片恋対象埋没事件[オママゴト]
名南奈美
1.CANCELED ANTHEM(詞:金木ジュン)
1-1
一年生の頃から好きだった同級生の男の子が夏休み明けに整形してた、という理由で弟こと遊井守一郎がリビングでわんわん泣いていて、アセクシャルな姉こと遊井薊としてはどう慰めていいやら……。
「奥二重がぱっちり二重になってて、俺の好きだった雰囲気がどっか行っちゃって」
学ランも脱がずにジュースを飲みながら弟は言う。炭酸で酔っぱらいごっこできるなら余裕あるんじゃないのかと思わなくもないけど、でも実際どれくらい悲しいかって正確に表に出るかというとそうでもないか。
とりあえず整形前の写真を見せてもらったけれど、うーんこの顔なら平行二重のほうがたしかにいいでしょ、奥二重あんま似合ってないでしょ、と思ってしまった。まあ言わないけどさ。
ていうか男子高校生って整形するんだ? まだ二年生なのに? 女子高校生にどんどん流行ってるみたいな話は聞くけども。男女問わず多感な時期だし、色々と見て色々と考えるのは女子だけじゃないということだろうか。
とかなんとか余計なことばかり思いつつ、結局なんて言えばいいかわかんなかったので、とりあえず晩ごはんは弟の好きな目玉焼きのソース焼きそばにしてあげる。
我が家の料理当番は私が去年正社員になって両親が海外に行ってからはずっと私の担当だ。私の今週の休みは金曜と土曜で、今日は金曜日だった。
弟はシャワーを浴びて焼きそばを食べると少し気持ちが落ち着いたようだったが、それでもまだ曇り空な趣だった。
まあしょうがないか。私は別に恋愛とかしたことないし、しようと思わないタイプの人間だけれど、好きだった作品のアニメのキャラデザが原作とかけ離れていて萎えちゃう気持ちならわかる……これ全然違うか。
とりあえず結局は弟の気持ちの問題だし、私に出来ることなんてそれこそ焼きそば作ってあげるくらいなんだからこれでおしまいでよかったと思うけれど、どうしても弟の気持ちがよくわからない、というか弟のその悲しみにどんな反応をするのが普通なのかわからなくてモヤモヤする。
なので次の日、女子会で話題にあげてみる。同じ駅ビルのお店で働いていて、毎月最初の土曜を休みにしている全員の予定が空いてたらお茶してる五人組。
胡桃、望花さん、木村ちゃん、ルラ子、私。
土曜休日女子会。
一応、アウティングへの配慮もかねて、あくまでも「高校生の弟の気になっていた子が夏休み明けに整形してたみたいで弟がすごい落ち込んでてさ~」と性別を確定させない言い回しで。
で、望花さんが「弟くんかわいそー、整形アレルギーみたいになんないといいねえ」って言って、
ルラ子が「整形したくらいでガタガタ言うな! 自由だろうが!」とか言って、
胡桃が「いやあ、でもなってもしょうがないかも? あたしも高校のときの元カレがクソだったから似たような男だいたい嫌いだし」などと言ってそこから胡桃の元カレの話に移りかけたところで木村ちゃんが、
「まあ結局、弟さんはその人のこと愛する資格がなかったんだよ。変わりたいって気持ちも変える行動力も、その人の心のかたちなんだから」
とズバっと言い切って、それが私にとって一番しっくりくる。私がうっすらふんわり思っていたことを先に進めて言語化してもらえたみたいな。
私と胡桃は同じ職場、ルラ子は私と大学が同じ。望花さんと木村ちゃんと胡桃は出身大学が同じだけれど、それぞれ違う職場で働いている。五人のなかで望花さんだけ二歳上の二十六歳だからお姉さん的なポジション。自由人のルラ子からすらも。
そんな感じで半年くらい一緒にいた結果、胡桃を中心としたこの五人組でオタク系の作品に真面目に触れているのは私と木村透ちゃんだけだと察している。
