呪われた花嫁 6




 ひなの顔色はみるみる蒼白になった。かすかに震える声を細い喉から絞り出す。



「……な、ぜ」


「なぜ?」


「あの方の身に、何か起きたら……どうされるおつもりです。あの方が……黒埜様とやらが、同じように死んでしまったら」


「そんときはそんときだ」


「そんな……!」


「別に俺ぁ、あの御仁を騙したわけじゃねぇ。ちゃんっと申し上げたんだ。花婿が三人死んだことも、おめぇが俺を殺そうとしたことも、何もかもな」


「私はおっとうを殺そうとなんか……!」


「だが、黒埜殿は『心配することは何もない』と」


「何も心配ない……?」


「俺の話を聞いても、顔色ひとつ変えやしなかった。ずいぶん自信があるみてぇだ」



 ふと、あの男の冷やかな目を思い出した。駕籠に乗りこむ寸前、ちらとこちらを一瞥した黒い両眼。思い出すだけで心の芯がすぅと凍るような、真っ暗闇に放り込まれるような、寒々しく恐ろしい気持ちが全身をめぐった。

 あの男のところへ。

 故郷を離れて──たった一人で。



「勘忍してください」



 気がつけば、ひなは傷んだ畳に額を擦りつけていた。体が小刻みに震えている。

 あの方の身に何か起こったら、などというのは方便だった。

 自分はあの男の心配なぞしていない。まるで己の天敵のような、恐ろしいもののそばに行きたくない。ただそれだけだ。



「お願いします……!」


「なら、どうする」


「おっとう、お願い、勘忍して」


「このままじゃ俺たちぁ心中するしかねぇ。おめぇ、そのほうがいいか」


「………」



 ひなはゆっくりと頭を上げた。

 父と目が合う。

 しわくちゃの干からびた皮膚に囲まれた、色の濁った小さな目。じっと見つめられて、ひなはそれ以上言葉が出てこなかった。

 その目が「それでも、いいぞ」と言っているのがわかったからだ。


 ──ああ。おっとう。

 ──おっとうは。


 厭われ、恨まれていると思っていた自分を、ひなは恥じた。

 父は昔と少しも変わっていない。ただ娘のことが憐れで仕方ないのだ。

 目にするたび、口をきくたび悩んだのだろう。娘のこれからを思うと不安でたまらない。いっそ心中しようか、そうしようかと迷ったのは一度や二度ではないはずだ。包丁を振り上げたあのときも、きっと後から追いかけるつもりだったに違いない。だからこそ娘を遠ざけ、その考えをしまい込もうとした。何も言わずに畑を耕し続けた。

 だが、病に倒れた。食うものもない。もう限界だ。

 父の目がわずかに潤んだ。

 ひな、俺たちと一緒に──



「参ります」



 自分でも不思議なほど、きっぱりした声が出た。



「黒埜様のもとへ参ります」



 そう言うと、父は驚いたように口をわななかせた。



「ひな、だが、おめぇ──」


「私などが奉公して、黒埜様のお役に立てるかわかりません。それが不安でたまらず、あのようなことを申しました。けれど、覚悟を決めました。ひなは精いっぱい努めます。おっとうとおっかあに恥じないよう、立派に奉公してみせます」



 まっすぐ父の瞳を見つめ、それからさっと体を返すと壁際に退き、左右に両親の顔を見ながら静かに手をついた。



「どうか健やかに、長生きをしてください。ひなの望みはそれだけです。私は……こんな娘だけれど、おっとうと、おっかあが……大好き」



 ここで泣くな。

 ひなは自分に命じた。これ以上の悲しみを両親に背負わせてはいけない。

 せめても、凛と。

 背筋を正して息を吸う。



「これまで育てていただき、ありがとうございました──」



 まるで人形のように美しく、微笑みながらひなは頭を下げた。



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