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 まあ色々とデリケートな話だし増田くんもお母さんに聞かれたくないようなので、私と増田母は病室を出る。弟と増田くんは何を話しているのだろう。ここからさらに拗れてしまったらいよいよついていけないので、私の想像通りだといいけれど。

 院内の会話をしていいスペースで増田母は私に訊く。

「えっと、遊井くんのお姉さんでしたよね」

「あ、はい。弟、気が動転してたんで、付き添いさせていただきました。ほぼ無関係の身でこんなところに来てしまって、ごめんなさい」

「いえ、いいんです。わたしもまだ混乱していて、誰かと話していたいというか。いいですか」

「いいですよ。……なんていうか、一命をとりとめて本当によかったですね」

「ええ、本当に……本当によかったです」増田母は少し涙ぐむ。「お風呂場に気配を感じて。覗いたら、あの子が、元喜が……切ってて。血がでていて」

「それはショックでしたね。早く気づけて、本当によかったですね」

「本当によかった。親の予感みたいなものがあったんでしょうか」

 親かどうかは関係なく人の気配みたいなものを感じただけだと思うけれど、そんな無粋なことは言わない。当たり障りなくいきたい。

「元喜は、なんだか不思議な子なんです。掴みどころがなくて、今年の夏休みに急に、瞼の整形をしたいって言いだして。見た目に悩んでいるなんて知らなかったから驚いたんですけれど、いまどきは整形くらい普通だから、って言っていて。それで、本人の気持ちを尊重したんです。……十七年、ずっと見てきた顔が変わってしまうのは抵抗があったし、いまもずっと違和感がありますけれど。でも元喜は、整形の前より言動も明るくなったので、それでいいんだって思っていました」

「そうですか」

「でも、死のうとするなんて。学校で何か、あったんでしょうか」

 学校ではなく休日、家で電話して色々あったからこうなったんだけれど、それも言わないでおく。深掘りをすると弟が増田母に恨まれることになるかもしれないし、そもそも増田くんが親に自分の性的指向を明かしているかどうかもわからないのだから説明のしようがない。

「本人が話してくれるのを待つほかないですよ」と言っておく。「私もよくわかりませんが、きっと精神面で不安定になっていると思うので……無理矢理に訊き出すんじゃなくて、話したいと思ったときに話してくれるのを待つのがいいと思います」

「……そうですね。思春期って、こんなにも不安定なんですね。あの子がひとり息子なので、ずっと手探りなんです。夫は仕事が遅くて、子育てはずっと、わたしだけで」

「大変だと思いますけれど、諦めず、距離感を見極めながら、寄り添ってあげてください。……なんて、私は子育てなんてしたことないので説得力ないかもしれないですけど。でも、思春期のとき、どんな世界に囲まれているかってすごく大事なので」

 私は自分の思春期時代のことと、好きな教師もの漫画のことを思い出しながら言った。

「ありがとうございます。頑張ります」増田母は噛みしめるようにそう言うと、私を少し見つめて、微笑んだ。「あなたみたいに優しい人なら、きっと将来、いいお母さんになれると思います」

「ありがとうございます」

 私はそう言って笑った。当たり障りなく。

 少しして弟が出てきた。増田母と会釈を交わして、

「たぶんですけど、気持ちのほうは大丈夫だと思います」

 と言った。増田母は、ありがとうございます、と言って病室に行った。

「おつおつ。どうだった」

「ここじゃなんだし、病院出たい」

「そっか」

 で、病院を出て、なんかちょっと疲れている様子の弟に自販機の緑茶を奢る。それから、改めてどんな感じになったか確認する。

「付き合うことになった」

「え? ……マジ?」

「うん。もう一回、告白されて」

「いいの? え、よかったの?」

 弟の顔を見ると、なんかよかったって顔ではないというか、心ここにあらずみたいな感じだけれど。現実感がないのか、現実だから戸惑っているのか。

「……雰囲気のことは、まだあんまり受け入れられてないけれど」弟は言う。「でも、なんとなく、振ったら後悔する気がして」

「え、だから保留にすればいいんじゃないの?」

「それはできなかった。……いま、どっちか選ばないと、逃げてるみたいで」

「そんなことなくない? お前の気持ちのことなんだからお前のスピードで決めてよかったんじゃない普通に」

 と言いながら、いまさら言っても遅いことだとわかっているのでちょっとやる気がなくなってくる。腹も立ってくる。もう勝手にすればいい。どうせ私は結果の責任なんて取れないんだし、私と弟は違う人間だし、私はそもそもその増田くんとは会ったことすらないのだ。どういう子かなんてよく知らない。もしかしたら増田くんがはっきりさせてくれオーラを出していたのかもしれない。