木村ちゃんはCDショップでバイトをしながら&ハートっていう人気ロックバンドを最推しとしつつ、コラボしたことがあるとかで関連する色んなアーティストの曲を聴いている子。
私の読書傾向は主に漫画やライトノベルで、木村ちゃんの読書傾向はもっぱら音楽関係の雑誌やアーティストのエッセイだけれど、気になったタイアップの曲は曲の理解を深めるために題材となっている作品にも触れるタイプだし、&ハートのメンバーが雑誌とかで好きな作品として挙げたものも全部買って鑑賞する子なので(いい子だ)、ときどき同じ作品を読んだり観たりしていることがある。
オタク系に限らず作品に触れること全般がそうだけど、同じ作品をちゃんと観た人同士だと、作品を通して理解した人情や世界への解釈が合うようになる……ことが、ときどき。あると思う。だから――もちろん他の子たちとも他の部分で話やセンスが合うからそれでも仲がいいけれど――抽象的なことへの感性に関して、私は木村ちゃんのそれに親近感を抱いている。
そういうわけで胡桃の元カレの話から望花さんの元カレの話になって私に元カレがいるかどうかの質問を上手くかわしながら、木村ちゃんともっと仲よくなりたいなと思った。
先述の趣味や読書傾向などは五人で遊んでいるときに話の流れで知ったことでしかない。もっと具体的に掘り下げて聞きたいことがいっぱいあるのに、一対一で遊んだり電話したり、みたいなことを木村ちゃんとは全然していないのだ。この五人で集まるときしか話さない相手のまま、いつかうっかりグループとして終わってもう話せなくなるなんてもったいない。
女子会が終わって解散するとき、私は木村ちゃんについていってみる。
「雑貨屋行って帰るだけだけどいい? お茶とかする余裕はないんだわ」
と言って木村ちゃんが向かうのはサブカル系の『キヤマビーフ』という雑貨屋で、そこでなんだかお洒落なジャケットのCDを手に取る。
「なんのCD?」
「DEEZ NUTS JOKERっていう、ネットラッパーと作曲家のユニットのミニアルバム」
「あ、聞いたことあるような……有名な曲とかある?」
「んー、一番知名度が高いのは『MINOR STRAIGHT』なのかな。曲よりMVがお洒落で、踊ってみたとかが流行って一昨年に伸びてた。このCDには入ってないけど」
言われてとりあえず検索してみる。
「あ、これ聴いたことある。去年くらいによく聴いてたかも」二次創作トレスMADで。
「そっか。まあその曲きっかけでネットで有名になってタイアップとかもあったくらいなんだけれど、このCDはキヤマ専売だから買いに来た」
「へえ……木村ちゃん、ラップ系も聴くんだね」
「普通に聴くよ。スーパーブリーフおじさんとか砂鼠とかのミクスチャー系のバンドも好きだし。まあDEEZ NUTS JOKERは、カルキが『MINOR STRAIGHT』のギター褒めてたから興味出たんだけど」
カルキというのは先述の&ハートのギター担当の人だ。&ハートはボーカルの真崎ミザリ・ギターのカルキ・ベースのマサ・ドラムのシノンの男女混合四人組ロックバンドで、木村ちゃんは箱推しの人だった。私はいまのところ誰が好きとかないけれど、アニソンとかで作品に合ったいい曲を作ってくれるのでバンド自体への好感度は高い。
さておき、ここで私もこのDEEZ NUTS JOKERとやらのミニアルバムを買えば感想トークとかできちゃうんじゃないかなと思いつく。
「……私も買っていい?」
「いいよ? 許可取んなくていいでしょ」
そりゃそうだ。私はCDを手に取る。『出禁』と題されたミニアルバムの帯には《お上品インターネットを揺さぶる幾何学的デジタルロック×予測不能のフロウセンス》と書かれていて、なんかロックとラップを混ぜてるのかな? ということしかわからない。それって割とよくある感じでは……?
