祓い屋稼業 9
ひなは赤面し、
「は、はい!」
大慌てで襖を開け、茶盆を持ち上げる。
ところがまた緊張がぶり返してきた。手先が震え、足元がふらつく。ぞくぞくと寒気のようなものまで襲ってくる。
ああ、きっと笑われる──
無様な姿を見て笑ってくれるならまだありがたいが。こんな奉公人を使っているのでは主人の器もたかが知れている、などと思われるのは申し訳ない。
客人のほうを恐る恐る窺うと、
「あれ、あなた! どうしたの?」
甲高い母親の声。
母と娘は互いに顔を見合わせ、何やら娘が母にしがみつき、母が娘を抱きしめている。
「まさか、また始まったの!」
「ああ、お母様! 痛い! 首が痛い……!」
娘がうなじを押さえて苦しみだす。うろたえる母にしがみつき、痛い痛いと訴える。少女の髪に巻かれていた美しい色合いの布がほどけ、畳のうえにはらりと落ちた。
しかし、ひなが見ていたのは──
ごくり、と唾を飲む。
顔。
泣き叫ぶ娘の、ちょうど後頭部にあたる場所。
そこに別の顔がにゅっと突き出しているのだ。
それが、笑っている。
ひなを見て笑っている。
「あ……ぁ」
玄関でひなを振り返ったように見えたのは、この顔だ。
手から力が抜け、盆が滑り落ちる。湯飲みが転がって茶がこぼれ、つま先が濡れて飛び上がるほど熱い。それなのに、足は貼りついてしまったように動かない。
「ふ、ふ、ふ」
顔が笑う。
この顔。
この女は──
「おい」
強く肩をつかまれ、金縛りが急に解けた。
ふらりと倒れかかったところを抱きかかえられ、見上げると、すぐそこに黒埜の顔がある。
「く、黒埜様……申し訳ありません……」
「いや。平気ならよい」
淡々と言う。
黒埜はひなを支えて立たせると、苦しみもがく娘のほうを向いた。その後頭部に浮き出した顔──白い女の顔は黒埜の鋭い視線を受け、にたにた笑いをすっと消す。
「うつけ者め」
黒埜はそう呟くと、おもむろに左手を伸ばし。
顔を、わしづかみにした。
「ぎぃぃいいやぁぁあああぁあぁぁぁァァッ‼」
少女が獣のような叫びをあげる。
驚いて尻もちをつく母親の代わりに、百花がすばやく動いて逃げようとする娘の体を押さえつけた。
黒埜の指の間からはどす黒い煙のようなものがあふれ、天井に向かって伸びていく。煙は天井でとぐろを巻いたかと思うと、今度は下へ向かってまっすぐ垂れ落ちてきた。
その行く先に、ひなは思わず「あっ」と声を漏らす。
煙がするする吸い込まれて消えてしまうと、獣のような叫び声も止まる。少女はぐったりとして──
気がつけば、全員がぴたりと動きを止めていた。
失神して百花に抱きかかえられた娘。
尻もちをついて固まっている母親。
呆然と立ち尽くすひな。
娘の後頭部に手を当てたままの黒埜。
「え、あ……?」
と、嗄れ声で呟いたのは母親だ。
上品にまとめられていた鬢がほつれ、耳の横に幾筋か垂らしたまま黒埜を見上げ、
「ええと、どうなって……?」
ぐるぐる目を回したような声で言う。
黒埜は左手を少女の頭から離し、まるで埃でも払うように裾にはたきつけた。
「どう、とは? あなたがおっしゃったのでしょう」
「あ、あたくし、が……?」
「そう」
娘の後頭部に、もう顔はない。
「お望み通り、悪霊を祓ったまでのことです」
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