呪われた花嫁 5




「ひな」



 傾いた陽が丘の向こうへ沈もうとする頃。

 籠を背負い、家に向かって歩いていたところを呼び止められ、振り返る。

 今度はちゃんと人の姿があった。声も稚い童ではなく、力強い若者のもの。

 幼馴染の平太である。

 すっかり成長して男らしい体つきになったが、面差しはまだ少年の影を残している。今や唯一と言っていい、ひなと親しく言葉を交わしてくれる人物だった。



「また山菜取りか。この寒いのに難儀だなぁ」


「平太こそ」



 さびしく笑って荷物を指す。小ぶりの大根が二つ、風呂敷から頭をのぞかせていた。「おう」と言ってそれをひなに押しつけてくる。



「そのうち、あなたまで村八分にされてしまうわよ」


「ばれなきゃいいんだ。そんなもん」


「でも……」


「それより見たか?」



 幼馴染が急に神妙な顔をするので、ひなは押し引きしていた大根を抱えて小首をかしげた。



「見た、って?」


「黒い着物の色男」


「ああ……」



 道を尋ねたあの男。黒い着流しに紫帯の。



「今、お前の家にいるみたいだぞ」


「えっ」



 驚いて風呂敷包みを落っことしそうになった。ぞっと背筋に冷たいものが走る。昼間に感じた胸騒ぎがよみがえった。

 あの男が家にいる。


 ――おっとう、おっかあ。



「ひな!」



 何か恐ろしいことが起ころうとしている。その直感に突き動かされるようにして走った。背中の籠が激しく揺れ、半日かけて摘んだ野草が道にばら撒かれる。そんなものには目もくれず、全速力で家へ駆け戻る。

 朽ちかけた小さな家と、その前に置かれた立派な黒塗りの駕籠が見えた。

 ぞくり、とまた背筋が凍る。

 家に駆け込むよりも早く、着流しの男が莚をめくって表へ出てきた。とっさに立ち止まってそれを見る。体中ぶるぶる震えていた。まるで天敵に出くわした小さな動物にでもなった気分だ。男を初めて目にしたときの眩しいような気持ちはかき消えて、今やその姿はひなに不吉な印象しか与えなかった。

 男に続いて、やつれた母が出てきた。深々と頭を下げている。

 着流しの男はそんな母を振り向きもしなかった。その代わりにほんの一瞬、立ち尽くしたひなを鋭い目で見ると、何も言わずに駕籠へ乗り込んだ。屈強な男たちがそれを持ち上げ、さくっ、さくっ、と軽い足音をさせながら去っていく。

 黒い駕籠が見えなくなってようやく、金縛りを解かれたように足が動いた。



「おっかあ!」



 首を垂れたままの母に駆け寄る。肩をつかんで揺すぶったが、なかなか顔を上げようとしない。



「何があったの!? さっきの人は誰?」


「………」


「おっかあ、返事をして!」


「………やめれ」



 莚の奥から声がした。ぎょっとして母から手を離す。

 父だ。

 声をかけられるのは久方ぶりのことだった。



「おっとう……」


「中へ入れ。話がある」



 ふらつく母を支えて家に入る。

 草鞋を脱いで正座すると、薄汚れた布団に横たわった父が青い顔でこちらを見ていた。痛々しいほど面やつれし、年齢より十以上も老けこんで見える。



「こっちへ座れ」



 短く言われ、ひなは父の枕元へにじり寄った。こうして近くに寄ることさえ久しい。



「おっとう、あの御方は……」



 尋ねると、父のひび割れた唇が歪んで乾いた咳が漏れる。何度か体を揺すってから、また青白い顔をこちらに向ける。



黒埜くろの、と名乗っておった。都に住む陰陽師とか、なんとか。年は若ぇようだが身なりはいい。こんなところへ駕籠に乗って来るからには、きっと裕福なんだろ。遠方へ仕事に出かけた帰りに、たまたまおめぇを見かけて、不思議な才を感じたんだと。よければぜひお前を雇いたい、奉公人として屋敷に来てほしいとな」


「それで……なんとお返事を」


「俺はうんと言った。明日の朝には迎えに来るそうだ」



 もう金も受け取った、と静かに言う。背後で母がすすり泣いた。



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