とりあえず木村ちゃんの会計が終わったあと私も会計を済ます。一六〇〇円プラス税。
駅ビルを出ると木村ちゃんは時間を見て改札の向こう側に急ぐ。私は、またね、と木村ちゃんの背中に言う。特に返事はない。
家に帰る。弟と晩ごはんを食べて、ゆっくりお風呂に入って、おつまみとビールを楽しみつつサブスクでアニメを観る。
そういう休日があるから平日を乗り切れる。
アニメと言っても色々あるけれど、私は優しい世界なアニメが好き。男の子とか女の子とか男女混合とかでわちゃわちゃやりつつ穏やかな作品が好き。公正世界仮設なんて嘘っぱちだと知っているからこそ、優しい人が優しさを返してもらえる、正しい人の正しさが認められる世界が好き。
あとあんまり仲違いとかしてほしくないし、そういうのがあっても決定的な決別とかじゃなくて、ただのすれ違い/認識違いとかですぐに仲直りできそうなやつがいい……。消えない心の傷とかほどほどにしてほしい……。人が死ぬバトルアニメも大学生のときは観ていたけれど、卒業してからというものの気持ちが疲れちゃってキツいの見なくなっているのです。駅ビルで働く接客業に連休なんてありませんもの。なんなら最近は漫画やラノベも心に優しいものを求めるようになっていくのを感じる。
他より人の多い店舗だからまだマシって言われたことあるし、事実初週の土曜には基本的に休めているのだから恵まれているのだけれど。
うわ明日仕事か……。
そんな感じで一日が終わって、寝て起きて出勤。
今日は残業なしで仕事が終わって、家に帰って『出禁』を聴く。
玉木ジュンって人が作ってるトラックは、ボカロ曲とかにありそうなチャカチャカしたギターが気持ちいいし、ピアノもいまっぽい音でいいし、ラップ書いて歌ってる金木ジュンの歌いかた(フロウって言うんだっけ?)も面白くて楽しいけれど、歌詞は……うーんなんかこれ、下品なダジャレ言ってるだけじゃない? と思ってしまう。
ひたすら下ネタ言いたい男子小学生みたいなノリを感じる。なまじイケボだからちょっと聞いてて恥ずかしい。別に下ネタそのものが苦手とかじゃないけれど、むしろ普段は言われると笑っちゃうことのほうが多いけれど、一方的にそればっかりをがむしゃらに繰り出されてメッセージ性も感じないとなると……作品としては微妙かなあ。
というか排泄物中心でずっとやられると苦痛というか、これだったらもっと性の下ネタのほうが逆に芸術表現っぽくて受け入れやすいのだけれど……。
あ、でも最後の『CANCELED ANTHEM』っていう曲は下ネタほぼなくて《自分が自分であっていいかは自分で決めちゃえよ》という歌詞がちょっといいなと感じた。
CANCELED ANTHEM
[Lyric・Rap:金木ジュン/Track:玉木ジュン/Music: DEEZ NUTS JOKER]
自己表現狂人 ノーヘル注意
否定派のひでー罵倒 引き寄せちゃうインパクト
RING OUT!
我こそが倫理的で思慮深いって顔だが
CANCEL is 反動 セルアウト ランデブー
ガッデム 断定文 迫り来る判決
美術品 技術人も切る首
三者三様のあんよを繋いで
二人三脚って乱暴でナンセンス
溢れる超弩級の消毒でかぶれる未来
バグってく味蕾
ブヒブヒ求めるクリニックさながらの無菌室みたいなリリック
ギミックも皮肉もビーフも挽肉みたいにKILLING
歪な規律
Do you think?
[HOOK]
DEEZ NUTS JOKER in da house
その存在を叫ぶ この根幹は曲げぬ
DEEZ NUTS JOKER in da house
お高く止まらぬ 強ばってく反骨
自分が自分であっていいかは自分で決めちゃえよ
Make your chaos :)
下卑た笑みで選りすぐり
手数 もう足らんから蹴たぐり
手繰り寄せた光景は本音じゃ「もうええわ」
根底から怨念がお出でだメーデー・ハート
目には目を歯には歯を?
できやせんよあちらは神様 like a 勇者(BRAVER)?
こちらは大魔王じゃなく半端もん?
経験値稼ぎのカスなRHYMER?
