現地視察、ホームドアのない駅

 熱風を叩きつけながら、電車がホームへ滑ってくる。血気盛んな若者のような入道雲が青の空に映える。夏の日差しが、玲唯の白いTシャツに照りつける。

「暑い、マジで暑い」

 さっきからそれしか言葉を発しない玲唯に、自販機で買ったスポーツドリンクを手渡した。

「え、いらない。味あんまり好きじゃないし」

 いいながら汗をぬぐう玲唯。

「絶対熱中症になるから、ちゃんと飲めって」

 半ば強引に飲ませると、玲唯は顔をしかめる。

「やっぱまずい」

 少しだけ飲んでから、顔をしかめてペットボトルを返された。苦笑するしかない。

「良薬は口に苦しとかいうだろ。とりあえず飲んどけ」

 そういいながら玲唯の背中をぽん、とやりたくなって、やめた。男子同士だから、おかしくないはずなのに。


 車両に入ると、空調が効いていて一気に涼しくなった。午前の10時ごろ、まだいくつも空席が残っていたが、二人並んで座れるところはない。

「すわる?」

 俺の問いに、玲唯は「隣に並べないから、立ってる」。当たり前のように言ってくれたことが、ちょっとうれしいような。

 車窓は、夏の光を受けて形をはっきりとさせた街並みを切り取る。ビルの窓に反射した太陽の光が一瞬目をくらませた。植物の葉の緑も、空の群青も、電線の黒も、全てが濃い。

 二人で閉じた電車のドアにもたれる。おなかのあたりで、だんだん汗が冷えてきた。

 車両が加速する音を聴きながら、俺は質問する。

「こっち方向でいいのか?」

 この路線には、都心方面と海の方面の二方向がある。俺たちが乗った各駅停車は、海へ向かっている。

「うん。いいの」

「各駅停車だと時間かかるんじゃないの」

「自殺する駅は、快速が通過する駅じゃないといけないから」

 たしかに、スピードに乗って通過する快速急行に轢いてもらえば、より確実に死ねるだろう。通過する快速に飛び込める駅には、もちろん快速は停まらない。そう考えれば各駅停車に乗るのが一番いいだろう。

 玲唯は続ける。

「他にも自殺する駅の条件が二つあるんだ。まずは、ホームドアがないこと。あとは、美しい駅であること」

 最近は、自殺や事故防止のためにホームドアを設置する駅が増えている。それより、もう一つの方が気になる。

「美しい駅って、どんな感じ?」

 自殺方法の三つ目の条件、「美しい死に方であること」にもあったが、玲唯にとって「美しい」ってどんな感じなんだろう。まだ何もイメージがつかめない。

「とりあえず、都会の駅とか地下鉄とかはきれいじゃないね」

 俺は話している玲唯の目をそれとなくのぞいた。その瞳に映る、見えるはずのない景色が、見える気がした。

「ってことは、ひらけた駅がいいんだね」

 玲唯の目の色と、話の内容から読み取ったことをつぶやく。

「そうだね。あとは新しくない駅。ちょっと使い古されて落ち着いた場所がいい」

 のぞきこんだ瞳の奥に、あった。君の心の中にある景色が。


 その駅のホームにいると、空が広く見えた。ホームに屋根がないのだ。真上から真夏の青が降り注ぐ。他に壁などの大きな障害物もないので、360度見渡せる。三方は低い建物の連なる住宅地、そして正面、遠くに海が見えた。小さく小さく、船が動く。吸い込まれそうなほど澄んで見える海が陸地に切り取られているのは、まるで空がちぎれてそのかけらが落ちたみたいだった。


