余談 (7)


「それは……」


 久我山は口を開いた。


 が、何も言葉が出て来ない。どう言うべきなのか分からない。 


 この問題をどうにかする為には、久我山か喜多見。そのどちらかの考えを変えなければいけないだろう。


 そして両者とも変える気はない。


 その考え。その思いを変える事など出来そうもない。


 駄目だ、と久我山は心中で呟く。


 これは行き止まり。久我山は喜多見が死んで欲しくない、喜多見は久我山が死んで欲しくない。その二つの方向性を叶える為に取れる選択肢など、それこそ一つぐらいしかない。だがその一つは……。


「それは……何ですか?」


 喜多見は笑顔を浮かべたまま訊いて来る。


 その姿を見て、思わず久我山は心中の思いを呟いてしまっていた。


「……ずるいな。喜多見さんは」


「ずるい、とは?」


 首を微かに傾げて訊くが、喜多見がその言葉の意味が分からないはずがない。


 知っている筈なのだ。


 あの時、訊いたのだから。


「さっき再会した時に訊いたじゃないですか。私の事を人間だと思うかどうか、という問いを。正直に答えて下さい、と言いましたよね。僕はその言葉通りに正直な感想を。嘘偽りのない感想を言いました。


 喜多見さんは……僕の正直な感想を求めていたんですね。その正直な感想を自らの口から言わせる事により、言い逃れの余地を消していた。実はあれは間違っていた、実は違った考えがあった――そんな嘘や言い訳を今行わせない為に、あの時訊いたんですよね。そんなのずるい、でしょう」


 思わず、目頭に涙がこみ上げてしまっていた。


 ずるい。ずる賢い。あの時に嘘偽りのない本音を言ってしまったから、もうここで取れる選択肢は必然的に一つしか残されていない。その選択肢に見事に誘導されてしまった。


 自らの口でその選択肢を言うように、誘導されてしまっていた。


「……久我山さん。私の事、嫌いになりました?」


 いや、と久我山は即座に否定し、溜まりかけていた涙を拭き取っていた。


「嫌いになるはずがないですよ。ただ……何て言うか、喜多見さんって本当に、賢い人なんだなぁ、って思ったんです。本当に賢くて、誰もが笑顔で生きていけるような、そんな世界をただ望んでいる、素晴らしい人だなぁ、って……」


 言いながらまた、涙が生まれ始めている。


 止まる気配はない。


「…………」


 久我山は無言になり、ただ立ち尽くす。


 別れたくない、離れたくないと言う気持ちは当然、ある。


 だが、その気持ちは見る見る間に萎んで行く。残されている一つの選択肢を前にすると、その気持ちはあっと言う間に小さくなり、見えなくなってしまう。気持ちを膨らませようとしたくとも、どう膨らませて良いのかも分からない。


 傍に居たい。


 離れたくない。


 もっと、色々な事をしたい。


 だが……それらは、叶えてはいけない夢、なのだろう。


 叶えてしまえば、何時か酷く後悔する事になるかも知れない。お互いが後悔する事になるかも知れない。それは受け入れられない。だからこの夢も……受け入れてはいけない。


 受け入れてはいけない。


 望んではいけない。


 求めてはいけない。


 いけない、いけない……。


 久我山は、喉の奥底から声を絞り出していた。


「……そう、ですね。喜多見さんの言う通り、なんでしょうかね」


 そう言い終えるだけで、体の奥底に溜まっていた体力全てを使い果たした気分に至っていた。


 心の底から認めたくはない事を、外界に自らの言葉として発信する事は……脳が捻れそうなほどの、苦痛でもあった。


「ええ、そうですよ。相思相愛が少し、いきすぎましたね」


 そう言って、


 喜多見は泣いた。


 ぼろぼろ、と。涙を溢れさせながら、笑顔を浮かべていた。


 恐らく彼女も久我山同様。心の奥底から認めたくない事を発したのだろう。それは苦しみを伴った物なのだろう。


 もう、我慢は出来なかった。


 我慢など出来る限界を越えていた。


 久我山は喜多見に近付き、その体を深々と抱き締めながら、涙をこぼし嗚咽する。対して彼女も彼と同じように腕を回し、隙間が生まれないほど深々と抱き締め、静かに泣く。


 これが最後。


 最後に会い、最後に愛を確かめ合う。


 その最後を一部も忘れない為に、二人は抱き合ったまま、泣き続けていた。




 数分ほどの時間が経ち、ゆっくりと二人は離れる。


 久我山も喜多見も、それぞれ数歩ほど離れて立ち止まる。その距離はもう近付く事はない。これ以上近付く事はない。


 その事実を受け入れながら、久我山はなるべく明るい声を出そうと心がける。


「……それで、喜多見さんはこれからどうするんですか?」


「勿論、久我山さんを見守り続けますよ。ただ今度は……もっと遠くから、になりますけどね」


「遠くから、ですか」


 もっと遠くからであっても――もう二度と姿が見えなくとも、見守ってくれるだけで嬉しい。独りぼっちではないのだから。


「それと私、最近したい事が出来たんですよ」


 喜多見は明らかに造った笑みを浮かべながら、朗らかな声色で言う。


「暫く、旅をしたいと思っているんです。充電が出来るところ……つまり電気が通っているところ限定ですけどね。出来る限り多くの物を見て、経験して――過ごしたい、かなぁ、と」


「旅、ですか。それも良いかも知れませんね」


 それは喜多見の夢とも繋がる物だろうから。


「でしょう。久我山さんも大学生になるんですから、何かと時間が生まれるかと思います。そしてその出来た時間の中で、小さな旅に出て見る事をお勧めしますよ。色々な貴重な経験を得られると思いますからね」


 そうですね、と久我山は言い、黙り込む。


 それぐらいしかもう言えなかった。


 これ以上何を言えば良いのか、もう分からなかった。


「……久我山さんは」


 喜多見の静かな声が届く。


 久我山はもう喜多見を見ていない。ただ地面ばかりを見つめている状態。


 顔を上げる気にもなれない。


「久我山さんは、沢山学んで、沢山遊んで、夢を追い駆けて下さい。そして好きな女の子が出来たら、その子と仲良くなって、子供を作って、お父さんになって、幸せになって、出来る限り長生きをして……」


 声が途切れた。


 数秒の無言が続き、久我山は僅かに顔を上げる。


 喜多見。彼女の視線は下に向き、唇を噛んでいた。


「……そして、私の事は忘れて、日々を過ごして下さい」

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