ふざけんな 砕けた心は応答やめない
猿ぐつわ食わせようが音を辞めない
汚言症? NO NO 自覚的下劣SHOW
変装して離脱する自制心
だいたい時代なんてリバイバルのシーソー
んなもんに合わせたって十年で死語
ならばいっそ痛くとも汚く嘶く
てめえの本能ざわつくほど際立つ
in da house
[HOOK]
「お待たせだ捻り出せブリモワール」
不平不満告げる奴出るわ出るわこれがBUZZ?
ワンフレーズ我慢せずクレーム晩BANG
鳴らすほうもどうよやっぱかなり病まない?
語り合わないならかなり合わないから去りな
イヤ、キライだけが自我みたいな時代
茶化したい 信じたい愛したい近未来 倫理観
逸脱の王者
DEEZ NUTS JOKER
[HOOK]
人生は所詮ランウェイ? 関係ないね
パンケーキ感性じゃ初戦負け
マジで酔狂なマシンガンスロットル
three,four...seven!!?
止まらねえJIZZING
CANCELED ANTHEM.
下ネタよりは嫌いじゃないかも。
聴き終わった流れで動画サイトで『MINOR STRAIGHT』を久しぶりに聴く。こっちも下ネタ控え目で世相反映っぽいタイプの曲で、こういう路線なら好きなんだな私は、と思う。他の曲のMVも巡回して、お洒落なアニメーションMVって歌詞の中身がどんなでもエモく思えるし、そのあと曲だけ聴いてもMVが名作だった補正でよい歌に感じるから、ちょっとずるいなって思った。
で、木村ちゃんに感想を送る。全体的にサウンド面がネット音楽っぽく感じて、そういうの世代だったのもあって個人的に好み。歌詞は『CANCELED ANTHEM』がよかった。あと小学生みたいな下ネタが多くてびっくりした。
《まあ下ネタといえばDEEZ NUTS JOKERっていうユニット名自体が下ネタのミームだから……笑》
と帰ってくる。
マジで?
と思って軽く検索してみると、DEEZ NUTS=THESE NUTS=睾丸を意味するスラングで、DEEZ NUTS JOKEというのは、……本邦で言うところの《ねえちゃんと風呂入ってる?》《入ってるよ》《うわ、お前って姉ちゃんと風呂入ってんの?》みたいなやりとりの海外版らしい。
男子小学生みたいなしょうもないノリって世界中にあるんだな、と思うと、面白いけれど少し呆れる。
そういうセンスのユニットだということを踏まえると、『CANCELED ANTHEM』の歌詞も、ただ下ネタを自由にやりたいって意思表明なんじゃないかって思う。
表現の自由は尊重するけれど。オタクとして。でもなんで急にそんな意思表明をしようと思ったんだろう、というところを訊いたら《去年あたり炎上したのがきっかけで作ったんだって》と返ってきたので、炎上内容を具体的に訊こうとしたタイミングで、
「姉貴」
と弟に声をかけられる。なんだろうと思いながら顔を向けると、弟はさっきまで泣いてましたとでも言いたげな赤い顔をしていて、とりあえず木村ちゃんに、ちょっと弟から呼ばれたからまたあとでね、と送っておく。
「何?」と言いつつ軽く察しがついている。「昨日言ってた、整形したっていう好きな子がなんかあったの?」
「うん」それから弟はもごもごと手を組みかえたり俯いたりする。急かしたいけど我慢。やがて弟は言う。「告られた、電話で、さっき」
「え」
私は椅子から落ちそうになる。弟が、弟の好きな子から告られた? なんかそういう両想いとか起こるタイプの男子だったんだ、じゃなくて。いくら情けない感じだからってそれは失礼ってもんだろう、弟相手だろうと。
「……よかったじゃん?」
「よくねえよ全然。全然」
弟は洟を啜りながら言う。よくないのか、まあよくないんだろな、よくないって言ってるから。
何がよくないって言えば、整形の件だろうか。
「えっと、整形する前に告ってほしかったなってこと? で合ってる? お姉ちゃんそのへんよくわからんわ」
「合ってる。俺、どうすればいいんだよ」
そんなの告白されたんだからOKかNGを表明する以外ないじゃん、と反射的に思うけれど違う違う。私はいままで摂取してきた恋愛系の作品の描写を思い出す。経験の不足を、知識で補う。うん、たぶんだけれど、もうちょっと深く聞いたほうがいい。
「どうすればいいって、どういうこと? ちょっと具体的に流れを教えてよ」
「……さっきまで電話してたんだけど。急に電話かかってきて、なんだろって思って受けて、なんか授業のこととか夏休みのこととか話して。俺、気になったから、なんで整形しようと思ったんだよって訊いて。そしたら、俺のことが好きだからって」
弟はそこで言葉を詰まらせる。嗚咽で何も言えないようなので、いったん背中をさすってあげる。
「なんで、どういうことって、訊いたら。俺のこと好きだけど、見た目に自信がなかったから、くっきり二重じゃないのがコンプレックスだったから、整形して、勇気を出そうって思って。出せるようになった、って。だからいま、告ってる、って。好きだって」
「……で、どうしたの? 返事」
「……どうすればいいかわかんなくて。すごいびっくりして。それで、電話切っちゃった」
え?