 今心に突然浮かんだ景色に驚いた。でもこれが、玲唯の死に場所にぴったりなのかもしれない。

「美しい駅、見つかると、いいな」

 まだあの景色に感動させられたままそう口に出した俺に対して、玲唯は案外冷静だ。

「まあね。そんなに都合良く見つかんないだろうけど」


 電車が、ホームドアのある駅にとまった。人が密集して乗り込む。大学生くらいの二人組の女子が混じっていた。一人は赤、もう一人は金髪に染めて、ずいぶん派手だ。玲唯が俺の隣で、その二人を見た途端うつむいた。

 二人組のうち、髪の赤いほうが玲唯に近づいて、声をかけた。

「久しぶり。れいくん、だっけ」

 玲唯は渋々顔をあげ、はい、と返す。

「文化祭のときはありがとうね。あのあと軽音やめちゃったんだっけ」

 いやそうにはい、と相槌だけ打ちながら、玲唯はなるべく赤髪の女子大生と目線を合わせないようにしている。

「えー、なんで。文化祭のときキーボードうまかったじゃん」

「まあ、いろいろあって」

 玲唯は逃げ場を探すように足を動かす。しかし、電車のドアは閉まってしまう。

「残念だねー。すみれは、学校楽しそうにしてる?」

 陽キャのコミュ力というのか、おばさんのノリというのか、彼女は全く心の壁を感じさせない距離感で、ぽんぽん言葉を放ってくる。

「あー、はい、最近あんまりかかわりがないので分かんないんですが、たぶん」

「そっかー。そういえば、隣の子は、友達?二人は今日どっか遊びに行くの?」

「あ、はい。海に」

 玲唯が困った顔をしていたので、俺がとっさに答えた。たぶん、さっき浮かんだ景色に海があったから、そう答えてしまったのだろう。

「そっか。青春だね。楽しんできて。あ、もう降りなきゃ」

 向日葵が咲いたような笑顔を残して、彼女さっそうと去っていく。玲唯はそれを一瞥もせず、もう一度発車するまでの間ずっとうつむいて「これ以上話しかけないでオーラ」を発していた。

 やっと玲唯がため息をついて、通常の姿勢に戻る。

「今の人たち、誰」

「元バンドメンバーのお姉ちゃんと、その友達」

 玲唯はだいぶ疲れた様子だった。

 玲唯は高一から軽音楽部に所属してバンドでキーボードをやっていたが、「いろいろあって」バンドが解散してしまったらしい。その流れで、玲唯は軽音楽部も退部してしまっていた。

「へえ、楽器は何やってたの、その子」

「ボーカル。下手くそだった」

 容赦ない言いように内心苦笑しつつ、玲唯らしいなと思った。彼は傷つきやすいくせに口が悪いので、よくメンタルが強いと誤解されて苦労する。

「なんでボーカルの子のお姉ちゃんなんか知ってるの」

 玲唯のバンドのライブには行ったことがあるので、ボーカルの子が女子だということは知っていた。その子の姉を知ってるということは、ボーカルの女子と家族がらみの付き合いでもあったのか。はたまた彼氏彼女として付き合っていて家に行ったことがあるのか。嫉妬ではないが、なんとなく気になってしまう。

「いや、なんかお姉ちゃんがかなりのシスコン、いや、ブラコンで」

「え、なんて」

 いきなり話がとんでついていけなくなったので聞き返すと、玲唯は「もういい」と邪険に手を振った。

「思い出したくないから」

 そういわれたら、こちらは黙るしかなかった。


 いくつも駅を過ぎる。ホームドアがある駅と快速の停まる駅は無視。そうでない駅は、玲唯に一応たずねる。

「ここは、どう?」

「眺めが悪いから却下」

「ここは?」

「駅舎が新しすぎる」

「ここは?」

「見える街並みがきれいじゃない」

 注文が多いなと思いつつ、根気強く電車に乗って探し続ける。そのうちに人がまばらになってきて、二人並んで座れるようになったので、座席に腰掛ける。

 座って下からのアングルで窓を見ると、空がさっきより広がっていた。線路は高架になり、見晴らしは余計に良くなった。

 電車は、ある一つの駅に停まる。

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