプだなって」

「いやルラ子もいまじゃまともだからね?」

「嘘だあ。びっくりしたんだよ中学生のとき、姉貴が急に友達を連れてきたと思ったら室内でタバコ吸い始めて。すげえヤンキー連れてきたと思った」

「ルラ子ってそんなことしてたの?」と木村ちゃん。「大学生時代と比べたら、たしかにいまは常識人なんだねルラ子」

「あーまあね……そういえば大学時代のこととか、私のぶんも含めてあんまり話したことないっけ」

「じゃ今日聞かせてね、遊井」

「はーい。とりあえずこれから晩ごはんを作りますがオーダーありますか」

 木村ちゃんがライス系って言って、弟が買い物袋を見ながら卵系って言ったので、オムライスにする。弟が木村ちゃんに色々といらんこと言ってるのを聞きながら頑張ってふわふわにすると、ふたりに喜んでもらえる。

「ありがとう、美味しかった。皿洗い、私やるね」

「いや、それは弟の担当だから。木村ちゃんは先にお風呂入っていいよ」

 木村ちゃんがお風呂に入っている間に私は自室の掃除やベッドメイクをする。私は床にマットレスを敷いて寝ればいい。木村ちゃんが私の貸したパジャマを着て出てくると、部屋に通してとりあえず無線のパスワードを教えて私もお風呂に入る。

 ふう。

 牛乳とスナック菓子を持って自室に戻ると木村ちゃんはイヤホンをしてスマホを見ている。何か聴いてるのかな、と思いながらSNSを開くと&ハートの新譜のMVが出ている。MV公開記念の雑談放送をいまやっているらしくて、じゃあそれ聴いてるんだろうな、邪魔しちゃいけないなって思う。私も同じものを見ようかと思っていたけれど、好きなアニメの重大発表配信があったのでそっちを聞く。二期じゃなくて新作ドラマCDか……。

 同じくらいの時間で配信が終わったらしく、私と木村ちゃんは同時にイヤホンを外して顔を上げる。ちょっと笑う。

 お菓子をつまみながら木村ちゃんが言う。「四月末のライブの前にも新曲出してくれるんだって」

「楽しみだね」

「あとマサがライブ一日目に発表あるって言ってて。脱退とか休止とかだったら逆にもったいぶらない性格だと思うから、バンドと並行してソロ活動とか何か始めるのかな……」

「なんにせよ、いいお報せだよ」わからないけど。私は&ハートのメンバーのパーソナリティまでは知らない。マサがベース担当なのは知っているけれど。「もし、アパレルとかだったらどうする?」

「まあ買う」木村ちゃんは即答する。「マサ、インディーズ時代にデザインとかやってたんだけど、センスよかったし。応援としても買うよ、買えるだけ」

 本当にいいファンだな、と私は思う。熱心な愛好者って感じだ。こんなに愛の深い子と私が一緒にライブを観ていいんだろうか? とすら思えてしまうけれど、まあ少なくとも遠藤さんよりはマシなのは確実だから、そんなに気にすることでもないのかもしれないが。

 遠藤さん。

 そういえばバンドってどうなるんだろう? といまさらのように思う。少なくとも、次のスタジオで気まずくはなるだろうか。そこから立て直せるような物事ではないだろうから、木村ちゃんと遠藤さんのどちらかが抜けたりするんだろうか?

 どっちが?

 私としては木村ちゃんに残ってもらったほうがありがたいし、浮気をした遠藤さんがバンドに残るのは気持ちとして納得できないが、しかし私の気持ちはどうだっていいのだ。バンドのまとめ役である稗田父の決定と、原因の当事者である木村ちゃんと遠藤さんの気持ちこそが決定権を握っている。だから、たとえば木村ちゃんが、たとえ遠藤さんが抜けるとしてもこのバンドにいると思い出してしまってしんどいから、みたいな理由で抜けてしまったとして、稗田父がそれに納得したら私に止める権利はないんじゃないだろうか?

 木村ちゃんがいなくなったとして、私はあのバンドに、オママゴトにいるだろうか?