「……もう一回かかってきたりしてない?」
「してない……うん、してない」
「それってさ、相手、振られたって思ってそうじゃない? まずくない?」
「え。あ、そう……なる? まずい?」
「まずいんじゃないの? だってさ、勇気出して告ったらぶちっと電話切られたんだよ? そんなのまともに断られるより、ずっとなんか、拒絶って感じなんじゃないの? しかも相手も男の子ってことはゲイなわけだし」バイかもしれないしトランスジェンダーなのかもしれないけど。「お前が、……あえて酷い表現するけどさ、うわホモじゃんキモッ! みたいな気持ちで通話切ったとか思われてるかも」
弟は赤かった顔を青くして、電話をかけ直しながら自分の部屋に戻っていく。すぐに出てくる。
「繋がんない」
「繋がるまでやるんだよ」
で、三十分後くらいに繋がるけれど、出たのはその男の子のお母さんで、友達ということで現状を教えてもらう。
男の子は腕を切ってめちゃくちゃ血を出して病院に運ばれているそうだ。
「はい。……恋川病院ですか、はい。……はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
電話を切って、私に説明を終えて、弟はうずくまる。「俺のせいだ。全部」
「とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着きな」
私はそう言うしかない。急に修羅場が発生していて私もびっくりだ。コーヒーを淹れてあげて、それから時刻表を検索する。病院の面会って何時までだっけ? ギリギリ?
「二十分後のバスに乗って病院行けばいいと思う」
「え。……なんで」
「なんでって、ごめんなさいとか、拒絶のつもりで電話切ってないとか、告白の返事とか、色々と正確にする必要があるでしょ?」
「余計に傷つけるかもしれない」
「断るの? 告白」
「や、わかんない。わかんないし、……わかんないんだから、わざわざ言う必要なくない?」
「わかんないってこと、迷ってるってことだけでも、伝えておいたほうがマシな場合ってあるんだよ」
「……ごめん姉貴。ついてきてもらってもいい?」
「えー」いまパジャマだし化粧落としたてなんだけど。時計を見ると、バス停までの時間含めて、残り十分くらい。「じゃあお前もすぐ用意しろよ」
ひとまず化粧は諦めて、適当なシャツとズボンを着る。弟も同じくらいのスピードで用意が進んでいて、歯磨きを始めるのでウェブ漫画を読みながら待つ。二分で終わる。もっとしたほうがいいよって普段なら言うけど、いまは雑なほうが正解だ。
バスに間に合う。弟は言う。
「俺、付き合うって言ったほうがいいのかな」
「そこは無理するとこじゃないよ」
「でも」
「でもじゃない」
「いやでも」
「でもって言うな」
病院に着く。弟は病院の前で電話をかける。男の子のお母さんと合流する。当たり障りのないやりとりをしながら手術が終わるのを待つ。
弟の好きだった男の子――増田元喜くんは果たして、一命をとりとめる。腕を切ってからあまり時間が経っていなかったこともあって、出血量こそ多かったけれど間に合ったそうだ。
とりあえずよかった、生きてて。
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