 とりあえず私は、

「まあいいや、あとは勝手にしてね。私は彼氏とかできたことないから相談乗れないからね」

 と宣言しておく。

 実際のところ本当に彼氏ができたことがないかと言えば嘘になる。

 高校二年生のとき、自分は恋愛ができるようにならないといけないんじゃないかという強迫観念に駆られて、ちょうど告ってきた男子と適当に付き合ったことが一回ある。陸上部同士で多少の人柄は知っていたし。

 でも三日くらいで別れた。だってすぐ家に行きたがったり夜に連れ出したがったりしてきて、断るとあからさまにテンションを下げてくるところがうざかったし、家に入れたり夜に連れ出されたりしたとしてその先に何をするつもりなのか必死に隠そうとする感じも気持ち悪かったから。

 それもいま思うと思春期ゆえの未熟さなのだろうけれど、時期ごとにどんな未熟さを抱えるかも含めて人間性なのだし、未来どんな人間性になっていくかなんてわからないのだから、そのときその人間性が嫌だなと思ったのであれば、無理せず別れてしまっていい。はずだ。

 なんか高校時代のそいつ関連のことを思い出すとムカムカしてきてしまったので、駅前で弟と別れてひとりで帰らせて、私はカラオケ屋さんに行く。日曜の夜となると込み合っていそうだな、と思いながら入店する。

 フロントで木村ちゃんと出会う。

「あ」

「お」

 やば、いま私ノーメイクだ。

「ヒトカラ?」と木村ちゃんは訊く。

「あ、うん。そっちは」

「こっちも。でもなんか混んでるみたいで、部屋空くまで十五分待てっていま言われたばっか」

「へえ。じゃあ私はもっと待たなきゃなのかな。待ち時間一緒に喋ってる?」

「じゃあもう一緒に歌おう」

「え、いいの?」

「うん。遊井がいいなら。いい?」

「いいよ。発散のためだからうるさいけど私」

「まあ負けないよ」

 木村ちゃんはさっさとカウンターに行ってひとりからふたりになった旨を連絡する。それから、ドリンクバーは要るかと訊いてくれるので、要ると答える。お財布的に問題はない。

 最初は代わりばんこに曲を入れていたけれど、三十分くらい経つころには勝手に二曲連続で入れたり割り込みで入れられたりする。余裕で許し合う。だって木村ちゃん、めちゃくちゃ歌が上手い! &ハートの『情操ゴスペル』とかいうすごい音域広い曲を余裕で伸び伸び歌ってんのやばい! 木村ちゃんも私の勢いだけなはずの歌に「すごい楽しそうで聴いてて楽しい!」とか言って愛してくれて嬉しい!

 カラオケはフリータイムで入っているらしいからお互い夜まで歌おうって空気だけれど、私はだんだんネタが尽きてきたので、子供のころに好きだったポップスとかを歌ってみる。衝動的に歌いたいときのナンバーではないから、昔を思い出しながらメロディを追う。

「それ懐かしいね」ドリンクバーから戻ってきた木村ちゃんが言う。私のお茶までおかわりを注いでもらっている。「いい曲だよね」

「子供のころすごく好きだったんだ」私は二番のあとの間奏タイムで言う。昔の曲は間奏が長いから助かる。「エレクトーンでよく弾いてたな」

「エレクトーン?」木村ちゃんの目の色が変わる。「え、弾けるの? 遊井」

「小学生のときに習いごとでやらせてもらってたくらいだよ。六年生でなんか同じ教室の子と喧嘩して辞めてからは全然。楽譜読めるくらい」

「楽譜読めるんだ!」

「食いつくね木村ちゃん」

「ねえ遊井!」木村ちゃんはいい笑顔でいう。「一緒にバンドやろうよ」

 そんな流れになるとは全然思っていなくてびっくりしすぎた私が状況を飲み込めたときには、すでに私の後ろでラスサビのオケが終わっていた。

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