 ……いないだろうなあ。胡桃を中心とした集まりもなくなるだろうから望花さんと会いづらくなるのは寂しいけれど、それにみんなでセッションやライブをする場にいられなくなるのは切ないけれど(新しいバンドを自分で作るのは絶対にできない。そういう器じゃない)、それでも私にとって、木村ちゃんが軸だ。

 で、思い切って木村ちゃんとしては現状どういう気でいるのか訊いてみる。

「は? やめるわけないじゃん」木村ちゃんは断言した。「そんなん、遠藤に追い出されるみたいで癪だからしないよ。なんで私が消えなきゃいけないわけ? 意地でも居座るよ、それこそ遠藤を追い出してでも」

「うわ強い」

「私は強いよ、&ハートがいるから」

 え、&ハートってバンド名の由来のなかに《みんなの体力ゲージを一つ増やせるように》っていうのがあるのと掛けてる? 体力ゲージをハートマークで示すゲームがときどきあるよね、という補足をされてもこれまでの人生でそういうゲームに遭遇してこなかったらあんまピンとこないだろ、って私は正直思ったあれと?

 木村ちゃんの支えになってるなら何も言わないけど。

「そういえば真崎ミザリさんに褒めてもらえてたよね、歌声」

「うん。それもあって、絶対退かない」

「そっか。よかった。ちなみに稗田パパには連絡した?」

「あ、まだ。いつしようかな。次のスタジオ入りのときとか……いつだっけ?」

 と木村ちゃんがスマホを見たタイミングでメッセージが入る。

 遠藤さんから。

《ごめん。別れてもいいんだけど、一個だけ。バンドの人、特に優之さんには内緒にしよう。

 オママゴトはこれからが肝心だし、透も変に気を遣わせたくないでしょ》

「何? 死ねよ」

 木村ちゃんは短く呟いてオママゴトのグループチャットを開いて、

《遠藤に浮気されたので別れました。近いうちにバンドとしてのこれからについて話し合いたいです。》

「ごめん遊井、グループチャット見せて」と言いながらスマホの電源を切ろうとしたとき、遠藤さんからの着信表示があるが、木村ちゃんは構わず電源ボタンを長押しする。「どんな感じ?」

「えっと」私は驚き系のスタンプを押しておく。既読は二件。木村ちゃんが電源をつけていないのでひとつ減るとして、残りふたりは遠藤さんと……稗田父娘のどっちだろう? と思っていたら、稗田父が書き込む。

《了解です。俺は明日と来週の水曜夜が確定で空いています。無理だったら来週土曜のスタジオで話し合いましょう。》

「だって。木村ちゃんどう?」

「明日空いてる」

「私も空いてる」

 三月最初の土曜だ。

 で、私が木村ちゃんのぶんと一緒に返答する。

 それから遠藤さんが、

《俺も明日大丈夫です》

 と返す。

 三十分くらい後に望花さんから、

《ごめんなさい、明日一日ダメです。。。

 この件については透ちゃんたちとパパの判断にお任せするつもりなので、

 早いほうがいいと思うし、いなくても問題なければ私抜きでやっちゃってください》

 という返信が来る。

 それから細かい調整を経て明日の昼、ファミレスで話し合いをすることに決まる。そのころにはもう午後十時になっていて、木村ちゃんは疲労からか床に就く。床のほうに寝ようとするのでベッドを使っていいと言うと、いやいいから、と断られる。

「今日、急に巻き込んじゃって申し訳ないって思ってるし」

「え、巻き込んでよ。案外そういうの嬉しいもんだよ? 私は」

「それでも。喜ばれてたら申し訳なくないかって言えば、そういうもんでもないでしょ」

 まあ木村ちゃんはそうなんだろう、と私は納得しておく。

 で、電気を消して少ししても、私と木村ちゃんは眠れない。開き直って大学時代の私とルラ子の話とかをしていると、木村ちゃんが言う。

「ねえ。遊井」

「何」

「私と遠藤って、遊井の目にはどう映ってた」

「どうって。付き合ってるんだなーって。それだけ」

「そう」

「あ、でも。なんで遠藤さんは透って呼んでたのに、木村ちゃんからは名字呼び捨てなんだろ、とはちょっと思ってたかも。ちょっとだけね?」

 いままで触れてきた恋愛ものだとだいたい名前呼びに移行していたから、不思議だなあ、まあ創作と現実は違うんだろうなあ、と思っていた。

「……別に。ただの、照れ隠し」

「……そっか」

 目を瞑ると、ドアを隔てた遠くからテレビの音が聞こえる。家の外をバイクが走る。秒針が少しずつ今日を終わらせていく。木村ちゃんがマットレスと布団の間で寒そうに泣いている。私はいっそ木村ちゃんが、抱きしめてほしいとかどうとか、言ってくれたらいいのにと思う。そうしたらきっと抱きしめて、温められるのに。

 でも、恋愛をする人を切り刻む激しい傷の求めるものが、私にはわからないから、きっとわかっていないだろうから、ただそれを聞いていることしかできない。


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